2012年1月16日

透明な軌道

「じゅんちゃん、やっと軌道に乗ったね」

昨年11月に帰省して、自分が作った環境エッセンスを友人に見せて、感じるままを熱く語ったとき、彼女がそう言ってくれた。

私には、有難いことに、私の中のエゴや迷いで心が曇っているときに、それを鋭く指摘してくれる友がいるが、彼女はその一人である。

「らしくない」
「見ていて怒れてきたよ」
「それ、全然違うじゃない」

ポツンとそう言う。

そう言われた瞬間、それを聞いた頭は衝撃を受けるが、ハートの部分から「ああやっぱりね」という言葉が飛び出てきて、どこか楽になる。立て板に水を流すがごとく、言葉巧みに褒められるよりも、そういうポツンとした言葉で叱られる方が、グッと心の奥まで届くのである。

自分が見たくない影の部分が、相手にはガラス張りになっている。それを率直に伝えてくれる人はそういるものではないからこそ、私にとってそういう友は宝である。

うまくやりたいとか、認められたいとか、そんな思いは「重い」。どこかで無理して頭の中で計算して、不自然で重い。そのために、膨大なエネルギーを消耗している。でもなかなか取り外せない。そんなとき、お叱りの言葉に「カツ」を入れられ、生き返るのである。

生き返って一呼吸すると聞こえてくる言葉。それはどれも、頭で考えていたこととは逆方向にある。

何を感じてもよい。我慢しなくていい。ありのままでいる。

心は本来伸びやかである。それをその通り伸びやかに表現することが自分らしさであり、それを表現した瞬間に、一滴のしずくが水面に落ちるように粒子となって宇宙全体に広がるのなら、生きるということはあらゆる面で創造であるのだろうと思う。

ここシアトルは昨日から雪景色になり、昨日、今日と静かに内の中を楽しんでいる。

「じゅんちゃん、やっと軌道に乗ったね」

嬉しかった言葉。それを感じ取ったら、こんな絵になった。





今まで生きてきて、様々なことを体験して思い込みのパターンを繰り返し、自己否定に陥ってがんじがらめになったこともあるが、どれもが自分にとって真っ黒な肥沃な土になってくれていることに感謝できるようになった。

そうしたら、そこには身軽になっていくことの楽しさが待っていた。

あるときスポンと抜けて、上に飛び出た。すると、眼前に透明な軌道が広がっている。執着のない創造の領域。そこをどうやって歩いていくのか、わかっているようでわかっていない(けれど、本質はやっぱりわかっている?)だからこそワクワクする。

友人のまゆちゃんに捧げる。

<写真> 「やっと軌道に乗ったね」の絵

2012年1月15日

子供の感覚に導かれ - 環境エッセンス



何だかわからないけれど、自分の中から押されているような、誰かから呼ばれているような、そんな感覚で、ただ直感に任せてやってみたらできてしまった・・・。それが環境エッセンスであった。

私にとって、そこにはシャスタ山が不思議な形で絡んでいた。2008年に沖縄で岡部明美さんと初めて出会い、シャスタ山を訪れた直後、人生の方向が急旋回して日本へと向かい、そこで岡部さんのワークショップやカウンセラー・セラピスト養成講座を受けることになった。

そのワークショップや講座で紹介されたのが、「私が生きたい道」を見つける要素。それには大きく分けて4つの要素があるが、そのひとつが感性から の衝動であり、「イキイキ、ワクワク、ドキドキするものの中に自分の役割・天職がある」ということ。それは、好奇心をかき立て、好きで楽しく楽にできてし まい、無心になれて、いのちからこみあげてくるものということだ。

子供の頃は人形遊びより、友達と一緒に外で飛び回っていた。田んぼの水の中を覗き込んだり、山でぜんまいやわらび採りをしたり、道端の草を編んで小さな籠を作ってみたり、とにかく自然の中にいるのが好きだった。

中学に入ると、手芸が面白くてたまらなかった。編み物をしたり、刺繍をしたり、フェルトでマスコット人形を作ってみたり。高校に入ると、家にあっ たオーブンでタルトやクッキーや色んな焼き菓子を作った。ボーイフレンド(?)にと、寝るのを忘れてカウチンセーターを編んだりもした。大学に入るとバン ドを組んで、キーボードを弾いた。

最近、そのときの感覚が戻ってきている。好奇心をかき立て、好きで楽しく楽にできてしまい、無心になれて、いのちからこみあげてくる・・・それは、まさに子供の頃、毎日のようにごく普通にやっていたのだった。自然が好きで、何かを作るのが好き!

なのに随分長い間、この感覚を忘れていた。

昨年の夏に、再びシャスタ山を訪れたときに、自然環境の波動を水に転写してエッセンスを作ってみた。100%直感に従った感覚は、まるで好奇心だらけの子供のときのよう。

しかし、それができたのは、大切な友人のおかげであった。

私とエッセンスとの出会いは、4年ほど前になる。私の友人がアラスカンエッセンスを学び、4年ほど前に彼女のモニターになったことをきっかけに、 それ以降、私はアラスカンエッセンスのサポートで、色々な場面を乗り切り、気づきや学びを得てきた。彼女からもたくさんのことを教えてもらった。

アラスカンエッセンスは、植物と鉱物、そして環境のエッセンスの3種類に分かれるが、私は特に環境のエッセンスに惹かれた。環境のエッセンスとは、例えば氷河がある場所という特性そのもののことなのである。

シャスタ山でのエッセンス作りはごく自然なタイミングで起こったが、作った後、果たしてこれが何なのか?本当にエッセンスは作れたの?と疑問と不安でいっぱいになった。

エッセンスを作った直後、そんな気持ちでダウンタウンへ行くと、なぜか気になって仕方がない店があり、入ってみると、そこに一人の男性がいて、棚に何かを並べていた。

「これ、私が作ったんですが、試してみませんか?」とその人は声をかけてきた。

彼が並べていたのは、石のエッセンスであった。あれやこれや、色々な石の波動水のサンプルを私に勧めてくる。レインボーシトリン、ルビー、クリス タル、ラピスラズリ・・・。彼はシャスタ山によくいるような怪しい(笑)感じの人ではなく、まったくごく普通の隣のおじさん風の人であった。

「私は石とは、もうかれこれ20年ものつきあいになるんです。私は石が好きで好きでたまらなくて、家の中は石だらけ。石と一緒に寝てるんですよ。 ワッハッハ。シャスタも大好きで、結局ここに移り住んだ。シャスタの水をクリスタルボールに入れて、その中に石を入れて、作ったのがこのエッセンス。何だ かわからないけれど、好きで楽しくてやっていたら、これができたんですよ」

私は心の中でほころんだ。

「実は今日、少し前に私も初めて森のエッセンスを作りました」

なんというタイミング!私の疑問と不安はどこかへ吹き飛んでいた。天はGO!と言ってくれた。そう感じた。

おじさん、ありがとう!このタイミングでそこにいてくれて、全然怪しい感じじゃなくてごく普通の人であってくれて、その言葉を聞けて、嬉しかった。ああ、私はここでもまた人に助けられたな、と思った。

何だかわからないけれど、面白そうで楽しくてやっていたら、できた環境エッセンス。

私が作り始めたエッセンスは、写真とストーリーが伴っている。それは私の中から自然に出てきたもの。私の感性が誰かの感性と溶け合う位置に、このエッセンスがあるのかもしれない。

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Raven Creation Essences
と名づけ、これまで7つのエッセンスを作りました。よろしければ、写真とストーリーをご覧ください。

最新のものから順に

Puget Sound – Cradle of Waves
(ピュージェット湾 海のゆりかご)
http://www.junkokurata.com/puget-sound---cradle-of-waves.html

Hawk at Ravenna Park on Winter Solstice
(冬至のラベナパークのタカ)
http://www.junkokurata.com/hawk-at-ravenna-park-on-winter-solstice.html

Hotaka
(穂高)
http://www.junkokurata.com/hotaka.html

Blue Lake
(ブルーレイク)
http://www.junkokurata.com/blue-lake.html

2012年1月3日

Sun Dog の出現






根源を揺るがす

ひとつになる波


社会通念も

美徳も

価値観も

崩れる


地が揺さぶられるように

一人一人の心の奥から
真実が出現する


ハートで繋がり
行動する力


For the Good of the Whole

私から、私たちへ


いのちは等しい

違いは美しい

誰もが輝き尊重される


すべてはひとつ


Sun Dog 幻日が現れ始めるとき

思い出して、そこにあなたもいることを




Happy New Year
2012年の幕開けに捧ぐ

今年もよろしくお願いいたします。


写真:Sun Dog(幻日)の絵