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2012年3月13日

米領ヴァージン諸島の旅(5) - 水からの癒し2


前の日記で書いたソルトポンドビーチでのことを体験した2日後、再びセントジョン島を訪れ、この島でも美しいことで有名な、トランクベイと呼ばれるビーチにやって来た。

真っ白な砂にターコイズ色の穏やかな水。信じられないほど美しい。



ここでも、人々は泳いだりシュノーケリングをして思い思いに楽しんでいる。私は水着に着替えて、海に入ることにした。



気温は高いが、足の先が水に触れた途端に、頭のてっぺんまで衝撃が突き抜けた。思ったよりも冷たい。
私は体をこわばらせながらも、膝まで、太ももの辺りまで、腰までと、少しずつ水の中に入っていった。



この海岸の水も遠浅で穏やかである。足に触れる海底の砂はとても細かくて柔らかく、まるでビロードの上を歩いているように心地よい。温度に慣れてきて、胸の辺りまで水に浸かると、もう波は極めて緩やかであった。


穏やかな海の小さなうねりの中でじっとして、目の前に広がる水と空をぼんやり見つめていると、このゆらゆらと揺れる水に触れている自分の体に突然意識が集中した。このとき、この広い海の中で、私は小さな子供になったような感覚を覚えた。

海全体が優しく揺れるゆりかごで、私はその中で守られている。海は母のような優しさに満ちていて、私を包んでくれている。筋肉が緩み、深い安堵感に満たされた。




こんなに心地よいなんて。

両手をいっぱいに伸ばして、体中で水を感じてみた。なんとも言えない穏やかさだけが伝わってくる。今まであった筋肉がキュッと固まるような抵抗は全くなく、水に体を預けることができる。今、私は海という母のような大きな愛に包まれている。





ああ、私の中でため息をつくように、何かが解けて放れて行く。

涙が出そうになった。こんなに優しいなんて・・・。

今この瞬間、私は海に癒されている。長い道を歩いてきて、ここでやっとこれに出会えた。水の中で体が溶けていくようだ。これが水と一体になるという感覚なのだろうか。




水の中に体を沈め、じっとそれを味わっている。ただ受け取っている。



ハッとした。

それは、まさにシアトルを出発する前に引いたカードの絵そのものであった。このカードは、こういうことなんだ。



海からの癒し

受け取るということ
委ねるということ
信じるということ

水の感覚

溶けてゆく
流体になる

母なる海
母なる地球

今ここでこうして生きているということ
生かされているということ
それをただ受け取る

しなやかに
しなやかに

流体になる


タッチドローイング 「流れになる-解き放たれるマフラー」
「海と溶け合う」


<続く>
 

2012年3月12日

米領ヴァージン諸島の旅(5) - 水からの癒し1



海辺のトレイルを歩いて汗だくになった夫と私は、セントジョン島のソルトポンドビーチと呼ばれる浜辺へやって来た。

遠浅で波がほとんどなく、砂浜は白い。水は淡水と錯覚してしまいそうなほど透き通っている。



私はズボンを膝までまくりあげ、浅瀬の岩場に行って、生き物を眺めることにした。ここはシュノーケリングで人気のある場所のひとつで、こんな浅瀬でも、あちこちにある岩に着床したサンゴや藻を見ることができる。



じっとしていると、どこからか紫と黄色のカラフルな熱帯魚が一匹やって来て、すうっと目の前を通り過ぎていった。足元の岩で、マツタケのような形で繊細な模様をしたイソギンチャクがゆらゆら揺れている。そこから少し離れた岩の陰には、鋭いトゲのウニが潜んでいる。私は、透明な水を上から眺めながら、徐々に視線を広げていった。

とそのとき、目の端で急に何かの動きを捕らえたので、視線を足元に戻してみると、2センチほどの半透明のシラスのような魚の群れが、あたり一面に広がっていた。

いつの間にやってきたのか。そのおびただしい数に息を呑んだ。私はちっちゃな魚にぐるりととり囲まれてしまったのだ!

私を中心として半径2メートルほどの海面が魚で埋まるというのは、生まれて初めて体験する光景だった。

動かずにいると、魚は私の足の周りを10センチくらいの距離を保って、水の中でゆらゆらとしている。物差しで測ったのかと思うほどきれいに足の周りに一定距離ができているのをみると、きっと私から出ている波動をキャッチしているのだろう。

突然、私の中から好奇心旺盛な子供心が飛び出してきて、魚と遊びたくなった。少し動くと魚はサッと一斉に散るが、ジッとしているとまた押し寄せてくる。その動きが面白くて仕方なく、動く、ジッとするを繰り返した。そのたびに魚も四方八方に散っては、また集まってくる。これは魚と私のシーソーゲームのようでもあり、開く、閉じるという呼吸のリズムのようでもある。

2センチという驚くほどのミニサイズでも群れとなると、そこから圧倒されるほどの生命力が伝わってくる。命に満ちた水を肌で直に感じるという体験を、私は今までしたことがあっただろうか。

実は、私は子供の頃から水が苦手だった。特に冷たい水や、深い水には抵抗がある。小学校のとき、プールに入る前の準備として、上からシャワーが落ちてくる、腰近くまで水が溜まった場所を通らなければならなかったが、それは私にとっては拷問だった。プールに入ると、胸まで来る深さはもちろんのこと、底や壁にある排水溝が恐ろしかった。

水は波があるとなおさら怖い。渦は、もうどうしようもなく恐ろしい。泡風呂に入っていて、水の動きを見ていたとき、突然息が苦しくなって慌てたのは、ほんの数年前のこと。

別に子供のときに溺れそうになったこともなく、今でもどうしてそんなに怖いのかはわからないが、水を見ると昔から、飲み込まれたり、吸い込まれていきそうな感覚になりパニックに陥るという、異常な反応をすることだけはわかっている。

このように、私にとっては死に近い恐怖を覚える水が、小魚で埋め尽くされ、その小さな命が巨大な固まりとなって私のいるところへ押し寄せて来てぐるりと取り巻き、水の動きとともにゆらゆら揺れているのを見ていたら、それはもう息も詰まるほどの圧倒的な命、命、命なのであった。

そのとき、私の奥深くで何かが躍動し始め、それは踊るようにハートから飛び出して、水の中へと溶けて広がっていった。


 写真: いずれもセントジョン島ソルトポンドビーチ

<続く>

2012年3月6日

米領ヴァージン諸島の旅(4)- 宝の島 セントジョン島



滞在しているセントトーマス島からフェリーで20分ほどのところにある、セントジョン島を訪れることにした。

セントジョン島は、セントトーマス島よりもさらに小さく面積は約50km²で、石垣島の3分の1にも満たない火山性の島である。島の北側には大西洋が、南側にはカリブ海が広がり、島の3分の2がヴァージン諸島国立公園に指定されている。



自然という宝が保護されている島、セントジョン島
水の色、空の青さ、海の生物たち、陸の動物たち、鳥や昆虫、植物たち
明るい光の下、暖かい風の中
すべての命がそのままの姿で美しく、輝いている

豊かさはここにある
繊細なバランスの中で
今ここにある


 マリンブルーの海、セントジョン島は右奥に見える
 



 ヨットを停泊させ、シュノーケリングを楽しむ人々
 

 ソルトポンドビーチ


 「ブレインコーラル」という名前のサンゴ、なるほど脳みそみたい


 好奇心旺盛なゲッコー
 

 カリブ海

  こんなに美しいなんて
 

 サボテンと水が共存する場所




  島のあちらこちらにいる鳥


  くねくね坂を曲がったところで、急に出くわした。野生のヤギ。


 このラバたちも野生


 再びゲッコー

昆虫が嫌いな方は、次の写真はご覧にならない方がよいかもしれません。
 

 色の鮮やかさと、模様の面白さに惹きつけられた。なぜかトランプを思い出した。オスとメスでは背中の模様が違うみたい?
 

  ペリカンもいた


  イグアナも現われた


 う~ん、顔はちょっと怖い

 帰り道、フェリー乗り場の近くにあるこのお店に引き寄せられた。乾いたのどを潤す冷たいものが欲しい。

店主のトーマスさんに、ココナツを割ってもらった。息子さんがシアトルの海軍基地にいるということ。世界はなんて狭いの!


トーマスさんは、ここでスムージーや自家製アイスクリーム、トロピカルフルーツ、ココナツを売っている。人懐っこく笑い、夫と私を店の裏にあるオフィスに案内してくれて、こう言った。

「私はこの店の他にも、レンタカーの営業所をやってるんですよ。でもね、毎日車を管理して書類とにらめっこをしているよりも、こうやってお客さん とおしゃべりしながらスムージーを作っているのが好きなんです。でも、私が本当にやりたいことは、パブリックスピーチなんです。私には信条があるんです。 それは、正しいことよりも、ハッピーであることを選ぶということ。例えば、友人が青いグラスを持ってそれを黄色といえば、私はそれは違う、青だとは言わな い。人間関係において、正しさなんて、そう重要ではないと私は思っています。これは私の人生経験から言えることなのです」

ハッピーであることを選ぶ・・・それは、私にとって、このゆったりとした豊かな島からの贈り物の言葉だった。

<続く>

2012年3月1日

米領ヴァージン諸島の旅(3)- 振動する水

コンドのドアの鍵を開け、中に入ると、そこはとても快適な空間であった。気温は25度くらいあるが、各部屋の天井に取り付けられた木製のファンが回っているだけで、結構涼しく感じる。もちろん窓は24時間開けっ放し。崖に面して建っているため、風通しが抜群によい。



部屋の色合い、石床、天井の模様、調度品など、シアトルでは味わえない雰囲気にやや興奮しながら、各部屋を回ってみた。キッチンも設備が整っており、ここでこれから5日間、食事を作るのが楽しみである。島は物価が高く、宿泊費だけでもかなりの出費になるため、食事はできるだけ自分たちで作ることにした。


天井の模様


私は寝室をチェックし、最後にバスルームのドアを開けて入るなり、驚いた。
「えっ?これだけ?」



立ってシャワーを浴びるだけのスペース。

しかも、壁にこんな注意書きがある。


「給水は雨水のみですので、どうか、どうか節水にご協力をお願いいたします」


ふと、義母の顔が浮かんだ。義母は、おそらく今まで浴槽に湯を溜めて風呂に入ったことは、ほとんどないだろうと思われる。シャワーを浴びるのも、髪を洗うのを入れてもせいぜい5分くらいで、私はいつもその速さに驚くのであった。また、野菜の皮などをむく前もむいた後も、水でさっと洗うことはしない。シャワーの使い方も台所の水の使い方も、この環境から来ていることを、私はここに来て深く納得できた。

この注意書きの“Please, Please”というところから、オーナーの気持ちが伝わってくる。雨水・・・雨水・・・私は自分の中に染み込ませるように、心の中でつぶやいた。今までこんなに水に意識を向けたことはあっただろうか。

手を洗うため、注意深くゆっくりと蛇口を開いた。そして、蛇口から出た水に触れた瞬間、アッと声を上げそうになった。

まるで生き物のようだった。手に触れた水は細かく振動して、バスルームいっぱいに広がっていった。

それは水ではなかった。いや、私はきっと水というものを今まで知らなかったのかもしれない。それは水道の蛇口から出てくる単に透明の液体ではなく、生命力に満ちており、意志を持つ生き物だった。そのように感じた。

この振動を私は知っている。そう、以前、石垣島からボートで竹富島という小さい島に渡り、その島に降り立った瞬間、この振動に包まれたことがあった。そのとき時間が止まり、体がその振動に溶け込むような感覚になって、深い安堵感と懐かしさと共に、心が震え、涙がこみ上げたのを覚えている。

まさかセントトーマスでこの振動に出会うとは!さらさらとした感触で、石鹸の落ちが驚くほどよい。口にそっと含んでみる。薬品の匂いも味もまったくなく、とても純粋でクリアーな感じがする。

この島には川がないため、島人の大部分は、空から落ちてくる水を溜めてろ過して使っている。「どうか、どうか節水にご協力を」という言葉に、夫も私も通常のやり方でシャワーを浴びることはせず、タオルを少し濡らして石鹸をつけて体をこすり、最後にシャワーを細く出して石鹸を落とす分だけ流した。

気温が高いので寒い思いをすることもなく、それどころか、体がとても気持ちよくなる。バケツ一杯にも満たない量で、こんなにもスッキリした気分になるのも不思議である。

このとき、祖父のことを思い出した。私の祖父は海軍にいたが、子供の頃、祖父母を訪ねるたびに祖父は私にこう話してくれた。

「じゅんちゃんや~、おじいちゃんが海軍にいた頃はねえ、毎日大きな船に乗ってたんだ。朝ラッパの音で起きると、一人これくらいの大きさの洗面器一杯分だけ水を入れてもらえるんだ。その一杯の水で歯を磨いて、ひげをそって、最後に頭や顔を洗ったんだよ。水はとっても大事なんだよ。絶対に無駄使いしちゃあいけない」

私は、台所で食器を洗うときも、髪を洗うときも、トイレの水を流すときも、常にどうやって最小限に使うかを意識した。乾季であるためそれほど雨は降らないこともあり、雨雲がやってきてパラパラと雨が降ってきたときには、心躍った。しかしこの土地の雨は、急に雲とともにやって来て急に去っていくので、短いときは1分も続かない。

屋根に当たる雨が、音とともに命の営みという容器の中に入ってくる。与えられている、だからこそ生きていけるという強烈な感覚。受け取ると、自ずと感謝の気持ちがこみ上げる。

ポツポツという雨音に心の耳を澄ませると、そこには、欠乏や危機感という否定的なものはなく、天(そら)との信頼関係のような、希望のようなものが感じられる。実際、欠乏と紙一重の約束された豊かさという、逆説的なものを感じ取った。その豊かさは自然の大きな循環の中にあり、それに歩調を合わせた島の生活は、受容の上に成り立っていると肌で感じた。

水の波動は優しさに満ちていて、同時に力強い。バスルーム一杯に広がった振動は、生きた水の歓びのダンスのようでもあった。


コンドからの朝の景色


<続く>

2012年2月28日

米領ヴァージン諸島の旅(2)- セントトーマスという島

今回旅した島:南北アメリカ大陸に挟まれた西インド諸島カリブ海域に位置する常夏の島、米領ヴァージン諸島セントトーマス島およびセントジョン島



(グリーンで囲った中のピンクでハイライトしたのが米領ヴァージン諸島、そのうちのセントトーマス島とセントジョン島を赤で囲った)


西インド諸島には、南アメリカプレートカリブプレートの接する沈み込み帯の影響により形成された7,000(そう、700ではなく7,000)以上もの島やサンゴ礁があり、これらがカーブを描くように弧状に連なっており、その多くは無人島である。

フロリダ州マイアミから飛行機で約2時間半、セントトーマス島にやって来た。ここが義母が生まれ、幼少時代を過ごした島。義母は、その後アメリカ本土に移住した。移住後、故郷に帰ったのはほんの数回ということだ。島の暮らしは不自由で、ここに自分の未来はないと思ったから島を出たという。

セントトーマス島は、面積約83km²で宮古島の約半分と非常に小さく、急勾配の坂だらけである。人口はおよそ52,000人で、そのうちのほぼ70%がアフリカ系である。

アメリカ西海岸の人たちがバケーションでハワイに行くように、東海岸の人たちは米領ヴァージン諸島に行く。
7~8階建てのビルが海上を移動してきたような豪華客船が毎日数隻入港し、そこから何千人という乗客が一斉に降りてきて街の中心部に押し寄せ、レストランや免税店、観光スポットは客で膨れ上がる。それが、午後5時近くになると一斉に波が引くように静まり返る。乗船の時間である。出航して次の島へと向かうのだ。

そういったクルーズ客とは全く別行動の夫と私はレンタカーを借りて、予約しておいた長期滞在型のコンドへ向かった。これからこの島に5泊するのである。街の中心を離れるに従って道は細くなり、急勾配で気分が悪くなるほどのくねくね道が続く。

私たちを待っていたコンドは、こんなにステキでいいの?と思うほど、静かで景色のよい所にあった。それは、頂上の部分が平らで両側が急な崖になっているメサのような地形のてっぺんに位置し、ポルトガルから吹いてくるという貿易風が、ハリケーンの時以外は閉めることのない窓を吹き抜ける場所。

入り口の部分


敷地内にナツメヤシの木がある。まだ食べられないのが残念。

その窓から見える湾の向こうは大西洋で、コンドの反対側は、道を挟んでカリブ海が広がっている。




手前の島々はアメリカ領で、右奥に見える大きい島はトルトラ島。それほど遠くないが、そこはイギリス領ヴァージン諸島になり、入るにはパスポートが必要となる。連なる島々は外部からの力で占領され支配され、政治と権力という人間の都合により分断されていった。カリブ海域の島々にはそんな背景がある。

セントトーマス島も例外ではない。この島にはかつて複数の先住民族が居住していたが、コロンブスに発見され、17世紀後半から、第一次世界大戦でドイツ軍による侵略からパナマ運河を護るため1917年にアメリカ合衆国が島を買い取るまで、デンマークの統治下となった。

ただ、セントトーマス島が周辺の島と異なる点は、周辺の島ではデンマークを始め、イギリス、フランス、オランダ、スペインの植民地として、アフリカからの奴隷を使ったサトウキビのプランテーションが行われたが、デンマークは、18世紀初頭のスペイン継承戦争中でも唯一中立的な立場をとったため、セントトーマス島は戦争に巻き込まれることなく、奴隷貿易を含め西インド諸島の交易の中心地として栄えた。

そのような背景があり、この島は人種的にはアフリカ系の人々が大多数を占め、複数の言語が飛び交い、街のあちらこちらに植民地時代の建造物が残り、港には毎日クルーズ船がずらりと並び、独特な雰囲気に包まれているのである。

島の中心部


郵便局



ショッピング街の通路。ハリケーンから守るため、
ほとんどの窓の外側に鉄のシャッターが付いている。


これからここで6日間を過ごす。何が待っているのか。

私たちは、コンドのドアの鍵を開け、中へと入っていった。

<続く>

2012年2月27日

米領ヴァージン諸島の旅 (はじめに)


結婚して20年目となる今年、全く関心のなかった地域の名前すら知らなかった島を訪れることになるとは、人生は本当に面白いものである。夫の先祖を辿るとスペインに行き着くようであるが、夫の母と、父方と母方の祖父母の代は皆カリブ海の島で育った。そして、夫と夫の父はニューヨークのマンハッタン島で生まれており、それも島なのである。

日本で育った私が夫と出会ってアメリカ大陸に渡り、20年経とうとしている今、突然浮かび上がった「島」という存在。この広い地球で、よりにもよって夫と出会い、結婚すること自体が不思議であるが、私も夫も夫の両親もそのまた両親も、島出身であることに気づいたときには、不思議を通り越した緻密な「計画」のようなものを感じずにはいられなかった。

元旦にシアトルの海でエッセンスを作った後あたりから、南の島が呼んでいる気配が強まり、新しいカレンダーを買おうと思ったときには、今まで絶対に選ばなかったサンゴと熱帯魚のカレンダーを選んでおり、PCのデスクトップのイメージを変えようとしたら、これまたごく自然に熱帯魚のものになっていた。

地理でも世界史でも何を学んだか、記憶がほとんどないカリブ海地域。3年前にプエルトリコに行ったが、今度はそことは違った環境の場所である。そこに今このときに行くのは、一体どういうことなのだろうか。海よりも山が好きで、山ばかり行っていたのに、急に海が接近してきた。

一体何が起こっているのだろうと思い、出発前になんとなくOSHOカードを引いてみようと思った。カードをシャッフルしていたら2枚がこぼれ落ち、唖然とした。




両方とも水のカードで受容と癒しを表している。


何が起こるのだろう。そのときは全くわからなかった。

しかし、結果的にはドンぴしゃりだった。海と島の自然の力は今まで体験したことのないほど大きく、その後帰ってから描いたタッチドローイングには海の世界が見事に反映し、一連の絵から、10年ほど前からのパズルのピースが繋がるような深遠な関連性が浮かび上がった。

ここからシリーズで美しい島の自然を紹介しながら、自分なりに消化するためにも、そのプロセスを少しずつシェアしていこうと思う。

2009年4月1日

豊かな島プエルトリコ - 第6日目(最終日)

「ああ~、何もかも捨てて修道院に入りたい!修道院で、神様にすべてを捧げて静かに暮らす方がずっとラク!」

親に何か言われた後とか、学校で同じ男の子を好きになって、相手の女の子から嫌がらせにあった日の後とか、自分の部屋にいるときに、急に発作のようにそんな思いが胸の中から突き上げてきて、居ても立ってもいられなくなったことが何度あっただろうか。人との関わりで起こってくる日常のごちゃごちゃが煩わしい、俗世から離れたい。

そう思うことがあったのは、小学校の高学年から高校にかけて。こんなことを思うなんて、なんて変な子供だったのだろう。

キリスト教に興味があったわけでもなく、特別に信仰心が強かったわけでもない。むしろ無関心だった。けれど、禁欲的で質素で神に仕える清らかな生活に安心感を覚える部分が、小さい頃から自分の中にずっとあったように思う。

大人になってからも、賛美歌を聴くと訳もなく涙が流れる。それは、懐かしい記憶を辿るような感覚で、さめざめと涙が流れる。魂が思い出すときには、必ずと言ってよいほど、そのようなさめざめとした涙になる。

修道院を改造して今はホテルとなったエル・コンベント。昨夜はホールでピアノの演奏があり、一曲ごとに、男女の恋にまつわる様々な心模様を詠った詩の朗読があった。

喜び、怒り、悲しみ、恍惚感、嫉妬、絶望感。「愛」をテーマにした曲は様々な感情を乗せて、聴く人の心に響き渡る。アンティークの重厚なソファに体を沈めて聴き惚れている人々を見ていると、突然違和感が襲ってきた。それを振るい落とそうと視線をそらして辺りを見回すと、この空間に閉じ込められてきた感情のようなものが浮かび上がってきた。

修道院は今から360年ほど前に建てられ、250年に渡る長きの間、ここで修道女たちが生活をしていた。外部から遮断された環境にこもって質素で禁欲的な日々を送り、祈りと共に神にすべてを捧げていた時代だった。



しかし、ここは今では高級ホテルとなり、くつろぎや贅沢、行き届いたサービスの快適さと快楽を求めて、常にさまざまな人が行き交う解放された場所となった。皮肉にも(?)、修道院ではおそらく禁じられてきたことすべてが提供されている場所に。



壁や柱や天井から、塗られたペンキや貼られたタイルの下から、そして空間からさえ、当時の「思い」が伝わってくるようである。それは、私の中にあって忘れられていた遠い記憶にある感情と重なって、ここにいる今の自分に跳ね返ってきた。



神への献身と引き換えに、抑圧され閉じ込められてきた感情、置き去りにされ抹殺されてしまった感情が、そこにあった。本当は表現したかった感情があったはず。外界へ出て、自分の足で歩き回って、やりたいこともたくさんあったはず。

コーヒー中毒にチョコレート中毒、アルコール中毒・・・。私は目的を達成するための仕事中毒以外は、「・・中毒」になったことがない。堪能したことがなく、思い切り羽目をはずしたり、感情に溺れたこともない。いつもどこかで自分をコントロールしているため、大失敗をして後悔したこともないが、心から楽しんだこともあまりない。自分の感情に鈍感で、痛みも我慢も平気だった。自分に厳しくすることは得意でも、自分にご褒美をあげることは大の苦手。

「もういい・・・」
「もう終わったのだ」
長い回廊にこだまするように、その言葉が心に響き渡った。

私は、「もういい」と思うまで、ずっと同じことを繰り返してきたのかもしれない。

「もっと楽しみなさい、感情を味わいなさい。開放しなさい」
そんな自分にもう一人の自分はこう言っている。

どこかにこもって世俗と離れた生活をすることで、神との関係を築く時代は、私の中ではもう終わった。今の私はそんなことは望んでいない。肉体と豊かな感情を持った人間として、それを味わうことが、より自分らしく生きること、それが私が経験してみたいこと。

私の中で、神は懺悔して赦しを請う対象ではない。これからは、神と共同で創造してゆく。それは人と深い信頼関係を築くようなもの。自分や周りのすべての人の中に神性を見出したら、なぜ外界と遮断してこもってなどいられるだろう。なぜ感情を抑えてなどいられるだろう。

喜びの中に生き、それを人と分かち合い、様々な出来事に出会って、共に泣いて笑って、助け合って喜び合って、時にはぶつかり合ったりして、それが生きていることだと実感することこそが、今の私が神に仕える新しいやり方。それが自分に最も納得できる生き方。



飛行機の出発までの少しの間、オールドサンファンの街を歩いてみた。

入港する巨大なクルーズ船。まるで大きな建物が動いているようだ。

最後に、世界遺産のエルモロ要塞へ行ってみた。重苦しくて中には入らなかった。

海賊や他国からの襲撃から守るため、サンファンはぐるっと要塞の壁によって囲まれている。


プエルトリコは自然あふれる豊かな国。その豊かさの裏には、植民地時代に代表されるように、そこに繰り広げられてきた人間の悲しい歴史もある。それは、アメリカの属領と軍事基地という形によって、今なお続いている。

しかし、土を押し上げて芽が出るように、この地にも新しい時代はすでに始まっている。最初からあったその「豊かさ」を取り戻すために、大きく動き始めた地球の一地点として。


私自身にも、並行してそれが起こっている。段階を経て心の窓を少しずつ開いていくと、そのたびに、新たなる光が差し込んできて、古いものが開放されてゆく。すると、自分をより深く知るための道が、突如として目の前に現れる。

私の中にも溢れるほどの豊かさがあり、そこから泉のように湧き上がる想いや感情が表現されたがっている。その豊かな泉はずっと以前からそこにあり、私が気づいてくれるまでじっと待っていた。プエルトリコという場所で、私はそのことを頭でなく心で知った。

修道院にさようなら。私は自分を知るために、何度でも新しくなってゆく。

エルユンケで出会った大木のように光を浴びて成長していくことを、私の魂は望んでいるのだから。


<おわり>