2009年2月23日

厳しい時代の優しい心


戸棚に積み上げてあった缶詰などを持って、今日フードバンクに寄付に行った。ここでは生活に困った人たちに、無料で食料を提供している。順番を待つ行列は、ここ2~3ヶ月の間に長くなる一方である。

寄付の受付口近くに立っていたホームレスの男性が、私の目をまっすぐ見つめて、とても丁寧に「Thank you very much」と言ってくれた。もう何ヶ月もお風呂に入っていないような固まった髪に汚れた顔、ボロボロの服を着て、ビニール袋1つに全所有物をまとめて肩にしょっていた男性だった。

この人は、何があってこんな状態になってしまったのだろう。とても礼儀正しい態度に、私は胸が詰まった。人を身なりで判断してはいけない。

今年に入って仕事が次々に入ってくる。こんなご時世なのに、フリーランスで仕事をしている私にとって、これは有り難いことである。先のことを不安に思って、せっせとお金を貯めるようなことはしたくないなと思った。

ある友人がこう言ったのを思い出した。

「貯金がたくさんあるってことは、天に借金をしているようなものですよ」

本当にその通りだと思う。

こうやって自分が与えられる立場でいられること、誰かの、何かの役に立てることに感謝する。

反対に、与えられる側で、今までなかったような感謝の気持ちが沸き起こる人も少なくないことだろう。

先日あるドキュメンタリーで、こんな場面を見た。

子供が2人いる30代の夫婦。家を買ったものの失業してローンの返済が滞り、家を売ろうとしている。周りは差押さえになった家ばかりで、売ろうにも価値は下がる一方。買値の半分の値段になっても買い手が見つからない。

この夫婦は、少しでも生活の足しにしようと、家にあるものをかき集め、ガレージセールをした。どれも2~3ドルの値段で、中には子供が大切にしていたおもちゃもある。

近所の男性が立ち寄って、CDを選んだ。「2ドルです」と言った奥さんに、彼は20ドルを渡して「おつりは取っておいていいよ」と優しく言って立ち去った。

「あの人も失業しているの、なのにおつりは取っておいてですって。今までこんなに人の心を温かく感じたことはなかった」
そう言って彼女は20ドルを握り締め、泣き崩れた。

こんな厳しい時代だからこそ、双方に生まれる優しい心がある。物質中心で取ることばかり考えてカサカサになった心が、再び潤いを得るとき。

与え合い、助け合う心。これは、この時代を通して学ぶことのひとつとして、天から与えられたことなのだろう。

<写真:道端のクロッカス。土の中から勢いよく出て咲くその姿は、私たちに生きる力を与えてくれる>

2009年2月18日

荒御魂の力(3)― 月讀宮

伊勢外宮から内宮へとつながる道は主に2つあるが、道の両側を石灯ろうが立ち並ぶ御幸(みゆき)道路を4キロほど内宮へ向かって歩くと、内宮の別宮である月讀宮(つきよみのみや)に到着する。近鉄五十鈴川駅から徒歩数分のこんもりとした小さな杜の中にあるこの神社は、通常人影がなくしっとりとしていて趣があり、私の大好きな神社のひとつである。

月讀宮の祭神は、天照大御神の弟神にあたる月讀尊(つきよみのみこと)である。神社の外側からは地味に見えるが、実はここには社殿4社、東から順に月讀荒御魂宮(祭神: つきよみのみことのあらみたま)、月讀宮(祭神: つきよみのみこと)、伊佐奈岐宮(祭神: いざなぎのみこと)、伊佐奈弥宮(祭神: いざなみのみこと)が並んでおり、まるで神話の世界に滑り込んだようである。といっても、お恥ずかしい話だが、私は、いざなぎといざなみは天照大御神と月讀尊の親神で、混沌をかき混ぜて国生みを行ったという程度しか知らない。

この神社を訪れるのはこれが3回目だった。一番最初は、母に「月の神様が祀ってある神社があるから行ってみると面白いかも」と言われて、五十鈴川駅まで電車で来た。ほとんど同じに見える4社の社殿を前にして、何が何だか分からず緊張してしまい、こういうのはやっぱり端からと考えて、向かって右(月讀荒御魂宮)から順にお参りした。形は同じでも、4社それぞれから異なるエネルギーが流れてきて驚いた。月讀宮と伊佐奈岐宮のエネルギーは、他の2社よりも圧倒的に強く感じた。

2回目は、自分の足で外宮から歩いて訪れた。2回目になると少し落ち着いて、並んでいる4社をまず離れた所から見てみた。すると、右から2番目の月讀宮が中心のように見えるのでここからお参りし、次にその荒御魂宮、そして伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の順にお参りした。

後で、それが正しい参拝順序であることがわかった。端から順にというのは、いかにも左脳的、論理的で、人間が作ったルールを基準にした考え方である。それに従った私って、典型的な論理思考型人間だなあと思った。私の後に来た参拝客も初めてなのか、戸惑っている様子で、やはり端から順にお参りしていた。そうか、戸惑うのはみんな同じ・・・。

「荒御魂って何だろう、なぜ月讀尊と別になっているのだろう」と考えるようになったのはそのときから。字を見ると「魂」とあるが、「荒い」とは? 人影のないその場所には、何の説明も書いてない。そのときは気になったが、荒御魂から特に何も伝わって来なかったので、この疑問はそのまま記憶の片隅で眠ってしまった。

そして今回の参拝が3回目になる。今回はカップルや友達同士で訪れる参拝者が何組かいて、やはり外宮で感じたように、伊勢を訪れる人の数は増えているようだ。その人たちのお参りが済むまで待って一人になるのを見計らい、月讀宮から参拝を始めた。

では次に荒御魂へと思って歩き出したとき、宮内の空気が変わった。じゃりじゃりと玉砂利を引きずる音とともに、後ろからどやどやと団体が入ってきた。○×寺と書いた紫色の旗を掲げたガイドさんが、50代~80代の人を15人ほど連れてやってきて、たちまち4社の前はその人たちに占領されてしまった。やはり、スピリチュアルブームで、こんな所にまで団体が入るようになったのか。圧倒された私は月讀宮の前にある大木の所へ退いて、その団体が終わるまで待つことにした。

「は~い皆さん!ここには、月讀尊とそのお父さん、お母さんが眠ってますよー。まずお父さんとお母さんにご挨拶して、それから息子ね!」

「いい加減なことを言っているな、このガイドさん。全然順番違うじゃない」私は心の中で思った。

おしゃべりに忙しくて、そんな説明も耳に入っていない人もいるようで、写真を撮る人、祈る人、4社の間を右往左往する人など、動きが混乱していた。まあ、団体で行動すると、こんな風になってしまうだろう。

(母と娘)
「ナンマンダー、ナンマンダー」
「お母ちゃん、ここは神社でお寺じゃないから『ナンマンダー』は通じないよ」
「ほ~そうか」

(友達同士)
「サキちゃん、あんた何お願いした?」
「ん?まあね~」
「あたしはね、ボケませんようにってね」

私は木の前で、ちょっとイライラしながらその様子を観察していた。今まで静かだったのに、人が入り乱れて一挙に騒がしくなってしまった。すると、それに輪をかけたように、カラスが大騒ぎを始めた。

以前は全く気づかなかったが、月讀宮の社殿の後ろに大きな木があり、そこに巣でもあるのだろうか、カラスが10羽くらいいて、バタバタしながらガーガーと鳴き騒いでいる。その動きといい鳴き方といい、尋常ではなかった。ちょうど私が立っている真正面なので、その様子がよくわかる。互いに何かを警告し合っているのだろうか。全く鳴きやまない。参拝者とはかなり離れているので、参拝者に驚いて鳴いているとは思えないが。

おまけに、上空の離れた所でヘリコプターがパタパタしている音まで聞こえてきた。通過するのではなく、一箇所で旋回している感じである。

急にこんな風になってしまったが、この騒がしさは一体何だろう。狂ったように鳴き出したカラスに、遠くで旋回するヘリコプター。異様なものを感じた。

10分近く待っていただろうか、ものすごく長く感じられた。団体が去った後もカラスは鳴き続けたが、少し落ち着いてきたようだ。私は荒御魂の前に進んだ。

「荒御魂って何だろう」昨年そこでふと思った疑問が蘇った。荒い魂というのは、どういう状態の魂なんだろう。

とそのとき、なぜだかわからないが、これからは様々なレベルで荒御魂が顕著になるという考えが頭の中に浮かんだ。

参道へと引き返す途中、手水舎の近くに神職が駐在する建物があり、そこでお札やお守りを売っている。私は今までそのような場所に立ち寄ることはなく、お札というものを買ったこともなかった。しかし突然、今回はお札を買わなければいけない、と自分の中のもう一人の自分が強い調子で言った。それに対し、お札など買ってしまったら、いい加減な扱いはできないから、面倒くさくて困るなあと怠け心がつぶやいた。

近づいていくと、中から神職さんが挨拶をしてくれた。

「どうです、ここもしっとりしていていいでしょう」

にこやかな神職さん。雑誌を見てやってきた若い女の子と間違えたのだろうか。私はその口調に少し驚いたが、若く見られて悪い気はしない。

「お札をいただきたのですが」

「はいお札ですか。月讀荒御魂宮、月讀宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の4つありますが、どれがいいですか」

「えっ?」

頭の中が真っ白になった。お札は「月讀宮神社」として1つだと思っていたからだ。「4つまとめて1つになったのがあったらいいのに」私は、神職さんの後ろに並んでいる4種類のお札をうらめしそうに見た。

ブロックされたように思考が止まってしまった。でも、馬鹿のように突っ立っているわけにもいかない。

「荒御魂宮をください」と勝手に口から飛び出した。

「ええ~荒御魂? ここは月讀宮が中心じゃない、一番地味な荒御魂?」と心の中で慌てる自分に「そう、それでいい」と返すもう一人の自分。

「はい、荒御魂ですね~」神職さんが後ろにあったお札を手に取る。

そのとき、誰かが私を見ている強い視線を感じた。そちらを見ると、斜め左前方5メートルほど離れた所で、私の目線と同じ高さに大きなカラスが一羽とまっていて、こちらをじっと見ている。

それは家の周りにいてゴミを狙っているような、擦れてふてぶてしいあのタイプのカラスとは違い、体がとても大きくて青黒く光っており、くちばしがスラッと長くて気品がある。全体が光り輝いて見え、神々しいほどに威厳があり、普通のカラスとは雰囲気が全く違っている。

そのカラスがこちらを向いて、じっと視線をそらさず私を見つめていた。いつからそうやって見ていたのだろうか。

私は見つめ返して、カラスと互いに見つめ合った。ゾクッとするような感覚が全身を走った。カラスなのに、人か何かに見られているように感じる。

まるで、私がお札を買うのを見届けるためにそこにいたかのように、私が神職さんからお札を受け取って立ち去ろうとしたときに、人がゆっくり腰を上げるような格好でカラスは体を起こして羽を広げ、あの月讀宮の社殿の後ろにあった木の方向へ飛んでいった。

衝撃的な感覚は、鳥肌という形で反応していた。仲間から離れて単独でそこにいて、体をこちらに向けて、真正面から身動き一つせずじっと私の様子を見ていたカラス。

神社を出るときに、ふと思った。外宮の多賀宮を地蔵石が護っているように、月讀宮の真後ろの木にたくさんいたカラスは、月讀宮の門番のようなものなのだろうか。夜の世界を支配する月と夜の色であるカラス。ひょっとして、私を見ていたあのカラスは月読の神の使い?

カラス、月、荒御魂、今回の騒々しい状況、そのタイミング。わけがわからないけれども、どれも気になることであった。

「目に見えないことが本当で、それが形になって現れたことが現実界で起こっていることです」

外宮で出会った女性の口から出たこの言葉と月讀宮神社で起こったことは、どれも注意していなければ見過ごされることかもしれないが、これこそが「目に見えないこと」からのメッセージであったと気づくのは、それから2ヶ月ほど経ってからのことであった。

ひとつひとつの出来事はパズルのコマのよう。心のままに動き、流れに任せるとき、豊かな色を帯びたコマが次々に現われる。それがいつしか繋がってひとつの形となったとき、人は大いなる計画ともいうべき力(方向性)に驚嘆せずにはいられなくなる。確かに、大いなる力(存在)が働いていると感ぜずにはいられなくなる。

しかし、そのように繋がって出来上がった形は、さらに大きな形の一部に過ぎないことに、やがて人は気づく。気づきは、そのようにどんどん次の段階へと進んでいくのである。

荒御魂のパズルは始まったばかり。

月讀宮を後にし、その日最後の参拝先である内宮へ向かった。

<つづく>

2009年2月5日

荒御魂の力(2) ― 伊勢外宮

つい最近まで荒御魂(あらみたま)という言葉さえ知らなかった私が、なぜ今こんなことを書いているのか。

こういうことを「ご縁」というのだろうか。

実家がある三重県には伊勢神宮がある。小さい頃に家族と何度かお参りし、その後は受験前に「合格しますように」などと手を合わせて、自分の都合のよい時だけにお参りした程度だったが、なぜか数年ほど前から、私は帰郷する毎に伊勢神宮を訪れるようになった。

それでも、参拝するのは専ら内宮のみ。ご存知のとおり、伊勢神宮は外宮と内宮に分かれており、互いに離れた場所にある。外宮は周りに何もなく比較的ひっそりとしているのに対し、内宮前は飲食店やみやげ物屋が並ぶ「おかげ横丁」があり、いつも人で溢れかえっている。

伊勢神宮というと大半の人は、内宮だけをお参りすると思われる。私もその一人だった。御正宮の天照大御神の前で手を合わせて、その後おかげ横丁で食事をして赤福を買って、それだけで伊勢参りができたと満足だった。

ところが、昨年から急に外宮からお参りしようと思うようになった。伊勢神宮は外宮の後、内宮にお参りするのが正式な参拝方法だそうである。

この順序に従うことはもちろんのこと、私は外宮から内宮まで約6キロの道のりを歩いて、その間にある月読宮(つきよみのみや)もお参りしようと思った。どうしてそう思ったのかはわからない。しかし、自分の足で一歩一歩歩いてお参りすることで、誠意を示したいと思った。

お参りするタイミングは、ひょっとしたら指定されているのかもしれないと感じるようになったのは、その頃から。予定を立てようとしてもうまく行かず、行ける日は突然やって来る。

お恥ずかしいほどの遅起きの私が、その日だけは午前4時とか5時半にパッと目が覚め、その瞬間「今日伊勢へ行く」と心の中で宣言する。するとモリモリと力が沸いてきて、たちまち、はちきれんばかりに充電完了。

11月4日、曇天の日。神社仏閣は早い時間にお参りするのがよいと聞いたことがあるが、まだ寝ている両親を起こさないように、そっと実家を出て始発電車で乗り継いで外宮に着くと、時刻は既に午前8時45分だった。それでも、この時間はまだ参拝者はまばらである。

伊勢市駅から大通りを5分ほど歩くと、外宮につき当たる。外宮の正式名は豊受大神宮(とようけだいじんぐう)ということは、昨年の春に初めて一人で訪れるまで知らなかった。祀ってあるのがどんな神様かなんて、もちろん知らなかった。こんなこと言ったら「おまえそんなことも知らんのか、勉強してから出直して来い!」とボカンと頭を殴られそうだが、外宮の神々様は私を拒むわけでもなく、優しく迎えてくれた。

鳥居を境として、向こう側はこんもりと木々が茂り、濃い紫色の空気に包まれている。手水舎で手を清め、鳥居をくぐるとひんやりとした霊気を感じた。辺りの空気が細かく振動しているようで、なぜだかわからないが途端に涙がこみ上げた。

私の心は喜んでいた。ここに来れたこと、今ここにいることがとても嬉しい。

神楽殿を通り過ぎ、奥に進むと豊受大御神(とようけおおみかみ)が祀ってある御正殿に着く。

ここに立った瞬間、強烈なエネルギーが頭の頂点から入ってきて、ご挨拶の言葉を述べたいのに、頭の中が真っ白になってしまう。同時に、久しぶりに会った親の懐で一気に緊張が解けて泣きじゃくる子供のような感情が沸き起こり、しばしただ手を合わせて涙した。

しばらくして、こんな風にいつまでも子供のように泣いていてはいかんと気を取り直し、手を合わせ直した。すると、自分の中からつらつらと祈りの言葉が流れ出てきた。

「豊受大御神様、わたくしアメリカのシアトルからやって来ました○×と申します。このたびはこの地にお招きくださいまして、誠にありがとうございます。再びこの伊勢の杜を訪れることができまして、この上ない幸せにございまする。わたくし思いまするに・・・」

あれれ?気づいたら、途中からこのような口調になっている。一体どうしたことか。後で思い返すと笑えてしまう。それでも、この変てこな言葉での祈りの間、涙が止まらなかった。

御正殿のすぐ向かい側には板のついたてがあり、そこに警備員が立って参拝者を見張っている。鼻水をすすりながら涙ぐんでいる私を見たら、きっと変なヤツかアホだと思うだろう。祈り終わったら、恥ずかしいので下を向いたままサッと立ち去った。

外宮には、その他に鎮守の神を祀る土宮(つちのみや)、風の神を祀る風宮(かぜのみや)、そして小高い丘の上に豊受大御神の荒御魂を祀る多賀宮(たかのみや)がある。春に訪れたときは、土宮で強烈なエネルギーが入ってきたが、秋にはなぜか風宮のエネルギーの方が強く感じられた。ちなみに風宮は、鎌倉時代の元寇の時、神風を吹かせて日本を守った神として知られているそうである。

次に、階段を上って丘の上にある多賀宮へと進んだ。私の前を、いかにも雑誌か何かを見てやって来たような若い女性の二人連れが歩いていた。昨年あたり(?)からスピリチュアルブームのせいか、伊勢神宮を訪れる若い女性が急増したようである。

丘の頂上に近づくと、一人の中年の女性がお参りしていた。彼女は普段着のままでかばんも持っておらず、他の参拝者とは全く異なっていた。私の目は彼女に釘付けになった。装いが違っているからではなく、彼女から発せられている何かが他の人とは全く違っていたからだ。鍼灸師か気功師かなと思った。

彼女は祈り終わって振り返ると、若い女性二人連れの後ろにいる私をちらっと見た後、立ち去ることなく、近くの木に両手を伸ばして体を付けたりしている。やっぱり変わった人。私は一人でゆっくり祈りたいので、その二人連れが終えるまで少し離れた所でぶらぶらしていた。

やっと自分の番になり、お祈りをして、さて戻ろうとしたとき、5メートルほど先で木を背にしてこちらを向いて立っていたその中年の女性が、少し怖い顔をして一点を見据えたまま、いきなり私の右肩の方を指差し、

「そこにお地蔵さんがいるの、わかりますか?」と言った。

「ひえー出たぁ~!」
私の後ろに霊が出たのかと、ぎょっとした。

そうではなく、彼女が指差したのは、私の右後方にある石だった。彼女はこちらに近づいてきて、その石へと案内してくれた。ちょうど御正殿の前にある平たい石は、なるほどその形がお地蔵さんのように見える。この地蔵石のことは、どこにも説明されていない。地元の人の間でのみ知られているようである。

「私はね、このお地蔵さんが門番みたいに、多賀宮さんをお守りしていると思うんですよ」

やっぱりただ者ではない、この人。

そこへ地元のおじいさんが近寄ってきて、私たちが立っている足元の石の上に五円玉を乗せて、手を合わせて行った。

「あなたはヒーラーですか?」また彼女は、いきなり私に聞いた。
「ええっ?いいえ・・・」

女性 「そうですか。いやね、あなたのオーラに感じるものがありましたから、お声をかけようと思ったのです」

私 「はあ~。実は私もあなたが気になりました。出ているものに感じるものがありましたから。鍼灸師さんか気功師さんかと思いました」(お互いに苦笑)

女性 「私は生まれも育ちも伊勢、そして嫁いでからもずっとここに住んでいます。きっと伊勢と何かご縁があるのでしょうね。もう何十年も毎朝散歩がてら、ここにお参りしていますが、最近は参拝者が急に増えて、週末になるとここに10メートルほど順番の待ち行列ができるんですよ。今までにない現象です。それも全国からおみえになるようで。先月は、北海道から来たというヒーラーの方に出会いまして、その方が書かれた本をいただきました。結構色々な方がお参りにみえるようで、私はそういった方にお声をかけるようにしているのです」

その後、私がどこから来たかや、これからどこへ行くなど軽い会話をしながら、少し一緒に歩いた。彼女は、別れ際に再び真顔になり、確かめるようにじっと私の目の奥を見つめてこう言った。

「目に見えないことが本当で、それが形になって現れたことが現実界で起こっていることです」

この言葉を聞いた瞬間、それは彼女の口から出ているのであるが、実は何かが彼女に言わせているように感じた。

豊受大御神の荒御魂を祀る多賀宮で出会い、丘の下にあたる多賀宮の境界ギリギリのところで見送ってくれた彼女。不思議な人だった。たった数分でも違っていたら、出会うことはなかっただろう。そう思うと鳥肌が立つ。

その後、勾玉池を見ようと外宮の入り口付近へ戻ったとき
「ごゆるりと」
という言葉が頭の中に入ってきた。

「はあ、ありがとうございます。でもまだまだこの先、回るところがありますもので・・・」と心の中でつぶやいた。

ここ伊勢神宮は、やっぱりこのような口調の場所なんだなあ。古い神様の世界だなあ。

それにしても、さっき女性が言った言葉

「目に見えないことが本当で、それが形になって現れたことが現実界で起こっていることです」

これは荒御魂からのメッセージだったのだろうか。

この先、この言葉が大きな意味を持って展開してくるとは露知らず、私は次の参拝先である月読宮へと急いだ。

<つづく>

2009年2月4日

太陽のことば


苦しみや悲しみの向こう側
その先で待っている歓びを抱きしめ
こうして生きていることに
感謝の気持ちが沸き起こるとき

人は目覚める

厚く覆いかぶさっていた雲を押し上げるように
心の中に日が昇り
まばゆく辺りを照らしだす

太陽のことばが聞こえてきた


私はこの空の上にだけあるのではないのですよ
あなたの中にもあるのですよ

雲があってもその上に常に太陽があるように
たとえ今のあなたには見えなくても
私はいつもあなたと共にいます

あなたは私の一部で
私はあなたの一部

いつもあなたの内にいます

あなたが私を見たくないときは
あなたが私を見る準備ができるときまで
待ちましょう

それでも私はあなたの内にいるのですよ
これまでもずっとそうであったように


あなたが気づきという目覚めのもとに
あなた自身を発見したとき
私はあなたと共に
その心の谷の向こうから
黄金の光となって昇り始めます

あなたがあなたであることが
あなたらしくありのままでいることが
私と共に輝くこと

あなたが持っている限りない創造力で
あなたの個性を発揮するとき
あなたは私と共に光輝くのです

あなたの可能性は無限大
果てしなくこの宇宙が広がるように
あなたの可能性も無限に広がってゆきます

より深く
ふ か く

より広く
ひ ろ く

より自由に
そして軽やかに

あなたはこの宇宙と一体になり
あなた自身を表現するのです

一人一人が神を顕現する時代(とき)は
もうすでに始まっています

限りないあなたを生きるために
あなたは今ここにいるのです

あなただけの色を
あなただけのメロディーを
あなただけの何かを
あなただけにできる形で表現し
その歓びを味わうとき

あなたと私は一体になり
まばゆく光輝くのです

私はあなたの一部で
あなたは私の一部

私はいつもあなたの内にいます

あなたとともに
ひ か り か が や く ために

<写真: 本日新しい年2月4日の日の出(家のバルコニーより撮影)>