主人公は私で相手役がキムタク(夢はなんともユーモアがある!)という設定のドラマを見ている夢を見たことがある。主人公の私が、泣いたり笑ったり様々な状況を体験して成長していくドラマ。それを座って見ている私は、一緒に笑ったり泣いたり、ドキドキしたり、ああ~そんなことやってたら彼と離れていってしまうぞーっとハラハラしたり。距離を置いて見ているけれど、ドラマの中の私がうまくある方向へ行くようにと願いながら応援している。そんな夢だった。
時は変わり、歯医者に行ったときのこと。治療台に横たわってレントゲンの映像ができてくるのを待っていたとき、ふとリラックスしたら頭の上にふわりと浮き上がるような感覚がして、一瞬、私という固体を外から見ている感覚になった。ああ、私ってこんな感じなんだあ。
セラピーのセッションを受けたときのこと。紙でできたこん棒で座布団を叩き、そこからどのような感情が出てくるか見てみることをした。自分でも何が出てくるかわからなかったが、叩き始めたら怒り悲しんでいる女性の声が出てきた。それは金切り声にも近かったが、それを離れたところで静かに聞いている自分がいた。その後、叩くリズムからトランス状態に陥り、声のトーンが大きく下がる。この後も自分から出る言葉を右上にいて静かに聞いている自分がいた。
セラピーのセッションを観察しているときのこと。クライアントの壮絶な叫びに心が揺さぶられ、自分自身も癒やされて、とても感動し涙しているその瞬間に、頭がふわりとして少し上がる感覚になり、静寂の中にその叫びを静観している部分のクライアントと一緒になった自分がいた。それは、今起こっていることとはあまりにもかけ離れ、こんな覚めた感覚を体験していてよいものかと、後ろめたい思いになった。
この後、この二つの世界はスイッチを切り替えるように行き来できるのではないかと感じるようになった。その気になれば、スイッチをオンにでき、相手の中に入って一緒に感じることができるし、オフにすれば外に出て客観的に見れるのだろう。自分の場合もスイッチを切り替えて外から自分を見ると、全く違った感覚になれる。
この一連の体験は、そういうことを教えようとしていたのかもしれない。
2010年1月27日
2010年1月26日
透明の湖
2008年の7月に自分の中から込み上げてきたメッセージ。それは、これからの自分に対するものだった。
****
深い人間になりなさい
きれいなだけでは薄っぺらい
深い人間になりなさい
喜びだけではわからない
悲しみも知りなさい
苦しみも知りなさい
深い人間になりなさい
外側だけが光っているのではなく
内側から輝き出る人間になりなさい
山もあり谷もあり
光もあり影もある風景は
深みがあり味わいがある
そんな人間になりなさい
暗がりに慣れた目の方が
闇の中がよく見える
人の悲しみ、人の苦しみを理解できる人になりなさい
闇の中に気づかれないようにそっと入り
そこにうずくまっている人に
優しく差し伸べて
光の方へと導くことができる
癒やし手になりなさい
*****
そして今思う。
私はゆっくりと、自分の足で丘を登ってきている。
人の心に寄り添う道へと足を踏み入れれば、そこには眼下を見渡せる場所があり、光と影の織りなす世界が広がっていた。
深く美しい世界。
さらに上へと登っていくと、私が見ていた世界は透明の湖であったことに気づいた。
<写真: オレゴン州クレーター湖>
2010年1月22日
実は何も知らない
2008年10月2日、夢でこんな言葉を受け取った。
「プロセスをすべて知り尽くしたと思ったとき、知っていると思っても、知っているつもりで実は何も知らない」
何かとてつもなく大きな存在からのような響きだった。
プロセスとはいのちの成長のプロセス、大いなる存在と一体になるためのプロセスのことだろうか。
後に女性シャーマンへのインタビューを綴った本(Shape Shifters)を読んでいたときに、こんなことが書かれていた。私なりに訳してみた。
***
「これがおまえが知っていること」そういって、弟子を前にある賢者が小さな円を描いた。この円の輪郭は、知っていることを超えたところにある未知(不可知)の世界に触れる部分。円が小さいと未知に触れる部分も小さいのだ」
賢者はそれより大きな円を描いて言った。「これは私が知っていること。おまえのよりも大きいが、未知に触れる部分はさらに大きいのだ。
***
つまり、知れば知るほど「知らない、知ることのできないこと」も増える。
本を読んで知ったつもりでいることは、何て浅はかなことだろう。実用的なことは別として、心の世界において知識はそんなに役立つだろうか。
実際、人の心に寄り添ってみれば、何が出てくるのか、どこへ行くのか一寸先もわからない。岡部明美さんのセミナーを受けてみて、体験してみてそう思う。「今ここ」に集中することがどれほど重要であるか。
ハコミセラピーには7つの原則があり、そのひとつが「すべては常に変化している」ということ。シアトルのハコミの先生は、「クライアントがあることを口にした次の瞬間には、先へ行っているから気をつけて」と言っていた。本人の口や表情、しぐさから出たその瞬間瞬間を捉えるしかない。これはもう、知識なんてあまり役に立たない世界だと思える。
岡部さんがおっしゃるように、ここには完璧はない。1+1=2のような答えは出てこない。ここに関わる者すべてが共に成長し続けてゆくだけなのだろう。
前に進んだり、後退したり、横にそれたり、全く関係ないと思われるものが出て来たり、それでも全体としてひとつの方向へ流れているのだろう。
自分は何も知らないということ、不可知の世界、大いなるプロセスに敬意を表したい。
「プロセスをすべて知り尽くしたと思ったとき、知っていると思っても、知っているつもりで実は何も知らない」
何かとてつもなく大きな存在からのような響きだった。
プロセスとはいのちの成長のプロセス、大いなる存在と一体になるためのプロセスのことだろうか。
後に女性シャーマンへのインタビューを綴った本(Shape Shifters)を読んでいたときに、こんなことが書かれていた。私なりに訳してみた。
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「これがおまえが知っていること」そういって、弟子を前にある賢者が小さな円を描いた。この円の輪郭は、知っていることを超えたところにある未知(不可知)の世界に触れる部分。円が小さいと未知に触れる部分も小さいのだ」
賢者はそれより大きな円を描いて言った。「これは私が知っていること。おまえのよりも大きいが、未知に触れる部分はさらに大きいのだ。
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つまり、知れば知るほど「知らない、知ることのできないこと」も増える。
本を読んで知ったつもりでいることは、何て浅はかなことだろう。実用的なことは別として、心の世界において知識はそんなに役立つだろうか。
実際、人の心に寄り添ってみれば、何が出てくるのか、どこへ行くのか一寸先もわからない。岡部明美さんのセミナーを受けてみて、体験してみてそう思う。「今ここ」に集中することがどれほど重要であるか。
ハコミセラピーには7つの原則があり、そのひとつが「すべては常に変化している」ということ。シアトルのハコミの先生は、「クライアントがあることを口にした次の瞬間には、先へ行っているから気をつけて」と言っていた。本人の口や表情、しぐさから出たその瞬間瞬間を捉えるしかない。これはもう、知識なんてあまり役に立たない世界だと思える。
岡部さんがおっしゃるように、ここには完璧はない。1+1=2のような答えは出てこない。ここに関わる者すべてが共に成長し続けてゆくだけなのだろう。
前に進んだり、後退したり、横にそれたり、全く関係ないと思われるものが出て来たり、それでも全体としてひとつの方向へ流れているのだろう。
自分は何も知らないということ、不可知の世界、大いなるプロセスに敬意を表したい。
過去の私から今の私へのプレゼント
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