2009年8月27日

Touch Drawing

三ヶ月ほど前に、ある書店で開かれたタッチ・ドローイングというクラスをとってみた。薄い板に絵の具をローラーでのばしてその上に薄い紙を置き、その紙の上から直接指で絵を描くというもの。

絵といっても、普通の絵ではない。頭は使わず、自分の内に意識を向けて、ただ感じるままに指を動かすだけ。色は一色で始めて、構図など一切ない。うまく描こうと思ってはいけない。とにかく考えることをしない。

指で直接描くなどということは今までやったことがなかったので、指が紙に触れたとき、胸がドキドキした。何をどこからどうやっていいのかわからない。どんなものができてくるかもわからない。ただただ、今感じることを指に集中させるだけ。

先生が言った。「とにかく感じるままに指を動かして、一枚描いたら紙をはがし、絵の具をローラーでのばしながら、頭を白紙の状態に戻したところで、次を描いてみてください。浮かんだらそれを絵にして、手放す。その繰り返し。まるで瞑想みたいですよね」

「ああ、その通りだなあ」
一枚に全意識を集中させて、十数秒足らずで一気に描き、終わったらフッと息を吐いて緩める。紙をはがしてみると、何らかの形が描かれている。これは結構面白い。

さらに、先生は言った。「隣の人が上手に描いていて、『なんで私はうまく描けないの』とイライラしたら、グシャグシャって紙に爪を立てて、そのイライラを描けばいいんですよ。そして、描いたらそれを手放す」

「なるほど、何を描いていいのかわからなくて、もどかしく感じる部分もあるなあ。そうか、それを表現すればいいんだ」
私もグシャグシャやってみた。やったそのとき気持ちがよかっただけでなく、自分の内にあるものが形となった、そのグシャグシャを客観的に見るのは新鮮で面白い。

何を感じてもいい。どう表現してもいい。何でもあり。何でもオーケー。ただ直感にまかせて指を動かすだけ。

イライラを表現して手放した途端、不思議なことに、次に描きたいことが浮かんでくる。

どれもまるで小さな子供が描いたもののようだが、自分の中で自由に表現したがっている部分は、きっと子供のままなのだろう。

好奇心いっぱいで、自由な気持ちになると、内なる子供が両手を広げてこう言った。
「私のハートはどんどん広がっていくんだあ!」

紙の真ん中から両手の人差し指を左右対称に動かしてハートの形にすると、そこから外に向けて広がるように、スルスルと勝手に指が動く。胸がドキドキして熱くなる。どんどん指が動いて、気づいたらハートには根元があって、地面にしっかり根付いているような絵になっていた。

「ああ、安定している。地に根付いていると落ち着いて、ハートが安定するんだなあ」



このようにただ感じるままに描いていくうちに、あるとき突然「Judgment(判断)」という言葉と共に、母の顔が浮かんだ。母のことは大好きだが、その一方で、母が物事を決め付ける傾向があることに私はずっと以前から抵抗を感じており、その感情が出てきた。すると同時に、自分の中にもJudgmentはあることに気づき、それを思うと苦しくなった。

「Judgment」の言葉が浮かぶと、指は四角い枠を描いていた。私にとってJudgmentのイメージはまさに四角。その四角を見ていたら、両手の人差し指で真ん中に垂直の線を入れたくなった。描いているうちに、不満と怒りと苛立ちがムラムラと込み上げてきて、その感情を表わすがごとく、指が勝手に動いていた。



後で客観的に見てみると、垂直の線は背骨で、下の方にエネルギーが滞っているみたいな絵である。これって体の中を表わしているみたいだなあ。ひょっとして、人を批判したり決め付けたりしているときって、それを言っている人も聞いている人も、体の中はこんな風になっているのかもしれない・・・。

描き終わってこれも白紙に戻すと、また新たなイメージと感情が浮かび上がってきたので、それを表現してみる。喜び、開放感、苛立ち、悲しみなど、さまざまな感情が出てくる。

私にとって、指の動きの中で一番気持ちよいのは、らせん状の動きや波打つ動き。三角や四角はあまり好きではなく、丸い形や卵型が大好き。すると、こんな絵が出来上がった。


後で振り返って「源からのエネルギー」と名付けた。

一時間ほど集中的に描いたあと、最初から一枚一枚を振り返り、直感的に浮かんだ言葉や題名を書き込む。客観的に見てみると、自分の中に隠れていたさまざまな側面が浮かび上がり、心の赴くままに描いた絵こそ、自分をよりよく知る手助けをしてくれることに気づいた。

二時間のクラスの間、意識は自分と絵との間にだけあった。それは、色々な何かが棲んでいる深い海の中に静かに入って行き、その何かが姿を見せる瞬間を待っているようなものである。

このクラスをとってから三ヶ月後のつい先日、また紙に向かってみた。
「木」について描いてみたくなり、こんな絵が出来上がった。



すると次に、この夏知り合ったある人が、「Trust(信頼)」という言葉の語源は「root of a tree(木の根っこ)」を意味するのだと言ったことを思い出し、そこから浮かぶイメージを絵にしてみた。



信じることと、木の根っこ。木は大切なことを教えてくれる偉大な存在なんだなあ。

さらに、夢によく現れる山の景色や水を描いてみたら、水の中に顔や目を描きたくなった。ちょっと気味の悪い絵になってしまったが、水は無意識の世界を表わしており、その中にある顔はすべて自分で、また、これまで幾度も姿形を変えて生きてきた自分をも表わしているようである。目はそんなさまざまな自分を静観する目であると同時に、異なる世界への窓口でもあることを、私は絵によって表現したかったのかもしれない。




タッチ・ドローイングでは、マインドを捨てて心を開き、自由な気持ちで感じるままに直接指で描くことにより、深い部分の自分と繋がることができる。先生はこのタッチ・ドローイングを「魂が表現する絵」と呼んでいる。

タッチ・ドローイング、それは、誰もが途上にある自己発見と成長のプロセスを助ける大きな癒やしの力を備えている。

2009年7月8日

シャスタで終わり、シャスタで始まる

歴史を通して、この地球で繰り返された様々なドラマや悲劇
人はある方策をとるに至った

「すべて自分ひとりでやらなければならない」

「決して目立ってはいけない」

「本当の感情を押し殺さなければならないから、おどけてみせたり、気持ちをそらしてごまかしたり、感情にわざと鈍感になってみる」

「常に受け身でなければならない」

「自分の価値を認めてもらうために、常に努力しなければならない」

「自分自身をさらけ出すことは危険」

「常に(人や環境の中に)うまく溶け込まなければならない」

「自分を弱くて劣っているように見せなければならない」

「常に自分自身を追い立てて、前進しなければならない」

「他者から自分を隔てていなければならない」

「相手が望むことに誠実で従順でなければならない」

「自分の幸せを犠牲にしてでも、他者を幸せにしなければならない」

すべて生き残るため
生き延びるため
自分の身を守るため

そんな風に、何らかの形で調節(コントロール)してきた

自分の中に、家族の中に、先祖の中に、過去生の自分の中に
繰り返されて来たパターン



闇の中に入ってゆき、向き合ってみたら
闇が痛みを和らげてくれた

真っ暗な闇をじっと見つめていたら
闇が両手を広げてくれた

母の懐に抱かれたように
心が落ち着く
安心できる

闇は勇気に包まれていて
私はそこに還っていった



闇と光は表裏一体

過去をここに置いていき
ここから生まれ変わる


誰もが調和を求めている
調和 - それこそが私達の本来の姿




自分を愛し慈しみ
相手を愛し慈しむ

自分の心に余裕ができたら
相手を尊重し、思いやりの心になれる

それぞれの個性を活かし
補い合い、助け合い、認め合い
様々な色が溶け合ってひとつになる



もう奪い合う必要はない
なぜなら、一人一人のなかに溢れるほどの豊かさがあるから

生きるということは、それを表現して分かち合い
より大きな喜びを創造すること


WE ARE THE WORLD



シャスタ山は光に包まれていた



<今回シャスタの旅をご一緒してくださり、私に大きな気づきをくださった4人の方々に心より感謝いたします。>

(写真上から順に)
最初の2つ シャスタ プルート・ケイブ
次の2つ シャスタ キャッスル・レイクにて、調和の鳥、鳳凰のような雲と光環
Osho 禅タロットカード
シャスタ山

2009年7月7日

すっかりご無沙汰してしまいました

最近ずっとブログをご無沙汰しておりまして、ある方から病気ではないのかとお気遣いのメールをいただいてしまいました。

実際には一度もお会いしたことのない方に、優しいお言葉をかけていただいて、本当にありがたいです。嬉しいです。

私は元気いっぱいなのですが、今年の4月、5月、6月と速いスピードで内面の展開があり、それに畑のシーズンが始まったのも手伝って、心身ともに手一杯の状態が続いております。野菜は日に日に大きくなり、今年は雨が極端に少なく高温の日が続いているので、水遣りや草抜き、収穫など、いやぁ畑仕事はきりがないですね。楽しいですが、忙しい。

それにしても、自然の力にはただただ驚くばかりです。雨ひとつとっても、人間がホースで撒く水と自然の雨とでは、野菜の成長ぶりが全然違うのです。適度な量の雨が降った後の畑は調和がとれているというか、野菜から出る波動が一段と優しく、すべてがグンと大きくなっています。考えてみれば、晴れている日に水を撒くということ自体、不自然ですよね。

日向、日陰、高温、低温、湿度など、野菜それぞれの好みがあります。予測できない自然とどうやって折り合いをつけて野菜を作るか・・・。これも深い世界です。畑を始めて今年で10年になりますが、知らないことだらけです。

今年作っている野菜は、キャベツ、青ねぎ、タマネギ、ニンジン、ズッキーニ、かぼちゃ、ビーツ、チャード、ケール、キュウリ、レタス、インゲン、カリフラワー、ラディッシュ、ミズナ、春菊、トマト(ミニトマトとローマトマト)、ジャガイモ、シソ、ソラマメ、サヤエンドウ、スナップエンドウ、グリーンピース、ニラ、チャイブ、シャロット、イチゴ、ガーリック、シラントロ。

今日は、ソラマメとエンドウにキャベツ、ケールを少しとってきました。「もういいかい?」「まーだだよ」という風に、野菜とコミュニケーションをとりながら、与えられたものを無理なく無駄なく収穫して分かち合う。そして、収穫したものをベースに料理の組み合わせを考える。

自然のサイクルを尊重し、その自然を人間が利用させてもらう。楽しくて、頭も柔軟になり、自然との一体感を味わえます。

ブーンと飛んでくるハチの音を聞きながら、無になって畑で作業をする。日焼けして顔も手も黒くなり、土いじりした指は荒れてボロボロになっても、気分は爽快。

こんな風に、土の臭いのする生活をしております。

その対極にある、精神面のお話は次回にでも。

2009年5月6日

水星の逆行は温故知新

5月7日から5月30日まで水星が逆行する。地球から見ると、水星が通常の進行方向ではなく、逆の方向に戻っているように見えることを逆行と呼ぶそうである。

水星はコミュニケーションや交通、それに関連した通信機器などに影響を与える星で、逆行する期間は、概してこれらのことがうまく行かないと言われている。新しいことを始めたり、契約にサインしたり、車など高価なものを購入することは避けた方がよいそうである。

占星術のことは専門の方にお任せするとして、私が個人的に感じることをここに書いてみようと思う。

この時期は一般にストレスに感じることが多く、過去との繋がりが強く現れる時期なので、転換するための大きなチャンスの時であると私は捉えている。

水星の逆行の特徴の中で最も注目したいことは、過去に解決されていないことが別の形で浮上したりして、もう一度見つめ直さなければならない状況になる場合があることである。

相手と口論した、無性に腹が立つ、誤解された、裏切られたなど、生じた問題について、根本的な原因を探るべく、内省するにはもってこいの期間と言えよう。

設定は違うが、似た状況がひょっとして過去にもあったのではないか。そこに注意してみると、そのような出来事が芋ずる式に出てくることがある。

慣れ親しんだものは心地よく、いつまでもそこにいたいと思うのが人情で、私たちは、得てして同じ間違いを繰り返すものである。例えば、自分が今まで通してきた考え方、態度、相手に対する接し方はそれでよかったのか、もう一度よく見つめてみよう。

川が流れるように、すべてが変化して動いている。自分の中に、よどみになった部分はないだろうか。

流れをせき止めて、よどみを作っているものは何だろう。その状況の中で生じる自分の感情が一体何を訴えているのか、自分はなぜそう感じるのかを探ることで、よどみの原因がわかることがある。

他人や状況に振り回されてコントロールされ、がんじがらめになって体調を崩すパターンを繰り返してきた私は、無意識のうちに被害者的状況に自分自身を陥れていたのだった。通常、相手に対して強い怒りがこみ上げるが、それは自分自身に対する怒りでもあったことに気づく。そこで、その怒りに焦点を当てて内省してみると、自分はどうありたいかが見えてくる。

それが明確になったら、そこに焦点を当てて転換していく。

その場合、一度にすべてきれいに転換できることを期待するのではなく、何かひとつ、自分の身近なことで簡単にできることから試してみるとよいだろう。

姿形を変え周期的に起こる物事の中から気づきがもたらされ、それを基に新しい段階がやって来る。感覚的に捉えた場合、進化・成長を形で表わすと、徐々に大きくなっていく弧を描きながら、らせん状に上がって行く感じがする。ただ最近、その上がる幅が急激に増えているようにも感じる。

「ブロックされていたり、閉じている場所は波動的には低いため、全体として波動が上がって行く際に、そのような調和がとれていない部分は痛みや症状となって出てくる」と、数年前にある人が説明してくれた。

ブロックされていたり閉じている原因は過去に繋がり、個人の肉体レベルだけでなく、さらに集合的な意識として見た場合、不調和は社会・地球レベルでの痛み(ひずみ)として現れる。

過去は未来に繋がる気づきの宝庫。日々の生活で生じる出来事に、過去から繋がる気づきのヒントが隠れている。

エネルギーが内向きになる水星の逆行期は、ある意味、自分についての「温故知新」の時期とも言える。スローダウンして内省し、転換するチャンスの時と捉えると、より前向きになれる。

ちなみに水星の逆行は、今年はこのほかに9月7日~9月29日までと12月26日~来年1月15日までである。

2009年5月3日

黄金の手

情報が氾濫し、私たちは知識ばかりで頭でっかちになってしまっているところがある。コンセプトを頭だけで理解してわかったような気になっているが、実は何か大切なものを忘れてはいないだろうか。

昨年の秋に日本で参加した自己成長のワークショップでは、体で感じ取ることが気づきをもたらし、それがどれほど大きな癒やしにつながるかを体感した。私にとってはまさに「目からウロコ」だった。

そのときの感動を分かち合うべく、先月、月例のサークルで、初めてグループワークのファシリテータをさせてもらった。

ワークのひとつは3~4人で一組になり、相手のエネルギーの特徴を感じ取ってみるというもの。私たちは日常において、「あの人は丸顔でちょっと剥げている」などと、目に映る顔や形で認識し、そこから「あの人は妻と子供を捨てた人だから」とか、「暗く何年も引きこもっていて、あの人は人格に問題があるのではないか」などと判断して相手を見る傾向にある。

しかし、それは外側だけのことで、それがイコールその人ではない。心の目が開くと、もっと深い本質的なものが見えてくる。これはそれを見るエクササイズである。

私が日本でこのエクササイズを受けたときに、ある方は赤と黄色の光輪を発した大仏の姿に見え、その方の体全体から強力なエネルギーが放射されていた。元気満々で病気などとは無関係の方なのだろうと思っていたところ、この方が元がん患者さんであったことを後で知って、びっくりした。

エクササイズをやってみると、このグループからも同じような驚く結果が次々に出た。相手から強烈な光を感じた人、独特な匂いを感じた人、観音様の姿と重なって見えた人、清らかなせせらぎを感じた人、白百合のイメージが浮かんだ人、若竹の色が見えた人など、全員がそれぞれ相手に対してはっきりとしたイメージを見たり感じたりした。みんなで体験を分かち合い、お互いにポジティブな結果に驚いた。

中でもひときわ感覚の鋭い方がいて、その方はAさんに意識を合わせたときに、「右手が金色に輝いて見えるんですけど、何か手にお仕事を持っていらっしゃいますか」と言った。Aさんは目を見開き、「えーっすごい!」っと叫んだ。

実際、Aさんはボディワークのお仕事をしている。みんなの体が少しでも楽になり、健康を取り戻せるお手伝いをすることが喜びであると、大変な努力をしてさまざまなヒーリング手法を学んだ末、あるボディワークと出会い、今では多くの人にワークを行っている。そのことは知らない方がAさんを見て、右手が「黄金の手」だと言ったものだから、Aさんの仕事を知っている人は、興奮と驚きで目を見張った。

単純なエクササイズだったが、結果は深い洞察を与えてくれる。それは、自分とは何者なのか、自分の本質とは何か、いかに生きるのか、ということ。

エクササイズ自体はそれで終わりだったが、実はこの「黄金の手」という言葉に関して、さらに驚くことが待っていた。

このエクササイズに参加したBさんは、ご家族のお世話にボランティア活動に、忙しい日々を送っている。専業主婦の彼女にとって、この黄金の手という言葉は特に印象深かったようである。

帰宅後、娘さんにその日あったことを話したそうである。
「ある方がAさんの右手が金色に輝いて見える、何か手にお仕事をもっている感じがするっておっしゃったけど、確かにAさんは手を使ってお仕事をされているから、それは本当に当たっていてすごいし、金色に輝いているって素晴らしいわ。誇りを持つようなお仕事をされていて、いいなあ」

すると、すかさず娘さんが言った。
「そんなことないよ。お母さんだってご飯作ったりお掃除したり、ちゃんと家のお仕事をしているから、手が金色に輝いているはずよ」

Bさんが、常に家族のことを考えて大切にしていることは、Bさんを見ていればわかる。しかし、悲しいかな、家事は仕事のように、対価が目に見える形となって現れるものではない。主婦の仕事がどれだけ地味なものか、無意識のうちに当たり前とされてしまうことに、私もときどき悔しい思いをすることがある。

Bさんは、娘さんとのこの会話を、後日ある集まりで会ったときに話してくれた。私も周りで聞いていた人も感動して、涙ぐんでしまった。

「ティーンエージャーで普段生意気なことばかり言っていて、人の話を聞いているのかいないのか、私にろくに返事もしないこともあるけれど、その娘がそう言ってくれたのよね。嬉しかったわ~」

お母さんも黄金の手を持っているのよ、とすかさず返した娘さんのその言葉は、まさに母親への愛の言葉だった。

ちょっとしたエクササイズが思わぬところにまで広がって、大きな感動を与えてくれた。

みんなが光の存在。そのみんなが愛で繋がっている。なんて素晴らしいことなのだろう。

初めて試してみたワークから、私は学ぶことばかりだった。同時に、体感することの大切さを再確認した。観念や理論を頭で理解するだけでわかったつもりでも、それはどの程度理解したことになるのだろうか。

ものを食べるときも、鵜呑みしたものとよく噛んだものとでは消化の度合いが違う。感情を味わい、それが深く中まで浸透しなければ、消化されたとは言えない。栄養になるのはそれからである。

そこから気づきと癒やしの道は、さらに奥深くへと入っていく。

2009年4月29日

いのち芽吹く春

今年シアトルでは3月になっても寒い日が続いていたため、梅と桜がほとんど同時に咲いていた。4月上旬に撮った桜の写真からご覧下さい。

ワシントン大学の桜





ワシントン大学前の並木道は萌黄色のアーチ


+ + + +


朝起きてバルコニーに出て、神々様、地球霊王様、守り導いてくださっている方々に朝のご挨拶をする。一礼をして顔を上げてみると、昨夜雨が降ったせいか、目の前の木々が昨日とは全く違った様子で光り輝いていた。

この日はアースデーだった。呼び込まれるかのように、近くの公園へ足が向いた。

晴天の下、公園には自然のいのちが光り輝いていた。


芝生の中で寄り添って咲いているちっちゃなちっちゃな花。なのに、なんて精妙なのだろう。その完璧さに驚嘆する。そう、いのちあるものすべてが完璧。


巨大なツクシ

こちらはもっと長い。50センチはあるだろうか。


スカンク・キャベッジ。アメリカ北西部でしか見られない。「スカンク」という名からもわかるように、悪臭を放つ。それでもクマが好んで食べるらしい。


可憐にひっそりと咲いていた花


光のシャワーを浴びて踊っているよう


ワラビを見ると思い出す子供の頃。そういえば、春になると、毎日のように近くの山へ行ってワラビ採りをしていたなあ。


このせせらぎのように、清く澄んだ心で自然の流れに身を任せ
しっかりと根を張って、生きてゆく



「私に意識を向けてくれてありがとう。この日だけでなく、あなたがたの中で毎日がアースディであって欲しい」
地球がそう呼びかけているように感じられた。

「私のことを忘れないでくださいね」(忘れな草)



風の精、水の精、光の精、木の精、土の精・・・みんなみんなありがとう。

土の中から いのちが芽吹く春

2009年4月28日

平和なトイレ


真実は実に単純なことである。

この簡易トイレが、ある深い真実を教えてくれた。

写真をご覧になるとおわかりのように、このトイレは歩道の脇に設置してある。トイレの後ろ側(写真の右側)は坂になっており、降りた所に200ほどの区画があるコミュニティガーデンがあり、その一区画を借りて、私は毎年野菜を作っている。

この区画と同じくらいの数の人たちが、思い思いに自分の区画で野菜やハーブ、花を作っており、各自が自分の区画を管理しているが、全体としてコミュニティになっているため、役割や共同の作業があったり、共用するものもたくさんある。

4月半ばになって、また今年も畑のシーズンが始まった。シーズンは4月から10月半ばまで。シーズン中に使う簡易トイレを、毎年みんなでお金を出し合ってリースで借りる。

私はここで畑を始めて今年で10年になるが、簡易トイレを置くようになったのは、数年ほど前からのことである。長時間作業をしていると、トイレは絶対必要になるため、大助かりである。

この簡易トイレ、実は3年前からやっと平和になったが、それまでは激しい戦いがあった。いや、順番を争ったという話ではない。

コミュニティガーデンのメンバーが使用するために、お金を出し合って調達したものだから、当然メンバーだけが使える。多分、リーダーはそう考えたのだろう。シーズンも半ばになったある日、数字を合わさないと開かないダイヤル式の鍵がトイレに付けられ、メンバーに暗証番号が告げられた。いちいち番号を合わさないと開けられないため面倒であるが、コミュニティガーデンのルールとなったので仕方ない。

それから数週間後、畑に行ってみると、トイレが逆さまになって崖の途中に引っかかっていた。「うわ~ひどい、誰がこんなことを!」

ドアは閉まったままだが、タンクの中身のことを考えると、中の様子は想像するだけで恐ろしい。こんな重いものを誰が突き落としたのだろう。

「高校生のいたずらじゃないか」と夫は言った。コミュニティガーデンの隣には高校がある。「そんなことするのは若者に決まっているさ」

業者に来てもらい、新しいトイレを置き直した。もちろん、今度も同じように鍵を付けた。すると、数日と経たないうちに、また突き落とされた。同じ人のいたずら?

結局犯人はわからないまま、その年トイレ事件は未解決に終わった。

翌年、リーダーは知恵を絞り、今度は地面に板を張って、鍵を付けたトイレをその上に置き、太さが2センチほどのリングチェーンで固定した。これなら、どんなに押しても突き落とすことはできないはず。これで絶対大丈夫。多分、リーダーはそう考えたのだろう。

茶色い大きなリングチェーンは囚人の足かせを思い起こさせ、見るからに重々しい。ダイヤル式の鍵にチェーン。ずいぶん仰々しいトイレになってしまった。これもすべて「守るため」。一体何を守るのか。

ところが、後日そこへ行って愕然とした。またもや、トイレは無残にひっくり返っていた。台になった板の上で、チェーンはブチンとリングの真ん中で見事に切断されていた。2センチもある分厚いチェーンが!

これを切るのに、どんな道具を使ったのだろうか。そんじょそこらの道具ではできないはず。これはもう、ただのいたずらではなかった。わざわざ道具を取りに行き、人気のない夜を見計らってここへ戻って来て、チェーンを切ってトイレを押し倒す。それに要した時間と労力を考えると、このチェーンを切った者の怒りは相当なものである。

切断されたチェーン。これは決定的なメッセージだった。

私は驚いたが、リーダーはさぞかしショックだったろう。絶対に負けはしないと抵抗すればするほど、閉じれば閉じるほど、相手はその何倍もの力で攻めてくるのである。

顔の見えない敵との戦い。この事件は、みんなで協力し合い分かち合い、のどかに畑を耕す私たちにとって、おぞましいものであった。

「用を足したくてトイレのドアに手をかけたら鍵がかかっていた・・・俺だって、カッとなって倒したくなるぜ」切断されたチェーンを見て言った夫の言葉に、私も頷けた。

トイレは畑の敷地内ではなく、歩道の脇に置いてあるため、ジョギングをしている人、犬の散歩をしている人、駐車する人など、通行人が結構利用しているのである。畑の作業をする人より、通行人の利用の方が多いくらいである。それがわかったのは、その翌年のこと。なぜわかったか。それは、トイレに鍵をかけなくなったため。

これでもうトイレは倒されることもなく、みんながハッピーで、すべてが丸く収まった。なぜ、最初からこれができなかったのか。

真実は実に単純なことである。これほど宇宙の法則を端的に物語っているものはない。

私たちの社会では、いつしか、トイレに外から鍵を付けるような考えが当たり前になってしまった。これは世界中のあらゆるレベルに浸透し、とても根が深い。閉じるエネルギーは固くて重い。閉じれば閉じるほど、抵抗すればするほど、反作用がその何倍もの力で跳ね返ってくる。

しかし、それでは平和は訪れない。この簡易トイレが象徴するように、これからは大小様々なレベルで、どんどん開いて分かち合う方向へと流れが向かっている。

2009年4月15日

ブライアン・ワイス博士 - へその緒の記憶

オギャー!と産声を上げて生まれてくるのが普通で、ほとんどの人がそうであると思うが、私は違った。

「姉ちゃん(私の姉のこと)は、陣痛が始まって2~3時間でポンと飛び出してきた。初産やったけど、すごく軽いお産やったわ。けど、あんたはすごい難産。16時間もかかってほんとに大変やった。あんたは姉ちゃんより大きかったからなあ。おまけに、やっと出てきたと思ったら、首にへその緒がグルグルに巻きついていて、あんた首絞められて青くなってぐったりしとって、ほとんど死にかかっとった。生まれても全然泣かへんかったから、お医者さんがあんたを片手で抱えてポンと背中を叩いたら、やっと泣いた。あんた、死ぬ一歩手前やったんやで」

大人になってから、母からこの話を何度聞いたことだろう。

そういえば、結婚してアメリカに住むようになってから、私は帰郷するたびに、実家にある母のたんすの引き出しから、大切にしまってあった自分のへその緒と母子手帳を出して見ていた。3200kgで姉より550gも重かった私は、予定日より1日遅れで、生と死の狭間から生まれた。もちろん、本人はそんなことは覚えていないが。

昨年の秋に沖縄で自己成長のためのワークショップを受けた時に、天と地とのバランスを感じてみるワークがあったが、私は自分でもショックなほど「地」とのバランスがよくなかった。

その時にふと浮かんできたことのひとつが、自分の生まれ方だった。このことは、ずっとどこかで引っかかっていて、いつか知りたいと思っていた。

そうしたら、数年前、友達があるチャネラーを紹介してくれた。これぞチャンス!とばかりに、なぜそんな生まれ方をしたのか聞いてみた。答えは、過去生にあった数々の悲しく苦しい出来事がトラウマとなり、私は、生まれるときに地球に戻ってくることに対して、大きな恐怖と抵抗を感じていたということだった。

しかし、そんなことは何の根拠もないし、記憶にないことなのでわからない。母は、妊娠中に自転車を乗り回していたので、それが原因でへその緒が巻いたのだと言い、チャネラーが言ったことを話したら、キッと怖い顔をして怒った。「産んだのは私! そんな他人に何がわかるっていうの!」

そりゃあそうだろう。お腹に中にいるときからずっと大切にしてきて、16時間も苦しんでやっとの思いで産んだのに、それは生まれてくることに抵抗があったからなどと言われたら、腹が立たない訳がない。

それでも、へその緒の記憶は、自分自身の調和を取り戻す過程で通らねばならない道の一角に、私が完全なタイミングでやって来るまで静かに待っていたようだ。そのタイミングとは、顕在意識の自分は気づいていないが、深い部分の自分がGOサインを出したとき。

それは、2週間前にシアトルで開かれた、前世療法で世界的に有名なブライアン・ワイス博士のワークショップという形でやって来た。内容を検討することもなく、ただ直感的に行ってみたいと思って申し込んだのだが、結果的には、やはり大いなる力の導きでそうなったことを感じずにはいられなかった。

ワイス博士はこう言った。
「過去の結果が現在の自分であるならば、今自分が癒やされることで、未来の自分の道が変わる」

この言葉を聞いた瞬間、脳の片隅で超高速早送りの画面が展開した。あまりにも早くて何もはっきり見えなかったが、そこには、私という人間を中心とした網の目のような「繋がり」の地図があり、今何をするか、またはしなかったかで、その都度、繋がりが作り上げる形が事細かに変わる。

この日ワークショップに参加したか、しなかったかでも、この先の何かが変わるかもしれないと思った。

誘導瞑想を通じて子供時代に戻り、母親の子宮の中にいた頃、生まれた瞬間、そして過去生の記憶へと順に遡っていくワークは、実際、新しい視点を与えてくれた。

座り心地の悪い会議用椅子に隣の人と肘をつき合わせて座らされ、こんな状態で深い瞑想に入れるのかと疑っていたが、実際、会場に集まった600人もの人が一斉に瞑想状態に入ると、場内はたちまちものすごいエネルギーに包まれた。意識も思考も全く普通の状態なのに、別の次元のドアが開くのである。

ワイス博士はステージからマイクを通して誘導した。「さあ目を閉じて、深呼吸をします。一呼吸ごとにリラックスして、深く入っていきます・・・あなたの頭上に美しい光をイメージしてください。光の色は、あなたが選びます」

私は、ローズクオーツのような優しいピンク色を想像した。間もなく、頭のてっぺんが痛いほどツンツンしてきた。すると、いきなり頭上のピンク色がもぎ取られ、勝手に濃い紫色にすり替わった。「あららら・・・」

それは私の意思とはまったく異なるもので、その紫の光のかたまりは独自の意思を持っているかのように、頭上で渦を巻いて待機していた。そして、ワイス博士が「光が、頭のてっぺんから体の中へと流れ込んできます」といった瞬間、待ってましたとばかりに、その光はグワ~ンと勢いよく入ってきて、たちまち頭全体から首まで広がった。

自分が制御しているのではなく、何か強い力が勝手に働いている感触は、少し不気味だった。気づいたら、そんなことを考えていた。
「あれっ、こんなこと考えていて、深く入っていけるのかな・・・」

ワイス博士が逆に数字を数え始め、誘導が進む。「3・・2・・1。さあ、子供時代の楽しい思い出を思い出しましょう」

「数えるのが早くて、これじゃあついていけないじゃない」私の頭の中は、相変わらずごちゃごちゃと思考がうるさい。それでも、閉じた目の前に突然情景が広がった。

白いかっぽう着を来た母と、黒い厚手の綿シャツを着た父が私の前に立っていた。父も母も30代で、初々しい夫婦といった感じだ。私は3才くらいだろうか。スカートの下からオムツがはみ出ている(そういえば、私はオムツが取れるのは遅かった)。私たちは、当時住んでいた社宅の玄関の前に立っていた。よく晴れた日で、母は私にニッコリ微笑んでいた。父の綿シャツは、父が山登りが好きだったことを物語っている。

「貧しかったけれど、温かい家庭。私は大切にされ、愛されていた」
それが、このシーンからのメッセージだった。

感情が入らず、とても客観的に見ているのに、ワイス博士の誘導でこのシーンを離れる前に、ツーっと一筋涙が頬をつたった。「あれっ?なんで涙が出るんだろう」

このような涙は、深い部分の自分が反応しているときに流れる涙だということを、昨年沖縄で受けたワークショップのときに教えてもらったことを思い出した。

次は、母親の子宮の中にいるときの記憶。暗い感じで動きがなく、特に何も感じなかった。なんだろうと思っているうちに、ワイス博士は生まれた瞬間へと誘導していた。私は、自分が窒息状態で生まれたと聞いていたので、首を絞められる苦しさが蘇るのかと思って、怖くなった。

「はい、生まれました!さあ、どんな感じですか?」

ちょっと早すぎてついていけない。躊躇している私を置いて、誘導はどんどん進んで行く。生まれたって言われても、何のインパクトもないし・・・。と思っていたら、急に首の周りがチリチリし始めて、そこに半透明の柔らかいチューブのようなものが三重くらい巻きついているのをはっきりと感じた。どうやら、私はまだ子宮の中にいたようだ。

それは、私が想像していたようなものとは全く違った。半透明のチューブは温かく、私の首を柔らかく包んでいた。そこから白い光がキラキラしていて、細かい電流が流れるように首をチリチリと刺激していた。心地よかった。

確かに産道を通り抜ける時には、首を締め付けられただろうが、子宮の中にいるときは、私はへその緒のマフラーに優しく巻かれて穏やかに眠っていた。それは、私の首を絞めた凶器ではなく、愛そのものだった。

私はたくさんの愛に包まれていた。母と私をつなぐ愛。地球へと生まれ出る私を、周りで見守る複数の守護霊や指導霊の存在も、はっきりと感じた。

両親や見えない存在達の愛に包まれ、護られている。その感触を、私は今この場所で椅子に座って味わっている。地球に生まれて来ることに恐怖を感じていたかどうかということよりも、私はどんな時でもこの愛に包まれている、私は一人ではないという深い安心感を実感することの方がはるかに大切だった。

私が心を閉ざしていても、絶対的な愛は変わらず注がれ続けていた。生まれる前からも、生まれた後も、そして現在も、私を支え見守り続け、注がれ続けている愛。そのことに気づいたとき、深い感謝の気持ちが沸き起こった。

と同時に、へその緒に優しく巻かれて眠っていた胎児の私という小さな命の尊さと、高次の愛に支えられながら、この世に生まれてくることの意味の大きさまでもが、首の周りの感触と共に伝わってきた。

「過去の結果が現在の自分であるならば、今自分が癒やされることで、未来の自分の道が変わる」

へその緒は愛のマフラーだった。そのことに気づいたとき、それは首の周りからそっと消えた。私の中で癒しが起こり、またひとつ何かが開放された。

私は角を曲がり、ここからまた新しい道を歩き始める。

2009年4月1日

豊かな島プエルトリコ - 第6日目(最終日)

「ああ~、何もかも捨てて修道院に入りたい!修道院で、神様にすべてを捧げて静かに暮らす方がずっとラク!」

親に何か言われた後とか、学校で同じ男の子を好きになって、相手の女の子から嫌がらせにあった日の後とか、自分の部屋にいるときに、急に発作のようにそんな思いが胸の中から突き上げてきて、居ても立ってもいられなくなったことが何度あっただろうか。人との関わりで起こってくる日常のごちゃごちゃが煩わしい、俗世から離れたい。

そう思うことがあったのは、小学校の高学年から高校にかけて。こんなことを思うなんて、なんて変な子供だったのだろう。

キリスト教に興味があったわけでもなく、特別に信仰心が強かったわけでもない。むしろ無関心だった。けれど、禁欲的で質素で神に仕える清らかな生活に安心感を覚える部分が、小さい頃から自分の中にずっとあったように思う。

大人になってからも、賛美歌を聴くと訳もなく涙が流れる。それは、懐かしい記憶を辿るような感覚で、さめざめと涙が流れる。魂が思い出すときには、必ずと言ってよいほど、そのようなさめざめとした涙になる。

修道院を改造して今はホテルとなったエル・コンベント。昨夜はホールでピアノの演奏があり、一曲ごとに、男女の恋にまつわる様々な心模様を詠った詩の朗読があった。

喜び、怒り、悲しみ、恍惚感、嫉妬、絶望感。「愛」をテーマにした曲は様々な感情を乗せて、聴く人の心に響き渡る。アンティークの重厚なソファに体を沈めて聴き惚れている人々を見ていると、突然違和感が襲ってきた。それを振るい落とそうと視線をそらして辺りを見回すと、この空間に閉じ込められてきた感情のようなものが浮かび上がってきた。

修道院は今から360年ほど前に建てられ、250年に渡る長きの間、ここで修道女たちが生活をしていた。外部から遮断された環境にこもって質素で禁欲的な日々を送り、祈りと共に神にすべてを捧げていた時代だった。



しかし、ここは今では高級ホテルとなり、くつろぎや贅沢、行き届いたサービスの快適さと快楽を求めて、常にさまざまな人が行き交う解放された場所となった。皮肉にも(?)、修道院ではおそらく禁じられてきたことすべてが提供されている場所に。



壁や柱や天井から、塗られたペンキや貼られたタイルの下から、そして空間からさえ、当時の「思い」が伝わってくるようである。それは、私の中にあって忘れられていた遠い記憶にある感情と重なって、ここにいる今の自分に跳ね返ってきた。



神への献身と引き換えに、抑圧され閉じ込められてきた感情、置き去りにされ抹殺されてしまった感情が、そこにあった。本当は表現したかった感情があったはず。外界へ出て、自分の足で歩き回って、やりたいこともたくさんあったはず。

コーヒー中毒にチョコレート中毒、アルコール中毒・・・。私は目的を達成するための仕事中毒以外は、「・・中毒」になったことがない。堪能したことがなく、思い切り羽目をはずしたり、感情に溺れたこともない。いつもどこかで自分をコントロールしているため、大失敗をして後悔したこともないが、心から楽しんだこともあまりない。自分の感情に鈍感で、痛みも我慢も平気だった。自分に厳しくすることは得意でも、自分にご褒美をあげることは大の苦手。

「もういい・・・」
「もう終わったのだ」
長い回廊にこだまするように、その言葉が心に響き渡った。

私は、「もういい」と思うまで、ずっと同じことを繰り返してきたのかもしれない。

「もっと楽しみなさい、感情を味わいなさい。開放しなさい」
そんな自分にもう一人の自分はこう言っている。

どこかにこもって世俗と離れた生活をすることで、神との関係を築く時代は、私の中ではもう終わった。今の私はそんなことは望んでいない。肉体と豊かな感情を持った人間として、それを味わうことが、より自分らしく生きること、それが私が経験してみたいこと。

私の中で、神は懺悔して赦しを請う対象ではない。これからは、神と共同で創造してゆく。それは人と深い信頼関係を築くようなもの。自分や周りのすべての人の中に神性を見出したら、なぜ外界と遮断してこもってなどいられるだろう。なぜ感情を抑えてなどいられるだろう。

喜びの中に生き、それを人と分かち合い、様々な出来事に出会って、共に泣いて笑って、助け合って喜び合って、時にはぶつかり合ったりして、それが生きていることだと実感することこそが、今の私が神に仕える新しいやり方。それが自分に最も納得できる生き方。



飛行機の出発までの少しの間、オールドサンファンの街を歩いてみた。

入港する巨大なクルーズ船。まるで大きな建物が動いているようだ。

最後に、世界遺産のエルモロ要塞へ行ってみた。重苦しくて中には入らなかった。

海賊や他国からの襲撃から守るため、サンファンはぐるっと要塞の壁によって囲まれている。


プエルトリコは自然あふれる豊かな国。その豊かさの裏には、植民地時代に代表されるように、そこに繰り広げられてきた人間の悲しい歴史もある。それは、アメリカの属領と軍事基地という形によって、今なお続いている。

しかし、土を押し上げて芽が出るように、この地にも新しい時代はすでに始まっている。最初からあったその「豊かさ」を取り戻すために、大きく動き始めた地球の一地点として。


私自身にも、並行してそれが起こっている。段階を経て心の窓を少しずつ開いていくと、そのたびに、新たなる光が差し込んできて、古いものが開放されてゆく。すると、自分をより深く知るための道が、突如として目の前に現れる。

私の中にも溢れるほどの豊かさがあり、そこから泉のように湧き上がる想いや感情が表現されたがっている。その豊かな泉はずっと以前からそこにあり、私が気づいてくれるまでじっと待っていた。プエルトリコという場所で、私はそのことを頭でなく心で知った。

修道院にさようなら。私は自分を知るために、何度でも新しくなってゆく。

エルユンケで出会った大木のように光を浴びて成長していくことを、私の魂は望んでいるのだから。


<おわり>