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2015年3月26日

空間と天秤感覚


一昨日アメリカでの三週間の滞在を終えて帰ってきたが、今回の滞在は特別なものとなった。

何もかもが今までとは違っていた。これを新しい体験というのか、以前の私とは違うというのか、今までとは違う次元にいるというのか、そこに押し出されたとでもいうのか、とにかく驚くことばかりであった。

まずは、夫の家族を訪ねてロサンゼルス、フロリダ、コロラドに滞在し、最後にシアトルという強行なスケジュール。それぞれの場所で時間帯と気候が違うため、時計を戻したり、早めたり、また戻したり、服装も春、夏、冬の3シーズンと忙しい(苦笑)。

時差と気候がここまでぐちゃぐちゃになると、当然体はものすごいストレスを受けて不調になると思うのだが、意外なことに一貫して元気なのであった(驚)。

時差に関係なく夜は床に就くとすぐに眠れる、朝頭痛もなく決まった時間に起きられる、何時であっても胃がもたれることなく食べられる、コンタクト装着も問題なし、日中快活に動ける。

これは今までの私とは真逆の状態だ。環境の変化があまりにも激しいため、激しさゆえにスポ〜ンと枠を抜け出てしまったのだろうか。







日常の私の体はこんな風なのだが、それと平行して、その背後にある大河のような流れからも絶えず象徴としてメッセージが来ていた。

フロリダで見たでっかい空、大西洋の大海原。






それに続き、コロラドの義姉はまるで「大草原の小さな家」のような環境に住んでおり、ここでは地平線が待っていた。




空間、空間、空間。

私にとって、今回の滞在のテーマはこれなのか!


歩いている自分の姿勢と歩調が違うことに気づいた。無意識に、姿勢がよくなり、ゆったりと歩いているのである。環境というのは面白いものである。今回、こっちの方が自分らしいと再確認できた。

目の前に広がる大平原とそこに吹き渡る風。

これが今の私の立ち位置。それを感覚として味わう。







すると、大自然を通してやってきた象徴が具現化するかのように、シアトルでは大規模な「手放し」作業がやってきた。

夫と私は2012年に日本に移る前に家財を大処分したが、再びアメリカに戻ってきたときのためにと、お気に入りのダイニングテーブルとイス、その他捨てられないものをレンタル倉庫に入れてあった。

が、今回それを一掃することに決めた。夫曰く「感情的な執着」のために保管料を月々1万円払い続けるのはバカらしいし、使わないままで置いておくよりも、今必要な人に使ってもらう方がテーブルも本来の役割を果たせてハッピーだろう、と。

ごもっともである。

幸い、アメリカは寄付・リサイクルのシステムが充実しており、大抵どんなものでも即受け取ってくれる。過去の思い出でぎっしり詰まった倉庫と寄付の施設の間を何往復もする。荷物を下ろして引き渡すたびに、何故か安堵する。

最後に残ったものは、何箱もの書類と写真アルバム。結婚するときに日本から持ってきた大学時代以降のアルバムとアメリカ居住20年分の何百枚もの写真のうち、今回持って帰れるものだけに減らす必要があった。

猛スピードで写真一枚一枚に目を通し、瞬間的に判断して捨てるかキープするかを選択する。このとき、これまでの自分の歴史が走馬灯のように目というスクリーンに映し出され、死ぬときに自分の人生を振り返るってこんな感じなのかなと、ふと思った。と同時に、今私は象徴的に「死のプロセス」を通ろうとしていると感じた。

写真を選ぶ作業を一回最後までやったあと、さらに二回目、三回目と繰り返す。最初これはどうしてもキープしたいと思って、う〜んと唸るのであるが(笑)、そんなとき、津波で一瞬のうちに全てを失った被災者のことが頭に浮かぶ。

時間を置いて二回目に取りかかると執着は少し薄れており、三回目にはさらに薄れ、結局持って行けるものは私の心の中にある思い出だけだという声が心の中から聞こえて来るのである。


手放すと、心に平原の景色が映る。そこに風が吹き渡る。これはまるでコロラドで見たあの景色じゃないかと思う。風は軽快さとともに新しい始まりの予感を運んで来る。その感覚が波のように何度も訪れる。


空間。空間。空間。





空間の中に立つとき、自分が天秤になったような感覚になる。

2つのものをそれぞれ客観的に観るということ。

どちらが良い、悪いというのではなく、それぞれが全体の一側面であるというだけで、自分はそのゼロの立ち位置から全体を見渡し、意識的に何にフォーカスするかということ。何を経験して何を創り上げたいかということ。

春分を超えて今ここに居る私の中の空間と天秤感覚が、新たな段階へと私を運んで行く。


今日の仙台は雲一つない快晴。そこに飛行機が飛行機雲をたなびかせ、軌跡を残して行くが、まもなく風はそれさえもかき消して、今、頭上にはただただ太陽と青い空があるのみ。



<写真:タッチドローイング「気づきの瞬間」、フロリダ州ポート・セントルーシー、ジェンセンビーチ、コロラド州ベネット>



2014年7月4日

バッハのクラブカノン

「頭で考えられることなんて本当に狭い枠の中だけのこと」
「不可知の領域がある」
「感覚や閃きでとらえる多次元の世界」
「逆もまた真なり」

これらは今日私の中で響いている言葉。

今朝友人が紹介したこのバッハのメロディーの仕組みは、まさにこれらの言葉とシンクロしていたので、ここにシェアします。

まるで緻密に計算されたかのような数学的な美しさは高次の意識そのもののようで、そのメロディーと音から、何故か私は広大な宇宙に輝く星々を感じるのです。

是非聴いてみてください!!



https://www.youtube.com/watch?v=xUHQ2ybTejU

2014年7月3日

鹿人間(Elk Men)に出会う

東北大のキャンパスに空洞のある木がある。それを見ながらドローイングをしていたときに、空洞の中から現れたイメージは、鳥肌が立つようなメッセージを後に運んで来た。

人間と樹と鹿を足して3で割ったようなイメージ。頭から伸びた枝は鹿の角のようでもあり、アンテナのようでもある。これはこれから私が創造したい世界だということを知ったのは、それから5日後に北海道へ行ったときのことだった。



9月に開くワークショップの会場「Kocomatsu」の下見で、5月にオーガナイザーの藤田さん と一緒に、会場のオーナー小野昭一さんにお会いした。当日、ワークショップの話はそっちのけで、小野さんの体験談を交えたワタリガラスとフルート、アイヌ、ネイティブアメリカン、神社、地球や魂の話で盛り上がり、さらには、小野さんが作ったフルートを吹かせてもらったり、ドラムに合わせて声を出してみたりと、時を忘れて楽しんだ。

八角形の建物の中に一歩入るとそこは異空間だった。壁に埋め込まれたステンドグラスから差し込む光の移ろいと、外の自然の音が時計に代わって時を刻んでいた。話始めると、建物の内と外とで起こることが異なる次元で平行していた。

外は最初は晴れていたのに、話が深まると急に風が吹き始め、そこから激しい雷雨になり、さらに地まで揺れ、Kocomatsuを出るときには、澄み切った 空に月がこうこうと照っていた。少しだけお邪魔するつもりが、気づいたら6時間もの時間が経過していて、まるで浦島太郎になった気分だった。壮大で神秘的 なときを体験したのだった。

小野さんご自身が様々な体験と導きを経てたどり着いたのが、ラブフルートというネイティブアメリカンフルートを作り演奏することであった。私はラブフルー トの写真を事前に小野さんのホームページで見ていたが、実際近くで見てみると、一本一本はそれぞれユニークな個性と魂を持ついきものだった。

ネイティブアメリカンのラブフルートは求愛の笛のことで、伝統的に男性が吹くものである。私はラブフルートに強く惹き付けられ、結局ご縁のある一本が私のもとへ来ることになり、現在仕上げ作業が終わるのを待っているところである。

ラブフルートの音は優しく深い森の音である。木々をはじめ、森の中のさまざまな生き物の息づかいが聴こえて来る。小野さんは、ラブフルートはもともとエルクマン(鹿人間)によってもたらされたものであるとお話してくださった(ラブフルートには、ネイティブの神話がある)。

天と地を繋いで生きとし生けるものを育み、大きく包み込むようにすべてを見守る存在である木をくり抜いて小さな穴をいくつかあけ、そこに人間の息を吹き込 むことが、ラブフルートを吹くということ。そこから発せられる音は、自然との大調和であり、愛そのものであると私は思う。

私という最も純粋なエッセンスである息を祈りを込めて吹き込み、自然と溶け合うことを想像したとき、身震いするほどの感動とともに、私の中で歓喜の声がこだました。
「森のこえとひとつになり、大調和の音を奏でる。ああこれこそが、私がこれから創りたい世界!」

北海道へ行く前に描いた絵を後日見たときに、思わずアッと声が出そうになった。木と鹿と人間を足して3で割ったような絵は、私が北海道で出会うことになるラブフルートの世界を既に示していたのであった。


Kocomatsu

ラブフルートのストーリーで、鹿人間が青年の前に現れるシーン

木の空洞から現れた絵は私バージョンの鹿人間だった

2014年6月28日

そのままいっちゃってください

今日仙台で開かれたイベントで、熊谷圭子さんの2時間のライティングセッションを受けてすっきりクリアーになり(自分に対する批判とそれに対する反論というワーク。このことは自分のためにも後でまとめてみたい)、その後に、以前圭子さんのワークで出会った福士信子さんのミニセッションで視覚を使ったシンボルからメッセージを読み取るというのを初体験した。

福士さんは空にモクモクと広がって行く少し暗めの雲と山と海を描き、私のエネルギーである「雲」について説明してくれた。この雲が、私が昨日ここに載せた絵の雲と同じだったので、面白いなあと思った。






「この雲は大きくなってどんどん広がっていくんだけど、それで全然構わない。山や海が他の人だとしたら、あなたという雲がどんなに大きくなろうとも雨が降 ろうとも雷が鳴ろうとも、全体としてバランスがとれていて、下の山や海は大丈夫。そのままどんどん行っちゃってください」という嬉しいメッセージだった。

テーブルには日本の神様カードというのも置いてあり、なぜか最初からそれが気になっていたので引いてみると、「くくりひめの神」というカードが出た。

私は自分が得意なことは、無意識やスピリットの領域とこの現実世界を繋ぐことであり、タッチドローイング自体がそういうことなので、やっていてワクワクして楽しいのであるが、このカードの意味(くくりひめの特徴)がそれであったのも興味深かった。

カードの絵の赤いひものようなものも印象的である。家に帰ると、ふと以前に描いたある絵のイメージが浮かんだので、引っ張り出してみて驚いた。

何ヶ月も前に描いた絵だったが、このカードと同じではないか!この絵は、木を感じながら一時間ほど描き続けていて最後の方に出てきたものだった。感じ取る エネルギーの流れの中に人の姿が現れ、これって新体操みたいな感じだなあ、私はこんな風に軽やかにエネルギーを扱って戯れたいんだろうなあと思ったのを覚 えている。






福士さんとのセッションは20分ほどの短いものだったが、深い無意識の領域としっかり繋がることができた。

最後に、福士さんが小さな白いカードに書いて私に渡してくれた。
「そのままいっちゃってください。周りは気にせず」

よ〜し、このままいっちゃお〜♪


2014年4月7日

自然界からのシグナル

今起こっている激しい変化の様子を昨日絵を交えて文章にした後に、夫と温泉に行った。途中、山形まで足を伸ばして滝のある場所で休憩をとったが、滝を見ていると言葉が浮かんだ。

「今自分の内側でこんな風に滝が流れているから、それと響き合うようにして、こうして滝が目の前にあり、それを見ているのだ」

この場所に来る前に、既に私と滝が引き合っていたからこそ、現実として滝を見ることになったのだろう。

カラスの巣作りのことを書いた3日前、たまたま台所から外を見たら、こんな雲が出ていた。

ああ、これも無意識の部分で引き合っている。渦のことも水の流れのことも、昨日自分がアップした文章で書いていた。そこに渦と創造のことも書いたが、これはカラスの巣作り自体が創造の象徴である。

目に見えない力があり、それが、例えば自然界を通してシグナルを送ってくる。そのシグナルに気づく感性や感覚を養い育てていくことは、ラジオの電波をさら に正確にキャッチできるように、目盛りを微細に調節するようなもので、常に送られているシグナルに耳を傾け、歩み寄って行くようなものである。

すると、自ずと自分が宇宙の一部であること、宇宙は常に自分に語りかけていること、自分は周りのあらゆるものと関わり合い、繋がっていることを強く実感できるようになるだろう。

退屈で薄っぺらい時間はもはや消え去り、豊かさと驚異と変化に満ちた濃い瞬間が目の前に現れる。



2014年4月4日

愛を運ぶカラス


私が住んでいる場所は仙台の中心街から歩いて25分ほどだが自然豊かで、近くの山には年中クマが出没し、川にはサケが遡上し、空にはトンビとカラスが行き交う。

台所の窓から見える木の中に、今年もカラスの夫婦が巣作りを始めた。毎日せっせと小枝や苔を運んでいる。私の住まいは4階建ての最上階なので、鳥や虫が窓のすぐそばを横切って行く瞬間その姿や横顔を捉えると、その生き物が人間のように目的や意志を持って動いているのが感じられ、鳥肌が立つほどゾクゾクする。

昨日、バルコニーのすぐそばを横切っていったカラスは、太陽の光に当てるためにバルコニーに出してあったクリスタルと指輪をチラッと見た。その鋭い視線に私はドキッとした。カラスの目と脳からは強烈なエネルギーが発せられており、圧倒されそうになった。そうだった、彼は巣作りの材料を探しているのだ。

外側からは直接見えない場所に夫婦で協力しながらせっせと巣を作り、夏至の頃にヒナがかえると、自分と同じくらいの大きさになるまで一生懸命エサを運んで育て上げる。子が巣立ちをしたら、今度は家族全員で移動して、子にエサの取り方を指導する。

私は今年も台所から双眼鏡で観察するのである。夫婦のあり方や家族のあり方を。

カラスが愛を運んでくる。



  4月4日 カラスのスピリットに捧ぐ


2014年1月23日

ワケあり万歳!

帰省した際に入手したバターナット・スクウォッシュを使って、夕食にモロッコ風シチューを作るため、生協で買った「理由(わけ)あり」人参を切っていたときに、ふと思ったこと。

私はこの「理由あり」が好きである。どんなワケかというと、大きさにバラつきがあるから規格外になったものだということ。4本入って99円。お値打ちというだけでなく、頼もしさを感じるから好きである。

しかし、よく考えると失礼な話だ。こちらの方が本来の姿なのに、誰かが決めた規格から外れると価値が下がるというのは変だ。横暴な仕組みである。

誰かが作った規格に当てはまろうと一生懸命努力したり、当てはまらない自分の価値を否定することは、この社会にあまりにも定着している。

スーパーに行くと、見栄えの良い野菜が並ぶ。魚もほとんど同じ大きさ。消費者が好むから?いや、その心理を助長したのは誰?それに操られているのは誰?

ニュースでは、髪を黒く染めて、同じ色のスーツを身に着けた就職活動に臨む若者のことや、SNSの浸透により目立つことを恐れ、周りに合わせて控えめな生き方を選ぶ人たちのことが取り上げられている。

ふと、自分が2年前に描いた絵が浮かんだ。それは、思うようにならず、もやもやしていたときに描いたものだった。

その感覚を感じていると、お腹から憤った子供の叫び声が聞こえてきた。「ここにいるのが聞こえないの?いつまで無視する気?」

それは、自由奔放な姿をしたもうひとりの自分だった。その憤りの顔を描いたとき、私は興奮したのを覚えている。核心に迫る「なま」の顔だからである。

私の中の頼もしい「理由あり」チャイルド。この子供が持つエネルギーは生きる力そのものであり、内から揺さぶり、古い枠を壊し、新しい仕組みを生み出す力になると私は思う。

この子供が、一体どれだけの人の中にいることだろう。

4月の大分リトリートは、日常から離れた自然の中で、様々な角度から思い切り自分を感じ取り表現してみようと、相棒の椋梨晶子さんと私の二人の中にある冒険心に満ちた子供が決めた。有り難いことに、参加者は既に定員の半数に至っている。

私の中にいるこの子供は言う。「つないでいる手を離しても大丈夫、既につながっているから。横並びからはみ出して多いに結構。自分の歩は、自分だけのものだから」



タッチドローイング:「おーい、ここにいるのが聞こえないか!」
2012年4月 



2013年11月29日

アリシアおばさんが本を出版した


初めて会ったのに初めてのような気がしない、そういう経験は誰にでもあるだろう。

私もそんな経験はたくさんあるが、人種が違うときはインパクトが強烈である。私の場合、アリシアおばさんがそうであった。アリシアおばさんは義父の妹で、初めて会ったのは夫と私の結婚後数年たってからのことである。

通常なら、初対面のアメリカ人と会うときには何を話してよいのか考えて緊張するのだが、アリシアおばさんには会った瞬間から、まるで子供の頃から実家によく来ていた親戚の人のような安心感があった。

彼女の黒い目の奥に、私も知っている共通の風景がうかがえる。だから、親しみを感じたのかもしれない。夫から、彼女は霊能力を持っていると聞かされており、私はそのことでも彼女に対して個人的に興味を持っていた。

「あなたを見た時、あえて今から知ろうとする必要はないと思ったわ」
アリシアおばさんも同じ反応をしていたことを、後になって打ち明けてくれた。

おばさんとは、やはり不思議な縁で繋がっていた。彼女はシアトルに遊びに来た際に、私が作った食事で激しい食中毒の症状を起こし、寝込んでしまった。生ものを出したならまだしも、タラと豆腐と野菜を入れた鍋料理で食中毒を起こすとは考えられず、食べたほかの人は全く問題なかったので、何か特別な理由があったと思う。

おばさんからの希望もあり、私はごく自然な形でおばさんに霊気をすることになり、霊気をしているときに勝手に体が振り子のように揺れるという体験をしたため、それをきっかけに、お互いに目に見えない世界の話をするようになった。

おばさんは、これまでに実に様々な霊的体験をしており、短い滞在の間にその体験をいくつか語ってくれた。私たちは居間のソファに座り込み、それから数時間の間、互いに体験談を語り合った。

「人生は仕事をして子供を育てることだけではなくて、それ以外にもとても大切なことがあると思うの」とおばさんは言った。「でも残念なことに、特にアメリカ社会では、それを認めるにはまだまだ抵抗があるのよ。いつか私の体験を書いて出版したいと思っているの。ただ、私が体験する世界はまだ一般には受け入れられないと感じているのよ。」

私は、おばさんが語ってくれた体験談のいくつかを文字にして送って欲しいと頼んだ。日本語に翻訳して日本の友人に紹介するから、と冗談ぽく言った。

あれから6年が経ち、今目の前におばさんの本がある。隣に住んでいるようなごく普通の人で、それどころか明日の生活もままならないという厳しい経済状況の中、娘さんの助けを借りて出版にこぎつけたのである。興味のない人にはパッとしない本かもしれないが、私にはおばさんの決意と情熱が伝わってくる。

平凡な一人が、あるとき殻を破って自分が伝えたいことを表現し始める。何よりも自分が満たされるだろうし、確実に誰かには伝わるものだと思う。おばさんは、今、私にそのことを見せてくれていると感じる。

最初のストーリーを読むと、おばさんは幼いときに臨死体験をしており、天に昇ったときに自分の名前が書かれている本を見せられ、そこはまだ空白のままだったという。これからの人生でやるべきことがあることを知り、この世に送り返されてきたと書いてある。

「私の人生の体験がもたらした気づきを、ストーリーを通して伝えたい。私たちが思い込みや信じ込みという制限を越え、霊的な存在であることに対して心を開くのに、理由や論理はいらない。きっと私の体験談を読んで、ああそういえば自分もこれに似たような体験があったわと気づくのではないか」と語る。

アリシアおばさんは、現在第2作目にとりかかっているとのことだ。

今度おばさんに会えるのはいつ、どこでだろう?以前からずっと日本にも来たいと言っているおばさん。おばさんが自分の本の日本語訳を手にするのも夢ではないかも。そのときは、私が訳しているのでしょう。

わっはっは。






2013年11月22日

出現した愛染明王


「今が一番幸せ」という感覚が続いている。朝起きると目の前にある新しい一日にワクワクし、夜は今日一日が無事に終わったことに感謝して、次がどんな日になるかを楽しみにしながらゆっくりと休む。平凡な生活の中にある穏やかさに浸った日々が淡々と過ぎ、今のままで十分幸せと感じる。

ここで死んだとしても、きっと感謝の気持ちしか残らないだろうなあ。ひとつ後悔するとしたら、夫や親を残して先に逝くことだろうか。

夫と一緒に生活を楽しみ、自分で適当に楽しんでいる範囲においての私はここで死んでよい。

しかし、物語りはそこで終わらないのである。

突然、激しい喉の痛みが始まり、痛みに向き合わざるを得なくなった。喉に意識を集中して指を動かし紙の上に表現していくと、最後には痛みは稲妻と化して喉を裂き、中から戦士が出現した。


私の中の愛染明王。

胸のしこりから絵を通して出現した少女は、もはや少女ではない。

彼女は言う。「慌てなくてもよい。休息することも必要。しかし、時が満ちて中心から沸き起こる幸福感が確かなものとなったとき、次へと踏み出すのだ」

彼女は強い意志と情熱に燃える健全な怒りの炎を燃やしている。この愛染明王は、しこりの少女が胸に抱いていた愛の炎が変容した姿でもあった。顔はおどろおどろしい憤怒というよりも、意志の力にみなぎっている。

「楽しみを発見するのはよいことだ。しかし、自分だけが楽しければよいという段階から抜けなさい。」

内なる怖れを退け、より全体的でよりよい世界の創造を求める建設的な怒りは、意志、決意、行動の原動力となる。

色を塗っているうちに、手に持っているのは剣ではなく、トーテムポールだと判明した。トーテムポールを持つスピリチュアルな戦士愛染明王。真面目だが、ユニークでユーモアに溢れたところが何ともいえない。


社会に対して憤りを持つのはよろしい。これは変だ!と思うことがあってよろしい。
自分はこう感じると表現してよろしい。既存のものにこだわらなくてよろしい。

窮屈になったらそこを出ればよろしい。
まずは、ただ出るだけでよろしい。

そうしたら、新しいことが入ってくるから。


写真:タッチドローイング 「私の中の愛染明王(Emerged Ragaraja Vidyaraja Self)


2013年11月7日

マッシュルームのおしえ



 しこりから出現した少女の絵を見ていると、どうしても岩崎ちひろの絵を思い出してしまう。顔が似ているからだ。

岩崎ちひろの絵というと、私の中では「妖精のようなこども」というイメージがあったが、面白いことに、このしこりの少女のことを文章にする直前に、ひょんなことがきっかけで、どでかいマッシュルームに出会っている。

バルコニーで洗濯物を干していたら、タオルが風に飛ばされて下に落ちてしまった。拾いに行ったら、木のそばにあったこのマッシュルームに目が釘付けになった。「見て!」と、呼び止められたような衝撃を受けた。落ちたタオルは、ただのきっかけだったのだ。



 最近興味があって読んでいる本に、スピリットと繋がる方法として、「何か答えを求めているときなど、自然の中を歩いてみるとよい。そこで特に注意を引くものは、スピリットからのメッセージを潜在意識がその独特な方法(言葉以外のもの)で伝えようとしているのであり、潜在意識はものの見方に違った角度や、思いもよらない可能性を見出す糸口を提示してくれる」とある。

この大きなマッシュルームを見ていると、翼を付けたあどけない表情の少女が上にちょこんと座っているイメージが目の前にちらつき、岩崎ちひろの世界が広がる。

私のしこりの少女も、この妖精のような資質をもっているのだろうか。実際、私は自然の中にいるのが一番好きで、自然はインスピレーションを与えてくれると同時に、これまでも私を導く大きなサポートをしてくれている。

これが自分の特徴なんだなと思ったら、今度は、マッシュルームのメディスン(教え)を知りたくなった。調べてみると、「マッシュルームは異なる角度からアプローチしてみることを意味する。他の人には効果のないことが、あなたには効果がある。マッシュルームはリサイクル(再循環)をして命の手助けをする」とある。

「他の人には効果のないことが、あなたには効果がある」というところで、奥底でニヤリとした自分がいた。このところずっと、「逆もまた真なり」とか「逆説」という言葉が自分の頭の中で響いていたからだ。

それとともに、数年前にカウンセラー・セラピストの養成講座を受講するにあたり記入した質問欄に、「もし自分に、100人いたら100人が信じる、いわゆる社会で長年信じられてきた理論や説、認識を覆すまったく逆の考えがあったとしたら、そういう自分をどう扱えばよいか」というようなことをしつこく(笑)書いていたことを思い出し、この部分を出すことを怖れて人に合わせてきたから、しこりが「ちょっとアンタいい加減にしたら!」と今回カツを入れてきたのかなと思ったりもした。

恩師岡部明美さんによる養成講座の最後に描いた人生の樹の絵には、「我が道をゆく」と書き込んだではないか。みんなで一緒に、という意識が強いこの日本の中で、我が道がみんなの歩調や進む方向と全然違ってもいいではないか。

上から見たらみんな繋がっていて、最終的には同じところに行き着くのだから。