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2013年12月14日

干し柿、最高!


近所の道を歩いていたら、移動販売車が止まっていた。覗き込んでみると、山形から来た野菜が並んでいる。大振りのラ・フランスが手招きしていたので、3個買ってさあ行こうと思ったら、お客のおばさんが「その干し柿3本ちょーだい!」と指差した。



その先を見ると、トラックの天井に干し柿が数珠のように吊るしてある。途端に私も「おじさん私も欲しい!」と叫んでいた。そこから干し柿を欲しい人が急増し、おじさんはちょっと困った顔をした。



「なあ~に、みんな。これだけしかねえや~。なあ~んだぁ、うちに帰ればいっぺえあるのになぁ~」



みんなも笑っている。おじさんは特に商売っ気もないし、買う側も争うこともなく和気あいあいという感じで、なんとも素朴であったかい。



で、私は1本買えた。隣にいたおばさんが「袋に入っているのも美味しいけど、やっぱり吊るしてあるのが一番」と私に言った。


ワクワクしながら家に帰った。こういう吊るしてある干し柿を手にするのは生まれて初めてである。一個食べてみたら、う~ん、柔らかくてジューシーでとろけるよう。最高!しあわせ~。








2008年7月9日

地縛霊は友達?!(4)

実家に到着すると、もう10時半を過ぎていた。私は、母が用意しておいてくれた食事を軽くとってから、お風呂に入った。湯船に浸かりながら周りの空気を読み取るようにじっと様子をうかがってみたが、嫌な感じとか変な感じはしない。もう来ているのだろうか。

夜も更けて、私は長旅の後で疲れていた。何も考えず、ただゆっくりと眠りたかった。が、油断をして霊に生気を吸われて、熱を出すようなことになって欲しくはなかった。それは、ただ私自身がそれを許すか許さないかにかかっていた。

「絶対に先回のようなことにはならない!」境界をはっきりさせて、意識の上でも自分をクリアにし、凛とした態度でそう断言すると、疲れた体の奥から強いエネルギーが湧き上がってきた。デブラさんが言ったことを思い浮かべ、目には見えないが霊がそこに来ていることを前提に、私は心の中で話しかけた。

「霊さん、そこにいますか。私はここへ帰ってきました。今回は絶対に病気にならないし、あなたにエネルギーを抜き取られるようなことにはならない。だから、どうか私のエネルギーを取らないで下さい。その代わりに、あなたの好きな布を持ってきました。何かメッセージがあったら夢で教えて下さい」

それは届いているのかどうかわからない。ただ静まり返った風呂場の中で、湯船の湯気が揺らいでいるだけである。しかし、この時も、暗い感じとか嫌な感じはまったくなかった。

私は寝る前に、念を押すがごとく布団の中でもう一度話しかけた。そして、好きな場所は私が最初に思った神社でよいのか(結局、それ以外何も思い浮かばなかったので)、他にメッセージはあるのかなどを夢で教えてもらうことを望んだ。どんな霊なのだろうか、と考えるとやはり恐い。霊というとじめじめして、どうしても悪霊的なイメージになってしまう。

「私が怖がらないような方法で教えて下さい、お願いします」
臆病な自分は、つかみどころのない闇に向かって心の中でそう頼んだ。

そんな私の心の中は、霊にとってはガラス張り。小学校で「ちょっかいを出してくる子」が、好きな相手に自分が恐れられているとしたらどんな気分だろう。怒るだろうか、それとも悲しく思うだろうか。

その夜、夢を見た。私の友達(実際には知らない人)が私に話をするという形で、霊が答えてくれた。それによると、この霊は何千年もの古い魂で、長い間、人のエネルギーを吸い取って生きている感覚になることを繰り返してきた。私のときは、左肩のあたりから抜き取っていたということである。

日本に来る前に読んだ本「People Who Don’t Know They’re Dead(死んだことを知らない人々)」で覚えた「あなたは死んだことを知っていますか」という質問をしてみたが、直接的な答えは返って来ず、その代わりに、少し間をおいて「どうしてよいかわからない」という、戸惑っているというか、しょげた感じが伝わってきた。

私は、心の中でこの霊が光の方へ進んで行くことを願った。嫌な感じや怖い感じ、冷たい感じはまったくなく、恐れるどころか、逆にこの霊に温かさと優しさを投げかける自分がいた。夢を見ているときの自分は、起きているときの自分よりも大らかである。

結局、光に送ることはできず、まだ好きな場所のことは答えてもらっていなかった。ところが、そのことを聞こうとしたときに、突然夢の場面が薄らぎ始めた。「ああ~待って!」まるで夢を乗せた乗り物が、霧の中に消えて行くみたいだ。しがみつこうとあがいてみても、すうっと目が覚めてしまえば終わりである。すでに朝になっていた。

まだ夢の余韻でボーッとしている頭の中には、場所のことではなく別のことがあった。なぜか、赤い布だけでは足りないような気がしたのだ。

「他に欲しい物はないか教えてね」

夢にもう一度戻るかのように心の中でつぶやくと、待ってましたとばかりに「赤い花」と来た。ひょっとしたら、私がそれを聞くように相手が仕向けたのかもしれない。

そのリクエストに刺激されて、頭が忙しく動き出した。赤い花、赤い花・・・。概して頭というものは、まず自分が親しみ慣れている領域から物を選ぼうとする。

「カーネーションかな?」

いや、どうも違うようである・・・わからない。そのまま頭が静止状態になると、今度は急に眠気が戻ってきてウトウトし始めた(これも相手が仕向けたか?)。すると次の瞬間、眉間の前にパッと赤いつぼみをつけた椿のような花と枝が現われた。またもや、音にならない鈴のような音が聞こえた。

「ああっ椿だ!」

ここからまた頭が動き出す。「椿なら納得がいく。カーネーションは洋花で今風だけど、椿は古くから日本で親しまれている花。古い魂が好む花としてぴったり!」
得てして頭は理屈が好きだ。

「でも、椿は花屋には売ってないだろうし、どうやって手に入れようか」

また、新しい問題が起きてしまった。う~んとうなって頭を掻き掻き下の居間へ降りていくと、父と母はすでに起きており、父はテーブルで新聞を読んでいた。その父に話しかけようとしたとき、私の視線はそのまま父の後ろの庭に流れ、そこで釘付けになった。

あの赤い花が咲いているではないか!

実家の庭に、それも居間の正面にあの花があった。まるで「これ見てよ、ここにいるじゃない」と言っているように。私は、おもわずニンマリした。

私「お母さん、あのツバキ」
母「ツバキ?ああ、あれは椿と違って山茶花」
私「サザンカ~?椿と思った」
母「椿と山茶花はよう似とるけどな、あれは山茶花」
私「そうか~」

私は、椿と山茶花を区別できるほど花に詳しくはなかった。庭に出てみると、ちょうどいい具合に咲いたものが3つあり、後は固いつぼみだった。でも、これで十分だ。

朝食の時に、父に神社のことを聞いてみた。八幡神社という地元の小さな神社で、私は子供の頃に一度くらいは行ったことがあるが、中の様子はほとんど記憶になかった。父によると、実家からの距離は1キロ弱だということである。デブラさんの言った半マイル(約800メートル)という条件にピッタリだ。

その場所が正しいかどうかはわからなかったが、距離的には当てはまるので、やはりそこへ行くしかなかった。朝食が済むと、山茶花の花を枝から3本切り取り、赤い布と線香を持って、父と母には散歩に行くと言って外へ出た。

その日は12月15日、後で調べると満月の日であった。これ以上ないというほど、きれいに晴れ上がった気持ちの良い日だった。歩きながら、見た夢のことを思い出しても、まったく嫌な気持ちにはならず、逆に暖かさや感謝の気持ちが沸き起こった。この霊は私の言うことを聞いてくれている。そう思うと、親しみさえ感じられた。

さんさんと輝く日の光を浴びて、霊と一緒に八幡神社まで散歩している気分になってきた。気づくと「晴れてよかったね~」と霊に声をかけていた。私の周りを有頂天でグルグル回ってはしゃいでいる様子が浮かぶ。すると、私の心もウキウキし始めたのは不思議である。霊の心と繋がったのだろうか。

さて、八幡神社に到着し、まずは神様にご挨拶をした。手を合わせて「私に力がなく、この魂が光に進みたくても進めないのであれば、神様どうぞお力をお貸しください」とお願いしたところ、頭のてっぺんからサーッとエネルギーが入ってきた。

そして、祈り終わってふと横を見ると、肩越しに私の父の名前が目に飛び込んできた。それは、この神社に寄付した人の名前が書かれた木の札であったが、そこには他に80ほどだろうか、寄付者の札が並んでいた。普通なら、それほどの数の中で特定のものを探すには時間がかかるのに、パッと一目で名前が入ってきたのは偶然ではないと思えた。父の名前を見た瞬間に、私は直感的にこの神社でよかったのだと確信した。

次に、布と花を供える場所である。神社の本殿から少し離れた丘の、正面からは見えない裏側に回って、そこにある大きな木を選んだ。表側に赤い布を置こうものなら、きっと年末大掃除か何かですぐに見つかって、捨てられてしまうだろう。そんなことをされたら、この霊は、おもちゃをとりあげられた子供のように、私のところに泣いて飛んでくるだろう。それはかわいそうだし、私もまた病気になっては困る。

誰もいないひっそりとした神社の木の根元に、布と花を供えた。このときも、ウキウキした気分になり「花きれいだねー」と声をかけていた。まるで、友達に話しかけるように。

その後、一緒に持ってきた線香に火をつけようかと一瞬迷ったが、地面は枯葉で覆われていたため、火事になると困るのでやめた。やめて正解。一般に線香はお寺で上げるもので、神社では不要であることに後から気づいて苦笑した。

神社を出る前に、呼び止められたかのように、境内の入り口付近にある古墳に引き付けられた。それは小さなものであったが、7世紀初めに建造されたと推定される横穴式石室のある遺跡であった。実家の付近には、他にも5世紀~6世紀頃の古墳群がある。今でこそ、山を切り開いて住宅地となってしまったこの地域一体は、その頃は全く異なる様相を呈していたのであろう。

この霊が地縛霊なので、何かこの古墳、神社、もしくはこの土地に深い関係を持った人かもしれないと思った。と同時に、私もひょっとしたら、昔にもこの地域に住んでいたのかもしれないと何となく思った。

神社を後にする私の心は、その日の青空のようにさわやかであった。あの霊は、大好きな布と花と一緒に、これからはあの木の所にいるだろう。私は自分の課題を無事終えることができたことに満足していた。

と、そのとき「People Who Don’t Know They’re Dead」の著者の講演会で、ウォリーさんが言った言葉をふと思い出した。

「もしかして、過去生で関係のあった魂かもしれないね」

私は今まで何度も帰郷しているのに、あんな風に病気になったことはなかった。振り返ってみると、今回のことは、夫の甥のJ君が発端になっているように思えて仕方がない。J君の魂は、昔自分がいた懐かしい場所を訪れていたのだろう。そして、彼を通して過去生の感情が蘇ったことで、私の中の閉じていたある部分が開き、それがこの霊を引き寄せたのかもしれない。それはいつの時代のことであったのだろう。もしかして、J君と私とこの魂は接点があるのかもしれない。

そして、これを書いている今、気づいた。そういえば、あの夢は私の友達を通して語るという設定だった。

もうひとつ、最初に私の背中から入った霊は、距離的に地縛霊の行動範囲ではなかったため、他の浮遊霊だったかもしれない。しかし、後からこの霊がエネルギーを抜き取っていたのは間違いないだろう。それは悪意があってやったことではなく、きっと赤い布と赤い花の「赤」に象徴される生命と活力にあこがれ、寂しさからやった行為なのだろう。それがデブラさんの言う「ちょっかいを出す」に当たるのかもしれない。そう考えると、生きている人間のような悩み多き霊に対して、逆に親しみが湧いてしまう。

結局のところ、真相は誰にもわからない。それでも、地縛霊が過去生の友達だったなんてことも、なきにしもあらず。

<おわり>

2008年7月4日

地縛霊は友達?!(3)


それは、ハロウィーンも間近の10月29日のことだった。家の近所にスピリチュアル系の書店があり、そこである著者の出版記念講演会が開かれた。

今振り返ると、これも今回の地縛霊体験の「パッケージ」に含まれていたのである。

私は、それより数日前に、引き込まれるようにその書店に立ち寄り、書店のイベントのスケジュールを載せた冊子をもらった。そこでは、ワークショップや新刊本の紹介、講演会などを定期的に開いていることを知っていたが、今まで実際に参加したことはなかった。ところが、家に帰って特に目的もなく冊子のページをパラパラとめくっていると、数日後に「People Who Don't Know They're Dead (死んだことを知らない人々)」の著者によるフリートークがあるという情報が目に飛び込んできた。

これを見た瞬間、衝動的に行きたいと思った。そのときの自分にとって、とてもタイムリーなトピックだし、ましてやタダ。損をすることは何もない。その上、通常大半のフリートークは夜の時間にあり、私には仕事があったり夫が家にいたりで外出するのは難しいが、それは週末の昼間の時間だった。まるで、私のためにすべてお膳立てされているようであった。

さて、講演会場へ行ってみると集まった人は20人足らずで、会場はこじんまりとしていた。著者は劇作家のゲイリー・リオン・ヒル氏で、彼の叔父ウォリーさんが霊能力のある友人の助けで行ってきた「死んだ人のカウンセリング」のことを綴ったものであった。トークは、ウォリーさんを交えて、その著書からのエピソードを抜粋して体験を語るもの。もちろん、著書の販売促進のためであるが、死んだ人がカウンセリングを受けて成仏していくなんて話は、スリル満点だ。ましてやそれが本当の話で、中には感動するものもあり、私は話に引き込まれていった。

ウォリーさんは、年は60代後半から70代前半といったところだろうか、一見見たところ、気のいい隣のおじいちゃんを思わせるまったく普通の人であった。しかし、死んで路頭に迷っていたり、間違った場所にいる何百何千体という霊と話をして光の方向へ導くという、普通では考えられないこと(特にアメリカ社会では、こういったことは強く否定される)に40年以上も真剣に携わってきただけあり、自分の役目を心得て、迷うことなくそれを貫いてきた強さのようなものがにじみ出ていた。

また、著者のゲイリーさんは、子供の頃からこの叔父さんの活動に強い興味を寄せていたが、後に劇作家という職業柄を活かして書くことを担当したようである。この素晴らしいチームワークは、きっと世の中に大切なことを伝えるべく、目に見えない大きな力が導いたであろうと思わずにはいられなかった。

講演会の最後に質疑応答の時間が設けられたが、私は一通り質問が終わるまで待って、日本での霊体験と、シャーマンが与えた課題のことを手短に話した。ウォリーさんは40年以上もの経験があるのだから、私のような事例があったのではないかと思ったからだ。お供えの仕方とか、霊を閉じ込める方法とか、そのようなことを教えてくれるかもしれないと密かに期待していた。ところが、私の話をじっと聞いていたウォリーさんの口から出た言葉は、「もしかして、過去生で関係のあった魂かもしれないね」だけであった。

「へっ?」

それが私の反応だった。

最後に、この「People Who Don't Know They're Dead」の本を買う人は、著者のサインをもらうために列を作った。もちろん私もその中の一人であったが、聴衆の一人が帰り際に近づいてきて「微笑ましいお話、どうもありがとう。日本でうまくいくといいわね」と言って声をかけてきた。私にとっては忌まわしい体験だったのに、聞く人の耳には微笑ましい話として伝わっていたことに少し驚いた。

さて、サインをもらおうとゲイリーさんとウォリーさんの前に本を持って立ったとき、私はなぜか急に熱い思いで胸が一杯になって言葉に詰まったが、かろうじて「今日ここへ来たのは、まったくぴったりのタイミングだったように思います」と言うと、ゲイリーさんは大きくうなずき、「AT THE RIGHT TIME -(ちょうどいいときに)」と書いてサインし、「あなたには力があるよ」と言って本を手渡してくれた。私は感動して涙が出そうになった。

そして、ウォリーさんも「あなたの心がそう思えば、そのスピリットと話をして導くことができるだろう、ガイドの方達の力を借りてね」と言った。私はガイドとのつながりのことなど一言も言っていないのに・・・。もしかしたら、それはウォリーさんを通じたガイドからのメッセージだったのだろうか。ゲイリーさんもウォリーさんも大らかでさらりとしていたが、私の目には尋常でない力を持った人達として映った。

それから数日間、私はその本をむさぼるように読んだ。死んだことを知らずにある一定の時間と空間に閉じ込められている魂がいること、迎えに来ている存在がいるので、それに気づかせることで光に導けることなどを読んで学んだ後、あたかも実習が用意されているかのように、夢で既に死んだ人が具体的な形で現われた(そのときのエピソードは http://hoshinoto.blogspot.com/2007/10/1.html に)。そのときは、光に導くことはできなかったが、閉じ込められている魂がいることを直に知った。

さらに、寄生虫さながら、霊には生きた人のエネルギーを吸って「生きた心地になる」ものもいるという。実は、これこそが私が日本で体験したことだったのだ。

あのときゾクッと寒気がしてから、あれよあれよという間に力が抜けていき、高熱を出して寝込んだその日、トイレに行ったついでに鏡で自分の顔を見たときは「生きた心地がしなかった」。鏡に映った自分の顔はまったく生気がなく、昨日まではツヤツヤして張りがあった肌はガサガサになり、目は落ち込んで頬はげっそりとし、老婆のようになってしまっていたからだ。生気を抜かれるというのは、ああいうことを言うのだろう。

「それにしても、あの霊は自分が死んだことを知っているのだろうか。私は光に導くことができるのだろうか。しかし、お供えをして霊をおびき出すということは、光のもとへは行けないということなのか・・・」そんなことを考えながら、本を読み進めていった。

赤い布のことは意識の中にはあったが、日本へ行く12月中旬まではまだ時間があったので、特に自分から進んで探そうとはしなかった。そういうことは、得てしてほとんど忘れているときにやってくる。

11月も半ばになり、衣装箱を整理していたら、気に入っているが長い間着ていないセーターが出てきた。着ない間にボタンが派手すぎる年になってしまっていたが、少し地味目のものに付け替えればあと2~3年は着られる。

さっそく、近くの手芸店へボタンを買いに行った。大きい店だったので、ありとあらゆる種類のボタンがあり、選ぶのに時間がかかった。そして、やっと気に入ったものを見つけたときに、ふと布地のことが頭に浮かんだ。「ああそうだ、はぎれ・・・」

布売り場に行ってみると、はぎれの山の中にひとつだけ赤い布があった。選択の余地はない。ところが、その赤い布は、細かい模様こそ入っていないが、色といい光沢といい、あの時ふと浮かんだものとかなり近かった。それは、あまりにも簡単すぎる布探しとなったので、デブラさんに言われた後、あれほど緊張した自分を思い出すとフッと笑いがこみ上げてきた。

「これで課題ひとつクリア!」心が少し軽くなった。

家に帰ったその夜、袋から赤い布を出して、さてどうしたものかと考えた。ヤード単位でしか買えないので大きかったが、やっぱりハンカチくらいがいいだろうと思い、切って端を手で縫った。

裁縫なんて久しぶり。しかし、実は手縫いほど愛情がこもったものはないのである。気がつけば、私はその霊のことを敬う気持ちで縫っていた。

「どうせなら、綺麗に仕上げてあげよう」
そして、縫っている間、ちょっぴり弾む気持ちになった。

なぜそんな風に感じたのだろうか。相手を恐れ、この布に引き付けようと念を込めて縫う一方、敬う気持ちや弾む心があるとは。それはまったく理不尽なことであった。

布が出来上がると、後は霊が好きな場所だけである。デブラさんと話している時に瞬間的に浮かんだ実家の近所の神社については、それがあまりにもすぐに浮かんだので、あてにはならないと思った。

「こういう大切なことはじっくり瞑想でもしてわかるものだ」そう信じていたので、何度も瞑想を試みた。ところが、いつも眠くなって失敗してしまう。

そうこうしているうちに、日本へ発つ当日となってしまった。
「まあ飛行機に乗っている間に考えよう」
しかし、考えようとすると、頭がボーっとしてしまう。

結局何も浮かばなかった。そして、とうとう実家の近くの駅まで来てしまった。夜道を運転する父の隣に座り、黙ったまま正面の暗闇を見つめて私は考えた。

「あの霊は私が来たことをもう知っているのだろうか。一体どのくらいの距離で察知するのだろう。ひょっとして、もうこの車に同乗しているのだろうか」

後ろを振り返ってみたが、夜の闇は沈黙とともに私を見守るだけである。まもなく実家の玄関の明かりが近づいてきた。

<つづく>

2008年6月26日

地縛霊は友達?!(2)

それから4ヵ月後、シャーマンのデブラさんの家を訪れた。その頃私は、いっこうに改善しない極度の冷え性をはじめ、今後の自分の活動や夫との関係に関するガイダンスを求めていた。

デブラさんについては、信頼できるシャーマンであることをその2年ほど前からサークルの仲間を通じて聞いており、連絡情報をもらっていたが、そのときはまだ必要性を感じず、ずっと机の片隅にしまってあった。しかし、いよいよそのときが来たと思い、連絡を取った。

デブラさんはシベリアのシャーマンの弟子になって修行をした後、自宅でオーラリーディング、シャーマニックヒーリング、ドラムのワークショップなどをしていた。私はオーラリーディングに興味があったので、それを依頼した。

あらかじめ質問したいことを準備していたが、それはすべて自分の健康問題や人生に関するものであった。デブラさんは、まずエネルギーに繋がってから質問を受けて、その時空にアクセスするようである。通常、ガイダンスはイメージや色などのメッセージ性を持った抽象的な形で現われると説明してくれた。彼女を通して伝えられるメッセージはどれも深く、私にとってはすべて強く心に残るものばかりであった。

さて、自分が用意した質問が一通り終わった時、ふと、先回帰郷した際に病気になったことが思い出された。すると、そのことはここで話題にするべきものであるかどうかを判断
する間もなく、質問が勝手に口から出ていた。

私 「あの~、今年の5月に実家に帰ったときに2回病気になったんですが、あれは何だったんでしょうか」

デブラ 「ちょっと待ってね、見てみるわね」(目を閉じる)

私 「・・・・・」

デブラ (ニッコリして)「実家の付近にスピリットがいるわね、地縛霊よ。それがいるから体の調子が変になるみたいね」

私 「それって憑依されたってことですか。それは悪霊だったんですか」

デブラ (目を閉じてさらに詳しく見ている。しばらくして、首を振って)
「いや、そんなんじゃないわね・・・・(ニヤッとして)そのスピリットはあなたのことが好きみたいよ」

私 「えっ好きって?!」

デブラ 「うふふ(目を閉じて、まるで楽しいものを見ているように笑う)・・・ほら、例えば、小学校のクラスで、自分は全然気がないのに向こうが好きで、ちょっかいを出してくる子っているじゃない、そういう感じ。あなたのことを可愛いと思っているのよ」

私 「か、かわいい?!(そんな、霊に可愛いと思われても嬉しくない!)」

私 「それで、12月にまた帰るんですが、もう大丈夫でしょうか」

デブラ 「いや、また来るわね」

私 「ということは、また病気になるってことですか」

デブラ (淡々と)「まあそうね」

私 (「まあそうね」って人ごとだと思って・・・あのときのことを思い出すと、気が重くなった)「それじゃあ、どうすればいいでしょうか(弱気になる)」

デブラ 「そのスピリットが好む場所におびき寄せて、そこに相手が好きな物をお供えするのよ。まず、そのスピリットが何が欲しいか聞いて、それを探すの」

私 「どういう物ですか」

デブラ 「例えば、果物とか花とか、木とか石とか、色かもしれないし。いずれにしても、そのスピリットが好きな物で、それはあなたが探すのよ」

私 「はあ・・・(混乱する)」

デブラ 「そして、そのスピリットが好きな場所があるから、それも探すの。家から大体半マイルくらい離れた所ね」

その瞬間、ある神社が頭に浮かんだ。でも、それはあまりにも瞬間的だったので、そこが正しいのかどうかわからなかった。まあいいや、時間があるから後で考えよう。半マイルの範囲で絞ることもできるし・・・。

デブラ 「だから、そのスピリットが好きな場所と物を選んで、おびき寄せて交渉するのよ」


私 「交渉?」

デブラ 「そう、そのスピリットを呼び寄せて、『あなたが来ると私は病気になるから、来てもらうと困る。でも、あなたの好きな物を持ってきたから、それと交換に、ここにいて私には近寄らないで』って話しかけるのよ」

私は自分のするべきことを頭の中で整理しようとしていた。そんなことは一度もやったことがないし、それをすること自体思いも寄らなかった。場所に関しては、なぜかそれほど心配にはならなかったが、好きな物についてはまったく見当もつかない。

私 (心もとない声で)「あの~、さっき好きな物は果物とか花とかっておっしゃいましたけど、そんなこと、私わかるのでしょうか」

デブラ 「あなたのガイドに聞いてみれば、きっとわかるわよ」

私 「・・・」

すっかり弱気になっている私をチラリと見て

デブラ 「例えば赤い布だったり」

その言葉を聞くやいなや、私の眉間の前に、シルク地のような光沢のある赤い布がヒラリと揺れた。そのイメージは背景も含め全体が光っており、かなり詳細であった。ハンカチほどの大きさで、細かい模様が入った品のよい赤。着物の生地を思わせる。同時に、音にならない鈴のような音(波動音と言った方が正しいかもしれない)が聞こえたように感じた。

直感的に、これだ!と思った。デブラさんは、その私の反応を読み取っていたようであった。

そして、別れる前にデブラさんはこう言った「結局のところ、プロテクション(霊から身を守る)というのはテクニックじゃなくて、霊的に賢くなること。それは、強い心と魂を持つってことよ」

家に帰ってこれからやらなければならないことは、あの赤い布を探すことである。そして、その霊が好きな場所を見つけること。今度日本へ行くまでに、まだ3ヶ月の余裕があった。

私は、この難題を無事にクリアすることができるだろうか。

しかし、他にも知っておくべき情報があったようで、それは、ごく自然な形で与えられた。1ヵ月半後、私はある書店の講演会場に座っていた。

<つづく>

2008年6月23日

地縛霊は友達?!(1)

先日の日記で、以前私は地縛霊に憑依されたことがあると書いたが、最近サークル仲間で憑依のことが飛び交っているので、ここでちょっと微笑ましい(?)体験談をひとつ。

私は年に1~2回夫と一緒に帰郷するが、2005年の春はいつもと少し違った。夫の甥が急遽便乗して日本へ来ることになり、2週間私たちと一緒に、私の実家に滞在することになったのである。15歳になるこの甥のJ君にとっては、日本は始めての外国であった。

私が先に実家に戻って、一週間後に夫とJ君を迎えた。前回J君に会ったときはイガグリ坊主のかわいい小学生だったが、今では180センチを超えるほどの長身になり、15歳とは思えないほど大人っぽく、なかなかハンサムな青年(?)になっていた。

その彼は、慣れ親しんだ環境とは全く違う日本に来ても、そのまま溶け込んでしまい、違和感を感じなかったようだ。誰でも異国で一番抵抗を感じるのは食べ物であるが、彼は全く大丈夫だった。例えば煮魚、味噌汁、豆腐料理、かぼちゃの煮つけなど、いわゆるおふくろの味的なものがテーブルに並ぶと目を輝かせ、嬉しそうに食べる。もちろん、それらは彼にとっては初めて口にするものばかりである。

アイスクリームを選ばせたら、あずききなこのフレーバーが一番好きだという。大福もちはもちろんのこと、その他の和菓子も全部好きだし、日本のお風呂はリラックスできるといって大満足。とても15歳のアメリカ人とは思えない(感覚がちょっと年寄りっぽい?)。前世は日本人だった?と冗談ぽく言ってみたら、本人は否定しなかった。

そうやって、実家で何日か過ごしているうちに、気づくと私は彼を今のJ君として見なくなっていた。彼の目を見ると、いきなり時空を超えてしまって、昔々私は彼に好意を持っていたことに気づいた。私としては、時空を超えて過去の関係を感じることはJ君が初めてではなかったが、特に自分が好きだった相手の場合は、いつも相手の目に引き込まれてしまう。目は、過去生の記憶への入り口なのだろうか。

そのような感情を持つとそれが相手にも伝わるのか、彼と向かい合って座っていると、お互いに微笑み合って不思議な空間に滑り込んでしまい、心地よい波動に揺られている気分になる。現実には25歳も年下なのに、その空間では彼の方が年上になってしまう。

それは心地よい感覚であったが、私の心の状態は時空を飛び越えた領域に入ってしまうため、自分の軸が不安定になっていた。そして、そこに「すき」ができてしまったことに全く気づかなかった。

そのようなすきは、別のものにとっては絶好の入り口であるということを、そのときは知らずにいた。

それは、夫とJ君と私の3人で名古屋見物をした後、喫茶店で一休みをしているときに起こった。喫茶店の中はタバコ臭くて不快なので、外のテーブルで3人でおしゃべりをしながらコーヒーを飲んでいた。と、そのとき、道路のホコリを巻き上げ一筋の風がヒュッと吹いてきて、私は背中にゾクッと寒気を感じた。今でもはっきり覚えている。それは、肩甲骨の下の部分から少し下がったところで、思わず首をすくめるようなシャープな寒気だった。しかし、その時は寒いっと思っただけで、気にもとめなかった。

ところが、その後、実家に戻って夕食を食べているときに悪寒が走り、体は重くて座っているのが辛くなり、のどと関節が痛くなって熱が出だした。おかしいなと思ったときから1時間後には寝込んでいた。それほど急速に悪化したのだ。風邪の症状なのだが、それまで元気だったし、風邪を引く原因は何一つ思いつかないので変だなと思った。それに、状態の悪化の仕方があまりにも速かった。

それから3日間、38度5分近くの熱が続いた。関節が痛んでのどはヒリヒリするし、せきが出る。その2日後には、夫とJ君と一緒に仙台にいる友人を訪ねることになっていたので、どうしてもそれまでに回復したかった。熱でフーフー言いながらも「明日は絶対元気になってやる」と強く心に決めると、幸い翌朝熱が下がっていた。そして、無事に仙台に行くことができた。

不思議なことに、仙台にいる間は、それまで高熱を出していたのがうそのように元気だった。ところが、実家に戻るとまたすぐに同じ症状が現われて、どんどん力が抜けていき、熱を出して、再び数日寝込むことになった。今度はもうアメリカに戻る日が近づいていたので、このまま寝込んでいるわけにはいかない。結局帰るぎりぎりまで体調が悪かったが、空港へ向かうときには元気になっていた。

私はそれまで帰郷中に2回も熱を出すことなどなかったので、なぜそんなことになったのか、その後もずっと気になっていた。それに、実家を離れると元気になっていたというのも変な話である。そして4ヵ月後、気になっていたことの答えを、あるシャーマンから聞くことになる。

<つづく>

2008年6月18日

キリークの音?

「平津(実家がある地域の名前)の二階に悪霊がいる」
夢の中で声がそう言った。

ひえ~聞きたくなかった!もうすぐ実家に帰るというのに。これは、今から3ヶ月前の3月に、帰郷する準備をしていたときのことだ。帰るのを楽しみにして、それまでワクワクしていたが、この夢を見てから急に気分が重くなった。

「またか・・・もうクリアしたと思っていたが・・・」

実は、以前帰郷した折に地縛霊に憑依されたことがあり、その霊がまたやってくるのかと思った。しかし、それは悪霊ではなかったので、今回わざわざ「悪霊」と言われたのが気になった。「あのときのようにまた熱を出して寝込むのかなあ」とそのときのことを考えて弱気になる自分がいたが、「手ごわいヤツなのか・・・嫌だなあ、何か対策を立てないと。それにしても、予告があったから不意打ちを食らうよりはいいか。どうも、これもある種のチャレンジのようなものなのだろうか。それに、低いエネルギーから守るようオーラを強めるノコギリソウのエッセンスをとっていたから、以前よりは外界からの影響を受けにくくなっているかもしれない」などと、冷静に考えるもう一人の自分もいた。

さて、何をどうすればよいのだろうかと考えたところ、まず頭に浮かんだのが、10年ほど前、私の厄年のときに母が日本から送ってくれた木の札だった。このお札には凡字のキリーク(ここに表記できない)が書いてあるが、これについては不思議なエピソードがある。

32歳の3月のある朝方、突然こんな夢を見た。母と私がお寺のような所でお参りをしているのだが、母が私の左手をとって、手のひらにシュルシュルと早いスピードで何かわけのわからない記号のようなものを書き始めた。そして、その記号の最後に「、、」と2つ上下にテンを書いた。シュルシュルの部分は複雑な動きだったのでよく覚えていないが「、」はわかりやすい。

その最後の「、」を書き終わった瞬間に、「ハッ」という男とも女とも区別のつかない、人間かどうかもわからないが、こだまするような声が寝ている私の耳元から発せられ、耳から離れていった。というよりも、私の耳の中から出てきて、吹き飛ばされるというか、はじき出されると表現した方が正しいかもしれない。その瞬間、私は「とれた!」と言って目覚めた。

それは夢だったが、目覚めた後も、夢ではないような奇妙な感覚が残った。「ハッ」という声がした直後に目覚め、その声の余韻が寝室に残っていたからだ。

それから数日して母からお札が入った封筒が届いた。私は、開けて思わずアッと言いそうになった。そのお札には「、、」で終わる記号があったからだ。その頃、私は凡字のぼの字も知らなかったが、お札の凡字の右側にある上下に並んだ「、、」の位置が、夢の中で母がシュルシュルと手のひらに書いたものと同じだったので、おそらく同じ字だったのだろう。

お札が届いたお礼を言うために母に電話をして、その夢の話をしたところ、どうもちょうど夢を見た日くらいに、父と母が厄除観音の霊場である岡寺山継松寺というお寺の初午大祭に行って、33歳を迎える私のために祈祷をしてもらい、お札をもらってきてくれたことがわかった。

その「ハッ」という声は私に憑いていた邪悪な物だったかもしれない。もちろん勝手な憶測に過ぎないが。

ということで、今回日本へ行くときまでにキリークの凡字を覚えて宙に書けるようにしたいと思った。行者が呪文を唱え、宙に何かを書いている姿がイメージとして浮かび上がったからだ。

特に、正しい書き順で書くことが重要なように思われた。しかし、凡字のぼの字も知らなかった私が、キリークを正しく書けるはずがない。そんなことを知っている人などあまりいないだろう。と思いきや、ある方の顔が浮かんだ。

マイミクで直伝霊氣の師範格の方がいらっしゃる。ちょうどそれから数日後にお会いする機会があったので聞いてみると、なんと彼女は写経のように凡字を書き写すことをしているというではないか。彼女は親切にも、書き順付きのキリークの字が大きく印刷されたページをコピーして私に手渡してくださった。ありがたいことである。これで少しほっとした。

その字を持って日本に着いた。3月27日のことである。今回は、実家でいつも私に用意してもらうその寝室こそが悪霊がいる部屋かもしれないと思ったので、違う部屋で寝ることにした。といっても、その違う部屋も同じ二階にあるので油断できない。到着したときは既に夜だったので、とりあえず、換気をしてかしわ手を打って自分が寝る四方にキリークの字を書き、枕の下に字を置いて寝た。それが功を奏してかどうかはわからないが、その晩は何も起こらずぐっすり眠れた。

翌日、その波動が悪そうな部屋に入った瞬間、そこは二階部屋で全部で4箇所に窓や戸があり、南側に大きな窓があるので明るいにもかかわらず、「うっ」と来るような何かを感じた。空気がよどんでいる。西側の窓の外はすぐ隣の家の壁なので、いつもトタンの雨戸が閉まったままになっているし、大きな窓から直射日光が入って畳が焼けるのを防ぐために透かしカーテンが引いてある。廊下に通じる戸は、廊下にあるものが邪魔をしていて少ししか開けられないため閉めてある。ふすま戸は左側に寄せてあるが、右側が塞がれていて通気がよくない。そしてホコリっぽい。そういう状態だった。

トタンの雨戸をはじめ、すべての窓や戸を開けてふすま戸も中央に来るようにして両側から通気すると共に、部屋全体にまんべんなく光が通るようにし、パンパンとかしわ手を打ち、力を込めてキリークの字を書いた。これだけでかなり波動が変わったように感じた。以前熱を出して寝込んだのはこの部屋で、また、別の時には寝ている時に重いものがのしかかってきて悲鳴を上げたのもこの部屋である。

その晩も自分の寝る部屋に凡字を書いて寝た。そして明け方、こんな夢を見た。知らない人のグループの集会に参加し、リーダーの人と出席者がお経のようなものを唱えているのを聞いていると、「ウニウニウニウニウニウニウニウニ」ととても速くて高い宇宙的な音が聞こえて、あの、のどのイガイガ君のような丸くて周りにイガイガのある形をした、好意的な感じの物体が空中に浮かんでおり、その音はそこから発せられていた。そして、それが私の方へ近づいて来ると、第2チャクラ(丹田)がビリビリと振動し始めた。怖くはなかったが、かなり強い振動だった。その後、私はなぜか仰向けになった一人の女性の肩に手を当ててマッサージし、その後、塩で自分の肩と背中を清めた。

そこで目が覚めた。しかし、丹田の辺りはまだビリビリしていた。不思議な夢だった。あのイガイガ君はエネルギー体であったが意思を持っていたように思う。夢の内容が除霊っぽいので、ひょっとしたらイガイガ君はキリークと関係しているのかもしれない。「ウニウニウニウニウニウニウニウニ」というのは、キリークの周波音なのだろうか。

翌日、友人にエッセンスを調合してもらうため、横浜に向かった。選ばれるエッセンスの背後には多面的に起こる出来事があり、それはひとつひとつが独立した出来事ではなく、どれも互いに関係し合い、過去・現在・未来が繋がっている。そして、大きな流れに向かって私たちの気づきと成長を促してくれる。夢という形であったにしろ、丹田に来た振動はリアルだった。あの「ウニウニウニウニウニウニウニウニ」という宇宙音は、これから調合してもらうエッセンスや起こる出来事・気づきと何か繋がりがあるのだろうか。いつか、それがわかるときが来るかもしれない。

2008年6月16日

石がやってきた

先週の金曜日に、友人のRさんと彼女のボーイフレンドを家に招いて一緒に夕食をとることになっていた。Rさんは以前から私の畑に行きたいと言っていたので、私は、彼女に午後少し早めに来てもらって、畑に連れて行ってニラを取ったり野菜の苗を植えたりして、一緒に作業をしてから食事にしようと考えていた。ここのところずっと悪天候で畑に行けなかったので、久しぶりに畑仕事ができるのを楽しみにしていた。

ところが、前日になってRさんは、石を見たいので石屋に行きたいと言ってきた。「よかったらジュンコさんも来る~?」

「う~ん・・・」私も自分なりに心積もりがあったので、正直なところ、急なスケジュールの変更に混乱していた。少し疲れていたので、金曜日の午後に渋滞の中をわざわざ出かけることを考えるとおっくうに思ったが、気づいたら「じゃあ行くよ」と口から勝手に言葉が出ていた。

というわけで、Rさんと彼女のボーイフレンドと私の3人で、カークランドのEarthlightという石屋に行くことになった。なぜ彼女が急に石を買いたくなったのかというと、つい先日、彼女が新しい職場となるオフィスを訪れた際、首の後ろが異様に重くなって気分が悪くなり、どうもそうじゃないかと感じたので、ボーイフレンドに見てもらったそうだ。

このボーイフレンドは普段は閉じているのだが、開くと見れる人で、彼女の思ったとおり霊が憑いていたということだ。それも四体。しかし、彼女に別に危害を加えるタイプの霊ではなく、彼女にくっ付いて家まで一緒に来てしまったという軽いものであった。ただ、そのうちの一体はすぐには去らなかったらしいが、彼女がその後、外で思いっきり卓球をして発散させるとどこかへ消えてしまったという。とにかく、彼女はこれからその職場で毎日働くことになるため、オフィスの波動を上げる石を机に置きたいということだった。

さて、私が急遽便乗して訪れることになったこの石屋は、もともと私の霊気の先生が教えてくれた所で、8年前に指輪をリフォームするときにお世話になり、その後は1~2回ほどしか行っていない。実は、この店は私のガイドスピリットが霊気の先生を通して紹介してくれたもので、客はそのように何かのきっかけで訪れる人が多いようだ。先回行った時は、店長が「ここに来る人は、来るべくして来るみたいだね。以前、タイのお坊さんのグループがやってきて、夢でこの店の看板を見たのですよ、と言って入って来たんだよね。不思議なこともあるもんだねー」と話してくれた。「へえー」と言いながら、そういう不思議な話が大好きな私は、店を埋め尽くしている石を見回した。

そして、今回もやっぱり不思議なことが起こった。私はRさんのお供だったので、ただ店の中でフラ~っとしていたのだが、ふと「ここに来た理由があるのだろうか・・・何か欲しい石はあるのかな」と思って自分の心に聞いてみると、昨年私の甥のために買った石が頭に浮かんだ。「あ~あの石、何て名前だったっけー」度忘れして名前がなかなか出てこない。

すると、そのとき一人の白人女性が店に入ってきた。彼女は明らかに目的を持って訪れたようで、店員はすかさず「何かお探しですか」と聞いた。「ラブラドライトを探しているんですけど・・・」と彼女が答えた瞬間、私はハッとした。

それそれ、それなんですよ、名前が出てこなかった石は。すごいタイミング!これほどはっきりしたメッセージはないではないか。その石を買えということなのだ。

幸いにも、その店にはラブラドライトはたくさん置いていなかったので、あまり迷うことはなかった。置いておくタイプのものではなく、身につけるタイプのものがよいという感じがしていた。そして、すぐに気に入ったのは、全体が青や水色、黄色、金色など様々な色に発光するものだった。左手に持ってみると、ビリビリと強いエネルギーが伝わってきた。

一方、Rさんも魔除け用に大きなクリスタルを2つと、他にも気に入った石をいくつか見つけた。きっとこれで、首が重くなって気分が悪くなることもなくなるだろう。

さて、レジでお金を払おうとしたときに、私はアッと声を上げそうになった。レジの後ろの壁に、大きな龍の絵が貼ってあったのだ。実は、その前の週にあるヒーラーの方にお会いし、その方とのご縁で龍神様のご加護をいただくことになった。ラブラドライトは、龍神様ご指定の石だったようだ。それにしても、わかりやすい方法で教えてくれるものだなあ。

家に帰って太陽光とクリスタルで浄化した後、家にあるものを使ってシンプルなペンダントにした。

ラブラドライトには、インスピレーション、根気強さ、実行力、信念を貫けるよう導く力があり、ハートチャクラに働きかけ、その放つ光は、銀河系の他の惑星から発せられた高次元の情報であるという。見るからに神秘的だが、そのパワーもまた神秘的である。

石は、気の遠くなるような長い時間と太陽光、風、土、熱などの様々な自然の力によって形成される。過去の記憶と関係し、深く眠っていた魂レベルでの意識や記憶力を目覚めさせ、新しい世界を発見したり、理解を迎え入れる上でサポートしてくれる。そして、その新しい知識は地球と関係しており、その地球の記憶・記録が石を持つ人の人生観を変えることになる。

ご縁のある石は、向こうから呼びかけてくる。なんとなく気になるものや、一目で気に入ったものなどはたいてい相性がよく、直感的に選んだものはほとんど間違いない。やはりそのときに自分が必要としている石は、自分にとって個人的な意味があるのだろう。

ペンダントを作ったその夜、石を電気にかざして色や光を楽しんでから、私の所に来てくれたことに対してお礼を言って、これからよろしくと挨拶をして、枕元において布団に入った。寝る前に呼吸法を使ってリラックスするようにしているのだが、その夜、布団の中で深呼吸をしていたら、ハートチャクラの背中側が熱くなった。こんな感触は初めてである。

そして朝方、夢で全く新しい情報が入ってきた。それは、ひょっとすると、私のこれからの活動に関係するのかもしれない。それについては、今後具体的な展開があったらお話しようと思う。

これを書いている今、急に思い出した。Rさんの家系は龍神と関係があったのだ。

ラブラドライトを持たせることで、龍神様は私に一体何を仕掛けようとしているのだろう。

2008年1月24日

気づきへの一歩

どんなに一生懸命説明しようとしても、言葉では表現し尽くせないということがある。もうひとつの現実、目に見えない世界が確かにあるということを知る近道は、シンクロニシティ(共時性、偶然の一致)や神秘体験なのかもしれない。

シンクロニシティは、そのもうひとつの現実からの招待状のようなもの。それに対して返事をするかしないかは自分で決めることである。その未知の世界に心を開くかどうかは自分自身にかかっているが、返事をしたら、その先にある扉の前に立つことになる。そして次に、その扉を開くかどうかを決めることになる。そうやって、段階を追って進んでいく。

シンクロニシティの裏には、いったいどういう力が働いているのだろうか。私が経験したシンクロニシティの中には強い方向性があり、無視できない状況を迫られるものもある。

例えば、私は肉体的なレベルにおいて、体質を変える必要があった。今思えば、私は酸性体質であった上に、体内に様々な毒が溜まっていて、その毒を出す上でも食事を変えることが必要な時期があった。また、自分の波動を上げるうえで、精神的なレベルを高める必要もあった。

それを示唆するメッセージが、まず車の後部に貼ってあるステッカーという形で現れた。ある日、車を運転していると、前に走っている車の後部に貼られた「Become Vegetarians!(ベジタリアンになろう!)」と書かれたステッカーに目が留まった。そのときは、それだけのことだったが、同じ日に違う場所で、やはり前を走っている車に (もちろん違う車だが) ベジタリアンを勧めるステッカーが貼ってある。そして、なぜか同じ内容のステッカーがある車の後を走ったり、そういう車が追い越していく場面にその後1週間の間、何度も遭遇した。


もちろん「これは何か言われているな」と感じてはいるものの、具体的に何をするということもない。すると、今度は「STOP (止まれ)」の道路標識が落書きで「STOP Eating Animals(動物を食べるのを止めろ)」になっているのに目が留まる。「まただ・・・」


これはある種のメッセージだということを感じていたので、このあたりから、摂る肉の量や回数を減らすようになったが、それだけではダメだったようだ。

今度は道を歩いているときに、「Go Vegan (完全菜食主義者になれ)」と道路に刻まれた文句がいきなり目に飛び込んできて、思わず立ちすくんだ。この字が浮き上がって私の前に迫ってくると同時に、「Go Vegan」という声が空から聞こえた来たような感覚に陥り、かなり強烈な印象を受けた。


「来たな来たな~」と思ったが、子供の頃から今までずっと食べてきて、好きだった肉を完全に止めることは、やはり勇気がいった。頭の中で抵抗があり、心の中で葛藤があった。そして、そのまま行動に移れず中途半端なことをしていると、間もなく決定的なメッセージがやって来た。


ある日、行き着けのスーパーで「ジョン・ロビンズ*が完全菜食主義と地球環境についてシアトルで公演をする」というポスターが目に留まった。少し離れたところにあったのだが、写真のジョン・ロビンズの目に吸い込まれてしまった。そして、家に帰った後も「完全菜食主義と地球環境」という言葉が頭の中で鳴り響いていた。具体的に何であるかはわからないのだが、インパクトがあったのだ。

それから数日たったある日、「たまたま」ダウンタウンに出かけた夫が、ジョン・ロビンズが設立したアースセーブ・シアトル支部の前を「たまたま」通りがかり、入り口に置いてあったニュースレターに目が留まったので持ってきたと言って、家に帰るなりそれを私に見せた。先日スーパーで見たポスターのことなど、夫には言ってはいなかったのに・・・。このときは、さすがに鳥肌が立った。私がなかなか煮え切らない状態だったので、ついに夫まで巻き込み、これでもか、これでもかとメッセージが来たわけである。


このニュースレターには、当時ジョン・ロビンズの最新書著であった「The Food Revolution」が紹介されており、これが決定的なきっかけとなった。

この本には、完全菜食主義と地球環境のことがあらゆる角度から論理的に説明されており、その考え方と姿勢はストンと私の「腑に落ちた」。最後のページまで読み終わったとき、とてもすがすがしい気持ちになり、その日からきっぱりと肉を食べることを止め、約3年後に体が少し必要とするようになるまで続いた。後で振り返ると、この時期にこうすることは、次の段階へ進むために必要であったのだ。


シンクロニシティが助走をしているようなものであるとしたら、神秘体験は一気にジャンプするようなものかもしれない。一瞬の体験で、見る世界の捉え方や価値観がガラリと変わってしまうだろう。まさに「百聞は一経験にしかず」の世界なのだ。

日々の出来事に様々なメッセージがある。気づきとは、そのメッセージに気づいてひとつひとつ拾っていき、パズルの一片を合わせるようなものかもしれない。そして、それを続けていくと、あるときにひとつのまとまった形になる。今まで裏側にあった目的が、そこでやっと見えてくるだろう。目に見える現実と並行して存在する現実があり、そこにはゆるぎない真実がある。そのことに気づいたときに、目の前の壁が取り払われ、新しい世界が広がるだろう。

しかし間もなく、それで終わりではなく、それはより大きなものの一部分でしかないことに気づくであろう。常により大きな真実へと向かっていくのである。そして、目に見える現実以外の現実は、ひとつではなく多次元で網の目のようになっているのかもしれないと気づくに至る。

このように、気づきはさらに広く深いレベルへと進んでいく。

*ジョン・ロビンズ: 父がサーティワン・アイスクリームの創業者。息子である彼は事業を継がずに独立し、理想的な食生活や人類のあり方、地球環境をテーマに数々の著書を執筆している。

2008年1月11日

トワイライトゾーン、単なる偶然を超えたとき

私の夫は左脳人間で、思考においては感情が邪魔することはなく、論理的で明快に判断する頭脳を持っている。私も脳はほとんど左ばかりを使う仕事をしているため、必然的に左脳人間であったが、8年前のある日を境に目に見えない世界という左脳では処理できない世界に引き込まれることとなり、その後速いスピードで新しい世界がどんどん展開していった。私は夢中になり、ためらいもなく導かれるままに進んで行ったが、気がついたら夫と私との間にはギャップが生じてしまっていた。

夫は、私が自分の手の届かない世界へ行ってしまうのではないかと強い不安に襲われたようで、私に対して不快感を示し始めた。無理もない、私が豹変したのだから。私も立ち止まって考えてみると、二人で共有できない、楽しめないというのは寂しいことであるということに気づき、これでよいのかというあせりが生じ始めた。このままではいけない、でも何とかして自分が今経験しているこの世界を知ってもらいたいと強く願っていたところ、夫に実に不思議な出来事が起こった。それは今から7年くらい前のことである。

その頃、よく二人で家の近くの中国レストランにランチを食べに行っていた。ある日いつものように行ってみると、今までとは違う新しいウェイトレスのおばさんがいた。オーナーの奥さんかと思うほど落ち着きがあり、恰幅のよい人であった。

常連は決まったものを注文するものだが、私たちもそこへ行くといつも決まって特製ヌードルを頼んでいた。この日もそれを注文しようとメニューをたたんで待っていたら、おばさんが親しげな様子でテーブルにやって来て、夫に声をかけた。まるで友達にするような挨拶の仕方である。なれなれしい人だなと思ったが、特に気にせずヌードルを注文すると、メモする様子もなく確認することもなく、とても軽い調子で受けるので、変だなと思った。

間もなくヌードルができあがって、それを運んできた彼女は、夫にわけのわからないことを話し始めた。こちらがキョトンとしていてもベラベラ話し続け、個人的な内容の話となって行く。とうとう我慢できずに夫は彼女をさえぎって、「あの~すみません、人違いじゃないですか。私はあなたに会ったことはないんですけど」と言うと、彼女はびっくりしたように目を見開いて「なに冗談言ってるの!」と取り合ってくれない。

夫も必死になって、このレストランにはよく来るが、いつも違うウェイトレスで、あなたに会うのは今日が初めてだと繰り返した。すると、彼女はまだ信じられないという顔をして
「あれーあなたじゃなかったの?あなたとそっくりの××さんという人がいて、その人はいつも○○寺院に来てるんだけど」

「○○寺院?」夫と私は顔を見合わせた。そんな名前聞いたこともない。名前からすると中国人が行く仏教寺院か・・・。夫は中国人ではない、プエルトリコ系アメリカ人である。

「それにしてもホント似てるわねえ。その人もここへ来るときはいつもそのヌードルを注文するのよ。ホントに××さんじゃないの?」とおばさん。そして、まるで××さんが他の女性と来たところをおばさんとばったり出会ってばつが悪く、ウソをついてごまかしているのではないかというように、横目で私をチラッと見ると、肩をすくめて店の奥へと入っていった。

そんなことがあって、その日はずっと変な気分だったが、よく似た人は世界に7人いると言われているので、そんなこともあるのかと受け流そうとしていたら、今度は追い討ちをかけるように、それから数日とたたないうちにショックなことが起こった。

夫も私も家でコンピュータに向かう仕事をしているため、定期的にジムへ行って運動をしている。その日は水曜日の午後だった。私はエアロビクスをしてから筋力トレーニングをし、夫は筋力トレーニングだけに集中する日であった。ジムには、所狭しと部屋一杯に様々なマシンが並んでおり、特定の筋肉を鍛えるために、その中からいくつか特定のマシンを選んでコースにしてトレーニングをする。人によって目的が違うため、コースとして組むマシンの種類は当然違ってくる。また、マシンは使う人の足の長さや座高の高さに合わせたり、トレーニングに合ったウェイトの重さにするため、ひとつひとつ設定が異なってくる。そのため、マシンは使う前に必ずひとつひとつ調節しなければならない。

そのジムでこの出来事は起こった。その話は、運動が終わって車に戻ったときに「信じられないことがあった」という夫の言葉で始まった。

「ジムに俺がいたんだ」と夫は言った。
「へっ?」
「俺が運動しているのを見たんだ」
「・・・??」
「俺とそっくりのヤツがいて、俺と同じことをしていた。俺が使うのと全く同じマシンを全く同じ順序で全く同じ設定で使ってて・・・」

どうもその人は夫と同じコースでトレーニングをしていたようだが、常に夫の1つ前のマシンを使っていたそうだ。コースの全マシンの組み合わせがピッタリ同じなため、夫は嫌でも彼の後について回ることになり、しかも彼が終わった後のマシンの設定は、夫が必要な設定そのものであったという。背格好が同じなら、いすの高さなどが同じになるのはわかるが、ウェイトの重さまで同じというのは気味が悪い。

そして、夫がそう思っていると相手も感づいたのか、夫を意識するようになったという。その人は白人で人種は異なるが、顔の作りはもちろんのこと、背格好や雰囲気、すべてがそっくりだったという。見てみたかった・・・。

そんな風に、夫はその人の後をついて回っていたが、ある時にけんすいをするマシンで二人が一緒になったそうだ。けんすいマシンは2つ並べて置いてあるので、隣通しに並んですることになった。夫は横目で相手の設定を見ると、やはりピッタリ同じだと言う。 設定レベルは1~10まであるのに。そして、気づくと相手も横目で夫を見ていたという。彼も同じことを考えているのが手に取るように伝わってきたそうだ。

そんな風にしてトレーニングが終わった後、夫はシャワーを浴びて帰る支度ができたが、私がまだ運動していたので、私を待つことになった。そういう場合、夫はよく角にあるスターバックスにコーヒーを買いに行く。その日もコーヒーを飲もうと歩いて行き、2つあるうちの1つの入り口のドアに手をかけた瞬間、中からドアが開くので手を引っ込めると「あの男性」がコーヒーを片手に出てきたという。二人がドアで鉢合わせになり、お互いにびっくり仰天。それでも、「知らない人同士」なので会話するわけにもいかず、何も言わなかったが、相手も明らかに動揺を隠せなかったようだという。外観や雰囲気が似ているだけでなく、行動までが同じとは!

しかし、なぜこのタイミングでこの男性に会ったのだろう。実は、その男性が受付カウンターで係りの人と雑談している後ろを、夫が通り過ぎるときにチラッと聞いたところによると、彼はその日「たまたま」会社が休みだったので、昼間の時間に運動しに来たということだ。私たちはいつも昼間にしか行かないため、彼に会うのはそれが最初で最後になるだろう。またしても、不思議な出来事。これは、先回よりも強烈だった。

その翌朝、夫はボート漕ぎのクラスに行ったら、以前同じクラスを受けていた人が久しぶりにやって来て、「昨日ウォリングフォード(町の名前)のピザ屋でピザ食べていたね」と言ったという。ピザ屋は絶対に行かない所のひとつなので、「そんな所行ってないよ」と言うと、「いいえ、あれは絶対あなただったわ。同じようにそんな帽子かぶってたよ」

夫の反応はご想像のとおり。しかし、3件もこのような出来事が続くと、これはただの偶然ではないとしか言いようがない。もう十分気味悪い思いをしている。

ところが、まるでそれでもまだ足りないかのように、夫はこの不思議な現象から解放されることはなかった。それも現象の度合いがエスカレートしていく。それがどれほどのものかは、家に帰って来た夫の顔が、ゆがんでほとんど蒼白になっている様子からうかがえた。

それは、ピザ屋の話から1週間ほどたった日のこと。夫は普段家で仕事をしているので、ダウンタウンへ行くことはめったにない。行くとしても年に2回ほどだろうか。その日もその数少ない日のひとつで、終日のセミナーを受講するためにダウンタウンへ行った。

ランチの休憩時間に、食事を終えてから通りに出ているスタンドでコーヒーを買うため列に並び、自分の番が回ってきたので注文したそうだ。ランチタイムで賑わう雑踏の中で大きな声を張り上げて注文している姿が目に浮かぶ。ちなみに夫のコーヒーの注文は、ちょっと変わっている。
「Double tall split shot two percent(レギュラーとデカフェを半々にしたエスプレッソを2ショットに、低脂肪の牛乳を多めに入れたのをください)」
するとバリスタが小さな声で何かブツブツ言ったので、「はい?」と聞き返すと
「昨日と同じのね・・・」と言ったという。
「ええー?!・・・・・ちっ ちょっと、俺はここへは昨日は来てない。ダウンタウンへは年に2回ほどしか来ないんだ。昨日ここで、コーヒーを頼んだなんて絶対にあり得ない!」

この間からこんなことばかりなので、またかというように夫は声を荒げたという。するとバリスタの女性は、「でも、ここへ来たんだもん」と言ってから、ゆっくりと顔を上げると無表情にじ~っと夫の目を見つめ、それからうんざりした顔で
「あなた、記憶障害か何かです?」と言ったそうだ。
その瞬間、夫はショックで周りの風景が少しずれて見えたという。まるで体の一部が他の次元に入り込んだかのように。
「もうたくさん!頭がおかしくなりそうだ。俺は今いったいどこにいるんだ!」

考えてもみて欲しい。Double tall split shot two percent・・・そんな変てこな注文をする人はそう多くはない。それだけでも確立は低いのに、夫と瓜二つの人がまったく同じ注文をするという確立は、一体どれくらいになるだろう!言っておくが、夫の顔はそうあちこちにいる顔ではない。

「昨日と同じのね」ということは、そのバリスタの女性とその男性は何かの会話をして、あるいは彼が時々そこへ来る人で、彼女の記憶の中にしっかりあるということであって、まったく見知らぬ人に対して彼女が当てずっぽうに言ったわけではないと考えられる。

「この間から、急に現われて付きまとう自分によく似た男性の影、それも毎回場面も服装も異なる。一体誰だろう。それともひょっとして、それはすべて自分で、過去と未来が逆になったのか」

トワイライトゾーン、もう一人の自分・・・。こうなると、もう左脳が好きな論理は通じなくなる。

その後も、夫は友人宅へ招かれてバルコニーから外を見たときに、庭の向こうに自分によく似た人が歩いていたところを目撃したりしている。中国レストランから始まったこの一連の出来事は1ヶ月くらいの間に立て続けに起こり、友人宅での出来事を最後にピタリとなくなった。

普通の感覚では理解のできないことが存在するのである。シンクロニシティ(偶然の一致)が重なって単なる偶然を超えてしまうと、抵抗することも排除することもできず、ただ認めるしかない。そして、自分が何か説明のできない力に導かれているかのように感じるものである。日常の出来事の水面下で何か意味のあること、それも深いメッセージを秘めた何かが起きていると感じたときに、新しい気づきが始まるのである。

ちなみにこの一連の出来事が起こる数日前に、私は夫と二人で自転車に乗って近所を走っている夢を見た。道は狭くて砂利道で、人もいるので運転しにくい。倒れそうになるが、後ろに夫が乗っているので、一人だったら倒れるところでも二人なのでうまくバランスがとれる。その夢の中で私は「二人だったら安定してるね、倒れないんだね」と言っている。

夫とのギャップに悩んでいたときに起こった出来事。それは見えない世界へのいざないであったのだろうか。宇宙からの応えは、私一人で勝手に突っ走って行くのではなく、夫にもある程度理解してもらい、二人でうまくバランスを取って歩んでいくことが大切なのだということのようだ。このことをきっかけに、夫も見えない世界を尊重するようになった。

2007年11月11日

根底から揺るがす石


4年ほど前、シアトルのウォーターフロントのマーケットでアーティストが売っている、直径2.5センチほどの卵型をしたラピスラズリのペンダントを買った。古代エジプトで愛され、「神につながる石」とも言われたラピスラズリは、なるほど瑠璃色の空に金色の星屑を散りばめた、まさに天空を思わせる石である。

そもそもこのペンダントを手に入れるきっかけとなったのは、友人の紹介で会ったチャネラーであった。私は、そのチャネラーに会うまでは、母からもらったルビーの指輪をしていたが、このルビーと合わせて青い石を身に付けるとパワーアップすると、チャネリングのときに言われた。パワーアップ・・・誰でも飛びつきそうな言葉だ。その頃の私は邪悪なものから身を守ることに気をかけていたので、この言葉を聞くなり、青い石を持つことでガイドとのつながりが強くなって、より効果的に厄除けできるだろうと考えた。

さて、石選びの段階で、青い石というと、涼しげにきらきら光る透明なブルーのブルートパーズがまず頭に浮かんだが、一度夢で私にはブルートパーズはよくないと言われていたので(どういう意味かわからないが)、好きだけれどあきらめた。それで、その他に青い石というと、ラピスラズリくらいしか思いつかなかった。深い青で、どちらかと言うと重い感じのラピス。私のガイドは古代エジプトの神で、私の今生は古代エジプト時代の前世が大きく影響しているので、やはりラピスに行き着くことになっていたのか・・・。思いつくままに足を運び、すぐにこのペンダントに出会った (写真: クリスタルの上に置いたペンダント。フラッシュの仕業で薄くなってしまったが、実物はもっと濃い色)。

ラピスの中でも特に色が濃く、形は丸でも三角でも四角でもない卵型。なぜか子供の頃から卵型が好きだったので、このペンダントを見た瞬間、これだと思った。案の定、手に持つと、強いエネルギーが流れてきた。

さっそくこれを買って家に帰ってまず浄化し、迎え入れの言葉をかけて、2~3日枕元において一緒に寝てから身に付けた。そして、チャネラーが「パワーアップ」と言ったので、どこへ行くにもこれを付けて、もうこれで完璧に守られている、大丈夫だと思っていた。

ところが、この石は、私にとって実はそういう意味でのパワーアップをもたらすものではなかった。思いがけない出来事を引き起こし、私の価値観を根底から揺るがす石だったのである。そのことに気づくようになったのは、そのような思いがけないことが2回ほど起こった後であった。中でも、この出来事は忘れられない。

それは、ある春の日のよく晴れた土曜日だった。家にいるのはもったいないので、私は夫と家からダウンタウンまで10キロほどのウォーキングをすることにした。ダウンタウンまで今まで何度も歩いたことがあるが、地元の人も観光客も訪れる「パイクプレイス・マーケット」と呼ばれる市場を目的地にして、到着してからそこで軽食をとったりお茶を飲んだり、ぶらぶらお店を見たりして楽しむのがパターンであった。

目的地まで止まらずに歩いて1時間半くらいかかる本格的なウォーキングなので、私たちはいつもただ歩くための服装をした。夫はTシャツにショーツ、スニーカーという格好で、私も動きやすく汗をかいてもよいように、上は洗いざらしのTシャツにデニムの長袖シャツ、下はスエットパンツにスニーカー、腰にはウェストバッグを付け、手ぶらで歩けるようにした。そんな格好だったが、途中邪悪なエネルギーが漂う場所を通るといけないと思い、ルビーの指輪とあのラピスのネックレスだけはきちんと付けた。前にも言ったが、私は霊媒体質なので、変なものを拾いたくないのである。

さて、ダウンタウンに入り、目的地まであと2ブロックくらいに差しかかったところ、夫が後ろについて歩いている私の方を振り返り、いきなり「コンサートに行こうか」と言った。前方にベナロヤホールが見えていた。

「えっ?!!」私は耳を疑った。ベナロヤホールはニューヨークのカーネギーホールとまでは行かないが、クラシックミュージックの殿堂である。最近ではフジコ・ヘミングがそこで演奏をした。そんじょそこらの名も無いバンドが演奏するコンサートホールではないのだ。

呆然と立ち尽くしている私をよそに、夫はホールの前まで行ってスケジュールをチェックし、「あ~あと10分で始まる!」と言って、チケットを買いに急いでひとりで中へ入って行った。「ちょっ、ちょっと待った!冗談でしょう?パイクプレイスに行くんではなかったの?」

決めたら早い、夫はもうチケットを買っていた。「うそぉ、シアトル交響楽団?この格好で?!」すっとんきょうな声をあげた私に、夫はフンと鼻で笑い「Who cares (そんなこと誰も気にしないさ)!」と言って、チケットを受け取ると、さっさと廊下を歩き始めた。「ちょっ、ちょっと待って!私こんな格好でイヤ~!!」私はわめいたが、夫は皮肉な表情を浮かべて「But it’s NOT illegal (でも、違法ではない)」とのたまった。「い、いほうではないなんて、普通そんな考え方するか~!」

ホールへ急ぐ夫の後を追いかけながら、私は憤慨していた。普通女性だったらコンサートには、思い切りおしゃれをして行きたいと思うではないか。それも初めてのベナロヤホール。「黒かワインレッドのベルベットのドレスに真珠のイヤリングとネックレス、そしておしゃれなハイヒール。そうやって贅沢な気分でゆったりと音楽を楽しむ、それが普通でしょう。なのにTシャツにスニーカー!勘弁してよ!!」悪夢を見ているようで、頭がクラクラしてきた。

長い廊下を走らされて入口に到着すると、係員はニッコリと微笑んで私たちを迎え入れてくれた。「違法ではないから」という夫の言葉が頭に響いた。「違法ではないから係員も入場拒否はできないのか・・・、それとも私たちを飛び込みの観光客と思ったか・・・」そんなことを考えながら会場に滑り込むように入ると、すぐに後ろでドアが閉まった。私たちが最後の客であった。

既に席についている周りの人達の私たちに向ける視線が背中に顔に突き刺さり、私は恥ずかしくて屈辱を感じずにはいられなかった。場違いな所にいる、そう思うと体がこわばって自分が小さく感じた。すぐに演奏が始まったが、座っていても全然落ち着けず、首をすくめて周りを見回してみた。みんなとてもおしゃれな格好をして、リッチな感じがする。女性は黒やワインレッドのドレスにゴールドのアクセサリー、男性は素敵なスーツ姿、なのに私はTシャツにスエットパンツ。「なんで私はこんな格好でここにいなけりゃならないの!」

隣に座っている夫を見ると、彼はTシャツに半パン姿で足を開いて背もたれに寄りかかり、目を閉じてどっぷりと音楽に浸っているではないか。それを見て、はらわたが煮えくり返るような思いがした。私のエゴがわめいていた。「なんでこんな目に遭わせるの!!こんなのイヤーッひどすぎる!」

否定的な考えで頭がいっぱいになり、心地よいはずの音楽もただの雑音と化してしまった。そんな状態が40分ほど続いただろうか。すると突然、自分の右上の方で声がした。

「それは、そんなに重大なこと?そんなことより、もっと大切なことがあるじゃないか」

それは私のハイヤーセルフだったのだろうか。男性のような声でもあった。とても穏やかですべてを悟った声であった。その声に私はハッとした。そして、私の脳に直接入ってきたその言葉を、なぜだかわからないが心の中で繰り返していた。「もっと大切なこと・・・もっと大切なこと・・・」

そのとたん、ポンという音が聞こえ、何かがはじけたように、開いてすべてが見えた。

まるで目の前のフィルタが取れたように、一瞬のうちに、私はそれまで見ていたものとまるで違う世界にいた。そこにいる人々のおしゃれな服が透明になり、私はその下にあるものを見ていた。そう、みんな裸であった。考えてみれば、人は皆生まれてくるときは裸である。私たちは皆、本質的に同じなのだ。オーケストラは音楽を通して生命の喜びを表現し、観客はその喜びを受け取り、音という形で体験していた。それ以上のことでもなく、それ以下のことでもなく、ただそれだけのことであった。そして、私たちはこの空気、この空間、この時間、この音楽を共有していた。私たちはすべて同じ、同じでつながっているのだ。

そう思ったとたん、私は音楽とひとつになり、観客とひとつになっていた。同時に、私自身がコンサートホールいっぱいに広がって、溶けていった。ホールの壁にも天井にも床にも、私がいた。

すると、先ほどの怒りと不快感は一瞬のうちに消え去り、たとえようもない喜びと感謝で胸がいっぱいになっていた。そう、あの憎らしい夫にまで。隣に座っていた夫は、私に学ぶ機会をくれたのだ、私はこれを体験するために今日ここに来たのだ、そう思うと感謝の熱い思いがこみ上げてきた。

怒りでいっぱいの世界と喜びと感謝に満たされた世界。同じところから全く異なる現実が生まれる。私の周りは何ひとつ変化していない、ただ私の見方が変わっただけである。それはそこに薄いフィルターがあるかないかだけの違いであるのに、天国と地獄の差を創りあげてしまうのである。エゴというフィルターが創る現実。

ラピスの石は神につながる石。その石を身に付けると、根底から揺るがされる。エゴを捨てよ、本質を見ろ、というメッセージだったのだ。揺すられて心に覆いかぶさっているエゴの厚いほこりが振り落とされると、そこに真の心が現われる。それは神の意識へ通じる扉。首にぶらさがったラピスの石が、神の意識への扉を少し開けてくれたのだ。

2007年11月1日

死んだことを知らない人々(4)

夢の中で死んだ人に出会うという体験は、一定の期間に集中していた。それは「People Who Don’t Know They Are Dead (死んだことを知らない人々)」という本を読んでいる間に起こり、また体験の内容も、読んで知った内容とほぼ並行しているようであった。

今まで出会ったのは普通の人たちで、経験のほとんどない私が出会うにふさわしい人たちだったのかもしれない。しかし、世の中には色々な人がいて、中にはタチの悪いヤツもいる。さまよう魂の中には、怒りや悪意などのネガティブな感情を持ったものもいる。

次には、そのような魂に出会った。

私の寝室の窓の向こうは、少し離れて隣の家のバルコニーであるが、このバルコニーは迷惑の種であった。隣に住んでいる学生連中がパーティをして夜中に涼みがてらバルコニーに出て来ておしゃべりを始めると、バルコニーはうちの寝室の窓よりかなり低い位置にあるので、窓が閉まっていても音が上に上がってきて、まるで耳元で話されているようでうるさい。特に、去年までは夏になると幾度となくパーティが開かれ、その都度夫が苦情を言いに行っていた。しかし、夏が過ぎると新しい人たちが入り、パーティをしないのか、しても部屋の中で済ますのか、とにかく騒音問題は解決した。やっとこれからは静かに眠れる。

と思ったのもつかの間。ある雨降りの秋の日の午前2時ごろ、寝ていたら隣のバルコニーで材木をかなづちでトントン叩いて、大工仕事か何かをしている音が聞こえてきた。この音で、寝ているのに起きた状態になってしまった私の目に、精を出して作業をしている男性の姿が一瞬よぎった。「うるさいな」と思った瞬間、それが言葉になって出ていた。どうも、このモードに切り替わると、思ったことがすぐ実行されている。

「ちょっとあんた、何時だと思ってるの。今は夜中で、生きている人間が寝ている時間でしょ。静かにしてよ!!」
自分の口調に自分でも驚いた。いつもは穏やかな(?)私が怒っている。「え~?、こんな強い調子で言っていいのかな~」と、もうひとりの自分が面食らっていた。

すぐにかなづちの音が止まったかと思うと、ブーンと虫が飛ぶような音が聞こえてきて、次の瞬間、その魂は仰向けに寝ている私の左ひじの辺りに来た。窓は右側だが、一瞬のうちに入って来てそこにいたのだ。

その人は怒っていた。「うるさいのはお前だ!俺のやることに邪魔するな!」と。「人」といっても人の形はしておらず、怒ったエネルギーの塊であった。横から見ると平たいディスク状のもので、周りにまるでのこぎりのようなギザギザの歯が付いているように感じる。上から見ると台風や竜巻のような渦巻き状の形をしているようだ。それがブンブン言って、渦巻きながら私のひじの辺りに近づいてきた。

すべてのものは波動のエネルギーで構成され、固有の速さで振動している。人間も霊性が高くなると波動が高くなり、振動が細かくなるということをご存知の方も多いだろう。

しかし、この魂は怒りというネガティブなエネルギーに包まれていて、振動が低くて荒い。そのため、ブーンとにぶく荒い音が聞こえる。エネルギー自体強く、荒い丸のこぎりの様なものがひじの辺りに当たってくる感触であった。

直感的に、この渦巻きが腕を超えて腹部や胸部に至ると危ないと感じたので、私は慌ててガイドを呼んで、自分の周りにプロテクトする白い光をイメージしたら、相手はそれに押されたように、スッと退散した。

今まで出会った魂たちとは異なり、「触らぬ魂にたたりなし」という感じで、光に導くなど余計なことはしない方がよいタイプであったようだ。悪意を持っているとまではいかなかったが、ネガティブなエネルギーであった。そういうのには気をつけた方がよい。よい勉強になった。

これで、集中的な体験はひとまず終わった。しかし、これは実はある出来事の予行演習みたいなものであったと、後になって知ることになる。それについては、もっと後でお話しすることにしよう。次は全く違う話題に変えようと思う。

おわり

2007年10月31日

死んだことを知らない人々(3)

マコト君の次は、沖縄で戦死した女性だった。この女性が現われたのは、私が11月に日本へ帰郷することになっており、その際に一緒に沖縄旅行をしないかと両親から誘われていた、ちょうどそのときであった。

11月のシアトルは、一日中低くどんよりとした灰色の雲がかかっていて、朝からすでに夕方のような暗さの毎日。それがそのまま明るくならず夕方になって、そして夜がやってくる。しかも小雨が降っていて日中でも5~6度の気温。それに比べ、沖縄は常夏の島。エメラルドグリーンの海に白い砂浜が待っている。まぶしい太陽の光を浴びて半袖で歩けるなんて夢みたい。費用は両親が負担してくれるというので、ラッキーとばかりにこの話に飛びついた。

が、「沖縄」と考えたときに、多くの人が戦争の犠牲になった場所であることを思い出した。私は霊媒体質なので、たくさんの人が亡くなっている場所へはあまり行きたくない。

そんなことを思ったからであろうか。その夜の夢で突然モードが切り替わり、戦火の中で倒れ込んでもだえ苦しむ30代の女性が現われた。紺色のもんぺのようなものを着ていて、汗と汚れにまみれた顔は火にあおられて赤くなり、迫り来る炎の中で動きがとれず、次第に弱って焼け死んでいく女性。苦しくて苦しくて、手を伸ばして助けを求めている。

粘着性のあるものがしがみついてくるという感じで、とても気持ちが悪くなる光景である。こちらもその場にいる様に苦しみが伝わってきて、炎の熱さを肌で感じる。逃げ出したい気持ちだったが、私は踏ん張ってこう言っていた。
「大丈夫ですよ、大丈夫、今に楽になるから、楽になるから。周りを見回して下さい。誰が迎えに来ていますか?・・・楽になりますよ、光の方へ進めますよ。誰か見えますか?」

女性は、この間も息ができずあえぎ苦しんでいたが、次の瞬間、パッと顔が明るくなった。先に亡くなったのだろうか、軍服を着た夫が迎えに来ていた。その夫を見た瞬間、彼女は大きな安堵感に包まれ、夫の腕の中に倒れ込んだ。ここでやっと苦しみから解放された。先ほどまでもだえ苦しんでいた顔が、一瞬のうちに安らかになった。救われたのだ。

私のこの体験は去年のことであったが、戦後60年以上たったそのときまで、この女性はずっとその時間と空間に閉じ込められたいたのだ。そんな長い間炎の中で苦しみ続けたとは、ほんとうに気の毒なことである。

「よかったですね。苦しみのない世界で、これからはご主人と楽しんでください」目が覚めたとき、私はそう心の中でつぶやいていた。

2007年10月30日

死んだことを知らない人々(2)

マコト君は突然現われた。寝ている私の服を触ったりしてゴソゴソしている人の気配に気づいた私の口からは(物理的な口を使わず、思うことで会話をする)、この質問が飛び出していた。
“Who are you? What’s your name?(あなたは誰ですか、名前は?)”

「ミ・タ・カ・マ・コ・ト」
白っぽいもやがかかった空間の中で、薄いカーテンを隔てた向こう側から聞こえてくるような抑揚のない単調な6つの音を拾い取って、これは日本人の名前だなと私は考えた。次の瞬間、若い男の子だとわかった。好奇心旺盛な十代後半といったところだろうか。顔は見えないが、白いシャツに黒っぽい皮のシャンパーを着ている。

「自分が死んだこと知ってる?」
例によって、私はいきなりまたこの質問をしていた。今度は日本語で・・・。

そう聞かれると、彼はびっくりして体をすくめて後ろへ飛びのいた。「死んだ」という言葉が明らかにショックだったようであわて始めたので、私は彼を安心させようと、こう言った。
「大丈夫、大丈夫、落ち着いて。周りを見てごらん。光が差しているところが見えるかな?そっちの方を見てみて。」
彼は、不安そうにおびえて周りを見ているようだ。
「君を迎えに来てくれている人がいるはずだから。必ず誰か迎えに来てくれているから。誰かいるか見える?よ~く見てみて」

すると、しばらくして彼が小さな声で言った。
「あっ見える、向こうに誰かいる・・・」
「じゃあ、その人をよく見てみて。何が見える?その人の方へ行けるかな?」
私にも、遠くに白いもやもやとした光が差しているのが見えた。
「・・・・う~ん・・・何か自転車に乗った人が見えてきた・・・・・あっ!友達!!!」
と叫ぶやいなや、彼は大喜びで一目散にその友達の所へ飛んで行ってしまった。「ありがとう」も言わずに。お礼も言わずに行ってしまうなんて、何とも若い人らしい。

彼はバイクか何かに乗っていたところ、交通事故に遭って即死したようである。特に即死した人は瞬間に魂が体から離れてしまうが、意識は体の中にあったときと同じなので、死んだということに気づかないことが多いという。その事故が起こったのは、まだ最近のことなのだろうか。彼には、先回出会った人のような暗さはなく、色々さまよって遊んでいたような感じが伝わってきた。

「People Who Don’t Know They Are Dead (死んだことを知らない人々)」という本によると、死んだとき、通常誰かが迎えに来るという。既に亡くなっている親や兄弟、親戚、友達、ガイドなど、特に自分と強い関係にあった魂が迎えに来るはずだという。また、見回しても何も見えないときは、既に亡くなっている人で自分が会いたいと思う人を心に描いて、その人を呼んでみるとよいともあった。今回実際にやってみたら、本当に本に書いてあった通りになったので、自分でもびっくりした。

そして、私は、彼が光の元へ行けたという嬉しさと暖かい気持ちですっきり目が覚め、この日は一日中気持ちがよかった。それにしても、友達を見たときの彼の嬉しそうな様子。死んだ人も生きている人も同じなんだなぁとしみじみ思った。

よかったね、マコト君!

2007年10月28日

死んだことを知らない人々(1)

家々の戸口や窓のサンに明るいオレンジ色のパンプキンが並び、あと数日でハロウィーン。
10月31日のハロウィーンは、古代ケルト人にとって新年の冬の季節の始まりを祝うときで、この時期には、この世と霊界との間の境界が最も薄くなるときと信じられていたそうだ。

ハロウィーンにちなんで、私の霊体験を4回に分けてお話しよう。

あるとき、夢の中で急にプツっとモードが切り替わり (ちょうどテレビのチャンネルが変わるように)、薄暗い中で、隅っこの柱の前にひとりのアメリカ人の白人男性が、元気のない様子で首をうなだれて立っていた。

このとき私は夢を見ているというよりも、夢の中にいたという方が正しいだろう。というのは、起きているときと同じような感覚で自分が状況をコントロールできる立場にいたからである。ただ興味深いことに、起きているときだったら怖気づいてしまう状況でも、夢の中に入り込んでいるときには、恐怖心がなく大胆に行動をしている自分がいた。

このときもそうであった。私はこの男性にすぐに声をかけていた、それも英語で。
"Hello!"
すると、この男性は、私が彼に気づいたことに一瞬驚いたようで、その後パッと明るい表情になり、嬉しそうに近寄ってきて元気よく握手をした。背が高くてなかなかハンサムな人である。何かにとても喜んでいるようで、興奮気味であった。

さて、私は、実はあるときを境にこの手の夢を見るようになった。
それは、「People Who Don’t Know They Are Dead (死んだことを知らない人々)」という本を読み始めた頃に一致する。この本とは不思議な縁でつながっていたようで、それについては後日触れる。

この本を読んで知ったことは、死んだことを知らずにある一定の時間と空間に閉じ込められている魂がいるということだ。そういう魂はできる人が声をかけてあげて、成仏させてあげる必要があるという。そのようなことを読んだ矢先に、この男性が夢に現われたのである。

私は、あたかも実践トレーニング第一目のごとく、「習ったせりふ」で彼に元気よく声をかけていた。
”Do you know that you are dead? (あなた、死んだってこと知ってます?)”
彼は声は出さなかったが、私には彼の考えていることが伝わってきた。彼は、周りの人が素通りして彼の存在に気づかないことに落ち込んでいた。どうしても気づいてもらえないので、半ばあきらめたようにじっと暗く隅っこで立っていたのである。彼自身、どうしてよいかわからないようだった。

気の毒なことである。一瞬のうちに透明人間になってしまって、どんなに叫んでみても、前に立ちはだかっても、誰も気づいてくれない。そういう世界に滑り込んだらどんな気持ちになるだろう。きっと、私も彼のように落ち込んでしまうだろうと思う。だから、彼は話しかけられて、興奮して近寄ってきたのだろう。

"Do you know that you are dead?"
それに対して彼はYesともNoとも言わなかったが、黙ってお腹にナイフが突き刺さるジェスチャーをした。それは、私が住んでいる近所で起こったということだ。刺殺されたみたいである。

“You need to go to the light. (光の方へ行かなきゃ)” と私は言っていた。
それは読んだ本に書いてあったことだ。閉じ込められた魂が開放されるためには、光の方向へ進んで行かなければならない。

しかし、これは私にとって初めてのことだったので、やり方がまずかったのか、彼の反応はなく、それで夢が終わってしまった。

彼は一体どうなったのだろう。ハンサムでさわやかな感じの人だったので、その後どうなったのか少し気になる。私の力不足なのか・・・。しかし、私のこの体験はこれで終わりではなかった。

「習うより慣れよ」、「数打ちゃ当たる」はあちらの世界でも通用するのだろうか。死んだことを知らない二番目の人に、それから数日と経たないうちに出会うことになる。

つづく