2011年3月30日

「今ここ」から未来への責任

あと2週間で、また畑のシーズンが始まる。室内で少し大きくなったエンドウの苗を植える準備が整い、先日夫と畑に出かけていって土を耕した。

ふと思った。私は今年も当たり前に畑をして、当たり前に野菜を作ろうとしている。しかし、当たり前であった多くのことが、今日本では当たり前でなくなっている。そう思った瞬間、私の目には、今自分が立っているこの大地も、もう当たり前ではなくなっていた。

毎年春になると、中国からの黄砂で、私の車の窓も汚れる。日本からの放射性物質も、微量だが確実にこちらに届いている。私たちは海で繋がっている。大気で繋がっている。

もう自分だけ、自分の町だけ、自分の国だけ、という考えは通用しなくなってきている。なくなりそうだから、買い占めればよいというものではない。貯めれば安心というものでもない。

日本からの放射性物質が海を越えて、アメリカ西海岸に到達するという知らせに人々が騒ぎ、ヨードカリ錠剤を買い占める動きがあった。その晩、ニュースで専門家が「そんなのは気休めで、ほとんど意味がないと思ってよろしい」と言っていた。

これを聞いたとき、新聞で読んだある先住民の言葉を思い出した。シアトルダウンタウンの近くの湾に流れ込む川の汚染が深刻化していることを伝える新聞記事にあった言葉である。

「私達は先祖の時代から、ずっとここでサケをとり続けてきた。サケは私達の命綱。川が汚れ、健康を害するとわかっていても、私達は先祖がしてきたように、ここでとったサケを食べ続ける。それが私達の生き方だからだ。大地と共に生きるということは、そういうことなのだ」

なんてバカな考えだろうと笑う人もいるだろう。店に行けば、アラスカ産のサケがいっぱい売っているじゃないか、と言う人もいるだろう。

先住民の人たちは、常に7代先を考えたところを軸として今を生きてきた。未来に対する責任は、今ここにあることを知っているからである。大地が病む時は、私たちも病む。大地と共に生きるということは、あらゆることを共にするということでもある。

彼らの言っていることが、今、心に響く。

今日、ニュースで25年たったチェルノブイリを訪れた記者が、周辺住民の深刻な健康問題や胎児の奇形、子供の死亡、生息している鳥や虫の奇形のことを語っていた。彼らの苦しみは今も続いている。

私達が病み、選択を間違い、大地が病んでしまい、それが自分たちに返って来ている。そのことがわかっていても、行動しなければ、やはり何も変わらない。

空に向かってつばを吐き、逃げたとしても、他の生き物に降りかかる、私達の子孫に降りかかる。蒔いた種は刈り取らなければならない。海水が蒸発し て雲になり、山へ移動して雨となり、川となって戻ってくるように、私達は大いなる循環から逃れることはできないということを、忘れてはならないと思う。

便利な時代になり、物が溢れ、仮想的な社会が広がり、生きることの意味がわからなくなり、歪みに歪んだところから、亀裂が入ったようである。

自分の内面を見つめて自分を浄化し、自分を愛し、今を楽しく生きることにフォーカスを置いてきた自己探求の段階から一歩先には、これを軸として、未来に対し無限の責任を持つ意志と、そのための選択を積極的に行う姿勢が見えてくる。

私も現実を直視し、そこから未来への道へ繋げるべく、もっと意識的になることから始めようと思う。

あらゆるものとの繋がりと未来への責任に関して、日本にいる私の友人が素晴らしい日記を書いていますので、ご紹介させていただきます。


<以下転載>

私は、放射能などの科学的な専門家ではありませんが、御縁で関わって来た方々から学んだ、原発に繋がる問題を共有させていただきます。

原発に使われる核燃料のウランが採集される場所の多くが、先住民の方の聖地になっています。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、オーストラリアは、世界一のウラン輸出国であり、アボリジニの方が生活し、神聖とされている場所にウラニウムが埋蔵されています。北オーストラリアのカカドゥ国立公園 内ジャビルカ鉱山、そして南オーストラリアのロックスビーダウンウラン鉱山などから、年間輸出量1万トンのうち、3000トンは日本へ輸出され、日本の原発の燃料として使われてるそうです。

ウラン鉱山開発は、もともとそこに暮らしてるアボリジニの方たちに、様々な深刻な問題を引き起こしています。ウラン鉱山では、採集時に大量の水を使うため、あっという間に汚染されます。地下水を頼っているアボリジニの方々、そこに生息する動植物たちに、その汚染は広がって行きます。

そこに住むアボリジニの古老たちは、『ウランはそっと大地の中に、そのままにしておいて欲しい』と、おっしゃっていました。

日本で原発を通じて、私たちが得られる電気の一部は、オーストラリアのアボリジニの方たちが守り続けている大地の資源によってまかなわれているのですよね。同時に、その大地で、ウラン鉱山の汚染が原因で、心身共に苦しい生活をされている方々がいらっしゃいます。

原発ではありませんが、核燃料に関しては、長崎に投下された原爆に使われたプルトニウムの抽出作業を行った、アメリカのワシントン州南部のハン フォード核施設を訪れた事がありますが、現在でも、抽出されたプルトニウムは、ドラム缶などに入れて、埋められ、沢山放置されたままで、深刻な汚染が続き、撤去作業が行われているそうです。

その周辺に住むヤキマ族の先住民の方や、放射能汚染による被害者の方と時間を共にし、お話しを聞かせていただきました。ハンフォード近辺に流れるコロンビア川が汚染されているため、そこに帰って来る鮭も汚染され、その鮭や、その土地で育った野菜を食べて育った方たちの多くが、甲状腺の問題を抱えて います。手術をされる事も多く、首のあたりに手術の跡が残って、その特徴からその傷の事を『ハンフォードネックレス』と呼んでいるそうです。私の友人の首にも、そのハンフォードネックレスがあります。

ヤキマ族の方々も、アメリカ北西部の先住民の方々と同じように、鮭が重要な食べ物であり、鮭が彼らのアイデンティティです。その汚染された鮭が象徴のように、彼らの文化や在り方、生き方、そして、その大地も汚染されてしまっているのです。ヤキマ族を代表する、環境問題などに力を注がれている、スピ リチュアルエルダー(精神的指導者の長老)のラッセルさんに、お話しを聞きました。その土地と共に生きてきたヤキマの民にとってハンフォードの汚染が及ぼす影響は深刻でした。健康に関する問題、貧困、差別、アルコールや麻薬などの依存症等の沢山の問題が後を絶たず、また若者に伝統や言語、神聖さなどを伝え ていくことが非常に難しくなっているそうです。


広島の原爆に使われたウランが採集された場所も、アメリカ南西部アリゾナ州などの先住民の聖地であります。その周辺のウラン鉱山は、放置されたままのところや、汚染物が捨てられた場所が多く、現在でも被爆され、放射能汚染で苦しんでいる方が、沢山いらっしゃるそうです。

先住民の方たちや仲間たちと共に巡礼し、歩いた時に、それらの汚染されてしまった聖地を周り、祈りを捧げ続けました。


そして、今回の福島原発の放射能漏れで被爆され、非難されて、困難な状況にある方々。オーストラリアやアメリカで被爆された先住民を初めとする方 々、チェルノブイリや、スリーマイル、東海村や、様々な所で被爆され、その汚染に悩まされている方々がいらっしゃいます。そして、それぞれの鉱山や原発で働いている方、撤去作業をされている方。彼らの御家族。この全ての方の問題は、こうして、安心して電気を使っている私たちに繋がっており、決して切り離せない循環になっているように感じます。

過去からの、表面に公開されていない彼らの願いを共有し、意識して考えてみる事が、希望のある未来に繋がって行くきっかけになるのではと、心から感じ ています。その悲しみがあってこそ、困難をどう乗り越えて行くのか、どのように希望を持って生きていくかという事を、考えることができると思うのです。

様々な人たちの心や想いが繋がっています。原発のエネルギーをありがたく思っている方の気持ちも、原発が原因で、苦しい想いをされている方の気持ちも。色々な事が、全て繋がっています。そして、様々な方面で、その影響が繋がり、広がり続けて、終わりの無いサイクルが続いています。

放射能のように、目には見えませんが、この原発の問題は、確実に、過去から繋がり、今が未来に繋がって行きます。この繋がりをどのような循環にして行くのかは、全てに繋がり関わる私たちの志次第ではないでしょうか。


長々と書いてしまいました。
読んでくださって、ありがとうございます。

皆さんが心身共に、健やかでありますように。

未来のこどもたちが、またその先に繋がる未来を夢見る事が出来る世界を、
創って行く事ができますように


All our relations,

2011年3月27日

すべて祈り

手を合わせることも祈り

でも、それだけではない


今そばにいる人に優しい言葉をかけること

夫に「いってらっしゃい」と言って送り出すこと

道ですれ違う人に挨拶をすること

小さな子供に微笑みかけること


生きているからこそ

生きていればこそできること


「ありがとう」

「一緒に頑張ろうね」


ただ手を握る

それも祈り



こうして書くことも

歌うことも

踊ることも

絵を描くことも

すべて祈り


今生きている、そのことの中で

至るところに祈りがある


そこにいるだけで
感謝できる


そこにいるあなたという
存在そのものが祈り





喜びと可能性を歌う鳥(手法:タッチドローイング)







広がり






母と私の絆



<タッチドローイングは、紙の上で感じるままに指先を動かすことで描く手法です。描いた後でパステルで色を付けました。タッチドローイングのホームページ: http://www.touchdrawing.com/index1.html


2011年3月22日

笑いの力

一昨日、マイミクで霊気の先生でもある方のお宅に、11人ほど霊気仲間が集まった。みんなでホ・オポノポノを織り込んだチャクラ瞑想をし、霊気をした後に、仲間の一人の送別会を兼ねてカラオケになった。

歌うこと、声を出すことは、それだけで癒やしになるが、一昨日はそれをはるかに超えてしまった。山本リンダの替え歌を作ってウララ~、ウララと歌う人、桑田佳祐をまねて歌う人、それがあまりにもひょうきんでユーモアに溢れているため、みんなお腹が痛くなるほど笑った。別に人を笑わせるためにやったのではないと思うが、ただただ笑えてくるのである。

日本で苦しんでいる人がたくさんいるこんなときに、不謹慎な・・・と思うだろう。頭の中はそう思っていた。しかし、ハートは笑いを優しく見守っている。

笑いは生きている証のひとつ。

「逆も真なり」という言葉が浮かんだ。

全く正反対のことも、等しく真実である。

被災地の惨状、被災者の苦しみ、悲しみ、不安、それらすべてを共に感じることで胸が苦しくなったり胃が痛くなったりする一方、腹がよじれるほどの笑いも出てくるのである。この体から。

すべてが等しく真実。

歌う人、それを聞いて笑い転げる人、みんなとてもいとおしい。みんな今ここに生きている。様々な思いを胸にここに集い、一緒にいるからこそ、こんな風に笑うことができた。

被災地でのインタビューでマイクを向けられた男性のことが、ふと頭に浮かんだ。その男性は涙をこぼし、込み上げる思いが喉につまってしばらく言葉にならない様子だったが、やっとのことで振り絞ったように言った。

「また笑って酒でも飲めるようになりたい」

私は胸がカーッと熱くなり、涙が込み上げた。

絶望、苦しみ、哀しみ、無力感、怒り、恨み、不安、恐怖、忍耐、喜び、感謝、勇気、情熱・・そして笑い・・・どれもすべて等しくここにある。そう感じた。

人間であることがいとおしい。

生きていることは全体であること。様々な状況の中において、人や物事との関わり合いの中で体験し味わう。様々なことを分かち合ってゆく。そう感じた。


今日、友人からとても嬉しい知らせがあった。脳梗塞で緊急手術となり、術後何日もとても危険な状態をさまよった妹さんが、昨日、横で看病していたお父様のオナラに笑ったということである。

私も、13歳の時に盲腸の手術ミスで卵巣に傷をつけられ、2週間ほど入院したことがある。点滴を受ける日が続く中、体から力が抜け落ち、呼吸をすることも辛くて辛くて、ただ立っているだけの人を見ても、それができることだけでも、ものすごく羨ましかったのを覚えている。

そんな辛い日が何日か続いたある日、ずっとそばにいて看病してくれていた母が、手鏡で自分の顔を見て、

「あれっ!ホラこれ見て、何日も毛 抜いてなかったで、こんなになってしまった」

と言って、私の顔の真上までグイッと体を乗り出して見せてきた。どアップの母の鼻の下が・・・毛抜きを使っていると次から生えてくる毛は太くなるが、3ミリくらいの黒くて太いのがそこらじゅうから勢いよく出ているさまに、縫った後まだくっ付いていないお腹が裂けそうに痛いのを我慢しながら、笑った(結局、再度縫い直すことになったが)。

生きる力が大逆転して、そこから元気になった。

被災者の苦しみや哀しみはどれほど深いことだろう。どれほど多くの人が同じ気持ちでいることだろう。だからこそ、笑える人は笑ってよいと思う。

笑いの力を振りまいて、生きていることの喜びから、勇気や情熱を呼び戻すことも等しく大切ではないだろうか。

逆もまた真なり

私のハートはどうもそれを言いたがっているようである。

2011年3月18日

愛の星 地球

家の近くの自然公園に行きました

そこは、もう春の音と色でいっぱいでした


私の悲しい心に呼びかけるように

リスが微笑みかけてくれました

どこからでもまたやり直せるのだと



小さな木の芽が呼び止めました

ほら見て、こんな力があるんだよと




















スギナの芽も下から呼びかけてきました

光に向かって生きるんだと




大好きなスギの木の前に立ちました

この力強い太い幹は、様々な出来事を見守りながら
年輪に刻んできたのでしょう



地球上の生きとし生けるもの
全ては授かった命
大いなる源から授かった力

風に飛ばされ
土の上に落ちた種が芽を出し
成長するように

人間にもある
生きる力と智慧
新しい道を選ぶ意志

私達は地球の細胞のひとつ

地球に属し
大いなる循環の中で

ほかの生き物たちと共に呼吸をし
生きていくのです

人が一人では生きていけないように
地球のあらゆるものが互いに支え合っているのです



 大いなるバランスの中で





地球は愛の星

花々が微笑んでくれています





地球は私達が生きてゆく愛の星




<写真: シアトルのラベナ公園にて OSHOカードの We are the World

2011年3月14日

和(輪)の心

家族が辛い思いをしている時、それは伝わってきます
どんなに遠くにいても

愛する祖国が苦しんでいる時、それは伝わってきます
海を隔てていても

体を通して、それは信号として伝わってきます

じっとしていても胸が押しつぶされそうだと
こちら(シアトル)にいる私の友人が言いました

私はずっと胃が痛く、頭痛があり、熱っぽい感じが続きました

あらゆるものが津波にのみ込まれて行く映像を見ながら
どうすることもできない無力感を味わいました

人間なんてちっぽけな存在
文明や科学がどれだけ発達しても
人間なんて、ほんとうにちっぽけな存在

でも、確かなことがあるのです

それは、私達の愛の力です
生きる力です
絆です

日本の皆さんが心を一つにして、助け合っています
こちらでも、何かの役に立てないかと、皆が動いています
世界中の人々が心を痛め、日本を応援しています
昼も夜も、祈りは途絶えることはありません

昨日、日本を包む大きな愛が感じられました

地震が起こる前日からふとあるイメージが浮かんで、手が動いていました。そこからは、刻々と変化していますが、昨日描いたものを、恥を忍んでアップします。

私が愛する日本の底力は「和(輪)の心」であると感じています。それはとても美しい心です。

これからも長く険しい道のりが続くと思われますが、どうか皆さん、皆で力を合わせて新しい世界を築いていきましょう。


                         昨日前半に感じました 



                         昨日後半に感じました



2011年3月11日

シアトルにて、今できること

日本のご家族、ご親戚、友人の方々、皆さんが無事であることを願っています。今回の地震で被害に遭われた方々のことを思うと、心が痛みます。

テレビで被害の映像が流れていますが、海を隔ててシアトルにいる私に、今、何ができるかと思ったところ、やはり祈りしかありません。

意識と祈りです。

落ち着いて、しっかりと地と繋がり、腹にある力とハートの力を集めて送ります。

私なりに感じた方法です。

1. 静かに座って深呼吸をし、地球の核へと降りていき、しっかり繋がったらそれを引き上げるイメージをし、次に腹に意識を集めます。

2. へその少し下(丹田)のあたりに、10円玉ほどの大きさの黄色い丸い球をイメージし、それをどんどん強めていきます。

3. そこから、黄色い光が大きく広がっていくのをイメージし、人々が生きる力を呼び覚ますのをイメージします。

4. そこからハートにも意識を広げ、私達(人々)が一つになって助け合い、励まし合い、生きる力と愛が広がっていくのをイメージします。

人々の意識が一つになる、すべてが一つである、これをしっかりとイメージします。常に、私達が一つになって助け合っていることを意識します。祈りは力です。

ご賛同いただけるなら、一緒に祈り、光を送ってください。

日本の皆さんにエールを送ります!

ありがとうございます。

2011年3月7日

タロットを超えて

「俺は長い間タロットリーディングをやってきたが、何かが物足りない。自分のリーディングは、もう行き着くところまで行き着いた。これからどうしようか・・・」そう思い悩んでいた男性が、ある日、乗った飛行機で隣り合わせになった女性と会話をしていたら、その女性は自分はアーティストで、今こんなものを持っているんだと言って、何十枚にも及ぶ、自分が今まで描いた絵の写真をかばんの中から出して見せてくれたという。

「これだ、これなんだ!!」その絵を見た瞬間、彼の体に電撃が走ったという。「これをカードにして、俺はこれからこれを使うんだ!!」

紙の上で感じるままに指を動かして描くというタッチドローイングのワークショップを先日受けたときに、私は、創始者のデボラ・コフチャピンさん自らが今までにタッチドローイングで描いた絵を基に作られた、「ソウルカード」と呼ばれる60枚で1セットになったカードを買った。

これには、タロットカードのように数字や言葉は一切書かれていない。絵の意味やメッセージもない。絵や色使いも、決して綺麗とは言えない。どちらかと言えば、少し気味が悪いと感じるだろう。カードに添付されている小冊子には、使い方の提案がいくつかあるだけで、使い方の可能性は無限にあるとだけ書かれている。

「もう自分でリーディングできるとき、そうするときになって来ましたね」と、タッチドローイングのワークショップでデボラさんが言っていたが、私も、最近はそういう人が急激に増えていると肌で感じる。

人に言ってもらうことも助けになるが、自分の中から出てくる答えに耳を傾ける方が、その人にとっては完全に消化され、力になるのではないだろうかと私自身は思っている。

そのことを裏付けるようなことが起こった。

友人から内容公開の許可を得たので、先日友人と個人セッションをしたときのことをシェアしたいと思う。

彼女は今差し迫った問題は何も浮かばないということだったが、この日セッションをすることにしたことには、それなりの理由があるだろうと思い、ソウルカードを使ってみることにした。

まず表を向けてカードを並べ、自分が気になる絵を1枚選び、次に全てを裏にして、目に見えないレベルからのメッセージとしてのカードを1枚引いてもらった。

そして、2枚の絵を順に見て、自分が感じることを言葉にしてもらった。ロールシャッハテストではないが、同じ絵を見ても、彼女が感じることと、私が感じることとは大きく違う。ときどきフォーカスする対象をいくつか提案しながら、彼女の話を聴いた。

次に、この2枚を統合するカードを裏から選んでもらった。

特に裏から選んだカードについては、彼女から、一体どこからそう思うのかと思うほど詳細な描写があり、興味深い言葉も出てきたため、その時点で他の方法に入って言葉がけをし、どんな反応が出てくるかを見てみることにした。

すると、体の特定部分が反応を始めた。そこで、その部分にフォーカスしてみると、いきなり過去世と思われる情景が出てきたようであった。彼女の場合、ヒプノセラピーのように、情景を設定して導く必要もなく、意識を内側に向けているだけでごく自然に展開していった。

私はただ寄り添っていると、彼女の目の前に情景が次々と展開し、その人生の最期まで行き着いた。そして、死んだ後の世界に行き、その後、次に選んだ人生にまで進んで行き、その人生の最期の場面までへも行き着いた。この2つの人生が、物語の前編と後編であるかのように繋がって意味を成し、彼女はこれを客観的に見ることで、ここから気づくことがあった。

ただ寄り添っているだけで、これほどの展開があることに私は驚いていたが、過去世のストーリーを聴いているときに、彼女が選んだカードに目が行き、ハッとした。

セッションの最後に、裏から選んだカード2枚をもう一度見てもらうと、それが今見たその2つの過去世の自分と一致する絵であったことに気づいた彼女は、ひどく驚いている様子だった。

しばらくして、彼女は深く納得したようにうなずき、それまでずっと自分を悩ませていた「思考のパターン」が理解できたと言った。「『幸せは長続きしない』という考えが深いところにあって邪魔をしていて、自分がなぜいつもそういう風に考えるのか、この考えがどこから来るのかわからなくて、苦しい思いをしていた。それが今、この過去世を見て腑に落ちた。何かがスッキリして、もう今から自分がどうありたいかもはっきりわかった」

私にとって、とても嬉しい言葉だったが、彼女の気づきはそれだけに終わらなかった。

3枚のカードにはどれも2つの存在が表現されており、セッション前に、それは自分と相手という解釈をしていた彼女が、セッション後はどちらも自分だと言ったことであった。

「相手の中に見ていることは、結局は自分なんだよね。すべて自分」

そう言った彼女のすがすがしい表情が印象に残った。

セッションが終わった直後、それまで嵐だった空に光が差し、大きな虹が出た。彼女と一緒にその虹を見ながら、人間ってすごいな、と思った。気づきと共に、自分の中から出てくる答えは力強い。

その彼女と今日電話で話した。「今までは先のことをいつも心配していたけれど、今家族といっしょにいることだけで幸せだと感じることができて、安らげるようになったよ。今日は義母の誕生日で、今サーモンをオーブンで焼いて、これからみんなで一緒に食べるとこ」

あのとき見た虹は、そんな彼女への天からの祝福だったのだろう。すべて彼女の中から出てきた答え。それを消化した今、彼女は穏やかな幸せを味わっているようだ。

タロットにも虹がかかり、その向こうがチラリと見えたようにも感じられた。



<写真: デボラ・コフチャピン作 ソウルカード>

2011年3月1日

オレンジ蜘蛛のストーリー

オレンジ色のクモの親子が現れました。

まあるいお母さんグモの背中の上に、ちっちゃな娘のクモが乗っかっています。お母さんグモは、娘を優しく地面に降ろすと、こう言いました。

「さあ、ここからはおまえの道を歩きなさい。おまえがここから一緒に持っていけるのは、私の愛と智慧と力だけ。これからもし道に迷ったら、立ち止まって耳を澄ませなさい。応えはすべておまえの中にあるのだよ」

そう言うと、お母さんグモは去っていきました。残された娘グモは、一体何をどうしてよいかわかりません。急に一人ぼっちになってしまい、悲しくて寂しくて仕方ありません。しばらくそこにうずくまっていると、北から風が吹いて来て、頭上でカラスが鳴きました。

声の方を見ると、カラスは北の空に向かってしきりに鳴いています。すると、北の空にあった扉のような形をした雲の人たちが、それに応えるように切れ間を作り、そこから優しい声が聞こえてきました。

懐かしい声。ああ、それはずいぶん前に天に召されたグランドマザーの声でした。

「かわいい孫よ、よくお聞き。いとしい我が娘であるおまえの母が、そのいとしい娘であるおまえに言ったことは、かつて私がおまえの母に言ったこと。私のかわいい孫よ、おまえの中には、太古の昔から連綿と受け継がれてきた愛と智慧と力が流れている。まずそれに出会うこと。そこから始めなさい。そのためには、そこに立っている木の人の助けを借りるといい」

すると、また風が吹いて来て、雲の人は扉をゆっくりと閉じてしまいました。

娘グモは、隣に立っている人の足元に歩いていきました。それは空に突き抜けるような大きな赤スギの木でした。赤スギは、その高い所からいつも優しくすべてを見守っています。太く地中深くまで伸びている根や、しなやかに広がる枝、生い茂る豊かな細い葉からあらゆることを感じ取り、あらゆることを聴いています。

「私はこの大地に生を受けたときから、この地上で起こったすべてのことを知っている。さあ、私の根元をしっかりと感じたら、少しずつ登っておいで。そのとき、私を身体全体で感じ、私とひとつになるのだよ。そうすれば、次に何をするかがわかるだろう」

お母さんもグランドマザーも去ってしまったけれど、娘グモはもう一人ではないことを知り、それだけで嬉しくなってきました。赤スギに言われた通り、巨大で力強い根を踏みしめ、注意深く感じてみました。

「そう、足で感触を味わってみるといい。目で見ることよりも、感じることを信じるのだ。そしたら、今度は身体全体で感じてみるとよい」

娘グモは目を閉じて、まず足で感じてみました。するとみるみるうちに、自分の足から根が生えて、地中深くに伸び始め、あっという間にそこらじゅうにはびこってしまいました。

「この世界の根源的な答えは、すべてこの大地にある。途中で根が石にぶつかったら、それを取り除いて、さらに深く伸びなさい。根が深ければ深いほど、おまえという木はより大きく枝葉を広げ、天に届くほど空高く成長できる。そして、忘れるんじゃない。おまえの後に続くすべてのいのちは、今ここにいるおまえが根となって始まり、おまえを通じて育まれることを」

娘グモの根は乾いていたので、赤スギの言葉はまさに恵みの雨でした。この言葉をゴクゴクと飲み干すと、体の細胞の隅々までがイキイキとし始めました。

娘グモは力強く立ち、今度は身体全体で感じてみました。すると、身体が足元から上へと伸び始め、途中から枝が出て横へと伸び、上へ横へとグングン大きくなっていきました。そうやって、赤スギの力を身体いっぱいに感じ取りました。

「さあ、上へ登っておいで。今度は私の内側をもっとよく感じ取ってごらん」

娘グモはドキドキして足がすくんでしまいました。赤スギの幹は、あまりにも神々しかったからです。

「決して自分を卑下するんじゃない。おまえのいのちも、すべてのいのちも等しく気高いのだ」

娘グモは目を閉じて、赤スギの内側を注意深く感じ取るように、8本の足でゆっくりと登り始めました。木の皮は、なんて温かくて優しいんだろう。それを感じ取った瞬間、意識がスッと吸い込まれるように、幹の内側へと入っていきました。

目の前にある情景が現われた途端、この大地でこれまでに起こったあらゆることが、ものすごい勢いでトンネルの中を進むがごとく流れ去っていきました。と同時に、それと同じスピードで、中心から外側に向かってひとつひとつ年輪が広がっていきました。

「思い出すのだ、おまえの中に受け継がれた愛と智慧と力を。見るのだ、おまえの先に続く世界を。核になれ、パーソナルパワーを呼び覚ませ。愛と智慧と力の核だ」

赤スギの言葉と共に、光の渦が娘グモを取り巻きました。真っ白い光の粒にもまれ、この光の中で、娘グモの目からは堰を切ったように涙が溢れ出て、しばらくの間止まりませんでした。間もなく、娘グモの下腹が細かく振動し始め、そこが熱を帯び始めました。

「さあ、もっと上に登っておいで」

娘グモは、木の2/3ほどの高さの所まで登っていきました。そこはとてもとても高くて、下の世界が豆粒ほどになってしまいました。しかし、そこからは、はるか遠くまで見渡すことができました。

「今度はおまえに会わせたい人たちがいる」

赤スギはそう言うと、てっぺんでじっとこちらの様子を見ていたカラスに合図を送りました。カラスが空に向かって「カアーッ」と一声大きく鳴くと、ビューンと強風が吹き始め、みるみるうちに灰色の雲が現われて、雨が降り始めました。間もなく灰色の雲は黄色を帯び始め、突然雲の中から稲妻が現われました。すると、稲妻の後に雷がとどろき、そのパワフルな音と力に、娘グモの身はキュッと硬くなりました。

「怖がることはない。さあ、雷のエネルギーを観察してよく感じ取ってごらん」

稲妻と雷は、待ってましたとばかりに、大地に向かってものすごい勢いで降りていきました。娘グモは、まばたきひとつせず見ていました。母なる大地が、両手を広げてこの力強い稲妻と雷の人たちからの贈り物を歓迎しているのを、しっかりと見ていました。

遠くに立っていた木を通して大地が受け取った瞬間、地響きと共に、あらゆるものがビリビリと振動し、贈り物はその一帯に分け与えられていきました。

「怖れることは何もない。怖れを超えたとき、純粋な受け取り手となれるのだ。まっすぐに立ち、避雷針になって、受け取ったエネルギーを地へと放つのだ。ただし、しっかりと接地していなければ、その役目を果たすことはできないから、そのことをしっかりと心に刻んでおくがいい」

娘グモは泣いていました。このとき、グランドマザーとお母さんの、こちらを向いてニッコリ笑っている顔が浮かんだからでした。娘グモは感謝の気持ちで胸が震えていました。

「さあ、少し下まで降りていって、そこでお前の人生を編み出す場所を探してごらん」

娘グモは、今は喜びで胸が張り裂けそうでした。「私の人生を編み出す!」

娘グモはドキドキしながらも、少しずつ降りながら枝をひとつずつ注意深く見て行き、やっと自分の気に入った場所を見つけました。

優しく力強い赤スギに見守られ、ここで私は自分の人生を編み出す。そう思ったとき、東の方角から黄金の光が差し込んで来ました。続いて南からは赤い光、西からは青い光、そして、北からは白い光が差してきました。

赤スギと共に、これらの光が娘グモを大きく包み込みました。目くるめく光の中で、娘グモは新しい一歩を踏み出そうとしていました。

「常に心に留めておきなさい、おまえの中には受け継がれた愛と智慧と力があるということを。忘れないでいて欲しい、おまえだけにできる方法でそれを使うということを。避雷針となってこの大地で生き、この大地を歩いて行きなさい。

さあ、中心にある愛の場所に行き、そこから自分の過去を力と智慧に変え、未来に向かって歩き始めなさい。あらゆるもの、出会う人と繋がり合い、助け合い、謙虚にすべてのいのちに敬意を表し、あらゆるものとの関わりの中で独自の創造力を使って人生を編み出し、時には休み、また創って創って、そうやって創り続けるがよい。

嵐が来て創り上げた巣が壊れたり、心ない人に壊されたりしたら、そのときはまた創り直せばよい。今の場所が適さなくなったら、他の場所を探せばよい。太陽が差し込むと光り輝く意図(糸)を張り、編み出していくのだ」

娘グモは自分の軸に入ると、そこから放射状に意図を張り、想いを込めて編み始めました。





(私のオリジナルストーリーでした。長い文書を読んでくださってありがとうございます)