2015年3月26日

空間と天秤感覚


一昨日アメリカでの三週間の滞在を終えて帰ってきたが、今回の滞在は特別なものとなった。

何もかもが今までとは違っていた。これを新しい体験というのか、以前の私とは違うというのか、今までとは違う次元にいるというのか、そこに押し出されたとでもいうのか、とにかく驚くことばかりであった。

まずは、夫の家族を訪ねてロサンゼルス、フロリダ、コロラドに滞在し、最後にシアトルという強行なスケジュール。それぞれの場所で時間帯と気候が違うため、時計を戻したり、早めたり、また戻したり、服装も春、夏、冬の3シーズンと忙しい(苦笑)。

時差と気候がここまでぐちゃぐちゃになると、当然体はものすごいストレスを受けて不調になると思うのだが、意外なことに一貫して元気なのであった(驚)。

時差に関係なく夜は床に就くとすぐに眠れる、朝頭痛もなく決まった時間に起きられる、何時であっても胃がもたれることなく食べられる、コンタクト装着も問題なし、日中快活に動ける。

これは今までの私とは真逆の状態だ。環境の変化があまりにも激しいため、激しさゆえにスポ〜ンと枠を抜け出てしまったのだろうか。







日常の私の体はこんな風なのだが、それと平行して、その背後にある大河のような流れからも絶えず象徴としてメッセージが来ていた。

フロリダで見たでっかい空、大西洋の大海原。






それに続き、コロラドの義姉はまるで「大草原の小さな家」のような環境に住んでおり、ここでは地平線が待っていた。




空間、空間、空間。

私にとって、今回の滞在のテーマはこれなのか!


歩いている自分の姿勢と歩調が違うことに気づいた。無意識に、姿勢がよくなり、ゆったりと歩いているのである。環境というのは面白いものである。今回、こっちの方が自分らしいと再確認できた。

目の前に広がる大平原とそこに吹き渡る風。

これが今の私の立ち位置。それを感覚として味わう。







すると、大自然を通してやってきた象徴が具現化するかのように、シアトルでは大規模な「手放し」作業がやってきた。

夫と私は2012年に日本に移る前に家財を大処分したが、再びアメリカに戻ってきたときのためにと、お気に入りのダイニングテーブルとイス、その他捨てられないものをレンタル倉庫に入れてあった。

が、今回それを一掃することに決めた。夫曰く「感情的な執着」のために保管料を月々1万円払い続けるのはバカらしいし、使わないままで置いておくよりも、今必要な人に使ってもらう方がテーブルも本来の役割を果たせてハッピーだろう、と。

ごもっともである。

幸い、アメリカは寄付・リサイクルのシステムが充実しており、大抵どんなものでも即受け取ってくれる。過去の思い出でぎっしり詰まった倉庫と寄付の施設の間を何往復もする。荷物を下ろして引き渡すたびに、何故か安堵する。

最後に残ったものは、何箱もの書類と写真アルバム。結婚するときに日本から持ってきた大学時代以降のアルバムとアメリカ居住20年分の何百枚もの写真のうち、今回持って帰れるものだけに減らす必要があった。

猛スピードで写真一枚一枚に目を通し、瞬間的に判断して捨てるかキープするかを選択する。このとき、これまでの自分の歴史が走馬灯のように目というスクリーンに映し出され、死ぬときに自分の人生を振り返るってこんな感じなのかなと、ふと思った。と同時に、今私は象徴的に「死のプロセス」を通ろうとしていると感じた。

写真を選ぶ作業を一回最後までやったあと、さらに二回目、三回目と繰り返す。最初これはどうしてもキープしたいと思って、う〜んと唸るのであるが(笑)、そんなとき、津波で一瞬のうちに全てを失った被災者のことが頭に浮かぶ。

時間を置いて二回目に取りかかると執着は少し薄れており、三回目にはさらに薄れ、結局持って行けるものは私の心の中にある思い出だけだという声が心の中から聞こえて来るのである。


手放すと、心に平原の景色が映る。そこに風が吹き渡る。これはまるでコロラドで見たあの景色じゃないかと思う。風は軽快さとともに新しい始まりの予感を運んで来る。その感覚が波のように何度も訪れる。


空間。空間。空間。





空間の中に立つとき、自分が天秤になったような感覚になる。

2つのものをそれぞれ客観的に観るということ。

どちらが良い、悪いというのではなく、それぞれが全体の一側面であるというだけで、自分はそのゼロの立ち位置から全体を見渡し、意識的に何にフォーカスするかということ。何を経験して何を創り上げたいかということ。

春分を超えて今ここに居る私の中の空間と天秤感覚が、新たな段階へと私を運んで行く。


今日の仙台は雲一つない快晴。そこに飛行機が飛行機雲をたなびかせ、軌跡を残して行くが、まもなく風はそれさえもかき消して、今、頭上にはただただ太陽と青い空があるのみ。



<写真:タッチドローイング「気づきの瞬間」、フロリダ州ポート・セントルーシー、ジェンセンビーチ、コロラド州ベネット>