2011年2月28日

「have to」から「want to」へ


少し前のことである。夫とジムで運動した後、バイキングのランチを食べにインドレストランに入った。

席に着くやいなや、少し離れたテーブルに座っていた女性が、相手の男性に向かって一生懸命何かを説明しているのが聞こえて来た。

I have to ○×○×, then I have to ×○×○. ・・・・I have to △×△・・・」

色々計画があって、これからやらなければならないことを言っているのか。この女性は「have to」を連発している。

特に英語はストレートな言葉なので、わかりやすい。「need to」「have to」「must」、これらの言葉はどれも「しなければならない」で、よい意味では義務や責任に結びつく言葉である。

しかし、声の調子からどこか切羽詰った感じがする。

私は心の中でニヤッとした。彼女はかつての私だったからだ。

その頃は、私の頭の中はこの「have to」に支配されていた。一日の「しなければならない」項目がずらりと頭の中に並んでいた。「ヨガのクラスに行かなきゃ」、「その後でスーパーに寄らなきゃ」、「部屋を片付けなきゃ」・・・。

誰かから頼まれたわけでもないのに、それがまるで義務であるかのように「しなければならない」という表現が口を突いて出てきた。「午後は郵便局に行かなきゃ」、「明日は母に電話しなきゃ」。

「やりたい」ではなくて、「やらなければならない」。これは精神的に窮屈な状態を作り出す。

特に、夫に対する何気ない日々の会話で使っていた。それは、責任感のある妻だから? 生真面目だから?

この言葉はクセモノである。義務や責任感という大義名分が、隠れ蓑になってはいないか。今思うと、夫の前で自分の行為や考えを正当化して、一生懸命やっているところを見せ、ガーンとシャッターを降ろして、自分を防御しようとしていたのではないかと思う。私は何から自分を守りたがっているのか。何から逃げようとしているのか。

自分で自分の発言に耳を傾けてみると、無意識のうちに口を突いて出てくる言葉に、自分では気づいていなかった側面が現れる。私はどうして素直に「~したい」と言えないのだろうか。何を怖れているのだろうか。

別に誰も頼んでいないし、やらなければならないことは何にもない。それに気づいたら、バカバカしくなってきた。やらなければ何か大変なことにでもなるというの?

今度は自分の身近にいる人の言葉に注意してみると、もっと興味深いことが見えてくる。

父も夫も「ねばならない」クラブのメンバーであった(笑)。

have to」という言葉は、角張って固い感触がする。自分で言うときも相手が言うときも、どこか「本当はやりたくないけど・・・」というニュアンスが感じられる。顔の表情はやっぱり硬くて、とてもハッピーとはいえない。

ここまで書いて手を休め、夕食の仕度をした。夫と一緒に夕食をしてテレビを見た後、壊れていた折り畳み傘を直そうと思った。接着剤はどこにあるかと夫に尋ねたら、それまで穏やかに話していたのに、一瞬考えてから急に「I have to get back to work! (俺は仕事に戻らんといかん!)」と声を上げた。

あらら、シャッターが降りた!夫にとっては、私がいつも何かややこしいことを頼んでくるという、それまでのパターンが頭にあるため、自動的に拒絶反応が出たのであろう。

まさに「ねばならない」のことを書いていた時に、そのタイミングで飛び出したこの「I have to . . .!」。私はおかしくなって思わず「アハハハ~」と笑ったら、意外なことに夫もニヤッと笑って返した。

これまでの私だったら「I have to fix this (これを直さなきゃ『ならないの!』)」と「ねばならない」で言い返して、降りかけたシャッターを両手で押さえて無理やり止めようとしただろう。いやいや、もうその手には乗らないぞ。

I WANT TO get it out of the way (これを片付けてしまいたいの)・・・ああ、接着剤はあそこにあったね。自分でやるから大丈夫」

穏やかでスムーズな会話だった。夫の感情も波立っていない。二人の間に今までとは全く違うエネルギーが流れていた。

「~しなければならない」ではなくて、「I want to(~したい)」と表現できたことが自分でも気持ちよかった。ちょっとした言葉の違いなのに、その言葉が生み出す状況は大きく異なる。

パターンから抜け出せた。「I want to」は自分の気持ちをストレートに表わしている。だから、その言葉を使ったときは、相手は肯定的な反応をしてくれる。

have to 「しなければならない」から want to「したい」へ。自分に素直になる。とても単純なことなのに、なかなかできなかったこと。

私はそれまでの私とは違っていた。

あのときレストランで聞いた女性の言葉は、自分を客観的に振り返るきっかけとなった。

自分の口からは「have to」はほとんど出て来なくなった。さらに興味深いことは、今まで「ねばならない」だったことが「したい」または単に「する」に様変わりし、気持ちよく積極的に関わるようになったことである。

2011年2月26日

点在する時間 - 無から無への感覚




これが、今の私が捉える時間の感覚。

時計の時間は過去から未来へと線状に流れているが、最近の私の日常の行動は、こんな風にランダムに飛び散っている。

中心が自分のハートで、そこから今やりたいことに意識を向けたときに、ハートが応えることをやる。自由業なので、時間の過ごし方を自分の意志で決めることができるのは有難いことである。

さっきまでは台所で何かしていたのに、今は机に向かって別のことをしている。一時間後はジムで運動しているかもしれない。気がつくと、短い時間の単位で色々なことをしている。ただし、「ながら」で複数のことを同時にやらない。

そのときまたはその日、ふとやりたいと思ったことを優先させてやるようにすると、集中できて、すっぽりと穴の中に入り込んだように、時間の感覚がなくなる。没頭しているときは、お腹が空いていることにも気づかない。

以前は、「やるべきこと」のリストを作ってみたり、頭の中で順番を決めて取りかかったりしていた。線状の流れの中に物事を置いており、いつも頭の中に終わったことや先のことがあれこれ詰まっていて、やりたくないのにやらなければならないと思うと気が重くなり、何かに追われるような日々にストレスが溜まって、時間があっという間に過ぎると感じていた。

線状とオサラバすると、何かからスポッと抜けたような感覚で、異空間に滑り込む。ひとつひとつ、今与えられていることをハートは知っている。それを直感という形で受け取ってフォーカスしている間、時間が止まったような感覚になる。むしろ、同時に様々な次元に繋がった空間にいる感覚になる。

自分が満足できるまでやったと感じられたら、先のことを心配する必要もない。そのときまたはいつか、どこかの部分でしっかり消化されることを、別の部分の自分が知っているため満たされ、結果的に質のよい時間になる。

私はこれをトータルコミットメントと呼ぶことにした。「やらなければならない」と思う部分がなく「やりたい」または単に「やる」を優先しているため、積極的に関わることができ、純粋なクリエイティブなエネルギーが動き出す。そこには自由という空間があり、自分の中から愛がにじみ出てくる。しかも、頭の中は思考が居座ることもなく、軽くいられる。

そう、頭の中は常に空っぽに近いのがいいのだろう。シアトルに住む臨済禅のアメリカ人和尚が昔こんなことを言ってたっけ。「Just clean to clean, wash to wash.」例えば、窓を拭くときは一心に窓を拭き、ジャガイモを洗うときは一心にジャガイモを洗うということ。禅において、作務(さむ)は動く瞑想なのだろう。

ふと、時間を絵で表現してみようと思い、出来上がったのが上の絵である。ただ感覚だけを使ったので、頭で解釈する必要もないだろう。

中央の無の空間から別の無の空間へと一瞬で飛んでいくイメージ。無が点在しており、同時にここから何かが生まれている。何だか面白いものが出来上がった。

2011年2月16日

タッチドローイング・ワークショップのご紹介(3月 東京&神戸)

家の前にある梅のつぼみがようやく膨らみ始めました。裸になった木の枝からちっちゃな葉の芽がたくさん出ている様子はかわいらしく、また力強くもあります。

今日は、散歩の途中で、土の中から勢いよく飛び出すように花を咲かせた紫色のクロッカスを見つけました。春の匂いが次第に濃くなっています。

   
タッチドローイング (Touch Drawing) のワークショップをご紹介します。これは、紙の上で感じるままに指先を動かすことで、自分の中から沸き起こる感覚・イメージを表現するアートセラピーです。

創始者のデボラ・コフチャピンさんご本人が講師として日本を訪れ、ワークショップを開きます。

<開催日と場所>

3月12日(土)と13日(日)  神戸にて
3月19日(土)と20日(日)  東京にて
詳しくは、一般社団法人 日本クリエイティブ・アーツセラピー・センターのホームページhttp://www.j-cat-c.com/ をご覧下さい。

Touch Drawing のホームページ (英語)http://www.touchdrawing.com/index1.html


私も、過去にタッチドローイングの体験を日記にしています。よろしければご覧下さい。
http://hoshinoto.blogspot.com/2009/08/touch-drawing.html