2011年9月3日

見当違いのポジティブ思考



ポジティブ思考、アファメーション、引き寄せの法則・・・これらは、人生を成功させる方法のツールとして広く世間で知られている。

使いこなせれば人生ら~くらく、世の中をスイスイと泳いで渡れる。

と、思っていた頃があった。

それができる人もいるだろう。しかし、私はそういうことから降りた。

私は、自分の思考にもう少しでだまされるところだったのである。

これは数年前の話。

それまで十年以上、私はフリーランスで実務翻訳をしてきた。翻訳業界も浮き沈みがあり、コンピュータ・IT業界の急成長期には翻訳においては需要の方が供給より多く、翻訳者は引っ張りだこだったが、その後バブルが崩壊し、需要・供給のバランスが大逆転してしまった。

顧客に提示する見積額が「セリ」にかけられ、最も低い金額を出した翻訳会社に軍配が上がるという厳しい時代になり始めた。

翻訳者には、より早い納期と高品質が求められる一方、報酬はどんどん下がっていくのである。失業して翻訳を始める人も増え、競争はますます激化。熾烈な生き残り合戦が展開する(どこかで聞いた話ですね。そう、世界中あらゆる業界で起こっている)。

その頃、私はそういった競争の中にいることにもうんざりしており、翻訳への興味を失い始めていた。そうなると、仕事は重荷とプレッシャー以外の何者でもなくなる。仕事の依頼があっても逃げ腰になり、ほとんど断っていた。かといって、自分は他に何をやりたいかも定かではなかった。そんな私を横目で見ている夫に、次第に苛立ちが募っていくのが感じ取られ、私の心は混乱と罪悪感で重くなっていった。

下降スパイラルの渦の中、収入は激減し、ダラダラしていたら、ある日たまりかねて夫が言った。

「お前はえり好みをしている。逃げている。仕事を手にするために具体的な行動をとっていない、努力をしていない」

夫も翻訳の仕事をしているが、確かに彼は来る仕事はできる限り断らずに受けている。前向きに突進していくのである。

「努力をしていない」と指摘されるのは痛い。子供の頃から「あなたは努力家だ」と周りから言われ、目標に向かってコツコツやるのが好きだっただけに、努力をしていないことはきちんと生きていないようで、自分を否定されたようで、そうなると焦りの塊になってしまうのである。

そんな私に助け舟を出すかのように、夫は言った。「それはそうと、来月翻訳の認定試験があるけど、シアトルが会場だってよ。受けてみたら? 認定されたらもっといい仕事が入ってくるだろうし、料金を上げることもできるんじゃないか」

その言葉に、私の心にポッと明かりがともった。
「そうだ、私は翻訳者資格を取ればいいんだ。認定試験に合格すれば、ステータスが付いて自信がつくし、料金を上げる正当な理由にできる。この広いアメリカで、今回シアトルが会場だなんて、そんなこと数年に一回あるかないかのチャンス。なんというタイミング!それに、申し込みの締め切りが明日だなんて。このことを知るのがもう少し遅かったら、アウトだったじゃあないか!これはもう絶対天からのメッセージに違いない!うん、そうしよう。資格を取って、また新しく始めよう!」

決断というのは大きな力である。そう決めた瞬間に身体にグッと力が入り、カーッと熱くなった。その後、早速申し込みをし、私はアファメーションをしたり、資格を取った後の自分をイメージしたりして、ポジティブなエネルギーですっかりその気になり、ワクワクした夢でも見るだろうと期待しながら、やる気満々で床に就いたのであった。

それで、合格の夢を見た?

とんでもない!

それどころか、突然上から威厳のある一言が、爆弾のように頭の上に落とされた。

「その必要はない」

ただその一言。

「へっ?!!」

寝ていたが、頭は起きていた。「その必要はないって、資格を取る必要はないってこと?」
ショックとともに目覚めたのである。

あの威厳のある声の主は誰だったのだろう? やる気満々の私の意志をへし折ったその言葉は、そのときから私の心に居座って、試験会場までついて来た。

会場は街でも名の通ったホテルの会議室のような場所だった。英語から日本語への翻訳試験なので、受験者はほとんどが日本人だった。席に着いたとたん、私は目を見張った。テーブルは、カンナをかける前の荒削りの板を張っただけのものだったのだ。紙に翻訳を書き込むのだが、鉛筆の芯が木目のでこぼこに入り込んで紙が穴ぼこだらけになってしまい、書けやしない。

全く信じられなかった。これは何かの冗談?

受験会場に、あまりにもお粗末すぎるテーブル。こんなどこから拾ってきたのだろうと思えるようなテーブルが、ホテルに存在すること自体考えられなかった。試験を主催する翻訳協会の人は、何も気に留めていないようで、私が指摘したら「厚紙か何か、下敷きになるものを探して使ってください」と、シャーシャーと言ってのけた。日本だったらプラスチックの下敷きがあるが、このアメリカでそんなもの見たこともない。受験に厚紙持参なんてことも書いてなかったし。

このテーブルは明らかに受験の障害となる。なのに、周りの受験者は誰一人文句も言わず、静かに紙に向かっている。この人たちは一体何?

私はトワイライトゾーンへ滑り込んだのか・・・「その必要はない」という言葉だけが心の中でガンガン響く。

すっかりやる気が失せてしまった。
その上、試験中にだんだんアホらしくなってきた。試験環境が、実際の翻訳環境とあまりにもかけ離れていたからである。

翻訳に必要なのは実際にはコンピュータだけである。原文を開いて、翻訳をタイプしていく。辞書もすべてコンピュータのデスクトップにあるし、その他の調べものはインターネット検索を駆使する。

それが、この認定試験では、おそらく今では誰も使っていない紙の分厚い辞書だけが使用を許可され、訳は紙に書き込むやり方だった。新しいやり方を導入できず、古いやり方を続けていることは聞いて知っていたが、実際にやってみると、これが何の意味になるのかと思えてきて、ペンを投げ出したくなった。いや、もう全く不真面目になっていた。

それ見ろ、その必要はないって言ったじゃないか・・・とあの声の主がニヤリとしながら見ているようでもあり、その横に一緒にもう一人の自分がいて、頷いているようでもあった。

結果はもちろん不合格。後で聞いた話だが、採点は同業者の翻訳者がするとのこと。そこに利害関係が全くないとは言い切れないだろう。認定試験では様々な言語を対象としているが、中でも英日翻訳の合格率は極めて低いことも知った。

もともと、この認定試験制度というもの自体、翻訳者からなる翻訳協会が作り出したものであり、国家試験ではない。他の言語はともかく、英日・日英に関しては国家試験は存在しない。おそらく表現・言葉の選択など、感覚的な要素が含まれるため、きっちりとした基準を定めることは難しいのだろう。

合格した人は素晴らしい。私は合格しなかった。ただそれだけのことで、私に何のインパクトも与えなかった。

そのことがあってから数年後の今、あの言葉は正しかったとはっきり言える。

結局、認定を受ける必要はなかった。認定によるステータスも、それによる自信も必要ではなかった。私にとって食べていけるだけの仕事があればそれでよく、お金は確かに必要なときに必要なだけ入ってくる。

よし、やろう!と決めたときのあの体からみなぎる元気に、もう少しでだまされるところだった。コツコツ努力とプラス思考は的が外れていた場合、それに気づかなければ、エネルギーを不要なところに使うことになってしまう。

不安がなくなったとは言えないが、自分の自信というのは、認定の有無に左右されるものではなく、自分を認めて受け入れることから始まることを知った。また、罪悪感から自分にとっての滋養になるものは生まれないことも知った。

今では、依頼があったときは、逃げ腰にならず、現実の社会を知る手段として仕事に向かっている。期限も金額も自分のペースで交渉すると、意外にも相手は受け入れてくれる。自分の納得のいく翻訳ができれば自分は満足感を得られ、相手も気に入ってくれるようだ。

その後、カウンセラー・セラピストへの道が目の前に開けたが、もう無理にアファメーションはしない。引き寄せなども意識しない。

静かに心に向かう。やりたくないことは罪悪感なしにやらないことを受け入れるようにし、目標に向かって自分を駆り立てたり、走り続けることもしないようにしている。

静かにしていると、雨の日や晴れの日があるように、波のようなリズムがやってくるのを感じる。動きたくないときや、動けないときは動かない。動かないことも大切なことなのだろう。そして、動きたいときは思い切り動く。

見当違いのポジティブ思考で遠回りをするよりも、風を感じるときのように自分の感覚を信じ、興味が引かれることや、自分の中でわずかに共振することを感じ取る触覚を育てることに時間とエネルギーを使い始めると、出来事が向こうからやってくるようになる。

その出来事のひとつひとつがより大きな流れへと注ぎ込まれていくのを感じたら、もう後戻りはしないだろう。

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