2011年6月16日

アホらしくなったとき、自由になる

夫は血糖値をコントロールする必要があり、ここ1年ほど体重を減らすため運動と食事制限で並々ならぬ努力をしている。ご飯の量は半カップと決まっており、おかずの量も以前より減らし、間食は極力避け、食べてもフルーツやドライナッツ程度で、食事は少なめの量を1日に4~5回ほどに分けて摂っている。おかげで体重はどんどん減り、血糖値も安定し、メキメキと効果は上がっている。

が、生活を共にする私にとっては、ちょっと苦しい。実は、私の方まで不必要に痩せてしまったのである。クッキーやチョコレートやお菓子を食べたいと思って買ってきても、夫に苦い表情を向けられたり、買ってきたクッキーが目に入らないように彼が覆いをかぶせて隅っこに移動させたことに気づくと、かわいそうなことをしたと思ってしまう。彼はお菓子も甘いものも大好きで、食べると止まらないタイプなので、彼にとっては見ないのが一番よいのだろう。

運動と食事制限に加え、肥満の根本的な原因を探ろうと、肥満の人のサポートグループにも参加している彼の真剣さが伝わってくる。私が彼の心に寄り添うことは拒否するが(笑)、何か気づきを得ようと、自らそのようなグループに参加することは素晴らしいことだと思う。

ただ、集いから帰ってくると、「デザートや甘いものは罪」という言葉が出てくるので、それはグループ全体がそのような見方をしているかもしれない。私がクッキーを食べている横で、「罪」という言葉が発せられる。

そうなると、堪能して食べることができなくなってしまう。

では、夫がいない間に食べればよいではないかということになるが、夫は家で仕事をしているため、それも難しい。

また、美味しいねと言って何でも一緒に食べることができない、美味しさを分かち合うことができないというのも、なんとも寂しいものである。そんなこともあり、私はいつの間にか、欲しくてもあきらめたり、我慢するようになっていった。

実は以前にもこのような食事制限はあり、カロリー計算のソフトを使ってデータを入力し記録したいから、料理する材料や調味料も全部量って欲しいとリクエストされたことがある。「量らないものは食べない」とまで言われ、そのとき正直、私は気が狂いそうになった。

子供のときに飼っていたネコのプッチーにおしゃれな革の首輪を付けたら、なんとしてでも首輪をはずそうと、気が狂ったようにのたうち回っていたが、心の中はあのときのプッチーのようだった。

夫の身になれば、それは仕方のないことなのかもしれないが、私は窮屈で仕方がない!締め付けられたり、コントロールされたり、監視されるのは大嫌い。体制も枠組みも嫌いである。

幸い、それは一旦数字として入力された後は繰り返す必要がなかったし、夫も面倒くさくなり、少し経てばその作業はなくなった。

昔食べていたケーキも食べなくなり、アイスクリームも食べなくなり、ポテトチップスも食べなくなり、私も間食はほとんどしなくなった。食べるとしたらドライフルーツやナッツが主体になり、お陰で健康ではある。

でも、知らず知らずのうちに心が何かどこかでギスギス、キチキチして潤いがなく、硬くなってしまっていた。というか、そのような状態であることすら気づいていなかった。

あるときまで・・・。

それは、先週、ある人の講演会に行ったときのことだった。会場で、夫が活動している会の会員にばったり出会い、挨拶をした。すると、その人が言った。

「そういえば、ついこの間、ご主人とアイスクリーム屋でお会いしましたよ」

「へっ?!」

「ウォリングフォード(町の名前)のなんとかって言うアイスクリーム屋で、アイスクリーム買って食べてましたよ」

「・・・・」

以前、他人が夫と間違えられたことが数回あったため、私は今度もそれかと思い、尋ねた。

「それって、本当に私の夫でしたか?」

「はい、間違いなくご主人でしたよ。私、ご主人とそこで話をしましたから」

「ええっ?そんなこと私、聞いていない!」心の中で叫んでいた。

とっさに、アイスクリームを手に持ってこちらを向いてあっかんべーしている夫の顔が浮かんだ。

「私に内緒でアイスクリームを食べていた?・・・そこは美味しいことで有名なアイスクリーム屋で、私はまだ一度も連れて行ってもらっていないのに!一人で食べていた?」一瞬、ムカッときた。

ニヤニヤしながら、アイスクリームを舌でベロンベロンとすくって食べている夫の顔が浮かぶ。それは夫の中の子供がまるで「こんな美味しいもの、なんで食べないの~?」と言っているようである。

突然、アホらしくなった。

私は相手が気の毒だと思って、協力して努力して我慢してきたのに。それは何だったのか!

「アホらし、や~めた!もう、自分の好きなもの、好きなだけ食べてやるぞー!」

その瞬間、筋肉が緩み、心にポカンと穴のようなスペースができた。これを「余裕」というのだろう。すると、この余裕のスペースから、子供の遊び心、いたずら心、自由、楽しさが一緒に飛び出してきた。アイスクリームをほおばる夫も、このスペースにいた。

すると、心の中から「好きなことやっていいんだよ」という言葉が出てきた。「我慢しなくていいんだよ」

知らず知らずに制限してギスギスしていた心に、潤いと豊かさが戻ってきた。

たかがお菓子、されどお菓子。好きな物を食べる自由はあるのに、自分で勝手に制限していた。そういえば、お菓子だけではない。おしゃれをすることも、美容院へ行くことさえも制限していた。いつの間にか、様々なことを制限していたことに気づいた。そうなると、入ってくるものも制限されて入ってこなくなる。

制限されることが一番嫌いな本人が、自分で自分を制限しているという矛盾に気づくと、もっとアホらしくなってきた。

このアイスクリーム事件のことを耳にしたとき、夫はフロリダにいる母親の所に行っていたため、私はメールを送った。

「昨日××さんに会ったんだけど、アイスクリーム屋でアイスクリーム食べてたって聞いたよ」

「ああ、食べたよ。座禅会の帰りに寄ったんだ」と、しゃあしゃあとのたもうた。

それがあまりにもストレートだったので、何だか安心した。そして苦笑した。

「座禅をした後に、ちょっとした悟りでもあったのかな?」

今夜、夫はフロリダから夜中近くに帰って来る。長時間の飛行と乗換えで、きっとヘトヘトになって家に入ってくるだろう。

さあ、具だくさんの味噌汁でも作って、迎えることにするか。