2008年9月30日

3回目の水星の逆行

今年の1月末の日記に、水星の逆行のことを書いた(http://hoshinoto.blogspot.com/2008/01/blog-post_28.html)。

それが2008年の第1回目の逆行。第2回目は5月から6月にかけてあり、第3回目は先週9月24日に始まった。終わるのは10月15日である。

水星が逆行するときは、コミュニケーションや交通、それに関連した通信機器などに乱れが生じるときであるという。先日、日本では東北新幹線で信号トラブルによる運転見合わせがあり、アメリカではスペースシャトルの打ち上げが延期されたのは、逆行の影響かもしれない。

また、過去に解決されていないことが別の形で浮上したりして、もう一度見つめ直さなければならない状況になる場合もある。逆行には過去のことが関係するようで、古い友達やずいぶん長い間会っていなかった人にばったり会ったりすることもある。

この期間は物事がスイスイとうまく進むときではないため、新しいことを始めるのは控え、きちんと終わっていないことを完結させるようにする方がよいらしい。麻生新内閣は、まさに逆行が始まったときに発足した。中山氏の辞任でいきなりつまづいたのも、逆行に関係するのだろうか。国民の支持率もあまりよくない新内閣、これからどうなるのだろう。

逆行の期間は、エネルギーが内向きになるときなので新しいことを進めるのではなく、「きちんと終わっていないもの」を片付けるときであり、スローダウンして内省するときである。内省することにより見えてきたことを基に、転換して行くチャンスのときでもある。

昨日、夫が瞑想のクラスに行った。こっそりと申し込みをしていたみたいで、ずっとバタバタ忙しく外を飛び回っていた彼が、急に瞑想のクラスへ行くと決めたことに私は驚いた。以前に座禅を少ししていたが、再開するのは何年ぶりだろうか。

クラスから帰ってきた夫が言ったことには、もっと驚いた。そのクラスの先生はもう20年も教えているが、昨日のクラスが今までの中でまれに見るほどの人数だったそうである。収容人数80人ほどの部屋に、普段は20~30人ほどだっただろう。それが、昨日は90人くらい来たそうだ。

先生は、「きっと瞑想をして内省し、金融危機を乗り越えようとここに集まったのかも」と冗談を言ったそうだが、水星が逆行中で新月の日の昨日は、瞑想を始めるにはパーフェクトなタイミングと言えるだろう。

変化が激しい昨今、意識をつなげて自分の軸を強化させるためにも、この時期に瞑想に力を入れてみるのもよいかもしれない。

加速する船

9月18日に見た3つめの夢。

「人を乗せた背の高い大きな船が、大きな川を緩やかに進んでいく。私もその船に乗っており、ゆったりとした航行を楽しんでいる。

すると突然、船がスピードを上げて暴走し始めた。カヌーやカヤックに乗った人が突然目の前に現われるが、猛スピードで走る船はそれをよけることはできず、カヌーとカヤックにぶち当たって乗っている人たちをひき殺してしまう。

はるか上のデッキから見た恐ろしい光景。しかし、船はあまりにも大きいため、衝突したときのインパクト自体は小さく、乗船している人は気にもとめない。

私も、人の命が一瞬のうちに奪われたことの恐ろしさを感じる前に、それがあまりにも速いスピードで起こり、船はそのままものすごい勢いで進んで行き、川の両側の景色が次々と変わって行くため、気にする余裕もないというのが正直なところである」


これが、朝方に見た3つの夢のうちの最後の夢だった。起きて朝刊を見ると、「ワシントンミューチュアル(銀行)売却先を検討」という字が目に飛び込んできた。私の取引先の銀行である。しかし、私の中のある部分は既に知っていたかのように、なぜか全く動揺しなかった。

リーマンブラザーズの破綻に始まり、バンク・オブ・アメリカによるメリルリンチの買収が続く中、次はワシントンミューチュアルかと、パニックに陥った人々が預金を解約しに殺到した結果、キャッシュフローの問題が生じて、ついにワシントンミューチュアルも破綻。結局、JPモルガンが買収するに至ったが、9月15日の満月の日を境に、雪崩のようにこの一連の出来事が起こった。

この夢で、私は船の上にいた。英語に「We are in the same boat」という表現があり、これは「同じ境遇にある、運命を共にする」という意味である。船は、地球という運命共同体を象徴していたのだろうか。

今年に入って、さまざまな事が今までにないレベルで急激に変化している。特に夏以降激しくなっている。私たちが気づこうと気づくまいと、変化は着々と進んでいる。それを感じ取っている人も多いだろう。これからは、柔軟に速いスピードで意識を転換していかないと、ついて行けなくなるかもしれない。

ワシントンミューチュアルに個人年金口座を持っている私は、実は、既に3ヶ月ほど前に来るべき危機を感じ取っていて、資金を動かそうかと不安になったことがあった。そのとき、頭の中に入ってきた言葉が「不増不減」だった。般若心経にあるこの言葉。

さまざまな事が起こっていても、結局、全体としては増えることもなく減ることもないという意味の言葉。この言葉に、フッと心が楽になった。

顕在意識では不安や恐怖に揺れる自分の姿があったが、それを超えて最も高い視点から見た場合、不動の自分があった。損をしないようにしないようにとハラハラして、しがみついたりこだわったりする分だけ、苦しみも多くなるように思う。

私にとって、この「不増不減」という言葉は、自分の軸をしっかり固定させる上で役立った。

意識を転換するコツは、出来事に過剰に反応して恐怖心でグラグラ揺れることではなく、むしろ平常心を保ち、変化が来た時に古い考えを捨てて頭を切り替え、しっかり前を見据えて新しい波に乗っていくことであるのだろう。

2008年9月21日

イソップ風(ふう)夢物語

先日、3つ見た夢のひとつを日記に書いたが、今日は2つめの夢について。ユニークな「材料」で作られたこの夢は笑える内容だが、そのメッセージ性は興味深かった。

夢:
「10年前に夫と私が旅行しているときのこと。使わなかったティーバッグがいくつか出てきて、荷物の整理をする時に邪魔になったので、処分したかった。ところがティーバッグは一箱になるほど数がなかったので、私たちは悪知恵を働かせ、真ん中あたりにインスタントの味噌汁やふりかけの袋を忍ばせて、空いているスペースを埋めた。そして、その箱をインド人が経営する店に売った。何も知らないインド人の経営者は、それを快く買ってくれた。

10年後、私たちは旅行することになり、たまたま同じ地を訪ねた。いくつか必要なものがあったので店に立ち寄り、そのときについでにティーバッグも一箱買った。

その箱の右端に袋の取り出し口があり、そこから毎朝一袋ずつ出してお茶を作って飲んでいた。数日後、次の袋を取り出そうとすると、インスタントの味噌汁の袋が出てきた。『あれ?』と思い、箱のふたを開けて調べてみると、味噌汁のほかに、ふりかけの袋もいくつか出てきた。

『なんだこれ!』と腹を立てたそのとき、ふと気づいた。

それは、かつて自分がごまかして売ったものであった」

動物を使ったらイソップ物語にでもなりそうなこの夢。折しも日本では不正米の転売、中国では粉ミルク汚染の問題で揺れている。昨年あたりから食品の偽装事件が後を絶たないが、こういうものは、もう芋ずる式にどんどん出てくる。

ごまかしたり、だますようなことをすると自分に返ってくる。とても単純なことなのに、欲が出たばかりに間違いを犯す。

社会で起こっていることは個人にも当てはまる。個人で起こるから社会でも起こる。作用と反作用、裏と表。

うそやごまかしは、程度の差こそあれ、誰でもあると思う。誰でも陥る落とし穴。事件を起こした会社だけを責めるのではなく、これを教訓に、自分の行いや判断を見つめ直すときかもしれないと、この夢を見た後で思った。

2008年9月19日

芯を突いた夢

今朝方、3つ夢を見た。その中のひとつはこんな夢だった。

「ある少女は、自分が周りの人と違っていることが嫌で、他の人のようになりたくてもなれないことに落ち込んでいた。自分は劣っていて価値がないと思い、自分のことが嫌いだった。そんな自分は人からも嫌われていると考え、人を恨んでいる。そのため暗い性格になり、社会に対しても反感を持っていた。

そこへ賢者の声がして、彼女にこうアドバイスをした。
『あなたはユニークな存在で、他と違うのは当たり前。一人一人が違っているのが自然なのです。違っていることは素晴らしいこと。それは、あなただけが持っているものなのですよ。そのことに気づいて自分に自信を持って、自分を好きになりなさい』

その声に、彼女はハッとした。嫌いという気持ちが先行して、落ち着いて考えたこともなかった。自分をもう一度よく見つめ直してみると、思っていたほどのことでもないではないか。そんな彼女は、やがて自分を認めて自分のことを好きになった。

ふと気づくと、いつの間にか人に好かれる存在になっていた。

それは、自分を好きであることが鏡映しになっているのである」

単純なことだが、芯を突いた夢だった。

2008年9月17日

真実をついた夢

今朝方、3つ夢を見た。その中のひとつはこんな夢だった。

「ある少女は、自分が周りの人と違っていることが嫌で、他の人のようになりたくてもなれないことに落ち込んでいた。自分は劣っていて価値がないと思い、自分のことが嫌いだった。そんな自分は人からも嫌われていると考え、人を恨んでいる。そのため暗い性格になり、社会に対しても反感を持っていた。

そこへ賢者の声がして、彼女にこうアドバイスをした。
『あなたはユニークな存在で、他と違うのは当たり前。一人一人が違っているのが自然なのです。違っていることは素晴らしいこと。それは、あなただけが持っているものなのですよ。そのことに気づいて自分に自信を持って、自分を好きになりなさい』

その声に、彼女はハッとした。嫌いという気持ちが先行して、落ち着いて考えたこともなかった。自分をもう一度よく見つめ直してみると、思っていたほどのことでもないではないか。そんな彼女は、やがて自分を認めて自分のことを好きになった。

ふと気づくと、いつの間にか人に好かれる存在になっていた。

それは、自分を好きであることが鏡映しになっているのである」

単純なことだが、真実をついた夢だった。

分かち合いの味



「うわあ、甘~い!」
熟した果実がプチュッとつぶれて、トロ~ッとした甘さが口の中いっぱいに広がる。

昨日、Kさんのお宅にお邪魔した。月一回、何人かで集まって霊気をし、その後、持ち寄ったお昼を食べて、おしゃべりをしたりして楽しい一時を過ごす。

Kさんは手作りの達人で、食べるものに関してもこまめに何でも作っていらっしゃり、いつも感心するのであるが、昨日はイタリアンプラムのジャムをご賞味に預かった。

イタリアンプラムは今が旬。お宅には広い庭があり、そこには大きなプラムの木がある。5メートルくらいあるだろうか。見上げると、上の方には熟れた果実がたわわに実っている。

「とりましょうか」と言って、Kさんはおもむろに庭へ出て行き、私はすぐに後を追った。生っているものを取るのは昔から大好きで、本能的に動いてしまう。

「こうやって取るのよ」と木の下に立って、Kさんはニコニコしながら幹をつかんで「ちょーだい、ちょーだい、ちょーだい」と呪文を唱えるように言って揺すった。すると、バラバラと空から甘い果実が降ってきて、地面に落ちてあちこちに転がった。

「うわあ~!」
歓声が上がった。

私はKさんと一緒に、ワクワクしながらかがみこんで夢中で拾った。後ろで見ていた他の方も、「あっあそこにもある、そこにも」と教えてくれ、取る人も見ている人も興奮していた。

もうみんな童心に返っていた。山菜取りでも芋堀りでもそうだが、取る人の顔は輝き、子供のときのようにはしゃいでしまう。

2回に分けて数回揺すっただけなのに、盆ざるが一杯になった。毎年、何もしなくても食べきれないほどのプラムが生るそうである。

Kさんは、「全部どうぞ」と言って盆ざるに山盛りになったプラムを私たちにくれ、みんなで味見をして、それから自分が欲しい分だけを取って分けた。欲張りな人は誰もいず、最後となった私が一番多くなってしまったのではないかと恐縮してしまった。一連のことがすべてごく当然のように自然な形で流れて、とても調和の取れた一時となった。

そこには分かち合いがあり、笑顔があり、驚嘆と感謝の気持ちがあり、ほのぼのとした温かさがあった。与えられた恵みを、みんなで分かち合う。

単純なことなのに、小さなことなのに、こんなに満ち足りて幸せに感じるのはなぜだろう。

人に取られるかもしれないと恐怖に駆られて、あわてて木を揺すって独り占めして食べたら、おそらくこんな気持ちにはならないだろう。しかも、そんなことをしたら、結局は必ず食べきれない分が出てきて、それは腐ってしまう。

足らない、もっともっと欲しいという考えから出来上がった上下の階級の中で奪い合い、弱者が蹴落とされ、持つ者と持たざる者の格差が広がる社会はもう終わりにしたい。

本当は十分にあるのに、なぜ独り占めしようとするのだろう。

一人一人が持っているものを差し出し、みんなで分かち合えば、たちまち全体が満たされる。それは物質に限らず、才能、知識、労力など、すべてのことにおいてである。

分かち合うことができるとき、人は信頼と助け合いの精神に生きることができる。分かち合うとき、笑顔と感謝の気持ちにあふれ、ほのぼのとした温かさと幸福感に包まれる。それは横に広がる力であり、そこには平和がある。

口の中に甘くトロ~ッと広がったプラムは、そんな平和の味がした。

2008年9月15日

月の光を浴びて


太古の昔から綿々と流れる時の中で
変わりなく輝く月

人が月に寄せる想いは宇宙へと広がる

時を超えて、私たちを静かに見守る月

十五夜の今宵
月の光を浴びて
これまでに生きた数知れぬ過去においても
同じように見上げていた自分の姿に想いを馳せる


(写真:自宅のバルコニーから見た月、どうしてもクレーンが入ってしまう)

2008年9月13日

不自然な山






「山全体がゴルフ場みたいなもんだな」
ゴンドラリフトから周りの山を見回しながら、夫がボソッと言った。

先週、夫と二人で始めてカナダのウィスラーへ行った。ウィスラーと言えば、北米最大規模のスキー場として有名である。リゾート施設が充実しており、夏はハイキングやマウンテンバイク、ゴルフを楽しむ人たちで賑わう。

スキー場として開発されたウィスラーは、ブリティッシュコロンビア州の大自然に囲まれた、とても美しい場所にある。しかし、ここは、私たちが今まで訪れた山とは違っていた。ロマンチックな白銀の世界をかもし出す雪がない夏山は、本当の姿がくっきりと浮かび上がる「裸」の状態であった。

山のあちこちに、バリカンで刈られたような筋が走っている。それもそのはず、200以上のコースがあるそうだ。

マウンテンバイクでは1200メートルの標高差を楽しめるとあって、チャレンジ精神旺盛な若者が集まっていた。特に、グラディエーター(古代ローマの剣闘士)のような鎧風のガードを着けた男性が目立った。そのグラディエーターたちは、リフトに自転車を乗せて山の上まで上がり、レベル別になったコースを一気に駆け下りる。

リフトは全部で38基あり、夏はその一部が稼動している。私たちはハイキングをするために、まずリフトで標高1850メートルの所まで行くことにした。

長い長いゴンドラリフトが上へ上へと引っ張っていき、下界がグングン小さくなっていく。と同時に、周辺の様子が次第にはっきりしてくる。

ウィスラーマウンテンを取り囲むように青く連なる山並みの景観は雄大で、光と雲の織りなす表情が刻々と変わってゆく。神秘的なその様子に、畏敬の念が沸き起こった。

近くに目を落としてみると、ウィスラーマウンテンがそれとは対照的な姿を見せている。夫が「山全体がゴルフ場みたい」と言ったように、ウィスラーは山の上から下まで、ことごとく人間の手が入っていると言えるだろう。窓から真下を見ると、そこらじゅうでグラディエーターたちが駆け回っていた。「こんなんじゃ、クマは睡眠不足になってしまうなあ」

ハイキングを開始して5分とたたないうちに、頭上で掘削機がゴンゴンゴン!と大きな音を立て始めた。ウィスラーは2010年オリンピックのスキー会場に選ばれたため、現在、これに備えて整備・拡張・新設工事が至るところで行われている。

その一環として、2つの山頂を結ぶ世界最長4.4キロの水平型懸垂リフトの建設が進められており、今年の冬までに完成する予定である。ハイキングに欠かせないクマベルは、どうやらここでは必要ないようである。

確かに今までのハイキングとは違っていた。途中で目の前に現れた湖の水は、鏡のように美しかったが、そこから少し離れた所には、雪を作るための人工湖もあり、底には黒いビニールと、周りには動物よけの電線の柵が張られてあった。高山植物がいっぱいの草原の向こうには、リフトの鉄塔が高くそびえていた。

かつては、遠くに見える雄大な山々のように美しかったこの山は、スキー場開発で掘られたり、削られたり、穴を開けられたりし、夏の乾いた土の中には、毎日無数の自転車のタイヤが食い込む。

この山では、自然が創りあげたものと人間が創りあげたものが隣り合わせになっている。不自然になってしまった自然の山。人間が楽しめれば、それでよいのだろうか。

案内所でもらったパンフレットには、「ウィスラーは一位の座に甘んじることなく、さらなる革新を続けていきます」とあった。さらなる革新とは、さらなる開発のこと。

そんな山が、私に送ってきた言葉は「蛮行」であった。悲しい言葉である。随分と痛めつけられているのだなあと思うと、複雑な気持ちになった。山は泣いているのだろうか。人間を嫌っているのだろうか。

ハイキングの後、さらに上へ上がるため、高速チェアーリフトに乗って辺りを眺めながら、そんなことを考えていると、山頂間近で、すり鉢状になって雪が溜まっている所の上にさしかかった。そこは、先シーズンの終わりから人間が足を踏み入れていない場所であった。

雪の上へ出た途端、周りの音もリフトの震度も全くなくなり、深い瞑想状態に入ったような「無」の空間へ滑り込んだ。リフトは動いているのに、全てが静止しているようで、2つの異なる次元が重なった。その空間は、何もないのに全てがあるように満たされていて、完全な静寂の中で細かく振動していた。

それが迫ってきたと感じた瞬間に、私はその中に溶け込んで広がって行き、限りない優しさに抱かれた。完全に満たしてしまう何か。それを無条件の愛のエネルギーというのであろうか。圧倒されるようでいて心地よいエネルギー。急に心が震え、涙が溢れ出た。

人間の蛮行で傷つけられた山は、それでも私たちを優しく包んでくれていた。なんということであろう!

技術を駆使したリフトに乗って、毎日大勢の人が標高2160メートルの山頂に達する。しかし、人間が作ったその高速リフトのお陰で、私たちがこうやって簡単に山頂に到達できるということは事実であり、人はそこで景観を一望し、自然の美しさ、雄大さ、力強さに感動する。

もともとこの地には、先住民のスコーミッシュ族とリルワット族が住んでいた。山頂で雄大な景色を前に、私の心には、自然と調和の中で生きるすべを知っている先住民の言葉が響いてきた。

「常に七代先の子孫のことを考えて生きよ」

200年先でも300年先でも、子孫が今と同じ環境の中で生きられるよう、未来に限りない責任を持って判断し行動することの大切さを教えているのである。

はるか下にウィスラーの街が見える。2年後の冬季オリンピックには、この地はさらに人であふれかえるだろう。

自然と人間の関係は、どこで折り合いをつければよいのであろうか。私は複雑な思いを胸に、頂上でこう祈らずにはいられなかった。

「私たち人間が足ることを知り、自然の一部として調和の中で生きられますように」


写真1:鏡のような湖面
写真2:周辺の山々
写真3:ウィスラービレッジを見下ろす

2008年9月8日

野菜天国




<写真1>(左上から右へ)
・ピクルスキュウリ: 小さいが、みずみずしくて美味しい。
・レインボーチャード: 茎が鮮やかな蛍光ピンク、イエロー、オレンジ。炒めると美味しい。
・ ズッキーニ (グリーンとイエロー): グリーンの方は、とり忘れると直径10センチ、長さ40センチほどの巨大ズッキーニになってしまう。
・ニンジン: 黄色いのは「イエローストーン」という品種。間引きのものなので小さいが、普通に成長したものは、この3倍くらいの大きさになる。
・サボイキャベツ: 肉厚で葉の表面がちりめん状。スープなど煮込む料理に最適。

(左下から右へ)
・ロマノビーンズ: 25センチくらいの大きさになるが、やわらかくて美味しい。
・ワックスビーンズ: 緑黄色野菜に混ぜると彩りがきれい。
・パープルトップ ターニップ: その名のとおり、上部が紫色のカブ。スープに入れると美味しい。
・ワラワラ スイートオニオン: ワシントン州ワラワラ市の特産品。水分が多く、柔らかくて甘い。
・レッドオニオン: サラダに向いている。
・グリーンビーンズ: おなじみのインゲン。

<写真2>
ジャガイモ (ユーコンゴールドポテト)、ミニトマト、しそ。ミニトマトは、このオレンジ色の種類のものが一番甘い。

<写真3>
野菜の種(左から)
ズッキーニ、ロマノビーンズ、ワックスビーンズ(黄色だが種は黒!)、グリーンビーンズ、ニンジン、パープルトップ ターニップ、チャード。


野菜天国

収穫のときがきた

太い茎から斜めに力強く延びるズッキーニ
葉に隠れるようにして、たわわにぶら下がっているインゲン
黒い土の中から勢いよく伸びる鮮やかなチャードの茎

畑の元気な野菜たち

自然の力に驚嘆する

なんて美しい形なのだろう
なんて美しい色なのだろう

自然が創った完全なる最高傑作

その いのち の始まりである種も
ひとつひとつがユニークで
大きさ、形、色さまざま

この白い楕円形の種一粒からは、30本以上のズッキーニが育つ
このわずか1ミリの種からは、直径10センチのカブが育つ

自然の力に驚嘆する

なんて力強いのだろう
なんて神秘的なのだろう

畑の元気な野菜たち

ありのままで、そのままで完全
ありのままが、そのままが美しい

大地よ 水よ 光よ 風よ
神よ 宇宙よ
大いなる循環の中で光輝くいのち

野菜天国は
自然の恵み、大地の恵み
豊かな恵みにあふれる

そのあふれるほどの豊かさを
分かち合い、感謝しあう

大地よ 水よ 光よ 風よ
神よ 宇宙よ
ありがとう