2008年2月16日

新しい朝

新しい朝がきた
希望の朝だ
喜びに胸を広げ
青空仰げ

昨日、台所で夕食の仕度をしているときに、気がついたらこの歌が心の中で響いていた。
あれっ?これってラジオ体操の歌。

新しい朝・・・何か新しいことが始まろうとしているのだろうか。

そう、目に見えないところで何かが起こっている、着実に。
新しいエネルギーが入ってくるとき、
新しい意識が生まれるとき、
迎え入れるとき。

そして、今、そのことを思い出しながらリビングルームで掃除機をかけていたら、この言葉が入ってきた。

「希望は私たちの最大の味方」

これは私個人へのメッセージであろうか?
そう思ったとき、“multifaceted”という言葉が浮かんだ。
意味は「多面的」。

最近つくづく思うことは、私たちはみんな繋がっているということ。

それぞれが違った場所で違ったことをしているのに、繋がっている。そして、それぞれの経験は、真実を中心とした球体のように多面性を持つ。

さらに、「球体」、「多面性」という言葉に意識を集中したときに行き当たったのが、「球体を多面形にカットしたクリスタル」。すると、ペンデュラム (振り子) が浮かんだ。そして、ペンデュラムの役割って何だろうと思い、ペンデュラムをGoogle検索すると「ペンデュラムは占いのダウジングに使用するもの」という説明があった。

「ダウジング」とは地下水や貴金属の鉱脈など、地表に現れていない物を探すことを指すそうだ。地表に現れていないもの、言い換えれば、それは私たちの顕在意識の下にあるもの。球体を多面形にカットしたクリスタルは、1つの真実を取り巻き、多面的に起こっている現実と呼ばれる私たちの意識を象徴しているのであろうか。その意識が揺り動かされるとき、意識の向こうにある超意識、つまり球体の中心にある真実が見えてくるのではないだろうか。

「希望は私たちの最大の味方」

私たちは、それぞれ自分の選んだ環境の中で新しい朝を迎え、希望を味方に生きてゆく。

♪あ~た~らしい あ~さがきた
き~ぼ~の あ~さ~だ
よ~ろこ~びに むねをひ~ろげ
あ~おぞ~ら あ~お~げ~♪

2008年2月14日

魂の友


「私が34才のときにアメリカで出会おうね。そして、私が霊的に目覚めるときにリードしてね。あなたが離婚するときは、私が力になるから。今までもずっと助け合ってきたように、今生でも助け合ってお互いを高めようね」

私には魂の友がいる。10才も年下で、生まれた場所も育った環境も全く違い、物理的な接点はない。彼女は、日本で英語を教えていた男性と結婚し、アメリカにやって来た。彼女と初めて会ったのは、私の仕事関係の友人を通してであり、私が34才のときであった。彼女のご主人とその友人のご主人が幼なじみで、当時、この2組のカップルは同じアパートに住んでいた。

彼女と私は特別な関係で結ばれている。そういうと、劇的な出会いであったとか、一目見ただけでわかったなどと思われるかもしれない。しかし、別に特別なものを感じたわけでもなく、淡々とした出会いであった。彼女に対して特に好意を持ったわけでもなく、最初に会ったときの私は、むしろそっけなくて冷たい印象を与えていたかもしれない。

当時、私は仕事関係の友人との方がずっと親しく、それからも時々その友人を中心として、私と主人を含めて3組のカップルで集まっていた。彼女は英語を勉強するために学校へ通っており、それからしばらくの間も、彼女とはたわいのない会話をするだけで、親しい関係には発展しなかった。

ところが、それから1年くらいたったある日、いつものようにみんなで集まった席で「たまたま」不思議な体験の話になり、私が寝ている間に枕元に座っている幽霊のような存在を最近よく見るという話をしたところ、彼女はその晩「眠れなくなるほど」その話が気になって、翌日電話をかけてきた。そして、その存在は、私のガイドスピリット(指導霊)ではないかと言った。そこから彼女との霊的なつながりが始まり、このことをきっかけに、彼女は積極的に、私を何かある方向に導こうとするかのように働きかけてきた。

結局、枕元に座るその存在は、私のガイドスピリットだったのだが、その当時の私は懐疑心が強くて、彼女の助言なくして受け入れることはなかったかもしれない。その後、霊感の強い人を紹介してくれたり、霊気を習うことやクリスタルを持つことを勧めてくれたり、それまで私が意識していなかったスピリチュアルな世界へと、どんどんリードしてくれた。彼女のおかげで、速いスピードでさまざまな事柄が展開し、それまで心にあったモヤモヤがなくなり、自分の進む方向性が見えてきた。

そのように私をリードしてくれているその頃、彼女の中でも次々と変化が起こり始めていた。彼女は急にネイティブ アメリカンのことに強くに惹かれ始め、霊気を習い、スピリチュアルな繋がりを求め始めていた。

彼女とは頻繁に会うわけではなく、近くに住んでいたのにあまり会うことはなかった。しかし、ここぞというときには決まって彼女が現われ、リードしてくれる。彼女はネイティブ アメリカンのことにのめり込むように深く繋がっていき、私は自分のガイドとの関係を確立しつつあり、二人は平行線上をそれぞれ導かれるままに進んでいた。

そして、彼女がアメリカに来てから4年目に、彼女に危機的な状況が訪れた。彼女とご主人の関係は以前からうまく行っていなかったようで、会うたびに彼女の顔はどんどん死んだようになっていく。しばらく彼女は一人で悩み続け、なかなか離婚に踏ん切りがつかなかったある日、私は彼女のことを考えると「いてもたってもいられなくなり」、あるネイティブ アメリカンのカードリーディングをする人の所に出かけていって、彼女のためにギフト券を買った。私はその人にリーディングをしてもらったことは一度もなかったのだが、「なぜか無性に」その人の所へ連れて行かなければならないと思ったのである。彼女はお金に困っていたので、自分でお金を払ってまでやってもらう余裕はなかっただろうが、ちょうど彼女の誕生日が近かったので、私はそれを彼女へのプレゼントにした。

今振り返ると、それはその時にそうすることになっていたのであった。そして、リーディングをしてくれる人は、そのネイティブ アメリカンの人でなければならなかった。彼は独自に作ったカードを使い、チャネリングと合わせて半年先までの事柄についてアドバイスするらしい。私は彼女が離婚することなど彼には一言も言っていなかったのに、彼女が彼の前に座ったとたん、彼は離婚のことを口にしたという。結局、リーディングから実に深いメッセージが飛び出して、彼女の決心が固まった。それから速いスピードで離婚へと進み、私と夫は彼女の引越しを手伝った。離婚してから、彼女の人生は180度変わり、様々なことが速いテンポでどんどんと展開した。

このことがあってから、私と彼女の間に一段と深い繋がりを感じるようになり始め、二人で深い話をするようになった。私たちは、会うといつもお互いに自分に今起こっていることを報告し合い、それについて感じることを伝え、そして、最後にお互いを励まし合っていた。知人を通して会った関係が、そのような特別な関係へと発展したのである。

間もなく、彼女は知り合いになったあるチャネラーの人を私に紹介してくれ、私は生まれて初めてチャネリングというものを体験することになった。それは1対1の個人セッションであったが、私は方向音痴なので彼女にチャネラーの所まで連れて行ってもらい、セッション中にも私の隣に座ってもらった。彼女は私の隣で、チャネリングの内容を丁寧にノートに取ってくれた。

セッションはほとんど私の個人的な質問であったが、なぜかふと衝動にかられて、私と彼女の関係について質問してみた。そして、チャネラーの口から出た言葉に驚いた。私たちは最初に遡ってみると、もともと一卵性双生児のような双子の魂であり、太古の昔、深い森の中にこれからのことが映し出される泉があり、二人は一緒にそこによく出かけて行ったという。自分で自分のことは見ることができない二人が、お互いに相手のことをその泉を通して見てあげて、そうやって助け合ってきたのだということである。それから、二人は何度も転生する間、上司と部下などさまざまな関係で出会い、いつも互いに助け合ってきたという。そして、今生は友人という形でそれを繰り返している。

泉の話はファンタジーのようであり、現実味がなく聞こえるかもしれないが、興味深いことは、実際、彼女と私は離れていても、考えていることや起こっていることが同じなのである。例えば、自然食や畑への興味、過去生の記憶、価値観の変化、ヒーリングとの出会い、肉体的な変化、発症を通したエネルギーの変遷などが、お互いに並行して時間的にほぼ同じときに起こっている。彼女に霊的に大きな変化があった年は、私にも大きな変化があった。彼女が病気になったときには、私も様々な体調不良があった。

そして、私たちは、無意識のうちにお互いに実に絶妙なタイミングで助け合っている。二人ともスピリチュアルな世界とは関係ない環境で育ったのに、あるときを境に同じ方向へ引っ張られるようになり、今では二人は使う道具こそ違うが、目指すものは同じである。彼女は植物と繋がることでヒーリングの道を開き、私はガイド達と直接繋がることで、このように書くことを始めた。

私が自信を失いかけているときや、心がモヤモヤしているときなど、こちらは何も言っていないのに彼女から電話がかかってきて、うちにやってきてカードリーディングをしてくれることになる。まるで誰かが教えたかのように、すごいタイミングでやって来て、いつも適切なアドバイスをくれるのだ。

また、彼女が迷っているときや励ましを必要としているときは、なぜか私にはわかる。昨日まで全然何も感じていなかったのに、今日、突然躍起になってメールを打つというときには、決まって彼女が落ち込んでいるときである。会わないときは半年くらいも会わないが、逆に言えば、会う必要のあるときしか会わないようになっているようだ。

今、彼女は日本にいるが、フラワーエッセンスで私を助けてくれている。彼女は実に鋭い洞察力で、これからの私に必要なエッセンスを調合してくれている。私も私にできる形で彼女をサポートしていきたい。それが私の喜びでもある。

誰にでも、程度の差はあれ、このような魂の友というのがいると思う。人との出会いと繋がりは、なんて不思議なのだろう。人生のどの時点で現れるか、そして、それがどのように係わり合い発展するのか。その繋がりの初めは、過去生にまで遡ることができるかもしれない。私たち魂は助け合い、互いに成長するのである。なんと慕わしいことだろう。

「約束どおり、私が34才のときに来てくれてありがとう。そして、私が本当の私を思い出せるように助けてくれてありがとう。勇気と忍耐と情熱の大切さを教えてくれてありがとう。あなたが離婚すべきとき、私はちゃんと覚えていたよ。殻を打ち破って、本当の自分に出会えてよかったね。あのとき泉で助け合ったように、今生でも助け合ってお互いを高めようね。地球を離れても、私たちはずっとずっと一緒だよ。愛しい魂の友よ」

(写真: 2月12日午後6時40分、夕闇にうっすら垂直に出た虹)

2008年2月12日

持続する力

先月、知人のお宅で夕食の集まりに参加させていただいたときにお会いした方から、カリフォルニアのエサレン研究所のワークショップでの貴重な体験談を聞かせていただき、その流れで、今から気の実験をしましょうということになった。それは、2人でペアになって、怒りと喜びの2種類の感情から出る気をそれぞれ体で確かめてみるというものであった。ひとりが腰を落とした体勢になって、感情に意識を集中して相手を押し、相手がそれを押し返すという単純な実験である。

まずは怒りの感情。ペアになった相手がこの感情に集中して、私が押し返す。相手の方は霊性が高い方なので、怒りの感情をかなりクリアされており、あえてその感情を出すことはちょっと難しいようであったが、なんとか昔の出来事か何かを思い出して、怒りに集中して押してきた。

その気は頭の方に上がった気で、瞬発力があった。最初の数秒間にグイッと押され、私は一瞬後ろに傾きかけたが、その押す力はすぐに弱くなり、今度は私が押し返し、相手が後ろに傾いた。最初だけが強かったが、頭でっかちの物が押されてぐらつくように、バランスが悪くて足元が弱いという印象を受けた。

次に喜びの感情。相手の両肩にかけていた私の手は、今度は明らかに違う力を感じた。最初のうちはとてもおだやかで、これでも押しているのかなと思うほどであったが、時間がたつにつれてジワジワと力が出てきた。それは少しずつ強くなって、怒りのときとは全く違い、こちらはずっと押し続けていなければならない。その力はおへその下くらいから出ているのであろうか。足元がとてもしっかりしていて、まるで根がしっかりと張った頑丈な木のようでもあり、壁のようでもある。それがジワジワとこちらを押してくる。一瞬、押し相撲を取っているかのような錯覚に陥った。結局、こちらのエネルギー切れ。私は全く感情を入れていなかったためゼロの状態で、相手に押されてしまった。

怒るとカーッと頭に血が上る。怒りの気は上に上がり、続かない。しかし、喜びの気はとても安定していて底力があり、持続する力である。

ところで、今、アメリカは大統領選挙をひかえ、両党の候補者選びで沸き立っているが、「希望」と持とうという呼びかけに奮い立つ人々が急増している。突き動かされたように行動を始めた若者たちが街に溢れ出る。候補者の指示獲得競争を見ていると、「持続する力」という言葉と、あの時の気の実験のことが目の前にチラつく。怒りの気と喜びの気。候補者は試されているときであろう。

持続する力は宇宙と調和がとれたエネルギーである。喜びの気はポジティブな力に満ちており、安定していて底力があることを身をもって体験した。その強さこそが私たちひとりひとりが持つ本来の力であると感じる。持続する力は、中からどんどん湧き出る力を持っている。これからの地球に必要とされている力である。

2008年2月10日

真実は実に単純なこと

真実は実に単純なこと
しなければならないということはなく
自分が何をしたいか、何を経験したいか
何を創造したいかということだけである

物質世界には常に2つの対極が存在する
右と左、上と下、裏と表、光と闇
両者が存在するからこそ選択できる
難があって、初めて心から感謝できるのは
両者が存在するからこそ経験できること

創造を楽しみ
経験をし、その経験を楽しみ
そこからまた次の創造が生まれる

その作業が生きること
悲しみがあるからこそ
苦しみがあるからこそ
喜びを経験できる

真実は実に単純なこと
生きることは喜びに至ることである

観念、通念、パターン、古い思考、しがらみ
自分自身をがんじがらめにしてしまうもの
フィルター、色眼鏡、判断
曇りガラスは真実を映してはいない
それらは、すべて人間が無意識に作ってしまったもの

純粋に生きることはできるか
自分の魂は何を経験したがっているのか
それが今この地球にいる理由であり
新しい自分を創造する理由である

真実は実に単純なこと
この世に存在することすべては
経験するための材料
大いなる源はただ喜びに満ちており
自分は常にその源と繋がっている

生まれるずっと前から
そしてこの一瞬も、これからも
ずっと繋がっている
切り離すことは不可能である

魂が欲することに繋がるのは
大いなる源と繋がること
他人が教えてくれることではなく
自分こそが知っていること
他人が与えてくれることではなく
自分が自分に与えることである

真実は実に単純なこと
そして究極は
真実が単純であることを知ることである