2012年12月15日

「太古のからだと響きあうタッチドローイング2 DAYS in OITA」 のご案内






















皆様、お元気ですか?
12月も残すところ約2週間となりましたが、この2週間の間に一体何が起こるでしょうか。


上の二枚は、今年の7月にタッチドローイングのリトリートで、ラビリンス(迷宮)を瞑想の境地で歩き、その中央に行き着いたとき、そこで描いた絵です。

このとき左の絵には「新しい始まり」というタイトルが浮かびました。始まりというのはそれ自体新しいものですが、あえて「新しい」という言葉がどうしても欲しかったのです。

右の絵にも、やはり「新しい」という言葉がついて、「新しい調和」というタイトルになりました。

私の中でこだわりと共に響いた「新しい」という言葉。2013年は、今までと違った意味での新しい年になるのではないかと感じています。

その2013年の最初の月である1月の26日と27日に、大分でボディサイコセラピストの椋梨晶子さんとコラボワークショップを行います。原点に戻ってからだと響きあうことで、内なる叡智に出会いませんか。




                  「太古のからだと響きあうタッチドローイング2 DAYS in OITA」
                       ~ 新しい朝が 内なる叡智と共に来る ~

個人レベル、地域レベル、国家レベル、世界レベル、そして地球レベルで未来の分岐点にあたる今、私たちに必要なこと - それは、自然と自分のつながりを取りもどし、内なる叡智の扉を開くこと、自分の感覚を信じ、磨き上げること。

自分はどうありたいか、何を求めているのか。

エルク (ヘラジカ) のドラムの音とリズムが原始の感覚を呼び覚まし、何世代にも渡って紡がれた先人たちの智慧と繋がっていきます。

自分のなかに眠っている魂を掘り起し、指にのせて表現してみませんか。導きのよびごえは、自分の中から聴こえてきます。

<主な内容>
環境エッセンス・ソウルカードを補助的に使い、からだの感性を広げるワーク、仮面をつけて地球の5大エレメント(火・水・土・金・木)と繋がるワーク、ムーブメントや発声、ライティングにより内なるメッセージを引き出します。

<日時>  2013年 1月26日(土)・27日(日)10:00 ~ 17:00
<場所>  大分県大分市庄の原 ぶらぼぅファーム内 セミナールーム
<定員>  10名
<参加費> 30,000円 (材料費込)



<ファシリテーター> 
倉田順子(エンパワメント・キャタリスト/タッチドローイング・ファシリテーター) 
米国居住歴22年。日本および米国シアトルで、タッチドローイングをベースに、変容のプロセスを促し、感性や創造力を引き出すサポートに力を入れ ている。2010年に岡部明美さんのカウンセラー・セラピスト養成講座修了。2009年にシアトルにて、紙の上で指を動かすことで自分の内側を表現する タッチドローイングに出会い、創始者デボラ・ コフチェイピンによる数々のワークにより体験と理解を深める。2012年に、全米各地およびカナダからドローアーが会するリトリート16th Annual Touch Drawing Gathering に最初の日本人として参加。無意識の領域の深みを異なる角度から体験する。真実、答えは自分の中にあるという理解のもとに、ラビングプレゼンス(愛ある存 在)で、信頼でき安心できる場を提供することを最も大切にしている。
ホームページ:http://www.junkokurata.com

椋梨晶子(ボディサイコセラピスト)
幼少の頃より古今東西のお話を劇表現するサークルで活動し、現在は地域の子どもたちを対象に宮澤賢治の童話を身体で表現するサークルを運営。子ど もたちをファシリテートするかたわら、朗読指導を受けるなど生きる上での表現の大切さを学ぶ。2006年整体を体験し、身体から感じ取れるたくさんのメッ セージに驚き、技術を学び、2008年5月開業。心身両面のサポートをするために、2009年岡部明美さんのカウンセラー・セラピスト養成講座を修了。心 身両面からのデトックスが進むと、もっと自分を表現したいという願いが出てくることに気づき、2011年吉田エリさんの表現アートセラピー定期専修講座を 受け、自分を深く表現する体験を重ね、オリジナルワークを展開している。
ホームページ: http://sari2.ciao.jp/

<お申込み・お問い合わせ> 
 椋梨晶子さんまで(090-8351-8318 sari210@oct-net.ne.jp )


<Touch Drawing とは>
1974年にアメリカのアーティスト デボラ・コフチェイピンにより見出された手法。のばした絵の具の上に紙を置き、自分の内側から出てくる感覚や感情を、感じるままに直接指を動かして表現し ます。思考は一切使わず、構図も絵の上手、下手もありません。一枚終わったら新しい紙を置き、次の瞬間に感じることを表現する作業を一定の時間繰り返しま す。

感情の層のさらに奥にある、制限のないのびやかで創造性に満ちた世界を体感することで、今まで気づかなかった自分の本質に出会い、豊かさや創造力、可能性に満ちた新たな流れが始まります。魂が描く絵と呼ばれているタッチドローイングは、意識の変容のプロセスそのものです。

Touch Drawing のホームページ: http://www.touchdrawing.com
タッチドローイングのデモビデオ: http://wn.com/touch_drawing

ワークショップのチラシのリンク: http://tinyurl.com/ckrfajs

 

2012年11月16日

11月および12月のタッチドローイングワークショップのご案内


New Birth - 新たなはじまり


人は表現するとき、自分を語り始める
自分が思っていたよりもずっと重層的、多面的で
豊かさに溢れる自分を語り始める

偏狭さや否定感に覆われている自分を包み込むような寛大さで受けとめてくれ
優しい眼差しで勇気付けてくれ
より広い世界を見せてくれる自分がいる

自分は自分が考えているよりもはるかに大きく豊かであることを
思い出させてくれる

人は表現するとき、本来の自分へと帰る道を歩き始める

歩きながら服を一枚ずつ脱ぎ捨て
裸へと、無へと近づいていく
静へと戻っていく

そこから無限に出会うために

生の躍動に出会い、味わうために

自分を自分らしく表現するために生まれてきた

この世でたったひとつのかけがえのない存在である自分を
生きるために

表現することは創造すること

創造することは表現すること
生きること

もっと動いていい

もっと感じていい

何度も何度も新しくなっていき

収縮しながらも広がっていく

自分の中心へと向っていくとき

そこにあるのは無であり豊かさである

生の源泉に触れる


それになる



<11月および12月のタッチドローイングワークショップのご案内>

*11月28日(水)愛知県一宮市 - アロマ、タッチドローイング、和みのヨーガのコラボワークショップ
ジャパニッシュホリスティックセラピー協会 (JHTA)理事長/ジャパニッシュアロマテラピストの高田博子さんと、和みのヨーガインストラクターの酒井美智代さんとのコラボレーションで、タッチド ローイングワークを行います。
<第一部> アロマヒーリング
植物の生命エネルギーを感じ取り、体から出る気の流れを感じてハートを開き、呼吸バランスを整えていきます。今回は、米国エサレン研究所で行われているホワイトビジュアライゼーション、ゴールデンサークルなどをご紹介します。

<第二部>タッチドローイング
絵の具を使い、紙の上に直接指で描いていきます。意識を内側に向けて感じるままに描くことで、普段気づかない自分の心の声に気づき、また、自分の中にある創造力や可能性とも繋がることができます。

<第三部> 和みのヨーガ
呼吸法に合わせて体をゆっくりゆるめ、脳をリラックスさせます。絵を描いた後、ゆっくり体を動かしていくことで、普段使いすぎている身体や、ドローイングで 浮上した体の感覚のバランスを整えます。とても簡単で、身体の歪みを直し、健康で美しくなり、生き方まで楽になっていくお手当てです。

ジャパニッシュアロマセラピーのリンク:http://www.aroma-nagoya.com/whats.html
タッチドローイングのリンク:http://www.junkokurata.com/touch-drawing.html
和みのヨーガのリンク:http://www.nagominoyo-ga.com/

日時:11月28日(水)10:00~4:00
場所:愛知県一宮市内(一宮駅からバス5分、徒歩15分。詳細は
お申し込み時にお伝えします)
参加費:8,000円(画材込み。お弁当 別途600円、要・不要をお知らせください)

お申し込み・お問い合わせ

酒井美智代 090-8545-6051、michiyo-325@c.vo
dafone.ne.jp

*12月1日(土) 東京都八王子市 - タッチドローイング One Day ワークショップ
指先から深く広大な世界へ - 感じるままに表現し、内側から聞えてくる躍動に耳を澄ませるとき、魂が語り始めます。
ドローイングにソウルカードや環境エッセンス、トーニング、ムーブメントを適宜取り入れ、描いた絵の色づけやライティングを行って、シェアリングをしながら、さらに深く掘り下げていきます。

日時: 12月1日(土)10:00~5:30
場所: 八王子(JR八王子駅から徒歩10分、京王片倉駅から徒歩5分、
車2台まで駐車場有り)
参加費: 15,000円(画材込み。ランチは各自ご用意ください)
定員: 12名
持ち物: スモックかカッポウギ または エプロンとアームカバー
お申し込み・お問い合わせ      
アジキ ミキコ 090-6102-3974、
mikichata@yahoo.co.jp または transformation-2012@ezweb.ne.j
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2012年9月17日

海を渡るトーキング・スティック


ノースウェストを思い出させるものを持っていたいと思ったとき、トーテムポールが浮かんだ。そこで、ダウンタウンのウォーターフロントで、観光客を相手にミニトーテムポールを彫っているネイティブの人たちがいることを思い出し、行ってみると、運よく一人の男性が道端で彫っており、出来上がったものが前に3つ並んでいた。

私がその中の一番小さくて一番太いものを手に取ると、その男性は言った「これらのひとつひとつには、ストーリーがあるんだよ」

私は大きく頷いて、手にとった作品のストーリーを教えてと頼んだ。

「ママベア(母熊)がサーモンを抱いているんだ。ママベアは子供たちをしっかりと守り育て、子供たちはサーモンを食べて成長するんだ。サーモンは、家族やコミュニティに滋養を与えるとても大切な食べ物なんだ」

私はハッとした。7月のタッチドローイングリトリートのペアワークで、パートナーのモージーンが私のために描いた絵の中に、これと同じものがあったからだった。

「ああ、私はこれを手にすることになっていたんだ。知人が以前、私のためにまさにこれを絵に描いていたの。これは偶然ではないんですよ」

このとき、大いなる意図のようなものを感じ取り、その意図が織り成すストーリーの中へと引き込まれていく感覚を覚えた。あのときモージーンは、その絵の意味が全くわからなかったが、今ここで繋がったのだった。

男性は少し驚いたようだったが、彼は何かがわかっている様子でもあり、黙っていた。そして言った。

「これはトーキング・スティックなんだよ。ほらね、この柄のところを持つようになっている。トーキング・スティックは、人が集まって輪になって座り、一人ずつ話すときに話す人がこのスティックを持つんだよ。他の人は話をただ聴くんだ。スティックを順番に回していくんだよ」

私はまた大きく頷いた。トーキング・スティック・・・私は既にその情景の中にいた。

「あなたのお名前は?ご出身は?」と聞くと、「私の名前はラリー。ブリティッシュ・コロンビア(カナダ)から来たんだよ」と答えた。

「ラリーさん、あなたに会えたよかったです。今日は、あなたのような人に会いたいと思っていたの。本当にありがとう」

自然に両手が動き、合掌したら、ラリーさんもニッコリして合掌で応えてくれた。心が震え、涙が溢れそうになった。

すべてのことが完璧な形で起こっていた。

このトーキング・スティックは、ただ模様がついた棒ではない。ラリーさんの心がこもっている。そして、ラリーさんの中に流れるネイティブの歴史もこの中に刻まれている。

トーテムポールは本来、このノースウェスト地域のネイティブが家系や部族の伝説・ストーリーを刻み、家の前や中、墓地に立てたものであり、決して人に売るものではない。しかし、厳しい現実にあって、ラリーさんのような人は、これを生活の糧としている。

2年前に、ラリーさんの彫刻仲間のジョンさんが、シアトル警察の警官に射殺されるという痛ましい事件が起きた。これはアメリカの歴史と社会の問題が凝縮された事件だった。

ジョンさんは、木を小脇に抱えて、その木を掘るためのナイフを片手に街を歩いていたところ、パトロール中の警官に止められた。警官は警告に応じなかったとして、所定の手続きも踏まずに銃を数発発射し、すぐにその場でジョンさんを射殺してしまった。

ジョンさんはほとんどホームレスの状態で、後でわかったことだが、ネイティブの人たちに多く見られる長いアルコール依存症の弊害で、耳がよく聞こえないうえに、脳にも障害があり、身体的にも問題があるためヨロヨロとしていたそうだ。

「この男は非常に危険で、ナイフを持って自分に襲いかかってきそうだったため正当防衛だった」と、20代後半の白人警官は主張したが、ビデオ証言によると、ジョンさんは襲いかかるどころか、ヨロヨロと弱々しい感じで、こちらを向いてもいない。

一般市民にもネイティブのコミュニティにも衝撃的な事件となり、警察のあり方について、その後長い間大論争となった。裁判の末、警官は罷免された。もし被害者が白人で、例えばこれがスーツを来た人だったら、どんな結果になっていただろう。当然、刑務所送りだ。納得できない、苦い思いだけが残る事件だった。

「すべての悲劇はコロンブスが来たことから始まったが、それをここで言っても仕方がない。今日は癒しの日なのだ」と、追悼式のときに、あるネイティブの長老が話した。重い歴史を背負ったネイティブの人たちが抱える問題は根深く深刻である。彼らの怒りや悲しみは深く、それは私の想像をはるかに超えている。

アメリカに20年住み、この国の現実社会の闇を見てきた。相互理解と許しから癒しをもたらし、ここから新しく友情に変えていかない限り、この連鎖は続く。

しかし、同時に光もある。射殺されたジョンさんの兄が中心となって弟のために彫った巨大なトーテムポールが、一年がかりで完成したとき、ネイティブのコミュニティだけでなく、多くの一般市民も参加して、山車を引くときのように、トーテムポールを皆が何列にも並んで肩に担ぎ、ダウンタウンの道を練り歩いた。

そこには皆の祈りがあり、友情があり、希望があった。私はそこに、個人から始まり、家族、地域、国家と、あらゆることが相互に関係し、大きな循環の中にあることを、光を投じることの大切さを、垣間見た。

ラリーさんが作ったトーキング・スティックを握りしめると、輪になって座っている人々の姿が目に浮かぶ。

ひとりひとりがユニークな存在であり、それぞれが語るべくストーリーがある。誰かが語り、残りの人は口をはさむことなく、ただ傾聴している。そこには、相手に対する敬意と謙虚さの空気が流れている。

皆が心を開いたとき、ありのままにシェアされたことから共感や理解が生まれ、それは誰かの心を動かすかもしれない。語り手は母熊であり、母熊が皆とシェアすることは、滋養になっていくのである。ひとりひとりが語り手でもあり聞き手でもあり、誰もが等しく、誰もが誰かに滋養を与え、誰かから滋養を受け取っている。

鮭は、川でふ化して海へと向い、やがて川へと戻ってくる。そこからまた命が始まり、終わりのない循環がある。ひとりひとりが人生の道を歩くとき、そこには尊いストーリーがあり、互いが繋がり合い、助け合い、分かち合うことで、個人とともに全体としても成長していく大きな循環の中にある。

トーキング・スティックを持って家に帰ると、私は興奮して、この絵を描いてくれたモージーンに、すぐメールをした。翌日、モージーンから返事があった。

「私も思うのよ。私もあなたも、そしてみんなが、そうやって何かに影響を与えていくのよね。「触れた」相手が何らかの形で変容していく。それは、いつどんなときに起こるのか全くわからないけれど、ある日、驚くべき形で起こるかもしれないわね。あの時あの人に会っていなかったら今の自分はないんだって思うことが、自分が知らない間に相手に起こっている。人生がそれ自体に語りかけているって感じかしら。そうやって、魔法は続いていくのよ」

ラリーさんのトーキング・スティックが海を渡る。そういえば、モージーンは川ではなく海だと言っていた。彼女の描いた熊がなぜ海を見つめているのか、今、まさにこの文章を書いているときにわかった。





2012年9月14日

迫り来る森


約20年住んだシアトルを発つ日は、4日後に迫っている。

先週やっと引越しの荷物を出すと、家の中が片付き、いよいよ最終段階に入った。

私は、日本へ帰ることが決まってから、自分が暮らしたこのノースウェストという土地をもう一度しっかりと感じ取り、そのエッセンスを自分の中にしみ込ませて統合させたいという思いになった。

アメリカ大陸の雄大さを背景としたこの土地のエネルギーを感じ取るとき、そこにある森や湖、海や空に何かが刻み込まれているのを感じる。それは、刻々と変化する時の流れの中にあっても、変わることなく太古から連綿と続く、祈りのようなものなのだろうか。

私はこの土地に暮らし、遠い記憶のような深い夢をこれまで幾度か見た。それは、魂の記憶とも言えるような懐かしさがあり、深奥から揺るがすほどの力強さを持っている。

しかし、日常の煩雑さでその夢は記憶の片隅へと追いやられ、ほとんど忘れ去られようとしていた。それがタッチドローイングという形を変えて、完璧なタイミングで再び目の前に現われたのであった。

7月にあったタッチドローイングのリトリートで、パートナー同士が向かい合って互いのエネルギーを感じ取った後に、瞬間瞬間に浮かんだイメージを特定の時間描き続けるという作業を行った。

描いた後で互いに絵を見せ合って、シェアをする。私のパートナーはモージーンという名前の女性であった。彼女は16枚描いた絵を順に一枚ずつ説明しながら見せてくれたが、11枚目を開いた瞬間、私はアッと声を出しそうになった。

それは、8年ほど前に見た夢の景色そのものだった。



「私の頭の中に突然木が現われて、それも針葉樹じゃないといけないって言って来たの。それまで絵の具はずっとオレンジ色を使ってきたけれど、今度は緑に変えて、わけがわからずただただ針葉樹でスペースを埋めたのよ」とモージーンが言った。

その夢はあまりにも強烈だったので、鮮明に覚えている。

それは、カナダの森を訪れる当日の朝方見た夢だった。いきなり目の前に、針葉樹の森が迫ってきて、その迫力と溢れる生命エネルギーに圧倒されて目が覚めた。ほんの一瞬の夢であったが、その一瞬で体中に電撃が走るほど、強烈なシーンであった。本来の森の命の力とはこういうものなのか・・・。もう人間なんて足元にも及ばないほどの圧倒的な強さである。

その夢を見た翌日、カナダの森でハイキングをしたときに、不思議な体験をした。うっそうとした森のトレイルを歩いていると、急に体が軽くなって、足取りも軽くなり、やがてごく自然に走り始めていた。石がころがっていたり木の根っこが出ているトレイルを、私は動物のような勢いで走っていた。足が浮いているようで、宙を蹴って跳ねていたその感覚は、そう、鹿だった。

気持ちがよくて、跳ねながら、ふふふっと笑いがこみ上げた。懐かしいような感覚でさえある。その直後に、体の感覚が消えてなくなり、宙にふわりと浮いて目だけが空間に広がっていき、私は森とひとつになった。

そのとき、私は森となり、森は私でもあった。そこには音も時間もない。空間のあらゆるものとひとつになり、喜びと調和の中でただ存在していた。

翌日、別の場所でハイキングするため移動しているときに、前方に広がる風景に息を呑んだ。それは、あの夢のシーンを切ってここに貼り付けたかと思うほど、夢で見た森とそっくりであった。

森を構成する木の一本一本が歌っている命の讃歌が聞こえて来るようである。喜びに満ちて輝いており、森というひとつの群れとして強烈なエネルギーを放って、私の目の前に迫ってきた。

それまで私が持っていた「木」という概念を超えた、知性を持った存在であった。ネイティブの人たちは木のことを「Standing People」と呼ぶが、納得できる。彼らの「生きとし生けるものはすべて等しく、すべてはひとつであり繋がっている」というものの見方は、このような感覚から自然に生じているのであろう。

目の前に迫り、私に語りかけてきたノースウェストの森。その力を私は忘れない。

私もStanding Peopleの一員になりたい。新しい世界が、人間が、真にStanding Peopleと調和の中に存在する世界となることを祈り、その祈りを私は表現していきたい。

私への大切なメッセージを、モージーンは忠実に、そして見事に再現してくれた。これは、これから日本へ戻る私に力を与えてくれる大きなギフトとなった。

モージーン、ありがとう。

さらに、もうひとつ興味深いことがあった。

仙台に移ることが決まった後に、また夢を見た。それはまだ行ったことのない山形(?)の森だった。この森も、あのときの夢と同じで、圧倒されるほどの強烈な生命力を放っていた。

ノースウェストの森が、山形の森と話をしたのだろうか? だとしたら、その2つを結ぶものは何だろうと考えたとき、 返ってきた答えは「宇宙の愛」だった。

モージーンは、また、これを象徴するかのような絵も描いていた。

彼女は言った。「このイメージが浮かんだとき、2枚の紙を用意しなくちゃいけなかったの。構成がしっかり決まっていて、2枚がこういう風に分かれるんだけど、離れていてもひとつなのよ。離れているように見えているだけで、離れていないの。ほら、こんな風にひとつになるの。すべてはひとつなの、巡ってくるの。あなたの愛は、宇宙の愛でもあるのよ」



2012年8月19日

アメジストのヒーリング



毎日引越しの準備でてんてこ舞いをしている。物を処理するのと、引越しの荷造りをするのが同時進行しているため、家中に物が散乱して、気分的にも落ち着かない。最近忙しくてクリエイティブなことをする時間を持てず、心がカサカサしていた。そうなると、体も重い感じになってしまう。

今日は思い切って、先月描いた一枚のタッチドローイングの絵に色付けをした。それはアメジストのヒーリングの絵である。

先月参加したリトリートの最後に、参加者一人ずつにアメジストの原石がプレゼントされた。タッチドローイング創始者のデボラさんは、リトリートの間ずっと会場の中央に置かれてあった29個の石が入った器を持ち上げて、「なんだかわからないけれど、最近アメジストとご縁があって、どうしても今回皆さんにひとつずつあげたいと思ったの。こういうのってニューエイジっぽくて、私の柄じゃないけど」と笑いながら説明してくれた。

石は参加者本人が選ぶのではなく、円になって座り、左隣の人が右隣の人のために選ぶという、デボラさんらしい方法だった。

私の左隣には、今回のリトリートで一番強く繋がったダイアンが座っていた。ダイアンは石の入った器が回ってくると、手を突っ込んで、迷いもせず一個をつかんだ。もう少しじっくりと選んでくれてもいいのにと思うほど、素早かった。しかし、さすがダイアン、独特な石を選んでくれた。

それは取っ手のような形をしており、握ると手の中にしっくりと納まった。持つと「道具」であるという感じがして、不思議な感覚になった。

私は、家に帰って間もなく部屋で静かに座り、石に来てくれたことを感謝して、ハートに石を当てて意識をつなげてみた。すると、体が勝手に動き出し、なにやら儀式のようなものが始まった。

直感で声を出していると、低い音とともに、アメジストと私は地球の核へと降りていった。そこには人類の過去・現在・未来を背負う胎児がいる。この胎児のへそとアメジストが繋がった。

胎児のいる空間には、胎児を見守るスピリットの存在が感じられ、そこは愛で溢れていた。アメジストはヘソを通じて胎児の中へと入っていくと、刻み込まれている人類の苦しみが体の外へと引っ張り出された。それは粘着性を帯びているが、外へ外へと引っ張り出されている。

私の中から自然に声が出てきた。低い音から次第に高い音へと変化していくと、石のエネルギーは声と共にトンネルを抜けるように上昇し、額の辺りからバイオレットとゴールドの強烈な光線となって広がっていった。

アメジストのヒーリング。変容の光は宇宙へと広がっていった。

Touch Drawing: Amethyst Healing (アメジストのヒーリング)



2012年8月1日

タッチドローイング・リトリートの体験 - 出現した土星


リトリートの3日目は、パートナーと組になって相手のエネルギーを感じ取り、ドローイングするというものだった。

通常は自分の内側にフォーカスして自分を表現するが、相手を感じて描くというのは初めてである。

28人の中から選ばれるパートナー。私のお相手は、最初に参加者全員がそろったときに、いきなり目が釘付けになるほど強烈に惹かれた人だった。彼女の名前はモージーン。内心「やっぱり彼女だ」と思った。

パートナー同士、向かい合って立ち、一定の時間、互いに相手の目を見つめたり、体全体のエネルギーを感じてみる。彼女は動物とコミュニケーションができる人で、とても優しい目をしている。この相手の目を見つめるというエクササイズは、セラピスト養成講座などでもやったが、いつも涙が溢れてしまう。

しかし、相手を感じてのタッチドローイングはやったことがなかったため、もし何のイメージも出てこなかったらどうしようかなどと、頭が余計なことを考え始めた。この相手を見つめている間、イメージはひとつしか来なかった。それを感じ取ってか、デボラさんが「何もイメージが来なくても大丈夫。意識せずに、普段どおりにドローイングをすればいいのです」と言った。

その唯一感じ取ったイメージを描くのだろうと、いよいよテーブルに戻って紙を前に目を閉じると、面白いもので、手はそれを描きたくない。それどころか、広大な宇宙空間にモージーンの魂の始まりのような漆黒の空間が現われる。

それを描き、新しい紙を置くと、やはり宇宙空間に、今度は紫色の球体が現われた。それが何であるかはわからないが、描くしかない。ボードには、すでに別の色の絵の具が伸ばしてあったため、紙を外して、紫色の球体を描く部分にだけ、わざわざ紫色の絵の具を塗って小さくローラーで伸ばし、紙を置きなおして描かなければならなかった。

ところが、紙を上に置くと下の色がわからなくなり、私は見事に的を外してしまった。タッチドローイングは一度描くと消すことはできない。しまったと思いながらも、それほど濃い色で出ていなかったので、紙を変えようともせずに、もう一度トライすることにした。今度は指がうまく紫のスポットに的中し、球体ができた。

できた絵を見ると、やはり失敗した方の球体が気になる。すると、指が勝手に動き、爪でその球体を消すかのように左右にカリカリと線を描き始めた。こんなことしても消えないのにと思いながらも、手は止まらない。

そのうちに線が楕円形の動きになり、球体の周りをグルグル描いていると体が熱くなってきて、「これは土星!そう、これは土星!土星じゃなきゃいけないんだ」という言葉が出てきた。するとその球体も「そうそう土星、それでいい」と返してくる。

頭は理解できないが感覚的には自信があり、この不一致がなんとも気持ち悪い。描いた後も、この土星のようなものの存在が気になって仕方なかった。




その後も新しい紙を置くたびに、特定のイメージが浮かび、それを忠実に描いていった。一時間ほど描き続けた後、お互いにシェアするときがきた。

私は、あの気になる絵をモージーンに見せた。見た本人が先に感想を言うことになっている。

「ああ、紫は私の好きな色なのよ。ふーん、宇宙って感じね。うんうん、なんか感じが伝わってくる」とモージーン。でも、何かを考えているのか、それ以上は何も言わなかったので、今度は私が描いたときに起こっていたことを説明した。

土星を指して、「実はこれ、失敗して残ってしまったものなの。でも消せないから、どうしようと思っていたら、手が勝手に動いて楕円を描き始めて、土星みたいな形になったの。そしたら、これは土星だってすごく主張している感じがするんだけど」

モージーンは目を見開いて言った。

「このリトリートに来る前に、占星術をやっている友人にリーディングをしてもらったの。その内容は時間がなくてまだ読んでいないけど、今年は私にとって人生最大というほどの大きな変化の年だって言われた。そこに、土星のことが書いてあったような気もする」

一瞬、鳥肌が立った。

それから二週間後、モージーンからメールが届いた。

「今日、あの占星術のリーディングの内容を車の運転中に聴いたの。今年、私にとって土星がとても重要な役割をするってことがわかったわ。この7月8日に始まり一年間、土星が色んな宮に入るって。だから、今年ものすごく重要な惑星なのよ。よくやったね、すごい!」

あの土星は、最初はイメージの中になかったのに、失敗することで偶然的に浮上した。しかし、偶然ではなかった。完全なプロセスをたどっていたのだった。なぜか「土星でなきゃいけない」と感じたのも、正しかった。

意識の深い場所から明かされる情報。それもこんな不思議な形で。不気味にさえ思える。タッチドローイングでこんな体験ができるとは思わなかった。

このとき、もうひとつの情報が、シンクロしたかのように、記憶の引き出しの中から飛び出した。

それは、無性に読みたくなって取り寄せ、リトリートに行く前に読んでいた著書「新しい芸術療法の流れ  クリエイティブ・アーツセラピー」に書かれていたことであった。著者は、東京で活躍されているアートセラピスト関則雄氏で、デボラさんの東京でのワークショップの主催者でもあった。

関氏は、アートセラピーのトランスパーソナル的な側面に焦点を当て、「より高い自己」と「現在の私」といった上下の縦軸として、私たちの意識が絵に描かれたシンボルを通して天体上の惑星とのつながり、メッセージを受けている事実を事例を挙げて説明している。

それによると、例えば、特定の惑星を描く数多くのクライアントの絵を占星術の知識を使って分析したところ、絵に描かれた惑星は、それが描かれた時間に進行中の当該惑星の位置と、それを描いた本人の出生図中の何らかの惑星と強い相関関係にあるという。

関氏はこう記している。
「人間の無意識は月よりはるか彼方にある惑星の動きを正確にキャッチしており、それを描画内容に反映させているという驚愕的事実を示している・・・このことは人間の意識が一方的に取り決めた秩序や規則というものを飛び越えて、無意識はもっと大きな秩序や法則と結びつき、それと共鳴していることを示している。ユングのいう集合的無意識とは、言い換えれば、このような大いなるリズムや秩序のエネルギーあるいは波動のことでもあると言うことができるであろう。・・・さらに、占星学ではそれぞれの星にはそれぞれの象徴的な意味が古来より付与されており、それにより各惑星が形成する座相の意味も異なってくる。つまり、それぞれの座相を形成した時は、それらの星からのその星が持つ象徴的なメッセージが、本人に投げかけられていることになる。これは、心理的な葛藤の由来は、出生以降のさまざまな体験やトラウマによるものという見方からさらにその枠を超えて、『自分は何故生まれてきたのか?』を含む大きな宇宙的視点からの理解を要求する。」

「モージーンの土星」の体験では、私という存在を超えた他者(モージーン)との関係の中(横軸)で、私という存在を超えた宇宙的視点に立った(縦軸)絵が現われた。

ペアになって相手を描くとき、タッチドローイングは、この横軸と縦軸の立体的なトランスパーソナル的側面を持つということを、今回身を持って体験できた。

また、この絵だけでなく、このときに相手のために描かれた他のすべての絵は、驚くほど本人にとって意味のあるものとなっている。

次の日記では、モージーンが私のために描いてくれた絵をシェアしたい。

2012年7月30日

タッチドローイング・リトリートの体験 - へその緒のトンネル



リトリート初日の夜、母に対して憤っている夢を見た。穏やかな波を突如襲う感情の嵐は、開放を求めて意識の下層から出てきたようであった。まだこんな感情があったのかと驚いたが、どうやら母の固定観念や古いやり方へのこだわりに対して不満があったようだ。夢は、自分は母とは考えが違うということから来る摩擦のストレスが余韻として残った。

そこで、この夢の感覚を絵にしてみた。

体に意識を向けてみると、この感情はおへその辺りから出ているようであった。竜巻のような感情の渦の中央に母の顔を描いてみた。すると、竜巻はへその緒に見えてきた。

私は、へその緒が首に巻きついて半死状態で生まれたことを思い出した。へその緒を巻きつけたテーマはドローイングをしていて以前にも浮上したが、今回の絵は自分のへそからへその緒が出ているという点で、大きく異なっていた。

最初、母の想いを首に絡めて生まれてきたような感覚になり、過去にセラピーのセッションで体験した、母と自分が重なり合っていた感覚や、私の体の中から過去世からの母の古い思念が出てきたことなどが腑に落ちた。

私はハートの部分に3つの円を描いた。中央には、2つの円とそれを統合する円とが交わる空間があった。それは、すべてを超越した漆黒の宇宙空間であった。


感情に対するこだわりが消えると、描いた母の顔はもともと表情がなく、これは母ではなく、自分という感じがしてきた。

この後に引いたソウルカードの人物は、まさにその自分自身を表しているようであった。赤い丸がへその緒の断面のようにも見えてきた。



このカードを味わってみると、そこには孤独と安らぎが感じられ、休息している、溜めている感じもする。いずれにしても「管の中に入っている」感じがしたため、そこにフォーカスして、今度はへその緒という管を外から見ているイメージを描いてみた。

興味深いものが出来上がった。最初、首を伸ばして息をしようとしているように見えたが、別の日に見てみると、ボルテックスの中にいて、エネルギーのトンネルの中で癒されながら拡大していく自分のイメージが来た。


うずくまっていた姿勢から、大きく伸びていく姿勢へと変化するとき、変化の中で起きる古いものと新しいものとの摩擦のストレスを感じながらも、古いものを脱ぎ捨て、またひとつ新たな段階へと進んでいく自分がいた。


Introspection for Growth (内省と成長)

2012年7月29日

タッチドローイング・リトリートの体験 - 絵が語る



2日目の朝食前に、舞踏家の人がリードするムーブメントのセッションに参加した。朝起きて一日の活動を始める前のムーブメントということで、まずは自分の全身の肌から始まり、次に内臓、骨、筋肉と順に感じながら体を動かしてみるというのをやった。内臓に意識を向けたとき、特に腸の部分が気になったため、午前中のドローイングでこれを思い出して、腸の感覚を描いてみた。

両手の指をぐにゅぐにゅさせながら腸を描いていると、この感じは脳に似ているなあと思えてきたので、紙の上の方に同じような指の動きで脳を描いてみた。そして、この2つの臓器を背骨でつないで血管のようなものを描いてみると、いきなり腸が語りだした。

「食べ物を詰め過ぎると私(腸は)嬉しくない。軽いほうが動きが良い。うまく機能できるのだ。腹八分目という言葉があるように、詰め込み過ぎはよくない。むしろ空っぽくらいのほうが力がみなぎって、吸収力が抜群に働くのだ」

ははあ、と思って見ていると、今度は脳も語りだした。

「私(脳)も腸と同じ。マインドが忙しいと、ろくな働きができない。頭に考えがいっぱい詰まっているとうまく機能できない。むしろ空っぽの方が直感や閃きが入って来やすく、入ってきたときにすぐ気づける。人生を推し進めるのは、直感や閃きのほうなのだ。受け取って、それに基づいて動く。生き方がシンプルになりエネルギーを効率的に使え、充実する」

私は楽しくなってきたと同時に驚いた。なにげなく描いた絵が人格を与えられたかのように語り始めるとき、絵は異なる次元を帯びてくる。

この腸は男性的なエネルギーを発し、語る言葉も力強い。体の中でも古い臓器のようで、妙に存在感がある。私が入れる食べ物をいつも黙々と処理して陰で働いてきた腸に、こんなふうに諭されるとは。

脳も腸の言葉を支持し、私に訴えかけてくる。なるほどと思いながら絵を見ていると、この2つの臓器は違う場所にあるが、同じなのだということが伝わってくる。そして、単に機能的なこと以外に、特別重要な役割を果たしていると言いたがっているようでもある。

The Intestine and the Brain (腸と脳)



デボラさんがタッチドローイングのデモで顔を描いたが、今回は通常の描き方に加え、自分の顔の部分をひとつずつ感じながら目を閉じたまま描いてみる方法を教えてくれたので、それを試してみた。

まずは目。大きく見開いた感じなのでそれを描き、鼻もしっかりとした感じ、口は「オーム」という音を発している感じがしたため、それを描いた。そして目を開けてみると、目も鼻も口もそれぞれが存在を主張していて、自分が思っていたよりもずっと大きく描かれていた。

最後に額の部分にグルグルと渦巻く円と顔の輪郭を描くと、それは、あるミュージアムに展示してあった先住民のシャーマンが着ける仮面を思い起こさせた。目と口は異次元への出入口のようであり、そこから吸い込まれていくような感覚になった。

この目はしっかりとすべてを見ている。闇の中も見通せ、真実を見抜ける目。額から情報をキャッチし、口から息が吸い込まれると、そこから調和の音が発せられる。その波動は闇の中に響き渡り、漆黒の闇から光と共に変容がもたらされる。

心の目で感じた自分の顔は、物理的な自分の顔とはあまりにもかけ離れていて、ある意味「常識から外れた」顔である。しかし、常識ゆえに気づいていない自分、遠い記憶のような質を持った自分が深遠な場所から出現した感覚を味わうと、その瞬間、自分の中で何かが弾けた。

色を塗り、「シャーマンの仮面」というタイトルを付けた。これは私にとってインパクトのある意外な絵となり、お気に入りの絵のひとつとなった。

Shaman's Mask (シャーマンの仮面)