爽やかな青空に白い雲が浮かんでいる今日、畑に行ってみた。キュウリやインゲンなどの夏の野菜はほとんど終わりに近づいているが、今収穫を迎えているものもある。
パチンと真ん中からはち切れんばかりに熟したトマト、土の中で大きくなり、隣と押し合いへし合いしているじゃがいも、ヘタが茶色っぽくなり実に甘みが出てきた頃であろうかぼちゃ。これらは他の野菜に比べて時間がかかったが、じっくりと確実に成長してきた。
それぞれのペースとタイミングがある。
太陽、月、雲、熱、風、雨など常に変化している環境の下、植物だけでなく、微生物、昆虫、鳥、動物など、畑では様々ないのちがそのサイクルを全うすべき活動している。
それは、畑という場で、ひとつひとつの要素やいのちが絶妙なバランスで複雑に絡まりあって、巨大なオーケストラを構成しているようである。そのオーケストラは夏に最も高まり、秋に向かってゆっくりと下降してゆく。
あと3週間したら畑は終わり、ここで育っていたすべては土に返る。ひとつのサイクルが終わるときである。
畑にたたずんで、雨の後の落ち着いた土の匂いの中で、そのゆったりとした音色を感じてみる。
コスモスが、わずかな風にも応えるように優しげに揺れている。
仲良く二つ並んだ姿を見ているだけで、心が温かくなる。
ふと、向こうにいるダリアの花に引きつけられた。何やら楽しげな様子をしていて、私を手招きしているようである。
中心まで、うんと近づいていった。
花びらが火の舞いを踊っている。ここで繰り広げられたいのちの営みを讃えるがごとく、情熱的にクルクルと回っている。
そう、このダリヤが思い出させてくれた。形はなくなっても、オーケストラが沈黙に入っても、いのちの火は消えることはない。
この畑に来るたびに強く思う。自分も自然の一部なのだと。ここでは劣っているものも勝っているものもなく、すべてが違っていてすべてが等しい。すべてにそれぞれのペースとタイミングがあって、すべてがひとつに溶け合っている。
オーケストラの音色を奏でているときも、沈黙の中にあるときも、いのちの火は消えることはなく、鼓動というリズムを刻み続けている。
<写真:畑のコスモスとダリヤ>
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