2008年10月15日

キツツキの合図

キツツキの合図

「トントントン」

1ヶ月前の日の午後のこと。月例のサークルから帰宅し、自分の机にあるコンピュータのスイッチを入れたとき、外で何かを打ち付けるような音がした。少し離れた所に工事中の建物があるので、音はそこから来ているのかと思い、特に気にせずメールをチェックしようとすると、さっきより強い音がした。

「トン トン トン」

ホームオフィスとして使っているこの部屋の外はバルコニーになっており、その上の方から聞こえてきた。上の階の人がバルコニーでちょっとした大工作業でもしているのだろうか、と思ったがコンピュータから目を離さないでいると、さらに強い音がした。

「トン ! トン ! トン ! トン !」

もう無視できなかった。何をしているのだろうと思って注意を向けてみると、それは上の階より少しこの部屋に近い所から発せられているように聞こえた。

私の机の横はすぐバルコニーの窓になっており、窓の外を見て椅子から立ち上がろうとしたとき、窓の上と上の階のバルコニーの間くらいから、パタパタッと鳥が羽ばたいて飛び去った。

ハトほどの大きさがあり色は灰色っぽく、胸のあたりが褐色で少し丸っこい鳥。大きく黒いまん丸な目をしており、飛び去るときにチラッと私を見たようだった。今まで一度も見たことのない鳥。

バルコニーに出てみて見上げると、どうやら屋根の一部の木の部分を叩いていたようである。そこに巣があるわけではなく、どうも虫か何かをつついていたようだ。

「あっ!キツツキ」

頭にひらめいた。そういえば、一瞬見た鳥のくちばしは、普通の鳥のものより長かった。さっそくインターネットで調べてみると、先ほど見たような鳥の写真が見つかった。キツツキにも種類があり、私が見た鳥は代表的なキツツキとは少し違っていた。

この家に住んで15年になるが、キツツキが来るなんてことは初めてである。キツツキというと森の中というイメージがあるが、私が住んでいる所は比較的街の中である。近くに小川が流れる自然公園があるので、そこから来たのかもしれない。

不思議だったのは、現れたタイミングとその場所。それは、他でもなく、私が霊気サークルの集まりから帰った直後、自分の創造的な活動の中心の場である机に向かったときのことで、外にたくさん自然の木があるにも関わらず、その机が面している壁の外側の木の板が張り付けてある場所で始まった。

これは、私へのメッセージではないだろうか。いつからか、このようなことに遭遇すると、それは何らかのメッセージなのだと思うようになった。自分の中で霊的な気づきが始まり、日々の生活の中で様々なメッセージが発せられていることに気づくようになってから、メッセージはより一層明らかな方法で来るようになった。

例えば、クモが私の方へ突進してきて目の前でピタリと止まったことがある(そのときの日記はhttp://hoshinoto.blogspot.com/2008/08/blog-post_07.html に)。花も咲かない2月の寒い日に、バルコニーに出て下の庭を見ていたら、どこからともなく突然白いチョウが現われて、ヒラヒラと目の前を横切っていったこともある。動物や昆虫は、メッセンジャーの役割をしてくれる。今度は、キツツキがメッセージを運んできたに違いないと思った。

どんなメッセージだろう。動物が象徴する事柄を説明したテッド・アンドリュー著の「Animal Speak」をさっそく開いてみた。

説明によると、キツツキが現れたときは、新たな霊的な飛躍が訪れるときであるという。喉、眉間、頭頂のチャクラが刺激され、隠れた才能が開花し直感力が活性化される。

キツツキは木を叩くことから、ドラムの達人と言われている。その独特なリズムは、私たちに地球や他の動物の鼓動に合わせることを教えている。自分が宇宙と自然のリズムからずれているときには、物事はうまく行かないということに気づかせてくれる。

キツツキのもうひとつの特徴は、頑丈で鋭いくちばしを使って木を叩いて穴を開け、そこに長い舌を突っ込んで幹の中にいる虫を食べることである。この舌のお陰で、くちばしを使って作った穴から栄養を抜き出すことができる。

口と、舌をはじめ口に備わっているものは、消化をして命をはぐくむ基点となるもので、口という部分には食べ物と言葉が深く関係する。食べ物を消化することは言葉を「理解すること」に当たり、命をはぐくむことは「魂」をはぐくむことに相当する。物質世界と精神世界は、このように表裏一体をなしており、キツツキが現れたときは、自分の人生において言葉がより重要になるときであることを示唆している。

さらに、キツツキは他の鳥とは違って、趾(あしゆび)が前と後ろに2本ずつあるため、幹の側面でバランスを保ち、木を登ることができることから、人生に新しいバランスが訪れることを象徴している。

キツツキが現れたとき、それは、成長が加速し、癒やしの新しいリズムと能力に目覚めるときである。

と、このような説明になっている。

興味深いのは、私が見たキツツキが叩いたリズムは、「トン トン トン」と比較的ゆっくりしており、しっかりしたリズムであったことだ。以前、別の種類のキツツキが木を叩くところを見たことがあるが、それはドリルで穴をあけるときのように「ガガガガガガガガ」と、ものすごい速いスピードだった。ということは、私自身がこれから宇宙と繋がる新しいリズムは、穏やかなものなのかもしれない。しかし、それは力強く着実にやって来るように感じる。

1週間後に日本へ帰り、今回は12月初旬まで滞在する予定である。夫をシアトルにおいて・・・。日本で何が待っているのだろう。

起きる出来事、出会う人々、目に入ってくるもの、耳に聞こえてくるもの、湧き起こる感情。それらひとつひとつに偶然はなく、意味がある。自分の気づきと成長へとつながる。

キツツキの合図をしっかりと受け止めて、自然のリズムに心の耳を傾け、着実に進んで行きたい。

2008年10月12日

松のおしえ


松の種が岩の上に落ちた
岩の表面にはわずかながら土があったので、種から芽が出た
種が芽を出すのは自然のプロセス

しかし、そこからが大変である
下が岩であることを知っていたら、種はそこに落ちたであろうか
残念ながら、種は場所を選べない

「こんなはずではなかった!」
「岩があったら成長できないから、生きるのはやめよう」

松はそう言っただろうか
いや、「ね」を上げるどころか、むしろもっとしっかり「根」を張ることにした

松は知っている

自然のプロセスに従って一生懸命生きることが、自分のなすべきことであることを
命は与えられたものであり、強く生きていくことこそが、自分のなすべきことであることを
逆境にも工夫して柔軟に適応できる能力があることを

「他の松ほど大きくはなれないけれど、他の松より多く根を張れば、それなりに生きていける」
「これが与えられた環境で最善を尽くした自分の世界」
「背は低くても、大人になったら実をつけて種を残そう、今度は子供たちがよりよい場所で生きていけるように」

松はそんなことは考えない
それが自然の当たり前の姿だから
それが自然のありのままの姿だから

しっかりと地に根付き、自分を支えている
今を一生懸命に生きている

与えられた命を生き抜くことは
自分自身に対する責任

自然はみんなそうしている
それが当たり前のことだから
それがありのままのことだから

人間も自然の一部だから
この松のように与えられた命を生き抜くことが
自分自身に対する責任

写真:ウィスラーマウンテンにてハイキングの途中で見つけた木

2008年10月6日

生きる力のプレゼント





昨日、私は天から降ってきたような思わぬプレゼントをいただいた。

私の友人は、シアトルに住む日系人の高齢者のために、食事会や小旅行などの楽しい行事を計画して実行する仕事をしている。その友人から一昨日電話があり、参加者が一人急に欠席することになったので、その代わりに私に来ないかということであった。クルーズ船の中でジャズを聴きながらブランチをするという行事で、支払済みのチケットが1枚あるという。

エリオット湾上をクルージングしながらブランチとジャズを楽しめる、それもタダで、ということで、私は二つ返事で招待を受けた。

前日シアトルは嵐で、停電になるほどの猛烈な風雨に見舞われたが、昨日は風はすっかりおさまり、時折うっすらと青空さえ見えた。

参加者は全部で16人。ほとんどの方が80歳以上で、一番高齢の方は91歳の男性だった。といっても、皆さんとても元気。少々足が悪くても、杖を突きながら積極的に様々な行事に参加されている。昨日も、皆さんとても80代とは思えないほど、イキイキハツラツとしていた。

この方たちはアメリカで生まれ育った日系二世。親はアメリカに移民としてやって来た。ほとんどの方は英語を話すが、日本語も大体わかるようである。

高齢者の方たちと一緒にいると、とても穏やかなエネルギーに包まれて心がホンワカする。私の両親よりかなり年上であるが、気分が若いので、ほとんど自分の親と話している感覚だった。埠頭までのバスの中で、私の隣に座ったキヨコおばあちゃんは、おもむろにバッグから梅干あめを出して、私にくれた。昔の日本のおばあちゃんみたいである。皆さん、日本には特別な思いがあるようで、私の出身地や家族のことなど、色々と尋ねてきた。

船に乗り、ジャズの演奏が始まると、ダンス好きの私の友人はリズムに乗って体を揺すり始めた。すると、その隣に座っていた91歳のジェームズおじいちゃんも、足でリズムを取り、恥ずかしげに音楽に合わせて手を動かし始めた。それを見て、みんながニコニコしてジェームズおじいちゃんを写真に撮ったり、一緒に体を揺すったりと、とても和やかな雰囲気になった。

このおじいちゃん、おばあちゃん、本当に楽しそうだなあ。でも、その裏に、皆さん計り知れない苦労や苦しみ、悲しみがあるのである。アメリカの日系人は第二次世界大戦中、ライフル銃を持った兵士が監視する強制収容所での辛い生活を強いられた。

ミヨコさんは、小学6年生のとき、たまたま祖父母を訪ねて日本に遊びに来ていた最中に戦争が勃発し、両親は強制収容所に入れられ、自分は終戦まで徳島の祖父母の所に残る破目になった。外見は普通の日本人と何も違わないが、字は平仮名しか読めなかった。地元の小学校に通うことになり、読み書きができないため1年生のクラスを勧められたが、本人はそれは絶対に嫌だったため、無理押しして6年のクラスに入った。

元々色白のミヨコさん、日本人の顔をしていても中身はアメリカ人。日本語もおぼつかない。クラスの男の子たちに、「メリケン子(粉)」と言ってからかわれた。悔しくて悔しくて、家へ帰って毎日泣いたそうだ。そんな彼女に祖父は人の10倍頑張れと言って励まし、彼女は本当に人の10倍頑張って、後にはクラスでトップの成績を取れたという。これは並大抵の苦労ではない。

楽しそうにリズムに乗っているジェームズおじいちゃんも、そのような時代に日系人の男性としてアメリカで生きていくには、大変なご苦労があっただろう。誰もわざわざそのときのことに触れて胸中を語るようなことはしないが、私には想像もできない辛い思いがさぞたくさんあったのだろうと思うと、何とも言えない気持ちになった。

戦争に翻弄され、差別と屈辱の時代を生き抜いて来られたこの方々。皆さんそれぞれに、家族を思い、子供の未来を思い、アメリカ国民としてアメリカのために人の10倍頑張って生きて来られたのだろう。

今ここで明るくニコニコ笑っている。自分から積極的に外へ出て行って、元気に今を楽しく生きている。その姿に胸がジーンとした。

この日、私はクルージングとジャズとブランチだけでなく、おじいちゃん、おばあちゃんから、生きる力というプレゼントを逆にいただいて帰って来た。


写真1: エリオット湾から見えるシアトルのダウンタウン
写真2: 船内のブランチ