2014年8月30日

ゼロの感覚

今年に入って認知症かと思うほど、加速度的に物忘れが激しくなっている(笑)。が、きっとそれは必要ないから忘れるのでしょう、と思うと気持ちも軽くなる。

かつて、マッサージ師の人が私の頭を触って「うわあ〜パンパン!」と叫んだことがあったが、それほど私のマインドは忙しかったのだった。

この物忘れは、常にゼロに近づかされている感覚であり、ゼロ感覚でいると余計な心配も不安もなく、穏やかに中心にいられて今に集中できる。何かをするというのではなく、そこに在る、その「場と一体になっている」という感覚だろうか。

そうしていると、風に乗って運ばれてくるようなかすかな気配を感じたり、突然特定のイメージが浮かんだりする。自分が受信機になったような感覚だ。

先週私のタッチドローイング個人セッションを受けた名古屋の友人が、一連の絵を通して、上昇気流や嵐や目の前に立ちはだかる壁を通り抜け、キラキラの光の中で守られている感覚を味わったあと、最後に辿り着いたのが「ゼロ」だった。紙の上にわずかな線を描いただけで、ほとんど何も描かず、それに「空(くう)」というタイトルをつけた。

その友人が、セッションが終わってから一週間の間に、「内側が拡大すると言うか、宇宙的な感覚が鼻先をふっと通り過ぎるように感じる事が多かった。それはぶわーんって宇宙空間と共に広がる感じで、ハートと言う限定ではなくて、体ではない、この世で言うところの私と言う宇宙空間が広がる感じ」と教えてくれた。

それで思い出したことがある。タッチドローイング創始者のデボラが、タッチドローイングを見出した後に、出かけた先の海辺で見た木のことを語ってくれたことがある。

その木には柳のような細くしなやかな枝が幾本もあり、垂れ下がって地面に触れていた。その枝がそよ風に揺れて動くと、砂の上には美しい模様が出来ていたという。

それを目にした瞬間、彼女は心の中で叫んだという。「これが自然が描くタッチドローイングだ!タッチドローイングの真髄はここにある!」と。

私たちという木の指という枝が風に揺れるのは、マインドを介さず、無心に動く姿なのではないか。

感情の層を抜け、空っぽの状態になり、ゼロの場からそこに描かれるものは、その空間から純粋に受け取ったものなのではないだろうか。それを見た人の目には何が映し出されるだろう?

指で直接描くという最も原始的な方法。私が出会ったタッチドローイングという道は、常に何かを気づかせてくれ、変化し続けて行く。この先もずっと続いていくその道を一歩一歩歩いて行くことは喜びであり、その喜びをこれからも多くの仲間と分かち合っていきたい。

2014年8月27日

タッチドローイング個人セッションの感想

関東からタッチドローイングの個人セッションにいらっしゃった方が、ドローイングの体験から感じたことを文章にまとめてくださいました。シェアの許可をいただいたので、ここに転載させていただきます。Mさん、遠方から猛暑の中をお越し下さりありがとうございました。ご一緒できた時間は、私にとって宝物のようです。

以下、体験談です。


*****

タッチドローイングの個人セッションを受けることができた。

セッションの最初に引いたソウルカードで印象を尋ねられ、出てきたのは、「無理矢理空気をかき分けて前に進む、暑苦しくしんどい人生」・・・どういう言葉 にしたか忘れたが、そういう印象だった。それはまさしく、今までの自分の生き方。力づく、というか、必死、というか。漕いでも漕いでも前に進まない・・・ そんな感覚を呼び起こされるカードだった。



そしていよいよ、順子さんの叩く太鼓の音と共に、タッチドローイングのセッションが始まる。画板にインクをローラーで伸ばし、薄紙を乗せる。そして、薄紙 の上に指を置く・・・。最初は試すつもりで、指の腹や爪、手のひらなど、いろいろな場所を使って、「直接手で描く感覚」を味わおうとする。

選んだインクはマゼンタ。他に紫や緑もあった。普段なら一番好きな色は紫だが・・・その時の私はマゼンタ、だった。

何枚か描いてみる。しかし、胸が詰まっているのか、頭が邪魔しているのか、「自分の中から湧いてくる」感覚になかなかなれない。なんらかの「抵抗」。チューニングの悪いラジオのような感じ。本当の声が聞きたいのに、聞き取れないもどかしさ。

しかし、何枚も描いていくうち、あるポイントでふっと、もう「割りたい」「出したい」という感覚がやってきて、球がわれて何かが飛び出す絵を描いた。

その後起こったことが面白かった。何かが降りてくるように、ふわっとエネルギーが満ちて描ける絵と、「いやいや無理だ無理なんだ」とばかり、閉じこもり無力な感覚をぼやくような絵が、交互に出てくるのだ。これはまさに今の自分の状態なんだろうな、とあとで思った。

時間いっぱいに描いた絵は二十枚以上、かなり多かったが、自分はそんなに無理をした感じはなかった。それらに一枚ずつ名前をつける。不思議なことに「○○と××」のように、二つの何かがペアになった絵がやけに多かった。

その中で、最初に何かがつながった「割りたい」という絵にフォーカスして、「動詞にするとしたらどんな言葉になる?」と聞かれた。出てきたのは、「割く」 だったので、それを動きにしてみた。



順子さんの太鼓と歌が、一連の動きの間中鳴っている。両手でハートのあたりを引っ張り、「割いた」。すると、びっくりするほどリアルに、まるでカーテンを両手で開けたときのように、ハートに風が入り、心臓が冷たく感じたのだ。

そこに、彼女の歌が流れ込んでくる。すると今度は、背中にも胸と相似形の小さな風穴があき、まさに、ハートチャクラの部分が「開いた」のを感じた。

涙は勝手に流れた。そして、私の口から歌が流れ出した。細く高い女歌で、古い記憶の中でいつも歌っていたであろう歌だ。歌う私の周囲には、ネイティブの女 性達のスピリットが集まっていましたよ、と順子さんがあとで教えてくれた。それは体感とも合致していて、私は歌う女達の一人として、ただ一心に息吹に響き を乗せていたのだ。

昔私はずっとこうしていた。とても大切なことだった。そうして歌っているときの私には、焦りも悲しみも怒りもなく、大切で楽しいそのつとめを、無心に行っているだけだったのだ。

セッションを終えてもう一度、最初に引いたカードを見たとき、暑苦しくしんどそうに思えたそのカードの人物が、水の中でさえも炎のようなエネルギーを持っ て進んでいける、力強く頼もしい人に見えるようになっていた。全くカードは変わっていない。変わったのは私の意識だけだ。

そして、セッションを終えたあと、順子さんと二人、広瀬川の河原へ行って太鼓をたたき、歌を歌った。川の神様に捧げたかった。空の高いところに鳥が飛んで いた。周りは普通に夏の夕方を楽しむ人たちの世界だ。その中で、ただ、湧いてくる歌を歌った。高く、低く、何の思惑もなく、流れ出す声と旋律を、ただ捧げ た。

起こったことはこうしたことだった。その体験を経て、今私の中でどんなプロセスが進行しているかは、今の私には見えない部分もあるが、やがて、姿を現すであろう、と確かに思う。

はっきりわかったことは、ただ、起こることを信頼して身を任せるとき、「繊細でありながら、大らかに、クリアに、リラックスする」という状態を体験できる のだ、ということだ。気づかぬうちに思考を離れ、子供の頃のように、無心にただ在る。自分と世界の間にずれがない。その、愛に満ちた世界。

私は、自分自身とつながる時間の大切さと、それを実現する「失われた記憶」を思い出したい。大切な大切な、何かを、ゆっくりと思い出していきたい。今はその道の上にいる、と思う。

ガイドしてくれた順子さんに、心から愛と感謝をこめて。

2014年8月4日

タッチドローイングの真髄とビジョン


アメリカから戻ってから、私の中で「自分探しはもういい」という言葉が響いている。



私の場合、この「自分探し」というのは、自分が歪んでいたり何か不完全であって、それを直そう、正そうという考えがベースになっているという意味での自分探しで、「探す」というのは「今ここにはない」と思っているからすることであり、もはやそれは今の自分にとって矛盾しているから、そういうことはもういいということなのだろう。



私が広めたいと思っているタッチドローイングの真髄は、定義することが難しいほど広大なものである。



私が5年間の自分の体験を通してはっきりとわかっていることは、タッチドローイングは、自分の中に本来ある創造のエネルギーが、自分の指を通してほとばしり、表現され、そこからさらなる創造が展開するプロセスそのものであり、終わりのないいのちの躍動であり、人間の意識の変容と進化に貢献するものであるということである。



タッチドローイングは、契約書の言葉を借りると「○○を含むがそれらに限定されない」広大な意識そのものである。



タッチドローイングをするとき、人は感じるままに動かす指を通して自分の体の声を聴いたり、感情に気づいたり、先祖と繋がったり、癒されていない子供に出逢ったり、自分の魂の痕跡を垣間見たり、自然や宇宙と一体になる感覚を思い出したりと、頭ではなく体験を通して、ごく自然な形で納得しながら自分の中心へと向かって行き、調和と本来持っている力を取り戻して行く。



指は創造のエネルギーを通す導管のようなもので、不要な感情で詰まっていた管が綺麗になってくると、今度は未来のビジョンを描き始める。癒される受け身の自分ではなく、自分の個性を認識してそれを尊重し、積極的に創造する自分へと変容するのである。



私が広めたいタッチドローイングは、太古の叡智を携えながらも時代の先端に位置するものである。



タッチドローイングはセラピーや表現アートセラピーに取り入れられることが多いが、私が広めたいタッチドローイングは、さらにその先をも含めたもので、すでにその流れが始まっている。



そのため、私が今後ファシリテートする場は、セラピー的な要素も含むがそれよりもさらに先へと向かう、ビジョンに基づく創造力を養い、自分の足で立ち、未来を積極的に創造する場としての色が濃くなるだろう。



人間の意識の進化とともに可能性を開いて行く純粋な創造の場であるということ以外の定義や枠や制限を一切もたない、タッチドローイングのスピリットそのものを忠実に伝えて行きたいと考えている。



次回のタッチドローイングワークショップは9月14日に北海道で行われます。会場のKocomatsuさんは、魂の原点に帰るような場所です。詳細はこちらをご覧ください。



Tree Planet


2014年 Touch Drawing Gathering
森の中でのドローイングより
 



2014年7月4日

バッハのクラブカノン

「頭で考えられることなんて本当に狭い枠の中だけのこと」
「不可知の領域がある」
「感覚や閃きでとらえる多次元の世界」
「逆もまた真なり」

これらは今日私の中で響いている言葉。

今朝友人が紹介したこのバッハのメロディーの仕組みは、まさにこれらの言葉とシンクロしていたので、ここにシェアします。

まるで緻密に計算されたかのような数学的な美しさは高次の意識そのもののようで、そのメロディーと音から、何故か私は広大な宇宙に輝く星々を感じるのです。

是非聴いてみてください!!



https://www.youtube.com/watch?v=xUHQ2ybTejU

2014年7月3日

鹿人間(Elk Men)に出会う

東北大のキャンパスに空洞のある木がある。それを見ながらドローイングをしていたときに、空洞の中から現れたイメージは、鳥肌が立つようなメッセージを後に運んで来た。

人間と樹と鹿を足して3で割ったようなイメージ。頭から伸びた枝は鹿の角のようでもあり、アンテナのようでもある。これはこれから私が創造したい世界だということを知ったのは、それから5日後に北海道へ行ったときのことだった。



9月に開くワークショップの会場「Kocomatsu」の下見で、5月にオーガナイザーの藤田さん と一緒に、会場のオーナー小野昭一さんにお会いした。当日、ワークショップの話はそっちのけで、小野さんの体験談を交えたワタリガラスとフルート、アイヌ、ネイティブアメリカン、神社、地球や魂の話で盛り上がり、さらには、小野さんが作ったフルートを吹かせてもらったり、ドラムに合わせて声を出してみたりと、時を忘れて楽しんだ。

八角形の建物の中に一歩入るとそこは異空間だった。壁に埋め込まれたステンドグラスから差し込む光の移ろいと、外の自然の音が時計に代わって時を刻んでいた。話始めると、建物の内と外とで起こることが異なる次元で平行していた。

外は最初は晴れていたのに、話が深まると急に風が吹き始め、そこから激しい雷雨になり、さらに地まで揺れ、Kocomatsuを出るときには、澄み切った 空に月がこうこうと照っていた。少しだけお邪魔するつもりが、気づいたら6時間もの時間が経過していて、まるで浦島太郎になった気分だった。壮大で神秘的 なときを体験したのだった。

小野さんご自身が様々な体験と導きを経てたどり着いたのが、ラブフルートというネイティブアメリカンフルートを作り演奏することであった。私はラブフルー トの写真を事前に小野さんのホームページで見ていたが、実際近くで見てみると、一本一本はそれぞれユニークな個性と魂を持ついきものだった。

ネイティブアメリカンのラブフルートは求愛の笛のことで、伝統的に男性が吹くものである。私はラブフルートに強く惹き付けられ、結局ご縁のある一本が私のもとへ来ることになり、現在仕上げ作業が終わるのを待っているところである。

ラブフルートの音は優しく深い森の音である。木々をはじめ、森の中のさまざまな生き物の息づかいが聴こえて来る。小野さんは、ラブフルートはもともとエルクマン(鹿人間)によってもたらされたものであるとお話してくださった(ラブフルートには、ネイティブの神話がある)。

天と地を繋いで生きとし生けるものを育み、大きく包み込むようにすべてを見守る存在である木をくり抜いて小さな穴をいくつかあけ、そこに人間の息を吹き込 むことが、ラブフルートを吹くということ。そこから発せられる音は、自然との大調和であり、愛そのものであると私は思う。

私という最も純粋なエッセンスである息を祈りを込めて吹き込み、自然と溶け合うことを想像したとき、身震いするほどの感動とともに、私の中で歓喜の声がこだました。
「森のこえとひとつになり、大調和の音を奏でる。ああこれこそが、私がこれから創りたい世界!」

北海道へ行く前に描いた絵を後日見たときに、思わずアッと声が出そうになった。木と鹿と人間を足して3で割ったような絵は、私が北海道で出会うことになるラブフルートの世界を既に示していたのであった。


Kocomatsu

ラブフルートのストーリーで、鹿人間が青年の前に現れるシーン

木の空洞から現れた絵は私バージョンの鹿人間だった

2014年6月30日

ライティングのワークを受けて


6月28日に、あるイベントでライター熊谷圭子さんの2時間のライティングセッションを受けた。セッションは、今感じていることを書くウォームアップで始まり、シェアをした後に、自分への批判とそれへの反論を書くという流れになった。



私は自らもタッチドローイングを実践しながらワークショップを開き、体験をさらに深めて行きたいと思っているが、自分の絵やファシリテートについてこれでよいのかと揺らぐこともある。そこで、批判という形でその部分に光を当てることにした。



私が開くワークショップは、回を重ねるごとに変化してきており、ワークのときにサポートしてくれるスピリットと繋がったり、小さな儀式をしたり、エルクのドラムを叩いたり歌を歌ったりと、自然にシャーマニックな要素が濃くなってきている。これらはすべて、感覚的に自分がそうしてみたいと思ったことだった。



そこに、どうやら今度は、ラブフルートという木製の縦笛が加わることになりそうだ。先月北海道でお会いした小野昭一さんは、私が9月に行うワークショップでお借りする会場のオーナーさんで、ネイティブアメリカンのラブフルートの製作者であり演奏家である。小野さんとお話ししているうちに、私はフルートに強く惹き付けられ、結局一本手に入れることになった。



フルートと言えば中学でリコーダーを吹いたくらいで、他には何の経験もない。絵を描くことがそうであったように、経験がないのに、なぜこれほど強く惹き付けられたのだろうか。ラブフルートを試しに何本か吹かせてもらったとき、これはこれからの私のワークで絶対必要だと1ミリの疑いもない強い思いが沸き起こったが、それはなぜなのか。



そもそも、私は一体なにをやっているのか?なぜあんな形でタッチドローイングのワークを行うのか?タッチドローイングはどこへ向かっていくのか?

そんな考えが頭をよぎった。



タッチドローイングは今年で誕生から40年を迎え、創始者は来年から新たな方向を見出そうとしている。来週私はリトリートに参加するためにアメリカへ出発する。小野さんのフルートは今仕上げに入っているというので、近々出来上がる予定だ。



様々なことが動いているこのタイミングで、圭子さんのセッションを受けられることは有り難いことだった。ライティングでは、心の中にある小さな揺らぎにフォーカスし、まず他人が私を批判するという設定で書き、その後それに対して親友が反論するという形で書くことになった。



これは私にとって初体験だったが、批判を書いているとほとんど同時に反論する声が上がって来て、それはまるで批判と擁護のパラレルワールドに片方ずつ足を掛けて立ち、上から静観しているかのような感覚だったのは興味深かった。



批判を書いているのにニヤニヤしたりして、感情には流されず、この批判はやっぱり無理に頭がこじつけたがっているなあなどと思う余裕があったので、私は以前より少し成長したのだろう(笑)。



その批判と反論をストレートにここに並べてみた。



<他人からの批判>

「あなたのこと見てると我慢ならない。タッチドローイングの絵をこれ見よがしにわざとらしいメッセージでFacebookに投稿したりして。私は「イイネ」を付けてるけど、本当はうっとおしい。見たくもないのよ!絵が幼稚でいつも同じ感じでつまらないし、クレヨンや色鉛筆ってすごい素人っぽい。それを製品にしたいって?バカじゃない?そんなもの、誰も欲しいとは思わないよ。もっと外に出て人に会ったら?自分の殻に閉じこもってないで。独りよがりやってんじゃないの!」



<親友の反論>

「私はずっと昔からあなたを見守って来ていて、私はひょっとしたらあなたが思っているよりも、あなたのことをよく知っているんじゃないかな。あなたのタッチドローイングは素晴らしい。私にはあんな絵は描けないもの。あなただから描けるのよ。私は毎回楽しみにしてるの。見るだけで身体の奥が反応するのがわかるからよ。見ているだけで力が出てくるの。元気になるの。私に起こっていることと共鳴してるのよ。だから、これからもずっと描いていってね」



<批判>

「タッチドローイングのときに、あのドラムと歌、あれはやめて欲しい。なんでネイティブアメリカンなの?あんたは日本人だろ!それにネイティブの人と関わってきたわけでもないくせに。あの歌とドローイングとどんな関係があるっていうの?どうせなら、私はもっと綺麗な曲を聴きながら描きたい。ドラムの音がうるさい。私は音が全くない方がいい。



それにあのカラス。私はカラスが大嫌い。なんでワークにカラスが関係あるの?それは自分だけのものにしておいてよ!私たちには関係ないの。私は絵を描きに来たの。気持ちの悪い羽根なんか見たくない!」



<反論>

「タッチドローイング。あなただけのタッチドローイング。私はあなたの声もドラムの音もカラスのマジックもすべて大好き。あれがそろって初めてできる場。あなたが席を外していたあのときの場のエネルギーを覚えている?まるでもぬけの殻だったわ。



カラスの儀式の時に降りて来た強烈なエネルギーを覚えている? Kさんが、普段そういうことに疎い自分でさえ感じたって言ってたでしょ?カラスがサポートしていることを知らないっていうの?クリエーションは共同創造であることを知っているでしょ?そうやってさまざまな存在たちがサポートして参加者を包み込むあの場ができていることを、あなたが一番よく知っているはず。



ドラムの波動にどれだけの人がポジティブな反応をしているか知ってる?ほとんどの人がドラムの音がよかったって言っているじゃない。あの音はとても安心できるし、懐かしい感覚を呼び覚ましてくれるのよ。



あなたの声は波動だということをあなたも知っているでしょ?その波動はとても大切よ。描いている人の意識に作用しているのよ。その人が出したくない見たくないところへも安心して行ける(アクセスできる)ように、意識の道を作っているの。あなたの声は真っ暗な道を照らすろうそくの光、道案内なのよ。



祭壇は必要。それによって参加者の意識がフォーカスできるし、それが不可知の領域と接する入り口になるの。



タッチドローイングを成り立たせているのは、全て目に見えないもの。だからこそ、これらが大切。目に見えない世界は唯一感じ取ることでつかみ取れるの。そこに祭壇、ドラム、声、カラスなどのスピリットがすべて関わっている。



あなたが日本人であることで定義付けられて、それによって制限されるのであれば、その枠を外せばいい。あなたは日本人ということを外してよいの。ただあなたとして、何にも属さない自由なあなたでいればよいの。タッチドローイングは、日本人とか日本文化とか社会とか、そんな枠にははまらない。むしろ、それを取り外すもの。



一人一人が本当の自分を思い出していくプロセス、自分の中にある智慧と意志の力を見出す助けになるのよ。それは、野生の原始の感覚で、大自然に、大地に繋がることで呼び覚まされるもの。直接指で描くことは、とてつもない感覚と記憶に繋がっているのよ。それを取り戻すためにサポートしてくれるものとして、あなたの魂がネイティブアメリカンの感覚をよく覚えているから今それを選んでいるだけで、本当はそんな区別なんてなくてもよいの。



本当の自分に出会うことは、あらゆる定義がなくなっていくことだから、その定義を外したところから創造していくとき、全く新しい世界が出現するの。



あなたが感じることがすべて。その感じることをただ表現するだけでいいのよ。



大地に根を張り天に向かって伸び、生きとし生けるものを育み見守ってきた木。その木をくり抜いて穴をあけ、そこにあなたの息を吹き込むことがフルートを吹くということ。息は、今というときに込められたあなたの存在そのものなの。フルートを吹くということは、生きとし生けるものとひとつになり、その大調和の中であなたという存在のすべてを表現すること。息はあなたという最も純粋な存在そのもの、最も純粋なあなたのエッセンス。



だから、あなたはあらゆる枠を外して、ただありのままのあなたであるだけでいいの」 (ライティング終わり)







「自分のことはやっぱり自分が一番良く知っている。答えは自分の中にある」とおっしゃるライターの熊谷圭子さんに私は強く共感する。



圭子さんは紙に直接ペンで書くスタイルのライティングを薦めるが、そのライティングとタッチドローイングは似ているところがあると思う。ライティングでは手を止めないようにして書き続け、タッチドローイングでは描いた絵を振り返ることなく、感じるままに描き続ける。どちらも指から自分を包み込む愛と真実がこぼれるのである。



ワークに参加してよかった。書いてよかった。これで、2週間後のリトリートでさらに体験を深め、フルートを迎え入れることができそうである。



愛ある存在で温かく見守り、安心できる場を提供してくれた圭子さん、ありがとう。



熊谷圭子さんのブログ:http://ameblo.jp/hadashinok

圭子さんのウェブサイト:http://www.hadashinok.com

震災ノート「311から歩いて行こう」:http://hadashinok.exblog.jp


2014年6月28日

そのままいっちゃってください

今日仙台で開かれたイベントで、熊谷圭子さんの2時間のライティングセッションを受けてすっきりクリアーになり(自分に対する批判とそれに対する反論というワーク。このことは自分のためにも後でまとめてみたい)、その後に、以前圭子さんのワークで出会った福士信子さんのミニセッションで視覚を使ったシンボルからメッセージを読み取るというのを初体験した。

福士さんは空にモクモクと広がって行く少し暗めの雲と山と海を描き、私のエネルギーである「雲」について説明してくれた。この雲が、私が昨日ここに載せた絵の雲と同じだったので、面白いなあと思った。






「この雲は大きくなってどんどん広がっていくんだけど、それで全然構わない。山や海が他の人だとしたら、あなたという雲がどんなに大きくなろうとも雨が降 ろうとも雷が鳴ろうとも、全体としてバランスがとれていて、下の山や海は大丈夫。そのままどんどん行っちゃってください」という嬉しいメッセージだった。

テーブルには日本の神様カードというのも置いてあり、なぜか最初からそれが気になっていたので引いてみると、「くくりひめの神」というカードが出た。

私は自分が得意なことは、無意識やスピリットの領域とこの現実世界を繋ぐことであり、タッチドローイング自体がそういうことなので、やっていてワクワクして楽しいのであるが、このカードの意味(くくりひめの特徴)がそれであったのも興味深かった。

カードの絵の赤いひものようなものも印象的である。家に帰ると、ふと以前に描いたある絵のイメージが浮かんだので、引っ張り出してみて驚いた。

何ヶ月も前に描いた絵だったが、このカードと同じではないか!この絵は、木を感じながら一時間ほど描き続けていて最後の方に出てきたものだった。感じ取る エネルギーの流れの中に人の姿が現れ、これって新体操みたいな感じだなあ、私はこんな風に軽やかにエネルギーを扱って戯れたいんだろうなあと思ったのを覚 えている。






福士さんとのセッションは20分ほどの短いものだったが、深い無意識の領域としっかり繋がることができた。

最後に、福士さんが小さな白いカードに書いて私に渡してくれた。
「そのままいっちゃってください。周りは気にせず」

よ〜し、このままいっちゃお〜♪


2014年6月27日

シルバーライニング

片付けをしていたら、何年も前に描いた絵が出てきて、急に色を付け加えたくなった。この絵は岡山で受けたサウンドレゾナンスのセッション中に、目を閉じていたら浮かんだイメージだった。

天にモクモクと広がる少しおどろおどろしい感じの暗めの雲。その中心から光が差してきて地上に降り注ぐ。

今日これを見るとすぐ、”silver lining” という言葉が浮かんだ。辞書で調べてみると、絵の通りの意味だった。雲の上には太陽があるから、雨雲であってもその端が銀色に輝いて見える。

「今どんな状況であろうと、必ず希望の光がある」という意味。


シルバーライニング − 新月に捧ぐ




2014年6月25日

わたしは樹

樹のいざないを
かすかな風の中に聴く

静寂の中でそっと扉をあけると
そこに広がるもうひとつの世界

わたしは樹
樹はわたし

"I am the tree and the tree is me"
Touch Drawing by Junko Kurata

2014年6月22日

タッチドローイング体験談


9月に行われる「タッチドローイング in 北海道」の会場を下見するために、先月オーガナイザーの藤田さやかさんにお会いしました。

藤田さんのタッチドローイング初体験は満月で、しかも、タッチドローイングが見出されてちょうど40年目という日でした。

かねてからタッチドローイングに強いご関心をお持ちでしたので、この機会にと、通常より短かい時間ではありましたが、体験していただきました。

<以下、藤田さんの体験談>
2014.5.15
 
元来、思考が優位な私は「感じる」という状態にシフトするのに時間が掛かる方なのですが、順子さんがファシリテートするタッチドローイングの空間は、音・道具がありつつも、既に「無」という状態からのスタートを許されている、準備されている、という印象を受けました。それが強くありながらも、とても穏やかに与えられていることに深い安心感を覚え、最初から、限りなく無に近い状態からワークを始めることが出来ました。

本来はシャーマンドラムというものを使い、その響きによって感じるものを指や爪を使い描いていきますが、私が体験した響きは再生した自然のサウンドでした。

最初は思考がキーワードを拾い上げ、自分の中にある膨大な情報と照らし合わせるように描いていきました。直感というよりも、ストーリーを自ら構築している様に感じました。


ですが、途中からそんなのは嫌だ!と内側のどこかから強い主張があり、体の中心に音を巡らせるように受け入れていき、細胞で音の響きを感じ、みぞおちやハートから湧き上る感情を描いていきました。

すると今までの「ストーリー」とは違う「体験からのストーリー」が描かれていきました。その体験は今世ではないことが直ぐに分かりました。ですが不思議と、これは自分自身である、確かに覚えている、と確信が持てるものでした。

ここでは過去生に触れることが重要だと私は思っていません。ただ「自分自身」「自分の本質」に繋がるものが描かれた結果が、深い深い過去生の記憶だったと私は捉えました。
 

その「自分自身」「本質」に触れられたことによって、更に自分の中から、自分の生命力に繋がる意志のようなものが湧き上りました。

体験でしたので、短い時間ではあったのですが、その限られた時間で、私は自分自身と更に深く太く繋がる一体感・自己統合を感じたのでした。

タッチドローイングは「あなた自身の心の奥にある魂の声を聴き表現するワークショップ」と言われていますが、そうなろうとしなくても、ワークをすることで、そう在ることが出来てしまうことを体感しました。


自分自身との深い深い対話の後は穏やかな安堵に包まれていました。確かな「自分」を感じた後は、日常生活の中に穏やかな、でも加速的な変化が訪れています。


 




藤田さんとワークの後にお話したときに、すぐに冷めてしまう劇的な興奮ではなく、穏やかな安定感の中にいる感覚こそが本物だとおっしゃっていたのが印象的でした。穏やかであっても、ワーク後に加速的な変化が訪れるというのは、体験者のほとんど全員がおっしゃることです。



藤田さんがオーガナイズしてくださる「タッチドローイング in 北海道 〜 ことばを超えたこころを描く」は、9月14日(日)です。詳細はこちらです。


皆さんのご参加をお待ちしております。





2014年6月20日

姿を消した石

あらまあ、また石が去って行った。仙台駅のトイレで手を洗った後ふと左手を見ると、インカローズの指輪が輪っかだけになっていた!

今日仙台駅までのバスの中で、改めてこの指輪きれいだなあと眺めていたのだった。それが、「今までありがとう」になるとは、夢にも思わなかった!

昔から、私と石とはとてもわかりやすい関係にある(苦笑)。通常、特定のタイミングで特定の石に出会い、意味あってそれを所有することになる。最初その意味はわからないのであるが、どうやら目的が達成されると石が自分から去って行くようである。なので、私の場合、石をどう処分するかを悩む必要はない(笑)。

過去の出来事で印象的だったのは、先住民の聖地と言われるシャスタ山で買ったレムリアンシードのクリスタル。

レムリアンシードには魂の記憶の情報がバーコードとして入っていると人から聞いたことがあったが、2年前にタッチドローイングのリトリートの最後の祝祭ダ ンスで裸足になって踊っていたときに、自分の奥深くから原始的な感覚が声と共に強烈に蘇った瞬間に、石だけがストンと私の首から落ちた。

今日去って行ったインカローズの石は、昨年の年末に夢の中に現れた後に手に入れたものであった。

実は今朝、最近強く惹かれる宇宙存在バシャールのメッセージビデオを観ていた。その中で、バシャールの「新しい選択をするたびに自分がまっさらになり、全 く新しいバージョンの自分(現実)が創られる。そのため、過去の(否定的な)体験に基づく事実は今この瞬間の自分には、もはや事実ではない」という言葉が心に響いた。

昨日、今日と、自分が思い描く世界を明確にして新しい選択をした感覚が強まっていた。自分を悩ませていた過去の出来事に起因する恐れや不安は、既に今この 瞬間の自分には適用されない、過去や過去生の否定的な体験は今の自分には存在しない、と仙台駅を歩きながらそんなことを思い、妙に納得したのだった。

トイレに入ったのはその後のことだったので、石が去ったのはそのときだったのかもしれない。

意識が変わる瞬間は、身体の奥で光の粒子が炸裂する感覚があるが、私には、その瞬間に大きなシフトが起こる感覚である。このとき、宇宙空間に新しいレベル の自分が誕生し、その意志表示がされるのかもしれない。私にとっては、私の意志表示とともに役目が終わった石が「いし」表示をして姿を消すという仕組みな のかもしれない(笑)。

明日は夏至の日。なんだかこれもすごいタイミング。
 
♪ 今日ですべてが終わる、今日ですべてが変わる、今日ですべてが報われる、今日ですべてが始まるさ〜 ♪

ありがとう。さようなら。










2014年6月17日

音のちから

声のちから
音のちから
発せられる周波数

そこに魔法のような力があることを
どれだけ深く知っているだろうか

大地の波動が
いのちの波動が
愛の波動が
宇宙の波動が

あなたを通して発せられることを

タッチドローイング
紙に描かれるのは
指からこぼれる叡智のメッセージ


Power and Beauty of Vocal Sound

2014年5月26日

顔のある木

東北大の敷地内にある小道の大木の側面を見たら、そこに顔があった。自然の中でタッチドローイングをしようと思ってそこに行ったのだが、まさか顔に出会うとは・・・。

どうしても、大きく開いた口に目が釘付けになる。見ていると、そこから異次元の世界が手招きをしているように感じてならない。

そこに意識を合わせると何が起こるのだろうという好奇心があり、描き続けることで出来上がる連続したイメージがどのように展開するかにも興味があった。

以前私が描いたある絵について、シャーマンの女性の方から自分が太陽へのシャーマニックジャーニーを行ったときに見たビジョンと非常に似ているとコメントをいただいたことがある。その絵は、クリスタルボウルの音を聴きながら描いたものであった。

感情の層を超えると、より広大な意識の領域へと入って行くことは知っているが、ドローイングが他にどのような世界をもたらすのかを、自ら体験して深めたいと思っていたので、これは絶好のチャンスであった。

描いたものをここにシェアしたい。

最初の写真はその顔のある木。





まずは木全体を感じ取って描き、そこから気になる顔の部分へ意識を向けて描いていった。



さらに大きく開かれた口の中へと入って行く。ここは別の世界への入り口のように感じる。





入って行くと、木の精霊のような別の顔が現れ、私に言葉にできない世界を見せてくれた。





木の外へと出て、再び木と私が融合する。




もう言葉はいらない。私は神聖な静けさの中に広がり溶けていった。




再び木の前にいて、見上げる。私を招き入れてくれたこの木に感謝し、讃えたい。





叡智に耳を澄ます。






2014年5月2日

4月26日〜28日の大分タッチドローイング・リトリートを終えて 〜 虹の輪

 

「果たして人が集まるだろうかと考えるのではなく、まずは自分が『やる』と決めること、ハラをくくること。やる日にちを決めて場所を決める。すると、物事は動き出すんだよ。自分がそれを起こすんだよ」



これまで大規模な会議をいくつもマネージしてきた夫が私に言った言葉であった。



結果的に本当にそうなった。


人を通してあらゆる助けがやってきて、思考を遥かに超えた次元で物事が動いた。理想の会場がそれも不思議な形であっと言う間に見つかり、人が集まらないどころか、定員に達したと椋梨晶子さんから報告があったときは、目に見えない力のサポートを感じずにはいられなかった。

会場からの風景 ー 由布岳
会場の湯布院フローラハウスにあるハーブ園と源泉掛け流しの温泉

自分のビジョンに従って、勇気を持って一歩踏み出すとき、ご褒美が10倍になって返ってくる。まるで神様が上で見てくれていて、「よし、じゃあここからはちょっと手伝ってあげるよ」と言ってくれたかのように。


タッチドローイングのスピリットには、意志と計画があると私は感じている。創始者のデボラはタッチドローイングを見出したとき、「これは人類の意識の進化に貢献するものだから、自分だけのものにしておいてはいけない」と強く感じたそうだ。



私にとって魂の道を歩くことは、このスピリットに敬意を表し、神の意志に自分の意志を合わせることである。果たして、スピリットは意思表示をしてくれた。



同じ志を持った魂の仲間たちがそこにいることを教えてくれた。それは日輪となって現れ、アメリカと仙台と大分を繋いでくれた。





昨年、晶子さんとコラボを終えた後で行った山の中で道に迷ったとき、目の前を鹿が横切るというハプニングがあったが、今年はなんと、私たちを待っていたかのように、角を付けた鹿の頭が会場に置かれてあった。



2日目の朝の散歩のときには、それぞれ白とこげ茶の二頭の馬が並んで立っている姿が、強烈に目に飛び込んで来た。



木々の至る所には、大きな美しいまゆの中で変態のときを待つ幼虫がいた。

  
夜半には、由布岳からの風が眠れないほど激しく窓を揺らし、最終日の3日目には、心に深く染み入るような細かい滋養の雨が降った。



まるで私たちの心に呼びかけるかのように、自然や生き物がさまざまな表情を見せてくれる。そのとき、共時性を通して呼び覚まされる魂のストーリーを垣間見る一瞬が訪れる。



そんな自然のように、関わる人々もまた気づきを呼び起こしてくれる。



「自分では気づくことのできない自分の良さを、人が教えてくれることを知った」と、ペアになってドローイングをしたときに参加者の一人が言った言葉が、心に強く響いた。

自分に一番厳しいのは、自分なのだろう。だからこそ、ペアで相手が自分を感じて描く絵は、驚きと喜びを運んで来てくれ、こんなにも力をくれるのだろう。



タッチドローイングという磁石に引き寄せられて集まった仲間が、表現を通して共に自分というものを思い出していく。心の優しさやもろさ、痛み、豊かさや美しさ、人間であることの苦しみや愉快さを、肉体を通して共に味わう。

 

 

タッチドローイングは魂が表現する絵。それは自分で描いて自分で理解し、その理解がさらに深みと広がりをもって進んで行くという創造の道でもある。



参加者がそれぞれ色付けをした絵を持って輪になったとき、私はそこに日輪を見た。


一人一人が自分を表現し、いのちが繫がり合うとき、そこに虹の輪ができる。






参加者の皆さん、椋梨晶子さん、フローラハウスのしみずみちこさん、どうもありがとうございました。


タッチドローイングのスピリットに感謝を捧げます。





2014年4月7日

自然界からのシグナル

今起こっている激しい変化の様子を昨日絵を交えて文章にした後に、夫と温泉に行った。途中、山形まで足を伸ばして滝のある場所で休憩をとったが、滝を見ていると言葉が浮かんだ。

「今自分の内側でこんな風に滝が流れているから、それと響き合うようにして、こうして滝が目の前にあり、それを見ているのだ」

この場所に来る前に、既に私と滝が引き合っていたからこそ、現実として滝を見ることになったのだろう。

カラスの巣作りのことを書いた3日前、たまたま台所から外を見たら、こんな雲が出ていた。

ああ、これも無意識の部分で引き合っている。渦のことも水の流れのことも、昨日自分がアップした文章で書いていた。そこに渦と創造のことも書いたが、これはカラスの巣作り自体が創造の象徴である。

目に見えない力があり、それが、例えば自然界を通してシグナルを送ってくる。そのシグナルに気づく感性や感覚を養い育てていくことは、ラジオの電波をさら に正確にキャッチできるように、目盛りを微細に調節するようなもので、常に送られているシグナルに耳を傾け、歩み寄って行くようなものである。

すると、自ずと自分が宇宙の一部であること、宇宙は常に自分に語りかけていること、自分は周りのあらゆるものと関わり合い、繋がっていることを強く実感できるようになるだろう。

退屈で薄っぺらい時間はもはや消え去り、豊かさと驚異と変化に満ちた濃い瞬間が目の前に現れる。