2013年9月26日

祝福する手

7月に森の中で描いた絵に、今日色付けをしました。描いたときもそうでしたが、時間を置いてさらに色を付けることで、新たに自分の中から力が湧いてくる感じです。

今回は、いくつもの絵の中に「手」が現われました。先回のが手シリーズ1とすると、これは2になります。




Blessing Hands (祝福する手)

おじいちゃんとキンモクセイ

今日家からバス停に向って歩いていると、突然風と共にキンモクセイの香りが顔に当たった。
その瞬間、金色の愛らしい花びらのイメージが目の前に浮かび、胸がキュンとなって涙が出そうになった。

「おじいちゃん!」

祖父の家には四季折々の花や盆栽、木々があり、小さな池には鯉がいた。子供の頃、秋に遊びにいくと、決まってむせるほどのキンモクセイの甘い香りが出迎えてくれた。

庭が見渡せる縁側があって、私はそこに立って、鳥かごの中のカナリヤが食べた後のハコベやアワの殻をフッと息を吹いて飛ばしたり、祖父が大事そうに引き出しから出してきたクルミを手の中でゴリゴリころがしたり、見せてくれた栗かぼちゃの種を手のひらに置いて眺めたりしたものだった。

海軍軍人だった祖父は、船の中では朝はラッパの音で起床し、洗面器一杯の水で歯を磨いて口をすすぎ、髭を剃って髪と顔を洗ったという話を毎回語り、いつもその話は「じゅんちゃんや~、水は大事に使わないといけないんだよ」という言葉で終わった。

私がアメリカに留学すると決まったときは、「じゅんちゃんは、どうして敵国へ行きたいんだい?」と穏やかな調子で聞いてきたっけ。

生き物や物を大切にし、大らかで優しかったおじいちゃん。思い出すといつも清らかで温かい気持ちになる。大切なことをたくさん教えてくれた。

その後祖父も祖母も亡くなり、家が取り壊され庭の木々も処分され、更地になって長い間駐車場として隣の人に貸してあった。

更地になっても、私はそこにまだ祖父の存在を感じていた。アメリカに移ってからも、帰郷した際に足を伸ばしてその場所を訪れると、祖父がニッコリ微笑んでいる顔が浮かび、私が来てくれたことを喜んでくれているかのように大きな虹が出たりした。そこは祖父がずっと大切にしてきた場所、祖父の魂が込められている場所。だから、できるだけずっとそのままにしておきたかった。

しかし、長年管理してきた両親も高齢になり重荷になってきたため、その場所を今年手放すことになった。母は早く処分したいと言い、私はそれを尊重した。祖父だって、きっと自分の娘の負担にはなりたくないだろう。

私はそれから祖父のことは忘れていたが、今日のキンモクセイのことで思い出し、そういえば今日は彼岸明けに当たると気がついた。

そうしたら、もうひとつ思い出したことがあった。春分、夏至、秋分、冬至の日は太陽の位置が特別であるため、私は心の中で太陽の儀式をする習慣があるが、秋分の日に太陽に向って心の中で「グランドファーザー・サン」と呼びかけた瞬間、家の外でどこかの小さな女の子が「おじいちゃん!」と叫んだ。そのタイミングがあまりにもピッタリだったのでそのときびっくりしたが、今思い出すと、その女の子と私が重なるような感覚になる。

仙台にいるので彼岸に墓参りもできなかったが、祖父はここに来てくれたのだろうか。気になったので、母に電話をすると、ちょうど私がキンモクセイの香りに反応したのと同じ頃、母は父に「そろそろキンモクセイが匂い始める頃と思うけど、まだかな?」と言ったということである。

大往生をして、周りの人々から徳の高い人、仏のような人だったと言われた祖父は、黄金色の太陽とキンモクセイと共に彼岸の世界から私に合図をしてくれたように思う。

私も祖父のような生き方がしたい。

2013年9月20日

天から降ってきた豊穣のかご

いきなり円錐状のカゴのようなものが天から降りてきたと思ったら、円錐の中心へと指が動き、指はそこから渦を描きながら、ものすごいスピードで跳ねるように踊り始めた。

私にとって初めての体験だった。描かれたものを見てみると、何かの文字のようである。これが自動書記と呼ばれるものなのか。

タッチドローイングは様々な体験をもたらす。場や参加者のエネルギー、自分の意識の状態によって描かれるものの深さが異なる。

5泊6日のリトリートでは、様々なワークと組み合わせて絵を描き続けることで、意識は個人レベルから集合意識へ、そして惑星レベルへとごく自然に流れていく。

自然豊かな島の森の中にあるラビリンス(迷宮)の中心で奏でるクリスタルボウルの音とともに、周りで30人余りの参加者が祈り、中心に向って人類の未来への希望を投げかけ、外側から内側へ、その後中心から外側へと歩く瞑想を行った。このラビリンスは、1220年にフランスのシャルトル大聖堂内に作られたものが原型となっている。

中心に到達したら、そこで絵を描くことができる。感じ取った音を声にして発するという能力を持った一人の参加者が、ラビリンスの中央に到着するとそこに仁王立ちになり、天に向って手を伸ばして数分間音を発した。私はそれを感じるまま絵にした。

オオーーッと地中から鳴り響くような低い音から始まった声は、あるときアアアーッと突然高い音へと切り替わった。その瞬間、私たちがいるラビリンスに向って、天から何かが降りて来るのを強く感じた。「豊穣のかご」という言葉が浮かび、私は円錐状のものを描いていた。

声 は今度はさらにキンキンと高い調子でリズミカルになり、それとともに私の体は歓喜の興奮で熱を帯び、頭頂に太い柱が立ったような感覚になった。円錐の中央 で渦を描き始めた指は、震えるように何やら細かく動き出したと思うと、そのリズムに合わせて勢いよく中心から時計回りの渦状に跳ねるように動き始めた。

「指踊り」は楽しくて気持ちよい。20秒にも満たなかったと思う。ものすごいスピードで紙の上を踊りながら駆けていったという感じである。

描いた後で見てみると、でたらめに指を動かしていただけなのだが、ひとつひとつユニークな形をしている。声を発した女性は、それはある種の「伝達記号」だと言った。私は何が何だかさっぱりわからない。ただ指が気持ちよく動いただけであった。

よく見てみると、サンスクリット文字のひとつと同じ形のものがあり、動物の形をしたようなものもある。それは宇宙から降りてきたのか、それとも地球のものなのか?

気功師の友人によると、温かくて良い波動が出ており、出力と入力が同時に起こっている感じがするとのことだ。

また、何人かの人はこれを見た瞬間「それはcornucopia (“コーニュコピアと発音) だ」と言った。聞いたこともない言葉だったので調べてみると、Cornucopiaとは、ギリシャ神話のゼウスに由来する「豊穣のツノ」のことで、作物の収穫や繁栄、精神性の豊かさを象徴し、ガイヤ=地球の豊かさが具現化されたものであると説明されている。

角の形をした籠で表されているものが多く、写真をアップするが、それは描いたときに感じた「豊穣のかご」とピッタリ一致しているので驚いた。

絵 を描いてからおよそ2ヶ月。今日改めて絵をじっくり見た。今こうして文字にすることで自分の中で整理していると、確かにこれは声とともに天から降りてきた が、豊穣の籠の中には農作物ではなく、象形文字やら梵字のような、歴史を通して大地とともに人類が育んできた叡智のようなものを感じる。

ラビリンスの周りで行った私たちの祈りへの答えとして、天は私たちがすでに持っている豊かさを伝えるために、声を通してこの籠を届けてくれたのか。

秋の収穫を迎えている今、私は思う。
蒔いた種を刈り取る。人類は一体どんな種を撒いてきて、何を収穫しようとしているのか。
豊かさから蒔いた種は、豊かさの種を作る。自分のために、未来の子供のために、これからはどんな種を蒔き、何を収穫したいか。その答えはすでにひとりひとりが持っており、それぞれ自分の中にある。

ここまで書いて、自分なりに結構満足しているが(笑)、別の友人は「この絵をTシャツにして着ていたら、誰か意味がわかる人が声をかけるかもね」なんて冗談まじりに言った。なるほど、それはグッドアイデアかも!





2013年9月15日

手の中の叡智






木々と呼吸を合わせると
目の前に扉が開く

いつから忘れてしまったのか
かつて私たちはひとつだったということを

森の生命力も力強さも叡智も
すべて私たちの中にある



Wisdom in Our Hand (手の中の叡智)

   ワシントン州ウィッビーアイランドの森にて タッチドローイング



2013年9月13日

森の古木の精霊



神秘のベールに包まれた森を一人歩き

古い巨木がある場所にたどり着いた



静かに目を閉じて

木を心で感じ取ってみる




古木の精霊


 (20137月ワシントン州ウィッビーアイランドの森にて)