2013年12月16日

宇宙人になった心地


フロリダ半島というと、ほとんどの人はオーランドのディズニーランドやマイアミあたりが頭に浮かぶだろうか。私の義母は、マイアミから車で時間ほどの小さな街に住んでいる。

そこは、一時期ニューヨークからの移住者のための住宅ラッシュもあったが、今なおオレンジやグレープフルーツ農園が点在し、季節になると、道ばたのフルーツスタンドは黄色とオレンジ色に染まる。

初めてその街を訪れたのは、ちょうど今頃の季節であった。日中は冷房するほど暑くなるのに、街はサンタクロースやクリスマスの飾りで彩られ、場違いに感じられた。

シトラスの収穫がピークを迎えており、私はフルーツスタンドのひとつに立ち寄った。フルーツスタンドと言っても、八百屋の倍くらいの大きさがあり、店の中には果物以外にジャムやお土産物も並んでいた。日差しが強いので、私は薄手の長袖を着て帽子をかぶっていた。

店で品物を見ていると、何か違った空気を感じる。冬とは思えない南国の日差しのせいだろうと思い、私は見たこともない種類のオレンジや、珍しいフレーバーのジャムに夢中になっていた。

品物の入ったかごを持ってレジに向かおうとしたとき、異様な空気がピタリと肌にくっついた感覚になり、何だろうと周りを見回した。

店の人も客も地元の人なのだろう。私以外の人はみな同じように見える。同じようにというのは、人種、肌の焼け具合、服装、話し方などである。

光線を当てられたような感覚は、こちらに向けられた複数の視線からのものだった。横からチラチラというのは別に珍しいことではないが、そういうのではなかった。大きく見開かれた目がまともに私の顔から足下へ、そしてまた足下から顔へと移動するのである。

レジの人は、一体この人はどこから降ってわいたのかと言わんばかりに、私を食い入るように見つめてくる。いや、人というよりも宇宙人でも見ているような表情だった。

私は、文字通りエイリアン (Alien) なのだ(Alienとは外国人、よそ者、異星人という複数の意味がある)。そのエイリアンが、耳にしたことのないアクセントのある英語を話すとなると、一層珍しいのだろう。勘定をするときも、品物を袋に入れるときも、相手は口を閉ざし、目だけが全開していた。

私は一瞬で裸になった感覚になり、戸惑ってしまった。夫にこのショッキングな事件のことを話すと、おそらくその人たちはアジア系の人に会ったことはないのだろうと言った。私の服装も違うし、日に焼けていない肌も際立っていたのだろう、と。

確かに、滞在中アジア系の人は一人も見なかった。どうやら、その街にはレストランを経営している中国人が一家族いるのみとのこと。
「まあフロリダは田舎だよ」と夫が言った。

人種のるつぼと言われるアメリカで、まさかこんな体験をするとは夢にも思わなかった。

しかし、そんな体験をしたのは私だけではなかった。アメリカ人と結婚した私の友人は、式を挙げる前に中西部の小さな街にある彼の実家を訪れ、そのときに親戚一同が集まったそうだが、彼女一人が浮き上がってしまったという。

そこにいた小さな男の子が、まるで得体の知れないものに出会ったかのように恐る恐る彼女のそばにやって来て、穴が開くほど見つめた末に、彼女の黒い髪をためらいながらも触ったり引っ張ったりしてきたという。

「まったくもう、私宇宙人になったような気がしたわ。めちゃくちゃ居心地悪かったー。」
彼女も同じことを言った。

日本にいたらおそらく絶対に体験できないこと。いや、シアトルでも体験できなかった。

今度そんな風に見つめられたら、「ミーミーミーミー」と高音を発して驚かしてやろうかと密かに思うのだが、それは冗談として、異なる環境に出てみることはショックも伴うが、新しい体験や気づきをもたらす。あのときほど、自分という存在を強く意識させられたことはなかった。

クリスマス前、大勢の買い物客で賑わう仙台のアーケードを歩く。行き交う人の服装も色も髪型も表情も、なぜか同じに見えてしまう。そして若い女子店員の、「いらっしゃいませ~、どうぞ ・・・・・ ませ~」という顔の上半分から抜けるようなあの奇妙な鼻声と抑揚は、まるでコピーをして貼り付けたかのように、どこへ行っても全く同じに聞こえる。

フロリダで体験したのは、集団の意識が作り出す場だった。日本のような単一民族の集団の力は、さらに強烈である。それに吸収されていくとき、一種の安心感も感じられる。

しかし、A定食、×○セット、「らくらく○×、「まかせて安心パッケージ」などが溢れる社会に慣れてしまうと、麻痺して自分で考える力がなくなってくる。

そこに安住したくない自分がいる。冬服のように暖かく心地よい一方、重みと粘着性もあるからだ。

左翼的で急進的なシアトルから保守的と言われる仙台に移って2年目に入るが、冬のこの時期にあのフロリダのことを思い出したのは、自分の中のエイリアンのような異質な部分を尊重したいという内からのメッセージなのだろう。



タッチドローイング・リトリートで描いた一枚
 タイトル:New Vision


0 件のコメント: