2012年3月29日

カリブの海で作った環境エッセンス - Trunk Bay

ヴァージン諸島に滞在中、環境エッセンスを3種類作成し、少し前に Blue Cobblestone Beach というエッセンスをご紹介しましたが、今日は、その次のエッセンス、Trunk Bay をご紹介します。

環境エッセンスは、刻々と変化する流れの中で、ある特定の時間と空間における、それぞれの環境が持つユニークなエッセンス(エネルギーの特性)を 水に転写した波動水のことで、意識の変化・成長のプロセスにおいて今必要とされている部分に作用し、変化の流れに乗って調和の中で心地よく生きることがで きるようにサポートします。

Trunk Bay は、私自身、海と一体になる流体感覚を体験した場所で、作成したエッセンスにはその要素がたっぷりと入っています。

作成のストーリーと共に以下にご紹介します。

また、ホームページに、作成場所の写真を数多く載せています。是非ご覧ください。





 <作成のストーリー>

フェリーターミナルからセントジョン島の北側を東西に走る細く曲がりくねった道を東へと進む途中、見晴らしのよいポイントに来ました。そこからは信じられないほど美しい白浜と、底が透けて見えそうなターコイズブルーの水、海と空を分かつように連なる島々が見渡せます。

トランクベイと呼ばれるこの場所は、セントジョン島で最も美しいビーチのひとつだということです。大西洋に面しているこの浜は、先日訪れたカリブ海側とは様相が大きく異なります。この場所に惹きつけられ、ビーチでエッセンスを作ろうと思いました。

駐車場に車を止めると、急に黒い雲がやってきてパラパラと雨が降り始めたので、やむまで待っていました。5分ほどのにわか雨が通り過ぎた後、すぐに青空が戻ってきました。

木々の間をくぐり抜けると突然視界が広がり、そこはビーチでした。砂浜はまぶしいほど白く、海の水は信じられないほど透明です。あまりの美しさに、しばし言葉を忘れてしまいました。

この砂浜のビーチの西の端は、砂の白とは対照的に、島の生成過程の火山活動を想像させる黒っぽいいくつもの大きな石があり、岩肌が露出しています。

自然に足がそちらへと向かい、波と接触する、藻に覆われた平たく低い石の上でエッセンスを作成することにしました。ここからは湾全体を眺めることができ、前方は大西洋へと広がっています。

水を入れたエッセンスの容器を置くと、間もなく空に雲が集まり始め、青い空と雲が入り交じってできる光と影の世界が、水と砂浜の上で展開されました。太陽の光を受けてキラキラ輝いていた海面は、影に入った途端にその表情を様変わりさせます。

エッセンスの容器の水は、このように空を反映して刻々と変化する海の表情を、寄せては引く透き通った穏やかな波とともに石の上で捉えています。容器が置かれた石に生えた鮮やかな黄緑色の藻は、最後に寄せた水の流れをしなやかに、そのまま形にして留めています。

そこから少し離れた場所に、2つの大きな岩があります。一方は底部に、もう一方は中央から上部にかけて割れ目のような細い隙間があり、迫力とともにその岩の存在感は際立っています。

この付近には、かつてプランテーションで働く奴隷が居住しており、セントジョン島は奴隷が反乱を起こし、後に開放された場所でもあります。

このエッセンスは、第1 (ベース) チャクラ、第2 (下腹部) チャクラ、第3 (太陽神経叢) チャクラ、および第7 (クラウン) チャクラに作用します。

あらゆるレベルの「怖れ」から生じる様々な制限やコントロールによって、気づかないうちにパターン化し習慣となってしまった思考や状態に風穴を開け、抑圧されていたエネルギーを解放し、失っていた柔軟性や自発性を取り戻すサポートをします。

また、緊張のある部分を緩め、力を抜いて状況を受け入れることを促し、宇宙の流れに身を委ねて心地よく生きるプロセスをサポートします。

自分は生まれながらにして既に宇宙に愛されており、そのままで既に完全であることを自覚することで、抵抗やコントロールが手放されます。どの瞬間においても、常に宇宙と自分を信じることにより、流れに身を任せることができるようになります。

エッセンスは、自分は自分であるということを認め尊重し、自分を信じることにより根源的な安定感を得るとともに、どこにも何にも属さない自由で広がりのある本来の自分を取り戻し、自分の真実に従って生きることを促します。

穏やかな水の中に体を沈め、柔らかいビロードのような感触がする海底の砂を足の裏に感じながら、頭上に広がる空をイメージしてみてください。眼前のターコ イズ色の海が体全体を心地よく包んでいます。首に巻いたマフラーやきつく閉めたネクタイを緩めてはずすように力を抜いて、藻のように、水の流れとともに柔 らかくゆらゆらと揺れてみてください。体が溶けていき、海と一体になる感覚を味わってみてください。

2012年3月21日

岡山 Heart of Life とのコラボワーク(5月19~20日)のご案内


Spring。芽吹く春、心踊る春、跳躍する春。



こちらシアトルで春分という特別な日に、岡山 Heart of Life のもんじゅさんが5月19~20日に行うコラボワークのお知らせをアップしてくださいました。以下にご案内いたします。


もんじゅさんとは、京都/滋賀で行われた岡部明美さんのカウンセラー&セラピスト養成講座2期で出会いました。

まず、私はもんじゅさんの穏やかなたたずまいと存在感の大きさに強く惹かれたのですが、講座を通してもんじゅさんを知るにつれ、豊かな感性、鋭い直観力、深い洞察力に驚くほど豊富な知識、心地よい寄り沿い、多才さ、そして子供のような無邪気さと明るさ、感性と知性の見事なバランス、そのどれもにますます強く惹きつけられていきました。どの方向からでも打てば響き、その響きは極上で高度な響きというのが、私が持つもんじゅさんの印象です。

岡部さんの講座受講中に三度ほど岡山に赴き、もんじゅさんのサウンドレゾナンスのコンサルテーションをはじめ、オリジナルワークの「グラウンディングレッグス」や「エンプティハート」、ブミカさんによる指導も加わっての「織り」のワークを受けましたが、もんじゅさんの微細な感覚への寄り添いとそこからの誘導によるワークの掘り下げは、自分自身に対する理解を大きく変えてしまうほどのインパクトのあるものでした。

また、プロセスの連続であるタッチドローイングへの興味が拡大したのは、もんじゅさんのワークで段階的に描いた絵のおかげと言えます。

もんじゅさんの日記で語られているように、お互いに2月後半からシンクロニシティが重なりましたが、へその尾を巻いて半死状態で生まれた私が、カリブ海でした個人的な体験で、首に巻かれたマフラーが解き放たれるような感覚を覚えたときとほぼ同じ頃に、海を越えて岡山のもんじゅさんもまた、マフラーが解き放たれる体験をしていたことを知ったときは、鳥肌が立ちました。

さらに驚くことに、コラボの会場となるHeart of Lifeの隣には、曹源寺という300年以上もの歴史のある禅寺がありますが、タッチドローイングの創始者デボラ・コフチェイピンさんの弟さんがそこで修行をされており、昨年デボラさんは曹源寺で修行僧対象にタッチドローイングワークショップを開いていらっしゃるのです。

そこには、日常の意識をはるかに超えた領域の精妙な働きと神秘を感じずにはいられません。

このような経緯があって開かれるコラボです。もんじゅさんがリードされる音を用いた瞑想、微かな気配に意識を向けるワーク、マフラーを巻くワーク、OSHO禅タロットに、私のタッチドローイング、環境エッセンス、ソウルカードを組み合わせたカラフルでユニークなワークに、是非ご参加ください。

お問い合わせ、お申し込みは、Heart of Life まで
Tel 086-277-5783 または 080-4267-8493

2012年3月19日

異次元からのコミュニケーション - 黄金の玉


料理を口にすると作った人の心の状態が伝わってくる感じがする、絵を見ているとそこから音がしたり匂いがしてくるような感じがする、音楽を聴くと情景が浮かぶ、文字や行間に込められた意図のようなものを感じ取る、被写体に体の一部が反応するなど、感知する触覚のようなものが発達してくると、受け取るものが生命力を帯び、豊かで広がりを持ち始める。静の中から動が溢れ出し、ストーリーが語られる。

これを多次元的なコミュニケーションと呼ぶとすると、私たちはその方向へ向かっているのではないだろうかと、最近思うのである。

言い換えれば、すべてのものは波動からなっており、波動は情報であるため、受け取る側は感覚が鋭くなってくるに従って、今までキャッチできなかった情報をキャッチするようになってくるということなのだろう。

また、発信する・作る側も、感性や直感が鋭くなるにつれ、緻密にプログラムするかのように、ある空間に様々な情報を多重的に込めることもできるようになるのだろう。やがて、それは意識的にするのではなく、肌の一部のようにごく自然で当たり前のものになっていくのではないだろうか。

なにやら小難しい話をしてしまったが、12年前に目を閉じていたときに突然目の前に現われた鮮やかなビジョンをきちんと絵にしてみたいという思いに駆られ、今日忠実にそれを描いてみた。

広大な宇宙の中に突然人間の手が現われ、その手の中には金色の玉があった。これはとてもはっきりした映像だったため、それが現われたときはビックリしたが、黄金の玉は玉ではなく、地球のような惑星という感じだった。

それから今日までの12年の間、玉は金色ではなく地球として描かれているが、同じコンセプトの絵を私は何度か目にしている。あるときはヒーラーが書いた本のカバーに、あるときはレイキ・プラクティショナーのホームページに、そして最も最近では、来月東京で開かれるタッチドローイングワークショップの主催者が過去にタッチドローイングで描いた絵に、それぞれ描かれていた。

そのたびに、私は目に見えないクモの糸のようなものを感じてきた。それがどのような目的で何を紡いでいるのかは、まだわからない。ただ、それは巨大なクモの巣になるもので、魂のネットワークのようなものかもしれないと感じるのである。

感じるままに絵を描くことを始めてから、感覚的なものは目に見える明らかなものよりも、ずっと真実に近いのではないかと思うようになった。そうなると、見えるものの向こうにある世界にこそ、計り知れない創造性とともに豊かさがあるのではないかと感じずにはいられない。

このビジョンは異次元からのコミュニケーションのようなもので、言ってみれば、宇宙からソナーが打たれたようなものだろうか。キャッチしてずっとそのままにしてあったが、今日、夜の闇に向けてここから返してみようと思う。

どの方向へ向かっていくのだろうか。何が起こるだろうか。

耳を澄ませていよう。


2012年3月16日

自分は大河の一滴という感じ - タッチドローイングの世界


「今朝起きて、ふと思ったんや。大河の一滴という言葉があるけど、ああいう感じやな~」
82歳になる父が、台所で母の朝ご飯の支度を手伝っている私をつかまえて言った。

「えっ?!」朝っぱらから、いきなりそんなどでかいスケールの話をされて、何かと思った。

「昨日描いた絵のことを考えとったら、大河の一滴、そうそう、自分は大河の一滴という感じやなあと思ったんや」

「・・・・」

昨年帰省した際に、実家に姉と甥が遊びに来たため、父を交えてタッチドローイングをすることになった。

普段、外で内的なワークをしているが、家族とこういったことをするというのは茶化されたり敬遠されることが多く、なかなかできるものではない。

幸い、父は20年近く木版画や水墨画を趣味でやっており、姉は昔から絵画の鑑賞が好きであり、甥はアニメに夢中なので、3人ともドローイングに心を閉ざすことなく、遊び気分でやることに承知してくれた。かえって誘導する側の私の方が、自分の家族から私の知らないどんなものが出てくるのか、内心ドキドキしていた。

感じるままに指を動かして内側を表現するタッチドローイング。1時間ほど描いてもらったが、3人とも力が入って、紙全体を指で塗りつぶすような動きをかなり長い時間続けており、形をなさない混沌とした重い感じの絵が次々と出来上がった。

ああ、みんな口には出さないが、うちの家族も内に秘めた色んな感情があるんだなあと思って見ていると、あるときを境に次第になにやら形らしいものが現われ始めた。

甥は家のような構造物を描き始め、父は自然の風景を、姉は小さな丸をいっぱい繋げた鎖のようなものを描き始めた。そして、最後に甥は昇龍を、父は大きな山を、姉は大きな円を1つ描いた。

描いた後にそれぞれシェアをしたときに、極めてシャイな甥は気持ちよさそうな表情で龍の絵を見せてくれ、姉は「それは円ではなく、自分が球体である感じがしたから球体を描いた」と言ってホロリと涙をこぼした。父は山と自分が一体になった感じがしたと言った。

混沌とした世界が続いていたときは一体どうなるのかと思ったが、3人ともごく自然に、最後には日常の意識をはるかに超えた意識の領域に辿り着いているのは興味深いことだった。

そして、皆それぞれ自分の描いた絵から自分でも気づいていなかった側面が出てきたことに驚き、同時に、自分が表現したものから開放感を得ているようであった。それはシェアの段階では言葉にはならなかったが、各人の深い部分で何かが動いていることが感じ取られた。

「大河の一滴という言葉があるけど、ああいう感じやな~」一晩置いてから出てきた父の言葉。シェアの段階では言葉少なげだった父は、描いた絵の世界を自分の中で整理していたのだろう。

自分という存在は自分が普段思っている以上のものであること、通常の意識よりもはるかに大きな意識の存在であることを、自分自身が表現することで実際に体験したら、それは自分にとって力強く頼もしい味方となってくれる。


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昨年タッチドローイングを体験したお二人の感想を絵と共にシェアさせていただきます。

親業と和みのヨーガのインストラクターでMさんは、そのときのご自分を見事に客観的に捉えていらっしゃいます。


「オモシロかった。ひたすら描きあげた70分。作品は19枚。昨日の作品の19枚目。
私は花を描きたかった。描いたら華だった。


一人ひとりが自分の持っているものをgiveするために手を差し出している。
その中心の華芯には自分もいる。順番を待って力を蓄えているところ。

うん?これって、最初にひいたカードの印象じゃん(ワーク前に引くソウルカードのこと)。


そうか、私はやっぱりいまは準備中なんだ。」


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5月に大分でコラボをさせていただくボディワーカー・サイコセラピストの椋梨さんは、描いているうちに広大な意識のレベルへと繋がっていきました。

1時間、ただ手で絵を描き続ける。ボードに絵の具 を出し、ローラーで静かに慣らしていく時間は、墨をする時間と同じ静寂を感じる。薄紙を置いて、静かに内側を感じ、ただ好きなように手が動くままに描く。 両手で、指の腹を使って、爪でひっかいて、手のひらで撫ぜて、思うままに描く。

夢中で描いた。だんだん楽しくなって、ローラーで伸ばす時にテンテン叩いて遊んだりした。打ちつけられる絵の具を見ているうちに、音が聴こえてくる気がした。

オーロラが身体から出てきた。そのまま両手でうねりを描いた。


銀河が出てきた。最初は真ん中の星から両手が渦を巻いた。5本の指が自由に紙を叩いていくと、星が無限に現れ始めた。

トン、と叩くと星がでてくる。私の指から銀河がこぼれてくる。はじめての感覚だった。


それから三本の木がまぶたの向こうに見えた。木を描いた。そしたら葉っぱが出てきた。葉っぱが育った先からは花がでてきた。がさがさした太い幹の根っこを 感じていたら、土のなかからいろんな声がした。枯葉の間を這い回る虫たち。土のなかで芽を出しかけている種。その周りを掘るミミズ。微生物。まだ生きてる もの。もう腐りかけてるもの。腐りながら新しい命をはぐくんでいるもの。


 そのハーモニー。交響曲が聴こえてきた。左手が歌う。右手が応える。地にもぐったり、光に飛び出たり。いのちはめぐり、まわっていた。そのすべてを、私の身体は知っていて、私の手は生み出していた。

月の道を描いた。古生代を描いた。愛を描いた。雨の音を描いた。宇宙の耳を描いた。

そして風を描いた。

私の源。オリジンに触れた。そこには無限のエネルギーがあった。そこにはすべてがあった。

今回の体験は、わたしのなかで今生まれようとしている私自身の産道になる。

そんな予感がする。


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5月に岡山にてHeart of Lifeの文殊さんと、大分ではボディワーカー・サイコセラピストの椋梨晶子さんと、それぞれお二人の主催で、タッチドローイングにそれぞれお二人のオリジナルワークを織り込んた2日間のコラボによるワークショップを開きます。

岡山 5月19日(土)・20日(日) 詳細は追ってお知らせします。
大分 5月26日(土)・27日(日)詳細はこちらをご覧ください。http://db.tt/LIeXX0F3

2012年3月14日

カリブの海で作った環境エッセンス - Blue Cobblestone Beach


ヴァージン諸島に滞在中、環境エッセンスを3種類作成しました。

環境エッセンスは、刻々と変化する流れの中で、ある特定の時間と空間における、それぞれの環境が持つユニークなエッセンス(エネルギーの特性)を水に転写した波動水のことで、意識の変化・成長のプロセスにおいて今必要とされている部分に作用し、変化の流れに乗って調和の中で心地よく生きることができるようにサポートします。

昨年より環境エッセンスの作成を始め、これで8種類めとなります。タッチドローイングやセッションなど内面のワークで、これらのエッセンスを積極的に取り入れています。

カリブ海で作成したBlue Cobblestone Beach(ブルーコブルストーン・ビーチ)エッセンスも、またユニークなものとなりました。作成のストーリーと共にここにご紹介します。

また、ホームページに、作成場所の写真を載せています。ストーリーと合わせてご覧になることをお勧めします。




寒さ厳しいシアトルを脱出し、南北アメリカ大陸に挟まれた西インド諸島カリブ海域に位置する常夏の島、米領ヴァージン諸島セントジョン島を訪れました。

西インド諸島には、南アメリカプレートとカリブプレートの接する沈み込み帯の影響により形成された7,000以上の島やサンゴ礁があり、これらがカーブを描くように弧状に連なっています。セントジョン島はそのうちのひとつで、面積は約50km²と、石垣島の3分の1にも満たない小さな火山性の島です。島の3分の2が国立公園となっており、自然環境がとても豊かです。島の北側には大西洋が、南側にはカリブ海が広がっています。

<島の歴史>

セントジョン島にはユニークな歴史があります。年月を経て複数の先住民族が居住したこの島は、コロンブスに発見され、17世紀後半にはデンマークの統治下となり、先住民やアフリカからの奴隷を使ったサトウキビのプランテーションが始まりました。

過酷な労働条件に不満を募らせながらも耐えてきた奴隷は、破壊的なハリケーンや干ばつ、害虫被害などの凶作で我慢が限界に達し、1733年に反乱を起こしましたが、統治を覆すことはできませんでした。しかし、1848年に他島で再び反乱が起こった際に、奴隷制度は完全廃止の方向へと進み、奴隷は開放されました。

その後、アメリカ合衆国がデンマークから土地を買い取りましたが、この地を訪れた慈善事業家ローレンス・ロックフェラーが、美しいこの自然が破壊されないようにと、この地を購入して、1959年に合衆国連邦政府に寄付しました。現在、島の3分の2が国立公園となっているのは、未来を見据えたビジョンを寛大さにより実践したロックフェラーのおかげです。



<作成のストーリー>

セントジョン島の南東端にある、岬に向かうカリブ海沿いのトレイルを歩きました。

このあたりは崖が多く、地形は入り組んでいくつもの湾が連なっています。トレイルのあちらこちらにサボテンが生えており、その大きさから、かなりの年月を経ていることが伺われます。乾燥地を好むサボテンと海が隣り合わせで存在しているのは、不思議な光景です。

間もなく、石とサンゴのかけらでできた浜辺が眼前に広がってきました。穏やかな入り江に太陽の光がさんさんと降り注ぎ、海面は光を受けてキラキラと輝いています。波打ち際には、ユニークな形の岩があります。直感的に、ここでエッセンスを作ることに決めました。

この浜辺の小石や岩や崖を見ると、島の生成過程の火山活動を想像せずにはいられません。波打ち際に置かれたようにある岩は、中心のくぼみから左右に分かれる形をしています。このくぼみに容器を置き、ここでエッセンスを作ることにしました。

エネルギーを転写するための水と容器は、海でもなく陸でもないちょうどその中間点にあって、ある程度の高さのある岩の上から、海原を臨む格好になります。時間は太陽が最も高い正午過ぎで、光は強烈です。岩の「足元」に、ゆるやかな波が三方向から寄せては引きます。穏やかな海とはいえ、小石が波に洗われてザラザラと音を立てています。ここにある小石はすべて波にもまれ、途方もなく長い時間をかけて、徐々に丸く滑らかになっていったのでしょう。

また、ここは特にサンゴ礁が美しいことで知られています。サンゴは海底や海底の岩に着床し、群体で長い時間を経てサンゴ礁が形成されていきます。体内に光合成にを行う褐虫藻を共生させ、その栄養分の半分を取り入れ、半分を放出するサンゴは、同時に多種多様な生物を育み、共生の繊細なバランスの中で存在する「海の森」です。

このエッセンスは、7つのチャクラのうち、第5(のど)チャクラ以外のすべてのチャクラに作用します。サボテン、サンゴ、丸石はどれも長い年月を経て成長し、形作られてきたものです。これまでの人生(魂)の旅を続けてきたあなたも、地球の歴史とともに、そのような長いプロセスを経て今ここに存在し、さらに成長、進化していくプロセスの途上にあります。

サボテンのトゲはプロテクションを象徴していますが、それは柔らかい内側を守るための手段です。エッセンスは、身を守るために他人との衝突を避けて人に合わせ、世間に認められ受け入れられるような仮面をかぶった自分、変化を恐れ防御するためのよろいを着けた抑圧的な自分、その内側に怖れを持ち繊細で傷つきやすく柔らかい自分がいることを客観的に感じ取る手助けをし、本質の自分は、そのいずれでもないことに気づくプロセスのサポートをしてくれるでしょう。

エッセンスは、このような気づかないうちに身につけてしまっている防御のための仮面や抑圧、変化への抵抗を手放すことを促します。外側へ放たれることで内側との繋がりが強化されるというような逆説的なエネルギーの作用が、古いエネルギーの解放の突破口を開く助けとなるでしょう。

噴火した火山とおだやかな海の波のエネルギーを、陸の上でも海の中でもない地点で受け取ったエッセンスは、制限・抑圧されたエネルギーの解放を、爆発というよりも、外側が崩れ落ちて内側の核が出現するように、穏やかに起きる手助けをしてくれるでしょう。

たとえ噴火するような状況になった場合にも、コントロールを失うことなく、健全な形で開放されるようサポートしてくれるでしょう。

宇宙の流れ、水の流れは、自分の心に沿った正直な生き方をすることを促してくれています。それは自分勝手に生きることではありません。

火山のエネルギーをはじめ、サボテンと水という相異なるものが共存している環境のエネルギーと、共生のバランスそのものであるサンゴのエネルギーを持つこのエッセンスは、あらゆることが多様化した環境の中で、グラウンディングをして自分の中心から自分と他人を共に尊重し、全体の調和へと向かう手助けをしてくれるでしょう。

岩を感じ取ってみてください。そしてその岩の上から、穏やかな波に洗われる小石の音とリズムを聴きながら、大海原を見渡すイメージをしてみてください。海の中に潜っていき、海底に着床し、上から差してくる光を感じながら、水の流れに身を委ね、ゆらゆら揺れているサンゴをイメージしてみてください。

2012年3月13日

米領ヴァージン諸島の旅(5) - 水からの癒し2


前の日記で書いたソルトポンドビーチでのことを体験した2日後、再びセントジョン島を訪れ、この島でも美しいことで有名な、トランクベイと呼ばれるビーチにやって来た。

真っ白な砂にターコイズ色の穏やかな水。信じられないほど美しい。



ここでも、人々は泳いだりシュノーケリングをして思い思いに楽しんでいる。私は水着に着替えて、海に入ることにした。



気温は高いが、足の先が水に触れた途端に、頭のてっぺんまで衝撃が突き抜けた。思ったよりも冷たい。
私は体をこわばらせながらも、膝まで、太ももの辺りまで、腰までと、少しずつ水の中に入っていった。



この海岸の水も遠浅で穏やかである。足に触れる海底の砂はとても細かくて柔らかく、まるでビロードの上を歩いているように心地よい。温度に慣れてきて、胸の辺りまで水に浸かると、もう波は極めて緩やかであった。


穏やかな海の小さなうねりの中でじっとして、目の前に広がる水と空をぼんやり見つめていると、このゆらゆらと揺れる水に触れている自分の体に突然意識が集中した。このとき、この広い海の中で、私は小さな子供になったような感覚を覚えた。

海全体が優しく揺れるゆりかごで、私はその中で守られている。海は母のような優しさに満ちていて、私を包んでくれている。筋肉が緩み、深い安堵感に満たされた。




こんなに心地よいなんて。

両手をいっぱいに伸ばして、体中で水を感じてみた。なんとも言えない穏やかさだけが伝わってくる。今まであった筋肉がキュッと固まるような抵抗は全くなく、水に体を預けることができる。今、私は海という母のような大きな愛に包まれている。





ああ、私の中でため息をつくように、何かが解けて放れて行く。

涙が出そうになった。こんなに優しいなんて・・・。

今この瞬間、私は海に癒されている。長い道を歩いてきて、ここでやっとこれに出会えた。水の中で体が溶けていくようだ。これが水と一体になるという感覚なのだろうか。




水の中に体を沈め、じっとそれを味わっている。ただ受け取っている。



ハッとした。

それは、まさにシアトルを出発する前に引いたカードの絵そのものであった。このカードは、こういうことなんだ。



海からの癒し

受け取るということ
委ねるということ
信じるということ

水の感覚

溶けてゆく
流体になる

母なる海
母なる地球

今ここでこうして生きているということ
生かされているということ
それをただ受け取る

しなやかに
しなやかに

流体になる


タッチドローイング 「流れになる-解き放たれるマフラー」
「海と溶け合う」


<続く>
 

2012年3月12日

米領ヴァージン諸島の旅(5) - 水からの癒し1



海辺のトレイルを歩いて汗だくになった夫と私は、セントジョン島のソルトポンドビーチと呼ばれる浜辺へやって来た。

遠浅で波がほとんどなく、砂浜は白い。水は淡水と錯覚してしまいそうなほど透き通っている。



私はズボンを膝までまくりあげ、浅瀬の岩場に行って、生き物を眺めることにした。ここはシュノーケリングで人気のある場所のひとつで、こんな浅瀬でも、あちこちにある岩に着床したサンゴや藻を見ることができる。



じっとしていると、どこからか紫と黄色のカラフルな熱帯魚が一匹やって来て、すうっと目の前を通り過ぎていった。足元の岩で、マツタケのような形で繊細な模様をしたイソギンチャクがゆらゆら揺れている。そこから少し離れた岩の陰には、鋭いトゲのウニが潜んでいる。私は、透明な水を上から眺めながら、徐々に視線を広げていった。

とそのとき、目の端で急に何かの動きを捕らえたので、視線を足元に戻してみると、2センチほどの半透明のシラスのような魚の群れが、あたり一面に広がっていた。

いつの間にやってきたのか。そのおびただしい数に息を呑んだ。私はちっちゃな魚にぐるりととり囲まれてしまったのだ!

私を中心として半径2メートルほどの海面が魚で埋まるというのは、生まれて初めて体験する光景だった。

動かずにいると、魚は私の足の周りを10センチくらいの距離を保って、水の中でゆらゆらとしている。物差しで測ったのかと思うほどきれいに足の周りに一定距離ができているのをみると、きっと私から出ている波動をキャッチしているのだろう。

突然、私の中から好奇心旺盛な子供心が飛び出してきて、魚と遊びたくなった。少し動くと魚はサッと一斉に散るが、ジッとしているとまた押し寄せてくる。その動きが面白くて仕方なく、動く、ジッとするを繰り返した。そのたびに魚も四方八方に散っては、また集まってくる。これは魚と私のシーソーゲームのようでもあり、開く、閉じるという呼吸のリズムのようでもある。

2センチという驚くほどのミニサイズでも群れとなると、そこから圧倒されるほどの生命力が伝わってくる。命に満ちた水を肌で直に感じるという体験を、私は今までしたことがあっただろうか。

実は、私は子供の頃から水が苦手だった。特に冷たい水や、深い水には抵抗がある。小学校のとき、プールに入る前の準備として、上からシャワーが落ちてくる、腰近くまで水が溜まった場所を通らなければならなかったが、それは私にとっては拷問だった。プールに入ると、胸まで来る深さはもちろんのこと、底や壁にある排水溝が恐ろしかった。

水は波があるとなおさら怖い。渦は、もうどうしようもなく恐ろしい。泡風呂に入っていて、水の動きを見ていたとき、突然息が苦しくなって慌てたのは、ほんの数年前のこと。

別に子供のときに溺れそうになったこともなく、今でもどうしてそんなに怖いのかはわからないが、水を見ると昔から、飲み込まれたり、吸い込まれていきそうな感覚になりパニックに陥るという、異常な反応をすることだけはわかっている。

このように、私にとっては死に近い恐怖を覚える水が、小魚で埋め尽くされ、その小さな命が巨大な固まりとなって私のいるところへ押し寄せて来てぐるりと取り巻き、水の動きとともにゆらゆら揺れているのを見ていたら、それはもう息も詰まるほどの圧倒的な命、命、命なのであった。

そのとき、私の奥深くで何かが躍動し始め、それは踊るようにハートから飛び出して、水の中へと溶けて広がっていった。


 写真: いずれもセントジョン島ソルトポンドビーチ

<続く>

2012年3月8日

Touch Drawing とオリジナルワークへのお誘い - 5月ワークショップイベント

「絵を描こうとしないで・・・・形にしようとしないで・・・ただただ今感じている感覚に忠実に・・・今自分の中で起こっていることを丁寧に感じてみて」

タッチドローイングの創始者であるデボラ・コフチェイピンさんが、白い紙に向かう参加者を優しく誘導する。

「何を感じてもいいのです。考えることをやめて、ただハートに意識を向けて。そこで今感じることを手や指の動きで表すとしたら、どんな動きになりますか?」

絵を描こうとしないでと言われると、少し戸惑う。最初に構図があって、絵を描くことにあまりにも慣れているからだ。しかし、紙に触れる指をマインドから解き放し、ハートへと近づけると、手はためらいながらも動き始める。ゆっくりと。それは、暗闇の中を手探りでうごめくようなものかもしれない。

 稲妻と混沌


混沌とした世界をくぐると、そのうち感情が出てくる。怒り、悲しみ、恐怖、嫌悪・・・感じるままに、ひたすら描き続ける。子供の頃の記憶が出てくることもある。

哀しみ


突然体のどこかが痛み出すこともある。そしたら、その痛みを描いてみる。するとちょっぴり楽になって、別のものを描きたくなる。楽しさが出てきて、指をもっと大きく動かして遊びたくなる。

広がるハート


突然、壁がやってきて何も描けなくなることもある。そしたら、壁を描けばいい。描くと、壁が動き始める。

いきなり、空の中にいることもある。山や川、渦巻き銀河が出てくることもある。描きながらそれを感じていると、次に何かが出てくる。

そうやって、心の中で起こってくることをひとつひとつ忠実に描いていく。

内なる成長


タッチドローイングは、今起こっていることが連続したプロセスそのものである。これは、心という深い海の中に潜って、そこで起こっていることにビデオカメラを向けて録画しているようなものである。

録画が終わったら、今度はそれを巻き戻して最初から見ていく。ひとコマひとコマにタイトルをつけてみる。色を付けてみてもよい。このひとコマから繰り広げられるストーリーを書いてみてもよい、踊ってみてもよい、音にしてみてもよい。

ドリームタイム


自分の中に色々なものがあることを知るだろう。怖れていたものは、そんなに怖いものではなかったことを知るかもしれない。ああ自分の中にこんな感情があったんだ、と思うかもしれない。あるいは、同じものが何度も形を変えて複数の絵に出てきているかもしれない。山や木を描くと同時に、それとの一体感を感じるかもしれない。自由な遊び心、子供の頃の感覚を思い出すかもしれない。

そして、作品を最初から最後まで順に並べていくと、それが大きなメッセージを秘めたひとつのストーリー、または、これまでの人生のストーリーになっていることに気づくかもしれない。あるいは、作品の中に、自分の可能性や創造性を見出すかもしれない。

タッチドローイングは、今感じていることが連続したプロセスそのものである。創始者のデボラさんは、タッチドローイングを「魂が表現する絵」と呼んでおり、全体性へと導く癒しのプロセスそのものであると言っているが、確かに、自分という世界を描くとき、そこには深遠なメッセージが秘められているのである。

5月に岡山にて、岡部明美さんのカウンセラー・セラピスト養成講座仲間でありHeart of Life代表の文殊さんと、大分では、同講座仲間の椋梨晶子さんと、それぞれお二方の主催で、タッチドローイングにそれぞれお二方のオリジナルワークを織り込んた2日間のコラボによるワークショップを開きます。

岡山 5月19日(土)・20日(日)予定。詳細は追ってお知らせします。
大分 5月26日(土)・27日(日)詳細はこちら。  http://db.tt/LIeXX0F3

2012年3月6日

米領ヴァージン諸島の旅(4)- 宝の島 セントジョン島



滞在しているセントトーマス島からフェリーで20分ほどのところにある、セントジョン島を訪れることにした。

セントジョン島は、セントトーマス島よりもさらに小さく面積は約50km²で、石垣島の3分の1にも満たない火山性の島である。島の北側には大西洋が、南側にはカリブ海が広がり、島の3分の2がヴァージン諸島国立公園に指定されている。



自然という宝が保護されている島、セントジョン島
水の色、空の青さ、海の生物たち、陸の動物たち、鳥や昆虫、植物たち
明るい光の下、暖かい風の中
すべての命がそのままの姿で美しく、輝いている

豊かさはここにある
繊細なバランスの中で
今ここにある


 マリンブルーの海、セントジョン島は右奥に見える
 



 ヨットを停泊させ、シュノーケリングを楽しむ人々
 

 ソルトポンドビーチ


 「ブレインコーラル」という名前のサンゴ、なるほど脳みそみたい


 好奇心旺盛なゲッコー
 

 カリブ海

  こんなに美しいなんて
 

 サボテンと水が共存する場所




  島のあちらこちらにいる鳥


  くねくね坂を曲がったところで、急に出くわした。野生のヤギ。


 このラバたちも野生


 再びゲッコー

昆虫が嫌いな方は、次の写真はご覧にならない方がよいかもしれません。
 

 色の鮮やかさと、模様の面白さに惹きつけられた。なぜかトランプを思い出した。オスとメスでは背中の模様が違うみたい?
 

  ペリカンもいた


  イグアナも現われた


 う~ん、顔はちょっと怖い

 帰り道、フェリー乗り場の近くにあるこのお店に引き寄せられた。乾いたのどを潤す冷たいものが欲しい。

店主のトーマスさんに、ココナツを割ってもらった。息子さんがシアトルの海軍基地にいるということ。世界はなんて狭いの!


トーマスさんは、ここでスムージーや自家製アイスクリーム、トロピカルフルーツ、ココナツを売っている。人懐っこく笑い、夫と私を店の裏にあるオフィスに案内してくれて、こう言った。

「私はこの店の他にも、レンタカーの営業所をやってるんですよ。でもね、毎日車を管理して書類とにらめっこをしているよりも、こうやってお客さん とおしゃべりしながらスムージーを作っているのが好きなんです。でも、私が本当にやりたいことは、パブリックスピーチなんです。私には信条があるんです。 それは、正しいことよりも、ハッピーであることを選ぶということ。例えば、友人が青いグラスを持ってそれを黄色といえば、私はそれは違う、青だとは言わな い。人間関係において、正しさなんて、そう重要ではないと私は思っています。これは私の人生経験から言えることなのです」

ハッピーであることを選ぶ・・・それは、私にとって、このゆったりとした豊かな島からの贈り物の言葉だった。

<続く>