2011年1月14日

織り成す祈り

何故だかわからないが無性にそうしたいときは、それに従ってみると面白いことが待っているものである。ワシントン大学構内にあるバークミュージアムがそうだった。家の近くにあり散歩の通り道だが、ここに入ることは滅多にない。

その日ドアを開けて中に入ってみると、向かってすぐ右側の部屋へと足が向いた。

部屋に入ると北米先住民の織物が目に飛び込んできた。と同時に、展示室に充満している独特のエネルギーが私の体を包んだ。サウスウェスト (南西) 地域からはホピ族やナバホ族、ノースウェスト (北西) 地域からはクリンギット族やサリッシュ族など、それぞれ代表的な日常用と儀式用の織物が作品の説明と共に展示してある。

何か懐かしいホッとするような感覚はどこから来るのだろうか。展示してある織物の前に立って、ひとつひとつ丁寧に見ていく。ああ、これは波を表わしている・・・これは山・・・これはクジラ・・・これは稲妻・・・これは雨・・・これはトウモロコシ。

生地や色合い、模様、そのどれをとってみても、人々が暮らす大地から切り離すことはできず、生き物、自然、精霊に対する敬意と感謝、深い愛に満ちている。

乾ききった茶色い世界に囲まれたサウスウェストの先住民にとって、雨は、降雨量の多いシアトルに住む私が捉えるようなものとは全く違う。森と海と氷河に囲まれたアラスカ南東部のクリンギット族が描くザトウクジラは、私達が知る海の動物ではない。

織物のひとつひとつに、大自然のバランスの中に生きる人々の深い祈りが込められており、先祖から語り伝えられ、人々の中に生き続けるストーリーが綴られている。

縦糸と横糸で心を織り、祈りを織る。


昨年11月に、岡山のハートオブライフ<http://web.mac.com/monjel1315/Site/Bhumika_artworks.html>のワークショップで、ブミカさんに手ほどきを受け、さをり織りに挑戦した。

常識や既成概念にとらわれず自由奔放に織るのが、さをり織りのスタイル。糸の色も太さも材質もさまざまある中から、縦糸と横糸を好きなだけ選び、縦糸をベースに横糸を織り込んでいくだけである。



「なんでもありだよ。好きにやっていいよ」とブミカさんから言われると、自由すぎてかえって混乱してしまう。

真っ白の紙に「何を描いてもいいよ」と言われたら、あなたは何をどう始めますか?

私は自分のハートに意識を向けてみた。今、私は何を表現したがっているのだろうか。自分に尋ねてみた「私にとって、ベースになるものは・・・」

すると不思議なもので、次々に色が浮かんでくる。赤、オレンジ、黄色、緑。

これを整経台に通してみて気づいた。「ああ、これって太陽の色と植物の色」

自分の中から太陽が出てくることに驚いた。赤とオレンジと黄色を見ているだけで、内から力が湧いてくる。それと同時に、私は子供の時からずっと緑色が好きだったことを思い出した。

この太陽と植物を縦糸として織り機に張り、そこに横糸を織り込んでいく。最初に縦糸と共に横糸もすべて選んでおいたが、織り機の前に座っていざ始めようとすると、頭の中にピューッと風が吹き込んできて、ゼロに戻ってしまう。

アレレレ?・・・ 縦糸は織り機に張ると、その様相がガラッと変わってしまう。まるで生き物のようである。

仕方がない。ゼロ地点からボーっと太陽と植物を見ていると、急に目の前に広大なアリゾナの大地が広がった。そう、地平線から始めるのがいい。腑に落ちた。私は茶色を手に、織り始めた。

そこから太陽が昇り、視線が大地から丘へ、さらには空へと徐々に上がっていく。昼には太陽は辺り一体をギラギラと照りつけ、日中の乾燥した空気は空の青をさらに青くさせる。夕刻になると、時間と共に空の色が透明度の高いピンク色から紫色へと変わってゆく。

暮れ行く空の無数のグラデーションに望郷のような想いが込み上げる。日本でもシアトルでも見ることはできない透き通るようなグラデーション。それを実際に見たのは、15年以上も前のことだった。

砂漠の大地から空へと心の視線が広がっていく中で、自分の中から出てくるその情景に少しためらいを感じた。なぜ今ここで?

心に「なぜ」はない。このさをり織りで、自分の目の裏に焼きついている色を、ただ自分なりに表現したかった。

果てしない地平線と風を感じながら無心に織る。

太陽と大地、自然の美しさとその力への畏敬の念、そこにあるすべてを司る大いなる存在への敬意と感謝。心の奥深くで大切にしてきたもの。私の心のストーリーが展開する。

私の心の家は、日本から遠く離れた、この想像もつかないほど広大で乾いた大地にもあった。

意識の深い部分で、ほとんど忘れ去られてしまいそうになっていた生きる力が、乾燥した風に乗ってドラムの音と共に蘇ってくる。この場所を日本で織り上げることで、私は今ここにいる自分に古い何かを呼び起こし、それが新しい何かと溶け合って広がっていくのを味わった。

それから2ヶ月後、呼び込まれるようにして入ったバークミュージアム。きっと、織物が迎えてくれたのだろう。今の私なら少しわかるから。

縦糸と横糸に込められた心を感じ取り、祈りに耳を傾ける。







(岡山でお世話になったハートオブライフの文殊さんとブミカさんに感謝いたします。新幹線の時間が迫る中、交替してブミカさんが最後の数センチを急いで織ってくださいました。)

<写真: モニュメントバレーとマフラー>

2011年1月6日

新年のご挨拶



明けましておめでとうございます。
新しい年を皆様はどのように迎えられたでしょうか。

昨年2010年は約半分を日本で過ごし、私にとって大きな変化の年でした。たくさんの方に出会い、たくさんの方に支えられました。皆さんのお陰でここまで来ることができました。どうもありがとうございました。

私の新しい年の言葉は「LEAP OUT」。一瞬の気づきでできた空間から勢いよく跳び出るイメージでしょうか。今までのパターンややり方から意識的に自分を解放していき、新しい空間の中で自分らしさを表現したいと思っています。

跳び出る勢いとその距離は、どれだけ低くかがんだかということと、その間に溜めてあった自分の中にある力によって決まると思います。

とは言え、どれだけ跳び出るかは問題ではなく、自分のリズムとペースを大切にして、無理なく行きたいと思います。

もう既に、私達の意識の流れが大きく変わってきているのを肌で感じます。自分だけでなく、家族や友人など、私の周りでも速いスピードで物事が変化し、より軽やかで喜びに満ちた方向へと私たちを押し出している、目に見えない何か大きなものが内からも外からも動いてきているのを感じます。

その反面、情報が洪水のように流れ込んできて、選択肢がいっぱいある中、油断をしていると自分を見失い、濁流にもまれて流される危険性もあります。

結局は、何事も自分が決めて選ぶことでその結果が現れる。とすると、自分は何をどう選べばよいのでしょうか。

つい先日、ある方からのメールに、カルロス・カスタネダの素晴らしい言葉が紹介されており、読みながら思わず胸がいっぱいになりました。

Look at every path closely and deliberately, then ask yourselves this crucial question: Does this path have a heart? If it does, then the path is good. If it doesn't, it is of no use.

これを私なりに訳してみました。

「あらゆる道を慎重によく見てみること。そして自分自身にこう尋ねてみる。『この道にハート(心)はあるか』と。ハート(心)があれば進んでよい道。なければ、それはあなたにとって無駄な道」

そこにハートがあるか・・・これを常に忘れずにいたいです。

2011年が皆様にとって喜び溢れる年となりますように。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


(写真)「Leap Out 」の私なりのイメージを絵にしてみました。