2013年1月10日

リアルに生きる



年末年始を三重の実家で過ごし、昨日仙台に戻ってきたら、ここは雪。昼間の雪の世界は、夜には氷の世界へと豹変する。今朝起きると、南側の窓の結露がシャーベット状になっていた。最初は北側の窓だけだったが、いよいよ南側にまで来たか・・・。北側の窓はシャーベット状ではなく、固く凍っている。



古いだけでなく、過去二回の大震災に耐えた家屋には複雑な歪みや傾きができて、あらこちから隙間風が入ってくる。東北の冬はやはり厳しい。北風が吹きすさぶこの地の冷え込み方は、半端ではない。



日本で与えられている生活は、私にとってある意味原始的なものとなった。夫の仕事の関係で入居した大学の宿舎は40年前のデザインそのままで、オール電化の今の生活から一気に逆戻りとなり、不便さというチャレンジが絶え間なくやってくる。



ここで生活するには、根気と知恵が必要だ。



「アメリカで生活してここに引っ越してくると、生活の質がずいぶんと落ちた感じがするでしょう?」と下の階の人が気の毒そうに言った。このときはまだ入居して間もなくだったため、私は「いやあ、これはこれで逆に楽しむしかないですねえ」と笑い飛ばしたら、相手はビックリした様子だった。



洗面所の蛇口は湯と水が別々となっており、互いに10センチ以上離れているので、冬になると、てのひらは2つの間を行ったり来たりしなくてはならない。洗濯は床に排水溝がないため、延長ホースをつけて風呂場に排水する。床と風呂場の間に20センチほどの敷居があるので、洗濯機の下にブロックを2段積んで、底をあげなければならなかった。



台所への給湯も、風呂を沸かすときも、浴槽の横にあるハンドルをカチンと回してガスを点火しなければならない。氷点下になる夜は、凍結を防ぐため、風呂場の機器の水抜きをしなければならない。部屋のコンセントの数は圧倒的に足りず、使用できる電力は限られている。他にも不便なことを挙げたら、きりがない。



アメリカで20年以上、広い空間でぬくぬくとした便利な生活をしていた私に神が与えてくれたもの・・・それは、自然の素晴らしさと厳しさの両方、便利さと不便さの両方をもっと生活の中で直に感じること、自分の手足や体全体を使って動くこと、意識的になること、頭を使うことであった。



自然は常に変化し、地は揺れる。これは当たり前のことなのに、忘れてしまいがちだ。昨年10月に入居してから、ここで何度地震があっただろう。12月はほとんど毎日揺れた。マグニチュード7.2の揺れがあったときは、テーブルの下で気がついたら歯を食いしばっていた。



その後、タクシーの運転手さんと何気なく話をしたときに、運転手さんは、あの3.11のときに仙台駅は不気味な音を立てて揺れ、自分はここで死ぬのかと思った、揺れがおさまったとき、気づいたら奥歯が砕けてしまっていた、自分の姪もあのときに歯にヒビが入ったのだと話してくれた。



ここに引っ越してきてから、生きるということが一層リアルなものになった。アメリカ人の友人たちは、私が仙台へ引っ越すことになったと話したとき、複雑な表情を隠しきれず、「それはあなたにとってハッピーなことなのか?」と聞いた。放射能の危険性が深刻に受け止められているため、誰も「おめでとう、よかったね」とは言わなかった。むしろ、「あなたがやることがそこで待っているから行くんだね」と言われた。



使命というと大げさになり、実際私は使命ということは意識していない。ただ、奥底から地鳴りのように響いてくる感覚があり、それはあくまでも自分の感覚を信じることを促してくる。自分の感覚が他の多くの人と違った場合、主流に逆らってでも、自分の感じるままに進む勇気が果たしてあるかというチャレンジさえ、突きつけてくる。



そんなとき、後押ししてくれるのが、今の生活である。こんなに便利な時代にあって、なぜ私は逆を体験しているのか。なぜ、古き日本が残るみちのくに来たのか。なぜ、被災地に近いこの場所に来たのか。



そこに意識を合わせると、見えてくるのが大地の上に生きる力と知恵であり、失ってはならないものであり、それはこれからの生き方へと繋がっていく。不便だからこそ生まれる工夫や知恵、制限され圧がかかるからこそ出ずる創造力には、強さと柔軟性とたくましさがある。



そのエッセンスを、私はこの地で自分のものにしようとしているのだろうか。オオジカのドラムを叩いて歌うとき、ノースウェストのネイティブの人たちの姿が目に浮かび、力が湧いてくる。自然に口をついて出てくる節は民謡のようでもあり、懐かしさと共に、この地で生きてきた先人たちの力へと繋がっていく。



導かれて与えられたこの地での生活は、私の中で時を待ついくつもの種となりつつある。種が育つ土壌に経験という肥やしを与え、それをどう育んでいくか、それはこれからの私の選択と行動にかかっていると強く感じる。


(これを書き終わって読み返しているときに、また地が揺れた)


タッチドローイング「内なる叡智」


「弾む種

2013年1月7日

ハートと太陽



冬でも太陽の光がとても強く感じられる。事実、太陽は激しさを増している。そのエネルギーを体中に浴びるとき、思い出すことがある。

シアトルで畑の草抜きをしていたときのこと。突然、頭の中に ♪ぼ~くらはみんな~ い~きている~  いき~ているからうれしんだ~♪ と、「てのひらを太陽に」の歌が入ってきた。

びっくりして振り向くと、エンドウが嬉しそうに歌っているように感じられた。エンドウだけでなく、畑にあるほかのすべての野菜たち、ハチやチョウ、ブラックビートル、そよぐ風さえも歌っていた。

それは渦巻いて耳をつんざくほどの歌声となり、私を取り巻いた。

今度は下から呼ばれたかのように足元に視線を落とすと、私の目は土の中のバクテリアへと吸い込まれていった。まるで顕微鏡で拡大していくように、意識はバクテリアの存在を映し出す。それは、物理的な大きさではなく、命という尺度で測った大きさで認識された。

命には大きさや強さの違いなどない。あらゆるものが等しくそこにあり、等しく光り輝き、あらん限りの声で歌っている。

命の讃歌が畑中にこだまする。

あまりの強烈なエネルギーに、私はヘタヘタと土の上に座り込んでいた。とその瞬間、私はあらゆるものと一体になり、強烈な至福感が訪れた。次の瞬間、自分のハートから半透明の渦が太陽に向って広がり、溶けていった。

それは太陽に帰っていくような感覚でもあり、そのとき、太陽はもはや単なる太陽ではなかった。

凍りそうな冬の日の仙台。それでも太陽の光がまぶしい。これは真夏の光ではないかと思われるほどまぶしく感じる。

光にハートが弾む。ハートは、太陽は単に科学や数字で定義・理解され、測られるものではないことを知っている。

タッチドローイング 「Connecting with the Sun (太陽とつながる)」
                     
「Solar Goddess (太陽の女神)」
            

2013年1月3日

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。

天の導きなのか、魂の約束なのか、2012年はシアトルでの20年の生活に一旦終止符を打つという展開があり、久しぶりに日本のお正月を実家で夫と家族と共に過ごしています。家族皆が健康であること、穏やかな日々を過ごせることに感謝です。

さあ新しい年、頭上に広がる大空にあなたは何を描きますか?


 
皆様と皆様のご家族が健やかでありますように。

<写真: ワシントン州ウィンスロップのサンマウンテン>