2013年11月29日

アリシアおばさんが本を出版した


初めて会ったのに初めてのような気がしない、そういう経験は誰にでもあるだろう。

私もそんな経験はたくさんあるが、人種が違うときはインパクトが強烈である。私の場合、アリシアおばさんがそうであった。アリシアおばさんは義父の妹で、初めて会ったのは夫と私の結婚後数年たってからのことである。

通常なら、初対面のアメリカ人と会うときには何を話してよいのか考えて緊張するのだが、アリシアおばさんには会った瞬間から、まるで子供の頃から実家によく来ていた親戚の人のような安心感があった。

彼女の黒い目の奥に、私も知っている共通の風景がうかがえる。だから、親しみを感じたのかもしれない。夫から、彼女は霊能力を持っていると聞かされており、私はそのことでも彼女に対して個人的に興味を持っていた。

「あなたを見た時、あえて今から知ろうとする必要はないと思ったわ」
アリシアおばさんも同じ反応をしていたことを、後になって打ち明けてくれた。

おばさんとは、やはり不思議な縁で繋がっていた。彼女はシアトルに遊びに来た際に、私が作った食事で激しい食中毒の症状を起こし、寝込んでしまった。生ものを出したならまだしも、タラと豆腐と野菜を入れた鍋料理で食中毒を起こすとは考えられず、食べたほかの人は全く問題なかったので、何か特別な理由があったと思う。

おばさんからの希望もあり、私はごく自然な形でおばさんに霊気をすることになり、霊気をしているときに勝手に体が振り子のように揺れるという体験をしたため、それをきっかけに、お互いに目に見えない世界の話をするようになった。

おばさんは、これまでに実に様々な霊的体験をしており、短い滞在の間にその体験をいくつか語ってくれた。私たちは居間のソファに座り込み、それから数時間の間、互いに体験談を語り合った。

「人生は仕事をして子供を育てることだけではなくて、それ以外にもとても大切なことがあると思うの」とおばさんは言った。「でも残念なことに、特にアメリカ社会では、それを認めるにはまだまだ抵抗があるのよ。いつか私の体験を書いて出版したいと思っているの。ただ、私が体験する世界はまだ一般には受け入れられないと感じているのよ。」

私は、おばさんが語ってくれた体験談のいくつかを文字にして送って欲しいと頼んだ。日本語に翻訳して日本の友人に紹介するから、と冗談ぽく言った。

あれから6年が経ち、今目の前におばさんの本がある。隣に住んでいるようなごく普通の人で、それどころか明日の生活もままならないという厳しい経済状況の中、娘さんの助けを借りて出版にこぎつけたのである。興味のない人にはパッとしない本かもしれないが、私にはおばさんの決意と情熱が伝わってくる。

平凡な一人が、あるとき殻を破って自分が伝えたいことを表現し始める。何よりも自分が満たされるだろうし、確実に誰かには伝わるものだと思う。おばさんは、今、私にそのことを見せてくれていると感じる。

最初のストーリーを読むと、おばさんは幼いときに臨死体験をしており、天に昇ったときに自分の名前が書かれている本を見せられ、そこはまだ空白のままだったという。これからの人生でやるべきことがあることを知り、この世に送り返されてきたと書いてある。

「私の人生の体験がもたらした気づきを、ストーリーを通して伝えたい。私たちが思い込みや信じ込みという制限を越え、霊的な存在であることに対して心を開くのに、理由や論理はいらない。きっと私の体験談を読んで、ああそういえば自分もこれに似たような体験があったわと気づくのではないか」と語る。

アリシアおばさんは、現在第2作目にとりかかっているとのことだ。

今度おばさんに会えるのはいつ、どこでだろう?以前からずっと日本にも来たいと言っているおばさん。おばさんが自分の本の日本語訳を手にするのも夢ではないかも。そのときは、私が訳しているのでしょう。

わっはっは。






2013年11月24日

恵みの落ち葉



足元に降り積もった落ち葉
一枚一枚が人生の出来事を物語る

体験への深い理解に至ったとき
それは滋養へと変わる
知恵となり力へと変わる
喜びへと変わる

空高くから足元へと舞い戻り
あなたという樹を肥沃にする
神からの贈り物


 タッチドローイング「人生の恵み」 


2013年11月22日

出現した愛染明王


「今が一番幸せ」という感覚が続いている。朝起きると目の前にある新しい一日にワクワクし、夜は今日一日が無事に終わったことに感謝して、次がどんな日になるかを楽しみにしながらゆっくりと休む。平凡な生活の中にある穏やかさに浸った日々が淡々と過ぎ、今のままで十分幸せと感じる。

ここで死んだとしても、きっと感謝の気持ちしか残らないだろうなあ。ひとつ後悔するとしたら、夫や親を残して先に逝くことだろうか。

夫と一緒に生活を楽しみ、自分で適当に楽しんでいる範囲においての私はここで死んでよい。

しかし、物語りはそこで終わらないのである。

突然、激しい喉の痛みが始まり、痛みに向き合わざるを得なくなった。喉に意識を集中して指を動かし紙の上に表現していくと、最後には痛みは稲妻と化して喉を裂き、中から戦士が出現した。


私の中の愛染明王。

胸のしこりから絵を通して出現した少女は、もはや少女ではない。

彼女は言う。「慌てなくてもよい。休息することも必要。しかし、時が満ちて中心から沸き起こる幸福感が確かなものとなったとき、次へと踏み出すのだ」

彼女は強い意志と情熱に燃える健全な怒りの炎を燃やしている。この愛染明王は、しこりの少女が胸に抱いていた愛の炎が変容した姿でもあった。顔はおどろおどろしい憤怒というよりも、意志の力にみなぎっている。

「楽しみを発見するのはよいことだ。しかし、自分だけが楽しければよいという段階から抜けなさい。」

内なる怖れを退け、より全体的でよりよい世界の創造を求める建設的な怒りは、意志、決意、行動の原動力となる。

色を塗っているうちに、手に持っているのは剣ではなく、トーテムポールだと判明した。トーテムポールを持つスピリチュアルな戦士愛染明王。真面目だが、ユニークでユーモアに溢れたところが何ともいえない。


社会に対して憤りを持つのはよろしい。これは変だ!と思うことがあってよろしい。
自分はこう感じると表現してよろしい。既存のものにこだわらなくてよろしい。

窮屈になったらそこを出ればよろしい。
まずは、ただ出るだけでよろしい。

そうしたら、新しいことが入ってくるから。


写真:タッチドローイング 「私の中の愛染明王(Emerged Ragaraja Vidyaraja Self)


2013年11月20日

サケのスピリットに捧ぐ

流れを遡るサケ。

どんなに流れが激しくても、本能と内なる叡智を頼りに母なる川、産まれた場所へと帰る。



決意は固く、外からのいかなる力にも屈せず、目的を達成するためにひたすら遡る。
背中の肉がむき出しになり、うろこが剥がれ白く変色し、ボロボロになって、それでも目的を果たそうとすべてを出し切る。



家の近くの広瀬川に、今年もサケの溯上が始まった。



新しい命にすべてを託すために生きた。
昨日浅瀬で激しく尾を振ったサケ。
今は屍となって横たわる。

お疲れ様。

その勇気を讃え、心の中で合掌する。

 

11月20日 サケのスピリットに捧ぐ
仙台広瀬川にて








タッチドローイング 「めぐる命」



2013年11月16日

宇宙に届く「未来新聞」



 「描く」ことも「書く」ことも内なる自分に出会い、創造力を使ってそれを表現していくという点で、よく似ている。タッチドローイングで描くことに力を入れてきたが、どうやらここにきて、私は書くことも再開したいと思い始めた。

そんなとき、タイミングよく仙台で開かれた、熊谷圭子さんの「書くワークショップ」に参加できた。熊谷さん(以下「圭子さん」と呼ばせていただく)は、長年某テレビ局の記者として活躍されてきたが、被災されてから人生のコースが大きく変わったという。人を惹き付ける魅力に溢れた方で、最初に出会ったときに何故か初めて会ったとは思えない懐かしい感覚があった。

圭子さんは、子どもの頃から書くことが好きで好きでたまらなく、日記はもちろんのこと、海外に複数のペンパルを持ち、家族の家庭新聞まで作っていたという。

私はそれを聞いた瞬間「ああやっぱりこの人でよかった!」と、信頼と安堵感とともに、体からワクワク感がみなぎってきた。

好きなことに情熱を持って取り組み、探求を続ける人は輝いている。そんな人の場に集まってくる人たちもまた、内に輝きを持っている。

ワークショップはただ書くというだけでなく、グループで文章を回覧のように回していき、即興的にストーリーを付け足して組み立てていったり、10年後にばったり出会ったという想定でパートナーが自分にインタビューをしたりと、想像力と創造力をかきたてるワークが組み込まれていた。

10年後の自分になりきると、不思議なことに、相手の質問に対する答えがツラツラと出てくる。それも、自分でもビックリするようなことばかり。頭とかけ離れた世界が、口から勝手に出てくるのである。

最後に、この10年後のインタビューに基づいて未来新聞を作るというワークがあった。一枚の紙を渡され、そこに記事を書いていくのであるが、いったん書き始めると手が止まらず、一気に書き上げた。インタビューでは頭とかけ離れた世界が口から出たが、今度はこんなことがあんな短時間でよく書けたなと思うことが、ロケットを打ち上げるかのごとく指から発射された。

あまりにも壮大なのでビックリしてしまったが、人間って頭以外の部分は案外これくらいでっかい夢を持っているものじゃないかなと思った。

ここにシェアしてみたい。


+ 未来新聞 +
20231114

「日本から始まった新しい生き方・社会が世界へ広がる」
クリエイター 倉田順子さんにインタビュー

「日本人にとって、周りの人の目を気にしないで自分を表現すること、これが長年の間かなり大きな壁になっていますが、この壁となっている要素を取り除くだけで、自然に流れ始めます」と語る倉田順子さん。

29歳から20年間アメリカに居住、その後日本に戻り、自分にしかできないことを始めると決意し、当時主流であった理論、概念、通説をまっこうから覆すことで、全く新しい流れを創り出した「風を起こす女」。倉田さんの根底に流れるものは「過去を力に変える」と「自分を信じる」ということ。

「結局、魂のストーリーというものを一人一人が持っていて、いかにそれに気づき、その道を歩いていくかということです。「既に出来上がっているもの」ではなく、今から未来へと繋がるものを過去の智慧から引き出して創り出していくことです。その時に最も大切なのは、自分の感性・感覚です。10年ほど前まで、病める日本には様々な社会問題がありましたが、今この社会へと移り変われたのは、人間の意識の変容が要となっています」と語る倉田さん。

倉田さんは、「魂が表現する絵」と呼ばれるタッチドローイングとの出会いをきっかけに感性を磨き、そこから派生的に創出された作品をベースに、多次元が集約された新しいタイプのカードをはじめ、数々のグッズを世に送り出している。このどれもが、多次元的に意識の深部に働きかけ、人それぞれの奥深くに眠っている可能性を引き出すサポートをする。

この他にも思うがままに綴った「   」、タッチドローイングの絵と音と文章をひとつにした「   」など、数々の作品の出版を手掛けている。

ワークショップでは、タッチドローイングをはじめ内的成長・進化のための様々なワークを日本各地および海外でも行っている。お馴染みの、森の中での長期合宿タッチドローイング・リトリートは「人生を変える儀式」と呼ばれるほど深い気づきをもたらし、2年先まで満席状態である。

「私のワークは常に進化しています。これからも、皆さんと共に喜びと表現の輪を広げて行きます」

写真:倉田さんの著書と、インスピレーションから出来上がったカード。従来のものとは全く異なる概念を取り入れた。
(記事はここで終わり)


よくまあ、こんなことを書けたものだ。一体何サマなの?

イカサマ?

イカ様でもタコ様でもいいではないか。

魂はこれくらいでっかい夢をもっているものなのだ。書く魔法の力を乗せた夢ロケットが、宇宙へと発射された。

圭子さんは、「書くときはワープロにタイプするのではなく、手にペンを持って直に書くのです。そのほうが真実が出て来やすいです。ハートから指へと出力されるのです」とおっしゃる。

ハートから出たものが腕を伝わって指へと出力される。これはタッチドローイングと全く同じなのである。

圭子さんの「書くワークショップ」は、仙台や東京で開催されているが、今後はさらに色々な地域へと広がっていくのではないかと思う。次回が楽しみである。

熊谷圭子さんのホームページ:http://www.hadashinok.com