2009年5月6日

水星の逆行は温故知新

5月7日から5月30日まで水星が逆行する。地球から見ると、水星が通常の進行方向ではなく、逆の方向に戻っているように見えることを逆行と呼ぶそうである。

水星はコミュニケーションや交通、それに関連した通信機器などに影響を与える星で、逆行する期間は、概してこれらのことがうまく行かないと言われている。新しいことを始めたり、契約にサインしたり、車など高価なものを購入することは避けた方がよいそうである。

占星術のことは専門の方にお任せするとして、私が個人的に感じることをここに書いてみようと思う。

この時期は一般にストレスに感じることが多く、過去との繋がりが強く現れる時期なので、転換するための大きなチャンスの時であると私は捉えている。

水星の逆行の特徴の中で最も注目したいことは、過去に解決されていないことが別の形で浮上したりして、もう一度見つめ直さなければならない状況になる場合があることである。

相手と口論した、無性に腹が立つ、誤解された、裏切られたなど、生じた問題について、根本的な原因を探るべく、内省するにはもってこいの期間と言えよう。

設定は違うが、似た状況がひょっとして過去にもあったのではないか。そこに注意してみると、そのような出来事が芋ずる式に出てくることがある。

慣れ親しんだものは心地よく、いつまでもそこにいたいと思うのが人情で、私たちは、得てして同じ間違いを繰り返すものである。例えば、自分が今まで通してきた考え方、態度、相手に対する接し方はそれでよかったのか、もう一度よく見つめてみよう。

川が流れるように、すべてが変化して動いている。自分の中に、よどみになった部分はないだろうか。

流れをせき止めて、よどみを作っているものは何だろう。その状況の中で生じる自分の感情が一体何を訴えているのか、自分はなぜそう感じるのかを探ることで、よどみの原因がわかることがある。

他人や状況に振り回されてコントロールされ、がんじがらめになって体調を崩すパターンを繰り返してきた私は、無意識のうちに被害者的状況に自分自身を陥れていたのだった。通常、相手に対して強い怒りがこみ上げるが、それは自分自身に対する怒りでもあったことに気づく。そこで、その怒りに焦点を当てて内省してみると、自分はどうありたいかが見えてくる。

それが明確になったら、そこに焦点を当てて転換していく。

その場合、一度にすべてきれいに転換できることを期待するのではなく、何かひとつ、自分の身近なことで簡単にできることから試してみるとよいだろう。

姿形を変え周期的に起こる物事の中から気づきがもたらされ、それを基に新しい段階がやって来る。感覚的に捉えた場合、進化・成長を形で表わすと、徐々に大きくなっていく弧を描きながら、らせん状に上がって行く感じがする。ただ最近、その上がる幅が急激に増えているようにも感じる。

「ブロックされていたり、閉じている場所は波動的には低いため、全体として波動が上がって行く際に、そのような調和がとれていない部分は痛みや症状となって出てくる」と、数年前にある人が説明してくれた。

ブロックされていたり閉じている原因は過去に繋がり、個人の肉体レベルだけでなく、さらに集合的な意識として見た場合、不調和は社会・地球レベルでの痛み(ひずみ)として現れる。

過去は未来に繋がる気づきの宝庫。日々の生活で生じる出来事に、過去から繋がる気づきのヒントが隠れている。

エネルギーが内向きになる水星の逆行期は、ある意味、自分についての「温故知新」の時期とも言える。スローダウンして内省し、転換するチャンスの時と捉えると、より前向きになれる。

ちなみに水星の逆行は、今年はこのほかに9月7日~9月29日までと12月26日~来年1月15日までである。

2009年5月3日

黄金の手

情報が氾濫し、私たちは知識ばかりで頭でっかちになってしまっているところがある。コンセプトを頭だけで理解してわかったような気になっているが、実は何か大切なものを忘れてはいないだろうか。

昨年の秋に日本で参加した自己成長のワークショップでは、体で感じ取ることが気づきをもたらし、それがどれほど大きな癒やしにつながるかを体感した。私にとってはまさに「目からウロコ」だった。

そのときの感動を分かち合うべく、先月、月例のサークルで、初めてグループワークのファシリテータをさせてもらった。

ワークのひとつは3~4人で一組になり、相手のエネルギーの特徴を感じ取ってみるというもの。私たちは日常において、「あの人は丸顔でちょっと剥げている」などと、目に映る顔や形で認識し、そこから「あの人は妻と子供を捨てた人だから」とか、「暗く何年も引きこもっていて、あの人は人格に問題があるのではないか」などと判断して相手を見る傾向にある。

しかし、それは外側だけのことで、それがイコールその人ではない。心の目が開くと、もっと深い本質的なものが見えてくる。これはそれを見るエクササイズである。

私が日本でこのエクササイズを受けたときに、ある方は赤と黄色の光輪を発した大仏の姿に見え、その方の体全体から強力なエネルギーが放射されていた。元気満々で病気などとは無関係の方なのだろうと思っていたところ、この方が元がん患者さんであったことを後で知って、びっくりした。

エクササイズをやってみると、このグループからも同じような驚く結果が次々に出た。相手から強烈な光を感じた人、独特な匂いを感じた人、観音様の姿と重なって見えた人、清らかなせせらぎを感じた人、白百合のイメージが浮かんだ人、若竹の色が見えた人など、全員がそれぞれ相手に対してはっきりとしたイメージを見たり感じたりした。みんなで体験を分かち合い、お互いにポジティブな結果に驚いた。

中でもひときわ感覚の鋭い方がいて、その方はAさんに意識を合わせたときに、「右手が金色に輝いて見えるんですけど、何か手にお仕事を持っていらっしゃいますか」と言った。Aさんは目を見開き、「えーっすごい!」っと叫んだ。

実際、Aさんはボディワークのお仕事をしている。みんなの体が少しでも楽になり、健康を取り戻せるお手伝いをすることが喜びであると、大変な努力をしてさまざまなヒーリング手法を学んだ末、あるボディワークと出会い、今では多くの人にワークを行っている。そのことは知らない方がAさんを見て、右手が「黄金の手」だと言ったものだから、Aさんの仕事を知っている人は、興奮と驚きで目を見張った。

単純なエクササイズだったが、結果は深い洞察を与えてくれる。それは、自分とは何者なのか、自分の本質とは何か、いかに生きるのか、ということ。

エクササイズ自体はそれで終わりだったが、実はこの「黄金の手」という言葉に関して、さらに驚くことが待っていた。

このエクササイズに参加したBさんは、ご家族のお世話にボランティア活動に、忙しい日々を送っている。専業主婦の彼女にとって、この黄金の手という言葉は特に印象深かったようである。

帰宅後、娘さんにその日あったことを話したそうである。
「ある方がAさんの右手が金色に輝いて見える、何か手にお仕事をもっている感じがするっておっしゃったけど、確かにAさんは手を使ってお仕事をされているから、それは本当に当たっていてすごいし、金色に輝いているって素晴らしいわ。誇りを持つようなお仕事をされていて、いいなあ」

すると、すかさず娘さんが言った。
「そんなことないよ。お母さんだってご飯作ったりお掃除したり、ちゃんと家のお仕事をしているから、手が金色に輝いているはずよ」

Bさんが、常に家族のことを考えて大切にしていることは、Bさんを見ていればわかる。しかし、悲しいかな、家事は仕事のように、対価が目に見える形となって現れるものではない。主婦の仕事がどれだけ地味なものか、無意識のうちに当たり前とされてしまうことに、私もときどき悔しい思いをすることがある。

Bさんは、娘さんとのこの会話を、後日ある集まりで会ったときに話してくれた。私も周りで聞いていた人も感動して、涙ぐんでしまった。

「ティーンエージャーで普段生意気なことばかり言っていて、人の話を聞いているのかいないのか、私にろくに返事もしないこともあるけれど、その娘がそう言ってくれたのよね。嬉しかったわ~」

お母さんも黄金の手を持っているのよ、とすかさず返した娘さんのその言葉は、まさに母親への愛の言葉だった。

ちょっとしたエクササイズが思わぬところにまで広がって、大きな感動を与えてくれた。

みんなが光の存在。そのみんなが愛で繋がっている。なんて素晴らしいことなのだろう。

初めて試してみたワークから、私は学ぶことばかりだった。同時に、体感することの大切さを再確認した。観念や理論を頭で理解するだけでわかったつもりでも、それはどの程度理解したことになるのだろうか。

ものを食べるときも、鵜呑みしたものとよく噛んだものとでは消化の度合いが違う。感情を味わい、それが深く中まで浸透しなければ、消化されたとは言えない。栄養になるのはそれからである。

そこから気づきと癒やしの道は、さらに奥深くへと入っていく。