2007年12月25日

天空の協奏曲




お恥ずかしい話だが、私は朝早く起きるのが苦手である。朝日が昇るのを見たことは、ほとんどない。しかし、なぜか今朝は6時半に目が覚め、すがすがしい気分で起きた。そして、ストレッチをしながら、ふと窓の外を見た瞬間驚いた。

クリスマスの朝、天からプレゼントが用意されているとは夢にも思わなかったのだ。誕生日のときもそうであったが、一人だけの時間に、いつも驚くような贈り物が届く。
心が強く揺さぶられ、私は思わず天に向かって合掌していた。


天空の協奏曲

漆黒の闇に出ずる朱赤の光
南北に帯状に伸びる

輝ける黄金の光
空が歓喜にあふれる
光と雲の織りなす神秘
天空の協奏曲

やがて東方より現われし黄金の龍
力強く天空を舞い
「はじまり」を告げる


美しい地球
かけがえのない地球
私たちの地球は
私たちの家

地球とともに
自然とともに
私たちは生きる

闇の中に出ずる光のように
新しい朝のように
力強くのびやかに
意識を広げてみれば

心は黄金の龍に乗って
無限の空を駆け巡る

自然の中に自分があり
自分の中に自然がある

とても小さな存在だけれど
とても大きな力を秘めている

地球とともに
自然とともに
歩調を合わせて
今日から始まる

太陽が朝を告げるとき
鳥や木々が目覚めるように
心が目覚めるとき
「はじまり」の扉が開く

12月25日
今日のこの日は
「はじまり」の日

(この協奏曲は、カラスがいくつものグループに分かれて一定の間隔で目の前を通り過ぎ、ブルージェイドに続き、名は知らないが小さい鳥2種類が順に鳴いて、壮大なフィナーレを迎えた。)

2007年12月23日

冬至の贈り物

昨日は、一年で最も夜の時間が長い冬至だった。

アメリカ先住民は自然のサイクルの中に身を置いている。春にアイデアが芽生え、夏に活動し、秋に振り返って反省・評価し、冬にはそれが統合されて智慧となり、そうやって四季のサイクルが完了する。

冬は内向きの方向になり、陰陽では陰、植物は成長を止め、種は暗くて深く、豊富な養分を含んだ土の中で眠る。人も自分の奥深くにある、その豊かな源に心を落ち着かせるときである。

冬至の贈り物は中が真っ暗な箱。その箱を開けてみると、目には見えない何かがぎっしり詰まっている。その何かとは、限りない直観力と創造力、そして可能性。

一年で暗闇が最も長い冬至。自分の中の暗闇は自分の持つ影。冬はそれをじっくり見つめるときである。闇がなければ光は存在せず、ふたつはいつも背中合わせである。誰でもが持つ影、それを認めて知ることが、光をもたらす第一歩となる。

冬至を境に、また少しずつ日が長くなる。春に向けて芽吹くためには、その豊かな内側に入って行って、しっかりと自分を見つめてみることである。そうすれば、次に何がしたいかがわかってくるであろう。

種の中では、殻を破って出る芽が準備を始めている。

2007年12月21日

吾唯足知


吾れ唯足るを知る

しみじみとさせる言葉である。この字は円い手水鉢の四方に書かれており、京都竜安寺にあるそうだ。これをモチーフに木版画にした私の父の作品が家の玄関の壁に掛けてあるが、私はときどきこれを見てふと反省する。

吾れ唯足るを知る。ものが溢れるこの時代に、先進国では足りていない人はいないと思うが、私の頭にはそれとは対照的に、映画「千と千尋の神隠し」の「顔なし」が、人間の欲望を飲み込んで巨大な怪物になっていく姿が浮かんでくる。

食べ物に関しては、特にアメリカでは今や肥満と考えられる人が60%を超えてしまった。2人に1人を超える割合だ。運動量は減る一方なのに、食べる分量、つまりカロリー摂取量はうなぎ登りである。なぜそれほど食べるのか。そして、食べておいて、一方でダイエットに躍起になっているのはおかしい。どこか狂っている。

食べ物だけではない。企業は飽くなき利益追求に躍起となり、金儲けのためなら環境を破壊することも、健康を脅かす製品を作ることも、人間を奴隷化することも平気である。

人間はいつしか傲慢になってしまった。

分相応であることは、それほど難しいことであろうか。

人間の欲望は恐ろしい。ある一線を超えてしまうと雪だるま式になり、全てを飲み込んでしまう、そんな感じがする。

足ることを知る人間は、どんな人でだろうか。こう考えたときに、ただそこにいるだけで幸福感に包まれ、調和のとれた穏やかな人、感謝の気持ちに溢れた人の姿が浮かび上がる。

さて、「足りる」というのは主観的なことで、文明や経済の発達と比例しているわけではない。

地元の新聞に、アフリカから移民として来た一人の女性の記事があった。この女性は自分が後にしてきた町の女性や子供の教育を支援するために、アメリカで働いて稼いだお金を毎月送金しているそうである。

このアメリカでは、飽きたらすぐに捨て、新しい物を買い求めるのが普通である。物質に埋もれ、それでももっともっと欲しいと買い続ける。彼女が言った。「アメリカ社会は Do you want it? (欲しいから買う) の社会」

しかし、彼女は子供の頃から何か欲しいと思ったときに、きまって母親がこう尋ねたという。Do you need it? そのため、本当に必要な物しか買わないことが常識となって身に付いたそうだ。

この言葉にハッとさせられた。私も「欲しい」から買ったものに埋もれて、本当に必要なものはごくわずか。物が多すぎて、家の中が片付かないのが現状である。見るだけでストレスになるほど物を溜めておいて、それでシンプルな生活がしたいと思っているのは、とても身勝手で利己的な考え方であると反省した。Do you need it? そう自分に聞いてひとつひとつ整理すると、残るのはごくわずかであろう。

人は心が満たされていない分だけ、物で満たそうとするのだろうか。年に一回巡ってくるクリスマスショッピングのこの時期、特にアメリカでは家族の行事なので、義理も重なってあの人にこの人にもと、買い物は儀式化する。そして、クリスマスが過ぎるともらったけれど要らないものが行き場をなくす。今年は景気が後退しているため、買い物客の懐は少し固いと言われているが、私が見る限りどこの店も賑わっている。

飽和状態を超え、消化不良になっている私たち。特効薬はこの言葉。
「Do you need it? それは本当に必要?」

物だけで心は満たされないことに早く気づき、分相応にわきまえないと、大きなしっぺ返しが来ることになる。いや、もうそれは始まっている。今ここにこうして生かされているからこそ、できることがたくさんある。それがどれほど素晴らしいことか。何不自由ない生活ができる今の私たち。吾れ唯足るを知れば、欲望というぜい肉がとれ、体も心も健全になれる。

2007年12月18日

色のふしぎ

先月夫の叔母から、クリスマスのプレゼントにマフラーと帽子を編むので好きな色を教えてくれと聞かれ、たくさんある好きな色をすべて教えた。そして、叔母さんから昨日パッケージが届いて開けてみたら、なんと好きな色には入れていなかった大胆な真っ赤なマフラーと帽子が目に飛び込んできた。「やられた・・・」と思った。

叔母さんは霊感が人一倍強い人で、私が好きな色ではなく「必要な色」を送ってきたのである。本人に聞いてみたら、私の好きな色ではないとわかってはいたが、私へのギフトと考えたときに、赤が「編んでね」とささやいたのだという。

私の持ち物の中で、赤のものはほとんどない。衣類においてはゼロに近い。嫌いというわけではないが、自分から選ぶことはない色である。考えてみれば、子供の頃から赤には縁がない。

小学校で必要な持ち物のひとつに水筒があり、入学したばかりのときに、母と一緒にデパートに行って水筒選びをしたことを今でも覚えている。色々な絵が描かれた水筒がずらりと並んでいたが、色に関しては、ほとんどのものが上と下の部分が白で真ん中の絵の部分が赤(ピンク)か青であった。私は一目見ただけで、ひとつだけあった白地に緑の水筒に強く引かれた。母は女の子だから赤がよいのではと言ったが、私は緑がいいと言い張った。ドナルドダックのような絵が描いてあっただろうか。これからこの若草色の水筒と一緒だと考えただけで、胸がワクワクした。その特別な気持ちを今でもはっきり覚えている。

次の日、ランドセルに水筒をぶら下げて弾む気持ちで学校に行ったら、緑の水筒を持つ子はクラスで私だけだった。男の子は全員が青で、女の子は全員が赤かピンクだった。なぜ男と女で色が分かれるのか納得いかなかった。私は自分の水筒が大好きだったけれども、私一人だけ違っていて、男の子たちに冷やかされたのだろうか、その部分は覚えていないが、母いわく、その日私はショックを受けて学校から帰って来たという。

体育帽も男の子が青で、女の子は赤。ランドセルは男の子が黒で、女の子はやはり赤。なぜ女の子は赤なのか、私は赤は好きではないのに・・・そう思っていた。

そして、今でも緑や青、紫系の服が多く、特に青緑やロイヤルブルーの色は大好きだ。最近ではラベンダー色や優しいピンクも好きだが、概して身に付けて落ち着ける色が好きである。

赤はそれとは正反対。緑や青が夜の月に対して、赤は昼の太陽。交感神経を刺激して、活性化させ元気にさせる色。そして、人体の基本となる生命力やエネルギー、活力、生殖器に関わる第1チャクラの色である。

なぜ私は赤に惹かれないのか、その理由がここ5年くらいの間にわかってきた。5年ほど前にあるチャネラーにチャネリングをしてもらったときに、自分の誕生の時の悲劇について質問してみた。母から聞いた話だが、私は生まれるときに胎盤が首にグルグル巻きになっていて、ほとんど死んだ状態で出てきたという。チャネラーを通したガイドに、私はこの世に生を受けて生まれてくることに強い恐怖感を感じていたため、出たくなくて最後まであがいていたと言われた。

そのときは、へえーっとしか思わなかったが、その2年後くらいに、あるシャーマンにリーディングをしてもらったときに、血行不良から来る体調不良に関して尋ねたところ、私は上半身はしっかりと宇宙とつながっているが、地球に対する悲しみと戸惑いがあって尾てい骨から地球に向かって伸びるコードがとてもデリケートで細くて、地上を歩くことに躊躇している部分があると指摘された。頭で考えたら非現実的なことのように聞こえるが、実際はこの表現に妙に納得してしまった。これは顕在意識にはない領域のことなので、日常の生活の中では気づかないことである。

夏でも冷たい足をしている私の極端な冷え性は、下半身のエネルギーが停滞していることに深く関係している。運動しても、しばらくするとサーっと冷たくなる。シャーマンはにっこりして、こう言った。「自分の足でしっかり歩き、おとなしくしていないで、揺さぶってかき回してごらん」

さて、以前に私は過去生の夢を見ると書いたが、第1チャクラにトラウマを持つ人生をいくつか見た。このような情報を合わせてみると、無意識に自分の中で赤=生命を打ち消してきたのではないかと思う。最近早くも更年期(?)障害のような症状があり、今、第1チャクラに意識するときがきているように思う。

興味深いことに、ここ半年くらい、赤やオレンジに惹かれる。例えば、何気なく外の風景を見ていても、赤い色のものに目が引き付けられる。以前はそのようなことはなかった。とすると、やはり深い部分で赤を欲しているのだろう。しかし、そうわかってはいるものの、習慣に流されて、なかなか自分に赤を与えることができずにいた。

今回、叔母が編んでくれた真っ赤な帽子とマフラーは、私にとって特別なプレゼントとなった。すごく派手だが、不思議と抵抗なく身につけることができる。昨日も今日も身に付けて外を歩いた。なぜか気分がよく、自分の血が中でかき回されて喜んでいるのを感じる。そう、この色と一緒に自分の足で歩くと、血が動き回る感じである。どうも、私の中のもう一人の私は赤が好きなようだ。かすかだが、どこか深い部分が満足しているように感じる。

自分が好きな色、興味がない色、嫌いな色などを深く掘り下げていくと、気づかなかったことが浮かび上がるかもしれない。色はヒーリングをもたらす。顕在意識にない意識に焦点を当てることによって、自分の中で解決されていない部分に光が届き、やがて具体的に体の変化として現われてくるかもしれない。私にとっては、遠く古い記憶に遡って癒すときが来たのだと感じる。

2007年12月13日

リーダーの資質

ここ2年ほど、私はあるクラブで大切な役を努めさせていただいているが、リーダーとしてまだまだ未熟で、失敗を繰り返し、その都度学ばさせてもらっている。

この間も、メンバーのAさんの気持ちを傷つけてしまった。私はAさんにクラブの宣伝のチラシを作成する仕事をお願いし、彼女は彼女なりに毎日一生懸命デザインを考えて作成してくれた。しかし、私は仕上がったものを一目見た瞬間、それは自分が思っていたものとは大きく違っており、宣伝効果のないものだと判断したため、あっさりと他の人の前でボツにしてしまった。

私は、ただゴールだけが頭にあり、彼女の苦労など考える余裕がなかったのだ。そのことにも気が付かず、さらに彼女にここはこういう風に変更しろと指示をすると、彼女はそっぽを向いてしまった。今思うと、私より20歳以上年上の彼女に対して、私の態度は何と横柄で失礼だったことだろう。

彼女にそっぽを向かれたことが気になって、家に帰ってなぜそのような状況が起きたのかを考え直した。これは絶対理由があって起こっていることを知っているからである。すると、「私の弱点は目標を達成することに一心になって、他のものが目に入らないことである。過去生で目標達成は既に数多くこなして来たので、今生は過程を楽しむこと」と、友人から借りた「前世ソウルリーディング(ジャン・スピラー著)」という本に書いてあったことを思い出した。しまった、やってしまった・・・。

Aさんにお詫びのメールを送ろうと思ったが、その前に霊気を送って彼女に気持ちをつなげてみた。メンタルヒーリングをして、彼女の魂の部分に届くようにすると、よいエネルギーが流れていった。その後メールを送ると、すぐに信じられない返事が帰った来た。
「いいんですよ、過程を楽しみましょうね」
そして、彼女はその後はとても気持ちよく協力してくれた。コンピュータの技術的なことに明るい方なので、クラブとしても大いに助かっている。

しかし、今度はAさんが自分の意思を押し通して、クラブのみんなが不愉快な思いをするということが起こった。私はそれとなく彼女に注意したが、無視された。他にも怒っている人はいたが、誰一人として注意する人はいない。これでは何も解決せず、このままではクラブの問題として残ってしまう。

しかし、その当の本人が、今度はクラブのパーティで裏方になって支えてくれ、彼女のお陰で事がスムーズに運んだ部分もあった。また、ボランティア精神が旺盛で、他にも色々助けてくれる。ところが、勘違いをすることが多いので、みんなにとってイライラの元になることも多い。

こうなると、もうわけがわからなくなってくる。そう、人はさまざまな面を持っていて、状況もさまざまに変わる。陰と陽はグルグル回っていて、常に変化しているのである。

結局、すべては人との係わり合いの中にあり、人=心である。
完璧などなく、自分がどれだけ自分の目標に向かってチャレンジできるか、そして、自分がどれくらい気持ちよく過ごせ、人に心で接して、どれくらい愛の眼差しを向けられるかであろう。ゴールではなく、ゴールに行き着くまでの過程を、そのような姿勢で進んでいくことが大切なのであろう。

しかし、生身の人間。ストレスが溜まることもある。投げ出したいときもある。そんなときは、無理をしないで休むといい。まったく異なる環境に身をおいて、頭を空っぽにする、リラックスしてみる。するとまた、やっぱりやめないで続けようという気持ちが起こるものである。やる気が泉のように沸き起こってきたなら、やはりその仕事を続けるべきであろう。

私が思うリーダーとは

常に人と同じ高さにいて共に働き、人を下から支え、同時に上から見て全体を把握できる人

つまり、上中下のどのレベルでも柔軟に動ける人

人の良い部分を見つけ、認めて伸ばし育てる人

人の身になって考える人

自分と人の弱さを認める人

率先して動き、例として示す人

誠実で飾らない人

奉仕の心で動く人

頭の低い人

温かい心で接する人

情はあついが論理的に考えられる人

自分をさらけ出す人

人の意見を聞く人

ノーと言える人

人に失敗をさせる余裕のある人

最終的な責任をとれる人

人を信頼して仕事を配分する人

人がついて来る人

重圧も柳のようなしなやかさでかわせる人

強い意志と情熱と忍耐を持って、大きなビジョンに向かっていける人

常にプラスの思考に転換できる人

私も何度もやめたいと思ったことがあるが、結局いつも「人が好き」というところに行き着き、泉は枯れることはない。人に生かされている自分を見るからである。

リーダーの資質とは?・・・それをこれからも探求していきたい。

2007年12月12日

Practice Kindness

街を歩いていると“Practice Kindness”という言葉が浮かぶ
ここ3ヶ月くらい心に響いている言葉
今日もまた、買い物をして店から出てくるときに響いてきた
“Practice Kindness”とは親切を実行するということで、

「一日一善」にも近いだろう



親切な心
優しい心
人を思いやる心
あなたの中の高い部分
神からの贈り物

Practice Kindness
親切を実行する

簡単そうで簡単ではない
親切な心は余裕がないと出てこない
バランスがとれていないと出てこない
忙しいとき、ストレスが溜まってイライラしているとき、怒っているときは
誰でも人のことを考える心の余裕などなくなる
でも思い出して
誰にでもある親切な心

Practice Kindness
親切を実行する
純粋に親切な心は
相手の中に自分を見ることができ
自分の中に相手を見ることができ
そこから自然に沸き起こる

Practice Kindness
親切を実行する
それはあなたにできる最善のこと
それはどんな物質的なものにも勝る高価な贈り物
準備もいらない
大義名分もいらない

Practice Kindness
親切を実行する
親切の波動はあなたと相手を包み込む
それは相手の心を満たし
自分の心も満たしてくれる
人を思いやれば
あなたにも思いやりの心が返ってくる

Practice Kindness
親切を実行する
人を思いやる心は神の心
あなたの中の高い部分
神の心があなたを通して顕される
あなたが本来のあなたであれば
溢れ出るごく自然な心

Practice Kindness
親切を実行する
とても小さいこと、それでも大きく響く
とてもシンプルなこと、それでも複雑なことの中にしみわたる
とても優しいこと、それでも心を強くしてくれる
ほんの一瞬のこと、それでもいつまでも心に残る

Practice Kindness
親切を実行しよう
優しい心を広げよう

2007年11月29日

身土不二を実践する人々

森と湖に囲まれた自然豊かな街、シアトル。この街の人々は環境に敏感で、概してリベラルである。

地元の農家の人達が集まって、週に一度街のあちこちで野菜や果物を売るファーマーズマーケットは、人々の間にすっかり定着した。師走も押し迫った今でこそとれる作物は減る一方であるが、夏はマーケットに訪れる人で大賑わいである。毎年売るものの種類が増えて、私の家の近くのマーケットでは、野菜、果物のほかにナッツ、シーフード、卵、肉類、ジュース、パン、ジャム、パスタ、きのこ、蜂蜜、ハーブのソープなども仲間入りして、オーガニックのものや手作りのものが楽しめる。

売る側と買う側がふれあい、情報交換をして信頼関係を築く。買う側は地元の小規模農業をサポートし、売る側は新鮮で安全な食品を提供でき、お互いにとって楽しくエキサイティングで、しかもプラスになる方法である。

昨今、大手食品製造企業の拡大、原油の高騰、中国の食品安全基準の問題、環境破壊と汚染、地球温暖化などの問題が絡み合い、問題はさらに複雑化し深刻化している。中国の食品問題においては芋づる式にその実態が明らかになってきている。つい先日の新聞にも、アメリカのあるスーパーで売っている中国産のしょうがを検査したところ、中国政府が禁止している農薬が使われていることがわかったという記事が載っていた。それも人体に危険なレベルだったという。恐ろしい・・・。

もうこれ以上、このまま進んではいけない。体にも環境にもよい生き方がしたい、そして、地元の農家をサポートしたい、そう思う人達が行動に移り始めた。ここシアトルでは、半径100マイル(約160キロ)の範囲で、手に入るものだけを食べることに決めて実践し始めた人が増えているという。

半径100マイルというと、北はバンクーバー、南はオレゴン、東は太平洋沿岸の一部、西はワシントン州の中央部までとなる。実際、この範囲でとれるものしか食さないとなると、かなりキツイ状態になる。バナナやトロピカルフルーツは当然アウト、特定の野菜やシーフード、砂糖、コーヒーなどの嗜好品もアウト。スーパーで買う食品の種類が限られてくる、というよりも、こうなると自家菜園で半自給自足の生活をすることになるのではないか。おやつも自分で作り、野菜がとれない冬に向けて保存食を蓄えておかなければならない。

しかし、待てよ。これはどこかで聞いたような生活。そう、昔の日本の生活だ。今でも、田舎ではそのような暮らしが続いている所もあるだろう。野菜を作り果物の木があって、近海の魚を食べて、漬物や味噌、醤油を作っていた。要するに身土不二。その土地でとれたものを食する。基本的にそういうことだ。昔は農薬も化学肥料もなかったから有機栽培で、食品には添加物も入っていなかった。まさにマクロビオティックの世界である。

私たちは突きつめればエネルギーであり、食品というエネルギーを取り入れて体を維持している。エネルギーは波動で、土地にはその土地の波動がある。自分が住んでいる土地でとれたものを食することは、その土地の波動と共鳴し、バランスをとることである。

シアトルは緯度が高く気候的には寒帯に入るため、冬にチリでとれたブドウやハワイのパイナップルを食べていると体が冷えて、寒くて寒くて仕方がない。そんなものはこの時期ここでは育たないので、食べないのが自然である。しかし、レストランのバイキング料理などはめちゃくちゃだ。先日、インドレストランのバイキングに行ったところ、スイカが並んでいた。スイカは汗をかく暑い夏に食べるもの。気温5度の11月には必要ないでしょう。

私の畑では、まだなんとか大根がとれる。もうすぐ土が凍るので大根も終わるが、気温5~6度の土地で体を温める根菜を食べることは、理にかなっている。おせち料理の野菜には、根菜の煮物が多い。冬は根菜で体の中から暖めるのが、自然と調和した過ごし方であろう。

地元でとれるものを食べていたら、自然のリズムからはずれることはない。しかし、一口に地元のものといっても、それがどのように作られたかによって結果は異なる。ある調査によると、地元ワシントン州西部で化学肥料や農薬を使った野菜と、カリフォルニアから輸送されてきたオーガニックの野菜とを比べたら、環境の立場からはカリフォルニア産のオーガニック野菜の方がよいという。化学肥料や農薬を作るために化石燃料を消費し、大量の二酸化炭素が発生するからである。結果的に健康と環境に一番よいのは、オーガニック自家菜園と、地元で作ったオーガニックのものを徒歩で買いに行くことであるという。そのため、ファーマーズマーケットに歩いて野菜を買いに行くのは理想的である。

半径100マイルを実践する人は、必然的に身土不二の生活になる。自然のエネルギー、土地のエネルギーと調和して季節の循環の中で生きる。このとき、体も心もバランスがとれたものとなってくるだろう。

そして、体と心のバランスがとれるに従って、地球に起こっていることに敏感になってくるであろう。大手食品製造企業の拡大、原油の高騰、中国の食品安全基準の問題、環境破壊と汚染、地球温暖化、こういった問題を解決する糸口は、化学薬品がなかった昔ながらの身土不二の実践にあるかもしれない。身土不二を取り入れてバランスを取り戻すことで、自然に還る大きな一歩を踏み出せる。

2007年11月18日

平和な心

平和は、日だまりの中にいるように暖かい
暖かいから、凍えた心を溶かしてくれる

平和は、春のそよ風のように優しい
優しいから、とがった心を滑らかにしてくれる

平和は、丘の上の大木のように安定している
安定しているから、ぐらぐら揺れる心をつなぎとめてくれる

平和は、秋の昼下がりのように穏やかである
穏やかだから、波立つ心をなだめてくれる

平和は、赤ん坊の笑顔のように満ち足りている
満ち足りているから、貪る心を豊かにしてくれる

心が平和であれば、思考にも行動にも余裕ができ
欲することもなく、小さなことひとつひとつに感謝でき
限りない喜びを感じることができる

心が平和であれば、どんな相手であろうと許すことができ
すべてを受け入れて包み込み
愛を注ぐことができる

心が平和であれば、自分を愛することができる

平和は外に探すものではなく、自分の中に見つけるもの
自分の中でバランスをとり、穏やかな心でいること
平和は常にあなたの心の中にある

平和な心でいることは、「静」の状態でありながら
同時に「動」の力を持つこと

湖面に一滴のしずくが落ちて波紋が広がるように
静かに人の意識の中に広がっていく

平和な心はゆるぎないすべての中心
静かでありながら、岩をも動かす大きな力を秘めている

平和はあなたそのもの
平和の滴になったとき、静かに、しかし確実に
平和の波紋が広がる

闇の中の光

闇に光をともす
あなた自身が闇の中の一条の光になるのです

この世には、想像を絶するほど残酷なこと、悲しいことがあまりにも多い
癒そうと思っても、癒すすべもないほどの深い心の傷
人間が繰り返す過ち

それは、家族から始まり、やがて国家へと広がる

崩壊した家族はさまざまな悪影響を及ぼし
世代を超えて繰り返し広がっていく

これを永遠に続けるか、それとも断ち切るか
それはあなた次第である

恨み続けるか、それとも許すか
憎み続けるか、それとも愛するか

そして、とりわけあなたは自分自身を愛することができるか

実は、これは他人を愛するよりも難しいことである
自分を愛する、自分を大切にする
これが最初の一歩であり、すべての根源となる
なぜなら、自分を愛することは、他人を愛することにつながるからである

困難な状況を選んで生まれてきたあなたは、勇敢な魂である
そんなあなたの前に超えられないハードルは置かれない

そのことを忘れないように

そして、それを超えるか超えないかは、あなた自身が選ぶことである
他人があなたのために超えてくれることはない

しかし、常にあなたの周りにはあなたを助けてくれる存在がたくさんいる
それは人であり、状況であり、他の魂である

ただ、あなたが意思表示をしなければ、それはやって来ない
だから、望むことを明確にして希望を託す、祈ることが大切である

祈りは必ず届く
問いかけは答えられる

そして、やがて気づくであろう
答えは結果や達成ではなく、過程であったことに

そこに生きるという意味があり、魂の成長があるのである

あなたは闇の中に光をともすことができる
そのために生まれてきたのである

だから、勇気を持ってあなた自身の光を照らして欲しい


(7/19/04メッセージ)

2007年11月11日

根底から揺るがす石


4年ほど前、シアトルのウォーターフロントのマーケットでアーティストが売っている、直径2.5センチほどの卵型をしたラピスラズリのペンダントを買った。古代エジプトで愛され、「神につながる石」とも言われたラピスラズリは、なるほど瑠璃色の空に金色の星屑を散りばめた、まさに天空を思わせる石である。

そもそもこのペンダントを手に入れるきっかけとなったのは、友人の紹介で会ったチャネラーであった。私は、そのチャネラーに会うまでは、母からもらったルビーの指輪をしていたが、このルビーと合わせて青い石を身に付けるとパワーアップすると、チャネリングのときに言われた。パワーアップ・・・誰でも飛びつきそうな言葉だ。その頃の私は邪悪なものから身を守ることに気をかけていたので、この言葉を聞くなり、青い石を持つことでガイドとのつながりが強くなって、より効果的に厄除けできるだろうと考えた。

さて、石選びの段階で、青い石というと、涼しげにきらきら光る透明なブルーのブルートパーズがまず頭に浮かんだが、一度夢で私にはブルートパーズはよくないと言われていたので(どういう意味かわからないが)、好きだけれどあきらめた。それで、その他に青い石というと、ラピスラズリくらいしか思いつかなかった。深い青で、どちらかと言うと重い感じのラピス。私のガイドは古代エジプトの神で、私の今生は古代エジプト時代の前世が大きく影響しているので、やはりラピスに行き着くことになっていたのか・・・。思いつくままに足を運び、すぐにこのペンダントに出会った (写真: クリスタルの上に置いたペンダント。フラッシュの仕業で薄くなってしまったが、実物はもっと濃い色)。

ラピスの中でも特に色が濃く、形は丸でも三角でも四角でもない卵型。なぜか子供の頃から卵型が好きだったので、このペンダントを見た瞬間、これだと思った。案の定、手に持つと、強いエネルギーが流れてきた。

さっそくこれを買って家に帰ってまず浄化し、迎え入れの言葉をかけて、2~3日枕元において一緒に寝てから身に付けた。そして、チャネラーが「パワーアップ」と言ったので、どこへ行くにもこれを付けて、もうこれで完璧に守られている、大丈夫だと思っていた。

ところが、この石は、私にとって実はそういう意味でのパワーアップをもたらすものではなかった。思いがけない出来事を引き起こし、私の価値観を根底から揺るがす石だったのである。そのことに気づくようになったのは、そのような思いがけないことが2回ほど起こった後であった。中でも、この出来事は忘れられない。

それは、ある春の日のよく晴れた土曜日だった。家にいるのはもったいないので、私は夫と家からダウンタウンまで10キロほどのウォーキングをすることにした。ダウンタウンまで今まで何度も歩いたことがあるが、地元の人も観光客も訪れる「パイクプレイス・マーケット」と呼ばれる市場を目的地にして、到着してからそこで軽食をとったりお茶を飲んだり、ぶらぶらお店を見たりして楽しむのがパターンであった。

目的地まで止まらずに歩いて1時間半くらいかかる本格的なウォーキングなので、私たちはいつもただ歩くための服装をした。夫はTシャツにショーツ、スニーカーという格好で、私も動きやすく汗をかいてもよいように、上は洗いざらしのTシャツにデニムの長袖シャツ、下はスエットパンツにスニーカー、腰にはウェストバッグを付け、手ぶらで歩けるようにした。そんな格好だったが、途中邪悪なエネルギーが漂う場所を通るといけないと思い、ルビーの指輪とあのラピスのネックレスだけはきちんと付けた。前にも言ったが、私は霊媒体質なので、変なものを拾いたくないのである。

さて、ダウンタウンに入り、目的地まであと2ブロックくらいに差しかかったところ、夫が後ろについて歩いている私の方を振り返り、いきなり「コンサートに行こうか」と言った。前方にベナロヤホールが見えていた。

「えっ?!!」私は耳を疑った。ベナロヤホールはニューヨークのカーネギーホールとまでは行かないが、クラシックミュージックの殿堂である。最近ではフジコ・ヘミングがそこで演奏をした。そんじょそこらの名も無いバンドが演奏するコンサートホールではないのだ。

呆然と立ち尽くしている私をよそに、夫はホールの前まで行ってスケジュールをチェックし、「あ~あと10分で始まる!」と言って、チケットを買いに急いでひとりで中へ入って行った。「ちょっ、ちょっと待った!冗談でしょう?パイクプレイスに行くんではなかったの?」

決めたら早い、夫はもうチケットを買っていた。「うそぉ、シアトル交響楽団?この格好で?!」すっとんきょうな声をあげた私に、夫はフンと鼻で笑い「Who cares (そんなこと誰も気にしないさ)!」と言って、チケットを受け取ると、さっさと廊下を歩き始めた。「ちょっ、ちょっと待って!私こんな格好でイヤ~!!」私はわめいたが、夫は皮肉な表情を浮かべて「But it’s NOT illegal (でも、違法ではない)」とのたまった。「い、いほうではないなんて、普通そんな考え方するか~!」

ホールへ急ぐ夫の後を追いかけながら、私は憤慨していた。普通女性だったらコンサートには、思い切りおしゃれをして行きたいと思うではないか。それも初めてのベナロヤホール。「黒かワインレッドのベルベットのドレスに真珠のイヤリングとネックレス、そしておしゃれなハイヒール。そうやって贅沢な気分でゆったりと音楽を楽しむ、それが普通でしょう。なのにTシャツにスニーカー!勘弁してよ!!」悪夢を見ているようで、頭がクラクラしてきた。

長い廊下を走らされて入口に到着すると、係員はニッコリと微笑んで私たちを迎え入れてくれた。「違法ではないから」という夫の言葉が頭に響いた。「違法ではないから係員も入場拒否はできないのか・・・、それとも私たちを飛び込みの観光客と思ったか・・・」そんなことを考えながら会場に滑り込むように入ると、すぐに後ろでドアが閉まった。私たちが最後の客であった。

既に席についている周りの人達の私たちに向ける視線が背中に顔に突き刺さり、私は恥ずかしくて屈辱を感じずにはいられなかった。場違いな所にいる、そう思うと体がこわばって自分が小さく感じた。すぐに演奏が始まったが、座っていても全然落ち着けず、首をすくめて周りを見回してみた。みんなとてもおしゃれな格好をして、リッチな感じがする。女性は黒やワインレッドのドレスにゴールドのアクセサリー、男性は素敵なスーツ姿、なのに私はTシャツにスエットパンツ。「なんで私はこんな格好でここにいなけりゃならないの!」

隣に座っている夫を見ると、彼はTシャツに半パン姿で足を開いて背もたれに寄りかかり、目を閉じてどっぷりと音楽に浸っているではないか。それを見て、はらわたが煮えくり返るような思いがした。私のエゴがわめいていた。「なんでこんな目に遭わせるの!!こんなのイヤーッひどすぎる!」

否定的な考えで頭がいっぱいになり、心地よいはずの音楽もただの雑音と化してしまった。そんな状態が40分ほど続いただろうか。すると突然、自分の右上の方で声がした。

「それは、そんなに重大なこと?そんなことより、もっと大切なことがあるじゃないか」

それは私のハイヤーセルフだったのだろうか。男性のような声でもあった。とても穏やかですべてを悟った声であった。その声に私はハッとした。そして、私の脳に直接入ってきたその言葉を、なぜだかわからないが心の中で繰り返していた。「もっと大切なこと・・・もっと大切なこと・・・」

そのとたん、ポンという音が聞こえ、何かがはじけたように、開いてすべてが見えた。

まるで目の前のフィルタが取れたように、一瞬のうちに、私はそれまで見ていたものとまるで違う世界にいた。そこにいる人々のおしゃれな服が透明になり、私はその下にあるものを見ていた。そう、みんな裸であった。考えてみれば、人は皆生まれてくるときは裸である。私たちは皆、本質的に同じなのだ。オーケストラは音楽を通して生命の喜びを表現し、観客はその喜びを受け取り、音という形で体験していた。それ以上のことでもなく、それ以下のことでもなく、ただそれだけのことであった。そして、私たちはこの空気、この空間、この時間、この音楽を共有していた。私たちはすべて同じ、同じでつながっているのだ。

そう思ったとたん、私は音楽とひとつになり、観客とひとつになっていた。同時に、私自身がコンサートホールいっぱいに広がって、溶けていった。ホールの壁にも天井にも床にも、私がいた。

すると、先ほどの怒りと不快感は一瞬のうちに消え去り、たとえようもない喜びと感謝で胸がいっぱいになっていた。そう、あの憎らしい夫にまで。隣に座っていた夫は、私に学ぶ機会をくれたのだ、私はこれを体験するために今日ここに来たのだ、そう思うと感謝の熱い思いがこみ上げてきた。

怒りでいっぱいの世界と喜びと感謝に満たされた世界。同じところから全く異なる現実が生まれる。私の周りは何ひとつ変化していない、ただ私の見方が変わっただけである。それはそこに薄いフィルターがあるかないかだけの違いであるのに、天国と地獄の差を創りあげてしまうのである。エゴというフィルターが創る現実。

ラピスの石は神につながる石。その石を身に付けると、根底から揺るがされる。エゴを捨てよ、本質を見ろ、というメッセージだったのだ。揺すられて心に覆いかぶさっているエゴの厚いほこりが振り落とされると、そこに真の心が現われる。それは神の意識へ通じる扉。首にぶらさがったラピスの石が、神の意識への扉を少し開けてくれたのだ。

2007年11月4日

環境の蘇生

環境を保護することは非常に重要なことであるが、それと同時に、環境を積極的に蘇生することがこれからもっと重要になるであろう。

「蒔いた種は刈り取らなければならない」と言うが、私たち人間が汚せるだけ汚してきた地球環境のその本来の力を今呼び戻すことは、私たちの責任である。

これ以上破壊しないこと、汚さないことと並行して、環境を浄化し蘇生する有用微生物群 EM (Effective Microorganisms:1982年に琉球大学農学部教授比嘉照夫が、農業分野での土壌改良用として開発した微生物資材の名称)の積極的な活用が助けとなるだろう。EMは自然界に存在する有用な微生物(善玉菌)だけを集めた液状の微生物資材で、強い浄菌力があり、有害な微生物の繁殖や有機物の急激な腐敗分解を抑制し汚染物質を分解する力があるため、環境問題の解決にとって重要な役目を果たしている。

原油価格が急騰し、それに対応するために単に生産枠を拡大するという措置は、あまりにも近視眼的ではないか。資源には限りがある。現在の状況は宇宙からの警告であり、私たちはこれに耳を傾け、根本に立ち返り考える必要がある。

経済優先、消費社会の行く末は崩壊なのか。国際問題、社会問題、環境問題、その他様々な問題が急速に深刻化している。私たちにはもう時間がないのである。

一部のものが他のものを支配し利益を得るという考え方が、この社会に充満している。環境においても、人間が自然を支配できるという錯覚のもとに技術だけに偏り、頭でっかちになって人間本来の意味を失い、私たちが住む地球を非常に危険な状態にまで追い詰めてしまった。

私たちは「蒔いた種は刈り取らなければならない」という厳しい現実を突きつけられている。刈り取るのは非常に辛く痛みの伴う作業である。しかし、もうそれをやるしかない時に来ている。しかも、正しい方法で刈り取らなければ致命的な結果になる。

これからは、「目先の、株主の、自分だけの利益を得る」のではなく「打ち勝つ」のでもなく、「みんなにとって、地球にとってよいものや状況」を常に頭に置いたうえで、何をするのかを選択する必要がある。

*2年前に書いたこの文章を今日たまたま目にした。先ごろ環境破壊のことは毎日の様に話題になっており、「またか」とうんざりする人もいるかもしれない。しかし、宇宙からのメッセージは、「しつこくてもよい、何度も何度も言い続けなければ人は動かない」と来ている。

2007年11月2日

大木



大木のようになりたい

宇宙の一部としてただそこに存在する
時を重ね静かにたたずみ、すべてを見守っている
地に深くしっかりと根を張り、天へ天へと伸びる

春には芽吹き花を咲かせ、新しい生命の誕生を謳歌する
鳥や虫は糧を求めて集い、人々は花を愛で、その木の下に集う

夏には葉を大きく広げ、さんさんと輝く太陽の光を謳歌する
鳥たちはひなを育て、人々は木陰に涼を求め、その木の下に集う

秋には多くの命に糧を与え、豊かな実りを謳歌する
人々は新しい生命を秘めたその甘い果実を求め、その木の下に集う

冬には休息し、内なる力を謳歌する
新しい生命のために古い生命を捨てる
人々は燃して暖を取る枯葉や枝を求め、その木の下に集う

雨の日も風の日も日照りの日も雪の日も
ただそこに静かにたたずむ

大風に身を任せ、雪の重みに耐え、またそこから新しい生命が出ずる
地球にしっかりと根を張り、宇宙に向かって伸びる

春夏秋冬、生命の営みを繰り返し、着実に成長していく

幹は上へ上へと伸び、地と天をつなぎ
枝は横へ横へと伸び、地上の生命をつなぐ

物質世界と精神世界をつなぐのが幹だとすれば
枝は世界の人々をひとつにつなぐものである

そして魂たちが助け合い、共に成長していく

一本の木全体が宇宙だとすれば、
その葉一枚一枚は私たち一人一人である

葉はどれをとっても皆どこか違う、全く同じものはない
私たちは一人一人が唯一の存在で違っていて当然なのである

それでいて、葉の一枚一枚は小さな枝に属し、
枝の一本一本はより大きな枝に属し、
全体として一本の木に属している

それが宇宙の姿である

宇宙という大きなサイクルの中で無数の生命を育む木
その木が命を終えるとき、静かに朽ちる

そのときでさえ、多くの生命に糧を与え、最後には自分の姿は残さない

他を害することはあり得ず
絶え間なく与え続ける木

与え、与え、与え続ける
それがごく自然な姿であり、それを通してのみ成長はある

少しでも木のような生き方がしたい

すべてを受け入れ調和を保ち、しなやかに、それでいて力強くそこにたたずむ
宇宙と歩調を合わせ、年輪を重ね成長していく
地にしっかりと足を付け、着実に進んでいく

物質やエゴに流されず、空を仰ぎ魂の声に耳を傾ける
そして、枝葉を広げ人々の役に立ち自己実現をしていく
そこに真の喜びを見つけるとき、またひとつ成長できる

最後にこの世を去るときは裸で去る

大木のように生きたい
大木のようになりたい
大木のような存在になりたい

2007年11月1日

死んだことを知らない人々(4)

夢の中で死んだ人に出会うという体験は、一定の期間に集中していた。それは「People Who Don’t Know They Are Dead (死んだことを知らない人々)」という本を読んでいる間に起こり、また体験の内容も、読んで知った内容とほぼ並行しているようであった。

今まで出会ったのは普通の人たちで、経験のほとんどない私が出会うにふさわしい人たちだったのかもしれない。しかし、世の中には色々な人がいて、中にはタチの悪いヤツもいる。さまよう魂の中には、怒りや悪意などのネガティブな感情を持ったものもいる。

次には、そのような魂に出会った。

私の寝室の窓の向こうは、少し離れて隣の家のバルコニーであるが、このバルコニーは迷惑の種であった。隣に住んでいる学生連中がパーティをして夜中に涼みがてらバルコニーに出て来ておしゃべりを始めると、バルコニーはうちの寝室の窓よりかなり低い位置にあるので、窓が閉まっていても音が上に上がってきて、まるで耳元で話されているようでうるさい。特に、去年までは夏になると幾度となくパーティが開かれ、その都度夫が苦情を言いに行っていた。しかし、夏が過ぎると新しい人たちが入り、パーティをしないのか、しても部屋の中で済ますのか、とにかく騒音問題は解決した。やっとこれからは静かに眠れる。

と思ったのもつかの間。ある雨降りの秋の日の午前2時ごろ、寝ていたら隣のバルコニーで材木をかなづちでトントン叩いて、大工仕事か何かをしている音が聞こえてきた。この音で、寝ているのに起きた状態になってしまった私の目に、精を出して作業をしている男性の姿が一瞬よぎった。「うるさいな」と思った瞬間、それが言葉になって出ていた。どうも、このモードに切り替わると、思ったことがすぐ実行されている。

「ちょっとあんた、何時だと思ってるの。今は夜中で、生きている人間が寝ている時間でしょ。静かにしてよ!!」
自分の口調に自分でも驚いた。いつもは穏やかな(?)私が怒っている。「え~?、こんな強い調子で言っていいのかな~」と、もうひとりの自分が面食らっていた。

すぐにかなづちの音が止まったかと思うと、ブーンと虫が飛ぶような音が聞こえてきて、次の瞬間、その魂は仰向けに寝ている私の左ひじの辺りに来た。窓は右側だが、一瞬のうちに入って来てそこにいたのだ。

その人は怒っていた。「うるさいのはお前だ!俺のやることに邪魔するな!」と。「人」といっても人の形はしておらず、怒ったエネルギーの塊であった。横から見ると平たいディスク状のもので、周りにまるでのこぎりのようなギザギザの歯が付いているように感じる。上から見ると台風や竜巻のような渦巻き状の形をしているようだ。それがブンブン言って、渦巻きながら私のひじの辺りに近づいてきた。

すべてのものは波動のエネルギーで構成され、固有の速さで振動している。人間も霊性が高くなると波動が高くなり、振動が細かくなるということをご存知の方も多いだろう。

しかし、この魂は怒りというネガティブなエネルギーに包まれていて、振動が低くて荒い。そのため、ブーンとにぶく荒い音が聞こえる。エネルギー自体強く、荒い丸のこぎりの様なものがひじの辺りに当たってくる感触であった。

直感的に、この渦巻きが腕を超えて腹部や胸部に至ると危ないと感じたので、私は慌ててガイドを呼んで、自分の周りにプロテクトする白い光をイメージしたら、相手はそれに押されたように、スッと退散した。

今まで出会った魂たちとは異なり、「触らぬ魂にたたりなし」という感じで、光に導くなど余計なことはしない方がよいタイプであったようだ。悪意を持っているとまではいかなかったが、ネガティブなエネルギーであった。そういうのには気をつけた方がよい。よい勉強になった。

これで、集中的な体験はひとまず終わった。しかし、これは実はある出来事の予行演習みたいなものであったと、後になって知ることになる。それについては、もっと後でお話しすることにしよう。次は全く違う話題に変えようと思う。

おわり

2007年10月31日

死んだことを知らない人々(3)

マコト君の次は、沖縄で戦死した女性だった。この女性が現われたのは、私が11月に日本へ帰郷することになっており、その際に一緒に沖縄旅行をしないかと両親から誘われていた、ちょうどそのときであった。

11月のシアトルは、一日中低くどんよりとした灰色の雲がかかっていて、朝からすでに夕方のような暗さの毎日。それがそのまま明るくならず夕方になって、そして夜がやってくる。しかも小雨が降っていて日中でも5~6度の気温。それに比べ、沖縄は常夏の島。エメラルドグリーンの海に白い砂浜が待っている。まぶしい太陽の光を浴びて半袖で歩けるなんて夢みたい。費用は両親が負担してくれるというので、ラッキーとばかりにこの話に飛びついた。

が、「沖縄」と考えたときに、多くの人が戦争の犠牲になった場所であることを思い出した。私は霊媒体質なので、たくさんの人が亡くなっている場所へはあまり行きたくない。

そんなことを思ったからであろうか。その夜の夢で突然モードが切り替わり、戦火の中で倒れ込んでもだえ苦しむ30代の女性が現われた。紺色のもんぺのようなものを着ていて、汗と汚れにまみれた顔は火にあおられて赤くなり、迫り来る炎の中で動きがとれず、次第に弱って焼け死んでいく女性。苦しくて苦しくて、手を伸ばして助けを求めている。

粘着性のあるものがしがみついてくるという感じで、とても気持ちが悪くなる光景である。こちらもその場にいる様に苦しみが伝わってきて、炎の熱さを肌で感じる。逃げ出したい気持ちだったが、私は踏ん張ってこう言っていた。
「大丈夫ですよ、大丈夫、今に楽になるから、楽になるから。周りを見回して下さい。誰が迎えに来ていますか?・・・楽になりますよ、光の方へ進めますよ。誰か見えますか?」

女性は、この間も息ができずあえぎ苦しんでいたが、次の瞬間、パッと顔が明るくなった。先に亡くなったのだろうか、軍服を着た夫が迎えに来ていた。その夫を見た瞬間、彼女は大きな安堵感に包まれ、夫の腕の中に倒れ込んだ。ここでやっと苦しみから解放された。先ほどまでもだえ苦しんでいた顔が、一瞬のうちに安らかになった。救われたのだ。

私のこの体験は去年のことであったが、戦後60年以上たったそのときまで、この女性はずっとその時間と空間に閉じ込められたいたのだ。そんな長い間炎の中で苦しみ続けたとは、ほんとうに気の毒なことである。

「よかったですね。苦しみのない世界で、これからはご主人と楽しんでください」目が覚めたとき、私はそう心の中でつぶやいていた。

2007年10月30日

死んだことを知らない人々(2)

マコト君は突然現われた。寝ている私の服を触ったりしてゴソゴソしている人の気配に気づいた私の口からは(物理的な口を使わず、思うことで会話をする)、この質問が飛び出していた。
“Who are you? What’s your name?(あなたは誰ですか、名前は?)”

「ミ・タ・カ・マ・コ・ト」
白っぽいもやがかかった空間の中で、薄いカーテンを隔てた向こう側から聞こえてくるような抑揚のない単調な6つの音を拾い取って、これは日本人の名前だなと私は考えた。次の瞬間、若い男の子だとわかった。好奇心旺盛な十代後半といったところだろうか。顔は見えないが、白いシャツに黒っぽい皮のシャンパーを着ている。

「自分が死んだこと知ってる?」
例によって、私はいきなりまたこの質問をしていた。今度は日本語で・・・。

そう聞かれると、彼はびっくりして体をすくめて後ろへ飛びのいた。「死んだ」という言葉が明らかにショックだったようであわて始めたので、私は彼を安心させようと、こう言った。
「大丈夫、大丈夫、落ち着いて。周りを見てごらん。光が差しているところが見えるかな?そっちの方を見てみて。」
彼は、不安そうにおびえて周りを見ているようだ。
「君を迎えに来てくれている人がいるはずだから。必ず誰か迎えに来てくれているから。誰かいるか見える?よ~く見てみて」

すると、しばらくして彼が小さな声で言った。
「あっ見える、向こうに誰かいる・・・」
「じゃあ、その人をよく見てみて。何が見える?その人の方へ行けるかな?」
私にも、遠くに白いもやもやとした光が差しているのが見えた。
「・・・・う~ん・・・何か自転車に乗った人が見えてきた・・・・・あっ!友達!!!」
と叫ぶやいなや、彼は大喜びで一目散にその友達の所へ飛んで行ってしまった。「ありがとう」も言わずに。お礼も言わずに行ってしまうなんて、何とも若い人らしい。

彼はバイクか何かに乗っていたところ、交通事故に遭って即死したようである。特に即死した人は瞬間に魂が体から離れてしまうが、意識は体の中にあったときと同じなので、死んだということに気づかないことが多いという。その事故が起こったのは、まだ最近のことなのだろうか。彼には、先回出会った人のような暗さはなく、色々さまよって遊んでいたような感じが伝わってきた。

「People Who Don’t Know They Are Dead (死んだことを知らない人々)」という本によると、死んだとき、通常誰かが迎えに来るという。既に亡くなっている親や兄弟、親戚、友達、ガイドなど、特に自分と強い関係にあった魂が迎えに来るはずだという。また、見回しても何も見えないときは、既に亡くなっている人で自分が会いたいと思う人を心に描いて、その人を呼んでみるとよいともあった。今回実際にやってみたら、本当に本に書いてあった通りになったので、自分でもびっくりした。

そして、私は、彼が光の元へ行けたという嬉しさと暖かい気持ちですっきり目が覚め、この日は一日中気持ちがよかった。それにしても、友達を見たときの彼の嬉しそうな様子。死んだ人も生きている人も同じなんだなぁとしみじみ思った。

よかったね、マコト君!

2007年10月28日

死んだことを知らない人々(1)

家々の戸口や窓のサンに明るいオレンジ色のパンプキンが並び、あと数日でハロウィーン。
10月31日のハロウィーンは、古代ケルト人にとって新年の冬の季節の始まりを祝うときで、この時期には、この世と霊界との間の境界が最も薄くなるときと信じられていたそうだ。

ハロウィーンにちなんで、私の霊体験を4回に分けてお話しよう。

あるとき、夢の中で急にプツっとモードが切り替わり (ちょうどテレビのチャンネルが変わるように)、薄暗い中で、隅っこの柱の前にひとりのアメリカ人の白人男性が、元気のない様子で首をうなだれて立っていた。

このとき私は夢を見ているというよりも、夢の中にいたという方が正しいだろう。というのは、起きているときと同じような感覚で自分が状況をコントロールできる立場にいたからである。ただ興味深いことに、起きているときだったら怖気づいてしまう状況でも、夢の中に入り込んでいるときには、恐怖心がなく大胆に行動をしている自分がいた。

このときもそうであった。私はこの男性にすぐに声をかけていた、それも英語で。
"Hello!"
すると、この男性は、私が彼に気づいたことに一瞬驚いたようで、その後パッと明るい表情になり、嬉しそうに近寄ってきて元気よく握手をした。背が高くてなかなかハンサムな人である。何かにとても喜んでいるようで、興奮気味であった。

さて、私は、実はあるときを境にこの手の夢を見るようになった。
それは、「People Who Don’t Know They Are Dead (死んだことを知らない人々)」という本を読み始めた頃に一致する。この本とは不思議な縁でつながっていたようで、それについては後日触れる。

この本を読んで知ったことは、死んだことを知らずにある一定の時間と空間に閉じ込められている魂がいるということだ。そういう魂はできる人が声をかけてあげて、成仏させてあげる必要があるという。そのようなことを読んだ矢先に、この男性が夢に現われたのである。

私は、あたかも実践トレーニング第一目のごとく、「習ったせりふ」で彼に元気よく声をかけていた。
”Do you know that you are dead? (あなた、死んだってこと知ってます?)”
彼は声は出さなかったが、私には彼の考えていることが伝わってきた。彼は、周りの人が素通りして彼の存在に気づかないことに落ち込んでいた。どうしても気づいてもらえないので、半ばあきらめたようにじっと暗く隅っこで立っていたのである。彼自身、どうしてよいかわからないようだった。

気の毒なことである。一瞬のうちに透明人間になってしまって、どんなに叫んでみても、前に立ちはだかっても、誰も気づいてくれない。そういう世界に滑り込んだらどんな気持ちになるだろう。きっと、私も彼のように落ち込んでしまうだろうと思う。だから、彼は話しかけられて、興奮して近寄ってきたのだろう。

"Do you know that you are dead?"
それに対して彼はYesともNoとも言わなかったが、黙ってお腹にナイフが突き刺さるジェスチャーをした。それは、私が住んでいる近所で起こったということだ。刺殺されたみたいである。

“You need to go to the light. (光の方へ行かなきゃ)” と私は言っていた。
それは読んだ本に書いてあったことだ。閉じ込められた魂が開放されるためには、光の方向へ進んで行かなければならない。

しかし、これは私にとって初めてのことだったので、やり方がまずかったのか、彼の反応はなく、それで夢が終わってしまった。

彼は一体どうなったのだろう。ハンサムでさわやかな感じの人だったので、その後どうなったのか少し気になる。私の力不足なのか・・・。しかし、私のこの体験はこれで終わりではなかった。

「習うより慣れよ」、「数打ちゃ当たる」はあちらの世界でも通用するのだろうか。死んだことを知らない二番目の人に、それから数日と経たないうちに出会うことになる。

つづく

2007年10月21日

地球に根付く

スピリチュアルだとか精神世界というと、すぐ「宗教」と間違えられたり(別に宗教が悪いと言っているのではない)、現実離れしている空想の世界と思われがちである。

しかし、知識だけが先行してバーチャルな世界にどっぷり浸かった生活をしている方が、ずっと現実離れしているのではなかろうか。

頭脳と創造力を駆使して経済中心でずいぶん便利な世の中を創って来たが、私たちはこの地球という生命体の上で命を与えられて生きているという事実を変えることはできない。

私は、以前はそんなことを考えることもなかった。ただ、毎日楽な生活ができることを求めて働き、適当に楽しければそれでよかった。仕事が忙しくて、でもそれで収入が増えて、好きなことにお金を使えるからまた一生懸命働いて、そんなことを何年か繰り返していた。贅沢をできることが真面目に働いたことへのご褒美だと錯覚していた。

あの頃は、空を見上げることもなかった。土に触れることもなかった。ただコンピュータに向かって、毎日黙々と仕事をしていた。今思うと、とても「現実離れ」していた。あの頃の私は、尾てい骨から地に向かって伸びるアース線のようなコードが、ないに等しいほど細かったのではないだろうか。「地に足が付いていなかった」のだ。

霊性に目覚めるとき、人は地に根付くことの大切さに気づく。というよりはむしろ、地に根付いた生き方をしている人は霊性が高いと言うべきだろうか。

これから自然も社会も激変する地球で生きていく上で、「グラウンディング」ができていることがとても重要となってくるだろう。マンションに住み、高層ビルで働き、バーチャルな環境でストレスにまみれ、自然と触れ合う機会を失いつつある今の私たちにとって、「地に足を付ける」ことは、これからを生きるために不可欠なこととなるであろう。

グラウンディングする=地に根付くには、瞑想や呼吸をするときに、尾てい骨や足の裏から吐く息とともに光のコードを地球の中心まで下ろして行って、中心と自分がつながるイメージをする。そして、地球の中心からのエネルギーをまた尾てい骨や足の裏を通して自分の体に引き上げる。最初はあまりつながりを感じないかもしれないし、イメージしにくいかもしれない。しかし、毎日続けていると確実に「コード」が太くなってくるのがわかるだろう。少しの時間でよい、続けることが大切である。1回、2回、3回と呼吸に合わせてエネルギーの上下運動を続けていくと、次第に太くて強いエネルギーのコードができ上がってくる。

やがて、まわりの自然の変化に敏感になってくる自分に気づくことだろう。そして、その自然の中で自分が生かされていることを実感するようになってくるだろう。すると、小さなことに感謝できるようになるだろう。自然とともに生きる、人はそこに行き着くのだと思う。

地に足が付いた人間の思考や行動は、確実に肯定的で現実的なものとなるだろう。表面的で仮想的な世界とはかけ離れ、結局、生きるということは「泥臭い」ことなのだということを知るに至るだろう。

混沌とした世の中である今だからこそ、立ち返って地球に根付く必要がある。

2007年10月17日

赤い山


地球温暖化問題で啓発活動を行うアルゴア前副大統領が、先日ノーベル平和賞を受賞した。これは、今の私たちにとって大きな意味がある。科学者と共に取り組み、綿密な調査を重ねデータを集めて分析し、一般の人がわかりやすいように説明をしてくれた彼の功績は偉大だと思う。

また、彼が前副大統領として知名度が高いこと、それに政治家が持つスピーチとプレゼンテーションの力もプラスになり、科学者には申し訳ないが、専門家が説明するよりもはるかにパワフルで効果的であるのではないかと思う。

地球が危機的な状態にある中、一人一人が具体的に行動することが急がれている。しかし、悲しいかな、私も含め多くの人は、頭ではわかっているものの、自分の腹が痛まない限り、ある程度のことはしても習慣に流され、本当に真剣に行動している人は少ないのではないだろうか。

アルゴアの「An Inconvenient Truth (不都合な真実)」の中で、破壊されてゆく自然を2枚の写真で比べるシーンがいくつかある。その中で、山の木が虫に食われて枯れて赤くなっているものがあるのをご記憶だろうか。

私は、今年の夏にカナダのブリティッシュ・コロンビア州のウェルズ・グレイ州立公園に行ったときに、ショッキングな光景に出会った。まさに「不都合な真実」の映画で見たものを、直に見ることになったのだ。数年前からほとんど毎年夏になると夫とここで数日を過ごしてきたが、もう今年が最後だと強く感じて悲しくなった。

数年前に来たときは、緑豊かでとても波動の高い場所であった。それが、3年前くらいから山の中に赤い色が混じり始めた。Mountain Pine Beetleというキクイムシに食われた松の木が、枯れて赤くなっているのだ。今年の夏に行ったときには、その範囲がグンと広がって、キクイムシが猛烈な勢いで増えているのがわかる。2週間で1本が死滅するそうだ。2週間なんてアッという間ではないか!今までは冬の低い気温ではキクイムシは生き延びることができなかったが、温暖化によって活動を続けることが可能になったということである。

展望台から見える前方の三角の山とその周辺が赤くなっている(2007年7月撮影)。間違っても紅葉ではない。数年前の写真があったらその違いがはっきりわかるが、残念ながら今年のものだけしかない。


山は泣いている
赤い山、変わり果てた姿
キクイムシが針葉樹を食い尽して行く
ものすごいスピードで
山はなすすべもない

虫が食い尽す
それは人間がその貪欲さで地球をどんどん破壊しているのに似ている
虫が松を食い尽くして行く
人が地球を食い尽くそうとしている

赤い山は拡大し続ける
山が泣いている
息も絶え絶えだ
地球が痛みを訴えている

我是知足
人間はいつになったら気づくのだろうか
松は枯れて死に絶え
ついには虫も自滅の道をたどる

キクイムシは人間を象徴している
山の声、地球の叫びが聞こえないか

我是知足
もう時間がない

2007年10月15日

新しい秋

秋を迎えて、またひとつ新しい段階に入った。

本来あるべきところへ戻る力が強くなったように感じる。

地球は破壊される一方で、それを元に戻そうとする力も感じる。これからはその2つがとてもはっきりしてくるだろう。あなたが無意識に送っている毎日の行動は、この2つのうちのどちらを促すものか。

心に従って実践するとき。
変化を起こすとき。
一歩前へ進むとき。

自分の心に従って、新しく何かを始める人が増えるだろう。そのときに、新しい自分を創る準備段階として、体に異変 (不調) が生じる人もいるかもしれない。それはちょっと苦しいが、きっとその後にクリアになる自分がいることを信じて、今を大切にして欲しい。

新しいものは、古いものを捨てないと入ってこない。客観的に、自分の身の回りを見てみるとよいだろう。部屋は片付いているか、いらないものがあふれていないか。

洋服や身の回りの物を整理するのもよいだろう。思い切って整理するとスッキリし、新しいアイデアやチャンスが飛び込んでくるかもしれない。

2007年9月24日

内なる自分を見つめるとき

活動の時であった夏が過ぎ、秋分を迎えた。これから冬至の日まで少しずつ夜の時間が長くなる。外向きであったエネルギーが今度は内側に向き、これからはゆっくりと自分自身を見つめるときである。

社会が猛烈な速さで変化する中、煩雑な毎日に押し流されることなく、自分の軸をしっかりと築いてゆく。地球に激しい変化が起こっている今、本当の自分を見つけることが急がれている。

嵐の中心に入っていくと静けさがあるように、私たちの奥深くにも静けさがある。誰もが持っている真の心。その心に気づいたとき、私たちの心の眼は開く。

ほんの少しでもよい、静かに一人になれる時間を見つけよう。そして、自分自身を見つめてみよう。