2009年8月27日

Touch Drawing

三ヶ月ほど前に、ある書店で開かれたタッチ・ドローイングというクラスをとってみた。薄い板に絵の具をローラーでのばしてその上に薄い紙を置き、その紙の上から直接指で絵を描くというもの。

絵といっても、普通の絵ではない。頭は使わず、自分の内に意識を向けて、ただ感じるままに指を動かすだけ。色は一色で始めて、構図など一切ない。うまく描こうと思ってはいけない。とにかく考えることをしない。

指で直接描くなどということは今までやったことがなかったので、指が紙に触れたとき、胸がドキドキした。何をどこからどうやっていいのかわからない。どんなものができてくるかもわからない。ただただ、今感じることを指に集中させるだけ。

先生が言った。「とにかく感じるままに指を動かして、一枚描いたら紙をはがし、絵の具をローラーでのばしながら、頭を白紙の状態に戻したところで、次を描いてみてください。浮かんだらそれを絵にして、手放す。その繰り返し。まるで瞑想みたいですよね」

「ああ、その通りだなあ」
一枚に全意識を集中させて、十数秒足らずで一気に描き、終わったらフッと息を吐いて緩める。紙をはがしてみると、何らかの形が描かれている。これは結構面白い。

さらに、先生は言った。「隣の人が上手に描いていて、『なんで私はうまく描けないの』とイライラしたら、グシャグシャって紙に爪を立てて、そのイライラを描けばいいんですよ。そして、描いたらそれを手放す」

「なるほど、何を描いていいのかわからなくて、もどかしく感じる部分もあるなあ。そうか、それを表現すればいいんだ」
私もグシャグシャやってみた。やったそのとき気持ちがよかっただけでなく、自分の内にあるものが形となった、そのグシャグシャを客観的に見るのは新鮮で面白い。

何を感じてもいい。どう表現してもいい。何でもあり。何でもオーケー。ただ直感にまかせて指を動かすだけ。

イライラを表現して手放した途端、不思議なことに、次に描きたいことが浮かんでくる。

どれもまるで小さな子供が描いたもののようだが、自分の中で自由に表現したがっている部分は、きっと子供のままなのだろう。

好奇心いっぱいで、自由な気持ちになると、内なる子供が両手を広げてこう言った。
「私のハートはどんどん広がっていくんだあ!」

紙の真ん中から両手の人差し指を左右対称に動かしてハートの形にすると、そこから外に向けて広がるように、スルスルと勝手に指が動く。胸がドキドキして熱くなる。どんどん指が動いて、気づいたらハートには根元があって、地面にしっかり根付いているような絵になっていた。

「ああ、安定している。地に根付いていると落ち着いて、ハートが安定するんだなあ」



このようにただ感じるままに描いていくうちに、あるとき突然「Judgment(判断)」という言葉と共に、母の顔が浮かんだ。母のことは大好きだが、その一方で、母が物事を決め付ける傾向があることに私はずっと以前から抵抗を感じており、その感情が出てきた。すると同時に、自分の中にもJudgmentはあることに気づき、それを思うと苦しくなった。

「Judgment」の言葉が浮かぶと、指は四角い枠を描いていた。私にとってJudgmentのイメージはまさに四角。その四角を見ていたら、両手の人差し指で真ん中に垂直の線を入れたくなった。描いているうちに、不満と怒りと苛立ちがムラムラと込み上げてきて、その感情を表わすがごとく、指が勝手に動いていた。



後で客観的に見てみると、垂直の線は背骨で、下の方にエネルギーが滞っているみたいな絵である。これって体の中を表わしているみたいだなあ。ひょっとして、人を批判したり決め付けたりしているときって、それを言っている人も聞いている人も、体の中はこんな風になっているのかもしれない・・・。

描き終わってこれも白紙に戻すと、また新たなイメージと感情が浮かび上がってきたので、それを表現してみる。喜び、開放感、苛立ち、悲しみなど、さまざまな感情が出てくる。

私にとって、指の動きの中で一番気持ちよいのは、らせん状の動きや波打つ動き。三角や四角はあまり好きではなく、丸い形や卵型が大好き。すると、こんな絵が出来上がった。


後で振り返って「源からのエネルギー」と名付けた。

一時間ほど集中的に描いたあと、最初から一枚一枚を振り返り、直感的に浮かんだ言葉や題名を書き込む。客観的に見てみると、自分の中に隠れていたさまざまな側面が浮かび上がり、心の赴くままに描いた絵こそ、自分をよりよく知る手助けをしてくれることに気づいた。

二時間のクラスの間、意識は自分と絵との間にだけあった。それは、色々な何かが棲んでいる深い海の中に静かに入って行き、その何かが姿を見せる瞬間を待っているようなものである。

このクラスをとってから三ヶ月後のつい先日、また紙に向かってみた。
「木」について描いてみたくなり、こんな絵が出来上がった。



すると次に、この夏知り合ったある人が、「Trust(信頼)」という言葉の語源は「root of a tree(木の根っこ)」を意味するのだと言ったことを思い出し、そこから浮かぶイメージを絵にしてみた。



信じることと、木の根っこ。木は大切なことを教えてくれる偉大な存在なんだなあ。

さらに、夢によく現れる山の景色や水を描いてみたら、水の中に顔や目を描きたくなった。ちょっと気味の悪い絵になってしまったが、水は無意識の世界を表わしており、その中にある顔はすべて自分で、また、これまで幾度も姿形を変えて生きてきた自分をも表わしているようである。目はそんなさまざまな自分を静観する目であると同時に、異なる世界への窓口でもあることを、私は絵によって表現したかったのかもしれない。




タッチ・ドローイングでは、マインドを捨てて心を開き、自由な気持ちで感じるままに直接指で描くことにより、深い部分の自分と繋がることができる。先生はこのタッチ・ドローイングを「魂が表現する絵」と呼んでいる。

タッチ・ドローイング、それは、誰もが途上にある自己発見と成長のプロセスを助ける大きな癒やしの力を備えている。