2013年10月1日

一粒の米から



「一株の稲に米は約3,000粒でき、その3,000粒はおおよそ茶碗一杯分に相当します。一粒の米から一株の稲へと成長し、茶碗一杯分の米ができるのです」

これは、日曜日に参加した花巻の「やえはた自然農園」さんでの稲刈りパーティで、稲刈りが始まる前にオーナーの藤根さんがくださったお言葉。

このとき、胸に熱いものが流れ、私の中で眠っていた一粒の米がグイと頭を上げて起きて、「ほら私を見て」と言ったような感覚になった。

普段、店頭に並ぶ袋詰めになった米をひょいとカゴに入れ、それほど意識もせずに当たり前のように食べていた米が、これほどリアルに迫ってきた瞬間はなかった。

それは生命力と知性に溢れた存在だった。「知性」という言葉を使ったのは、一粒からそれだけの数を生み出すという、自然を司る大いなる存在のプログラムのようなものが頭に浮かんだからだ。


春には田植えがあったそうだが、私は今回の稲刈りだけに参加した。おそらく自分が植えたものを刈り取るとなると、また一層感慨深いものになると思うが、刈るだけでも私にとってよい体験となった。

体験することはとても力強い。体を通した理解は、頭だけの理解とは全く異なる。

青空の下、子供たちが周りで走り回って遊ぶ中、直に稲に触れて重みを感じ、他の人たちと一緒に刈ったりハセ掛けをする。そうやって体を動かして汗をかく。



昔はこうやって人々は直に刈っていた。家族や近所の人たちがみんなで協力し、何家族もの子供たちも田んぼの中で一緒に遊び、きっとこんな風景があったのだろう。平和だ。なんて素朴でのどかなのだろう。そう遠くない昔なのに、遠い昔のような気がする。

自然農法で育った稲は株も大きく、力強かった。そして、それを実践されている藤根さんご夫妻とそこに集まった人々は、温かさに満ちていた。
  


 やえはた自然農園:http://yaehata.com