2009年4月29日

いのち芽吹く春

今年シアトルでは3月になっても寒い日が続いていたため、梅と桜がほとんど同時に咲いていた。4月上旬に撮った桜の写真からご覧下さい。

ワシントン大学の桜





ワシントン大学前の並木道は萌黄色のアーチ


+ + + +


朝起きてバルコニーに出て、神々様、地球霊王様、守り導いてくださっている方々に朝のご挨拶をする。一礼をして顔を上げてみると、昨夜雨が降ったせいか、目の前の木々が昨日とは全く違った様子で光り輝いていた。

この日はアースデーだった。呼び込まれるかのように、近くの公園へ足が向いた。

晴天の下、公園には自然のいのちが光り輝いていた。


芝生の中で寄り添って咲いているちっちゃなちっちゃな花。なのに、なんて精妙なのだろう。その完璧さに驚嘆する。そう、いのちあるものすべてが完璧。


巨大なツクシ

こちらはもっと長い。50センチはあるだろうか。


スカンク・キャベッジ。アメリカ北西部でしか見られない。「スカンク」という名からもわかるように、悪臭を放つ。それでもクマが好んで食べるらしい。


可憐にひっそりと咲いていた花


光のシャワーを浴びて踊っているよう


ワラビを見ると思い出す子供の頃。そういえば、春になると、毎日のように近くの山へ行ってワラビ採りをしていたなあ。


このせせらぎのように、清く澄んだ心で自然の流れに身を任せ
しっかりと根を張って、生きてゆく



「私に意識を向けてくれてありがとう。この日だけでなく、あなたがたの中で毎日がアースディであって欲しい」
地球がそう呼びかけているように感じられた。

「私のことを忘れないでくださいね」(忘れな草)



風の精、水の精、光の精、木の精、土の精・・・みんなみんなありがとう。

土の中から いのちが芽吹く春

2009年4月28日

平和なトイレ


真実は実に単純なことである。

この簡易トイレが、ある深い真実を教えてくれた。

写真をご覧になるとおわかりのように、このトイレは歩道の脇に設置してある。トイレの後ろ側(写真の右側)は坂になっており、降りた所に200ほどの区画があるコミュニティガーデンがあり、その一区画を借りて、私は毎年野菜を作っている。

この区画と同じくらいの数の人たちが、思い思いに自分の区画で野菜やハーブ、花を作っており、各自が自分の区画を管理しているが、全体としてコミュニティになっているため、役割や共同の作業があったり、共用するものもたくさんある。

4月半ばになって、また今年も畑のシーズンが始まった。シーズンは4月から10月半ばまで。シーズン中に使う簡易トイレを、毎年みんなでお金を出し合ってリースで借りる。

私はここで畑を始めて今年で10年になるが、簡易トイレを置くようになったのは、数年ほど前からのことである。長時間作業をしていると、トイレは絶対必要になるため、大助かりである。

この簡易トイレ、実は3年前からやっと平和になったが、それまでは激しい戦いがあった。いや、順番を争ったという話ではない。

コミュニティガーデンのメンバーが使用するために、お金を出し合って調達したものだから、当然メンバーだけが使える。多分、リーダーはそう考えたのだろう。シーズンも半ばになったある日、数字を合わさないと開かないダイヤル式の鍵がトイレに付けられ、メンバーに暗証番号が告げられた。いちいち番号を合わさないと開けられないため面倒であるが、コミュニティガーデンのルールとなったので仕方ない。

それから数週間後、畑に行ってみると、トイレが逆さまになって崖の途中に引っかかっていた。「うわ~ひどい、誰がこんなことを!」

ドアは閉まったままだが、タンクの中身のことを考えると、中の様子は想像するだけで恐ろしい。こんな重いものを誰が突き落としたのだろう。

「高校生のいたずらじゃないか」と夫は言った。コミュニティガーデンの隣には高校がある。「そんなことするのは若者に決まっているさ」

業者に来てもらい、新しいトイレを置き直した。もちろん、今度も同じように鍵を付けた。すると、数日と経たないうちに、また突き落とされた。同じ人のいたずら?

結局犯人はわからないまま、その年トイレ事件は未解決に終わった。

翌年、リーダーは知恵を絞り、今度は地面に板を張って、鍵を付けたトイレをその上に置き、太さが2センチほどのリングチェーンで固定した。これなら、どんなに押しても突き落とすことはできないはず。これで絶対大丈夫。多分、リーダーはそう考えたのだろう。

茶色い大きなリングチェーンは囚人の足かせを思い起こさせ、見るからに重々しい。ダイヤル式の鍵にチェーン。ずいぶん仰々しいトイレになってしまった。これもすべて「守るため」。一体何を守るのか。

ところが、後日そこへ行って愕然とした。またもや、トイレは無残にひっくり返っていた。台になった板の上で、チェーンはブチンとリングの真ん中で見事に切断されていた。2センチもある分厚いチェーンが!

これを切るのに、どんな道具を使ったのだろうか。そんじょそこらの道具ではできないはず。これはもう、ただのいたずらではなかった。わざわざ道具を取りに行き、人気のない夜を見計らってここへ戻って来て、チェーンを切ってトイレを押し倒す。それに要した時間と労力を考えると、このチェーンを切った者の怒りは相当なものである。

切断されたチェーン。これは決定的なメッセージだった。

私は驚いたが、リーダーはさぞかしショックだったろう。絶対に負けはしないと抵抗すればするほど、閉じれば閉じるほど、相手はその何倍もの力で攻めてくるのである。

顔の見えない敵との戦い。この事件は、みんなで協力し合い分かち合い、のどかに畑を耕す私たちにとって、おぞましいものであった。

「用を足したくてトイレのドアに手をかけたら鍵がかかっていた・・・俺だって、カッとなって倒したくなるぜ」切断されたチェーンを見て言った夫の言葉に、私も頷けた。

トイレは畑の敷地内ではなく、歩道の脇に置いてあるため、ジョギングをしている人、犬の散歩をしている人、駐車する人など、通行人が結構利用しているのである。畑の作業をする人より、通行人の利用の方が多いくらいである。それがわかったのは、その翌年のこと。なぜわかったか。それは、トイレに鍵をかけなくなったため。

これでもうトイレは倒されることもなく、みんながハッピーで、すべてが丸く収まった。なぜ、最初からこれができなかったのか。

真実は実に単純なことである。これほど宇宙の法則を端的に物語っているものはない。

私たちの社会では、いつしか、トイレに外から鍵を付けるような考えが当たり前になってしまった。これは世界中のあらゆるレベルに浸透し、とても根が深い。閉じるエネルギーは固くて重い。閉じれば閉じるほど、抵抗すればするほど、反作用がその何倍もの力で跳ね返ってくる。

しかし、それでは平和は訪れない。この簡易トイレが象徴するように、これからは大小様々なレベルで、どんどん開いて分かち合う方向へと流れが向かっている。

2009年4月15日

ブライアン・ワイス博士 - へその緒の記憶

オギャー!と産声を上げて生まれてくるのが普通で、ほとんどの人がそうであると思うが、私は違った。

「姉ちゃん(私の姉のこと)は、陣痛が始まって2~3時間でポンと飛び出してきた。初産やったけど、すごく軽いお産やったわ。けど、あんたはすごい難産。16時間もかかってほんとに大変やった。あんたは姉ちゃんより大きかったからなあ。おまけに、やっと出てきたと思ったら、首にへその緒がグルグルに巻きついていて、あんた首絞められて青くなってぐったりしとって、ほとんど死にかかっとった。生まれても全然泣かへんかったから、お医者さんがあんたを片手で抱えてポンと背中を叩いたら、やっと泣いた。あんた、死ぬ一歩手前やったんやで」

大人になってから、母からこの話を何度聞いたことだろう。

そういえば、結婚してアメリカに住むようになってから、私は帰郷するたびに、実家にある母のたんすの引き出しから、大切にしまってあった自分のへその緒と母子手帳を出して見ていた。3200kgで姉より550gも重かった私は、予定日より1日遅れで、生と死の狭間から生まれた。もちろん、本人はそんなことは覚えていないが。

昨年の秋に沖縄で自己成長のためのワークショップを受けた時に、天と地とのバランスを感じてみるワークがあったが、私は自分でもショックなほど「地」とのバランスがよくなかった。

その時にふと浮かんできたことのひとつが、自分の生まれ方だった。このことは、ずっとどこかで引っかかっていて、いつか知りたいと思っていた。

そうしたら、数年前、友達があるチャネラーを紹介してくれた。これぞチャンス!とばかりに、なぜそんな生まれ方をしたのか聞いてみた。答えは、過去生にあった数々の悲しく苦しい出来事がトラウマとなり、私は、生まれるときに地球に戻ってくることに対して、大きな恐怖と抵抗を感じていたということだった。

しかし、そんなことは何の根拠もないし、記憶にないことなのでわからない。母は、妊娠中に自転車を乗り回していたので、それが原因でへその緒が巻いたのだと言い、チャネラーが言ったことを話したら、キッと怖い顔をして怒った。「産んだのは私! そんな他人に何がわかるっていうの!」

そりゃあそうだろう。お腹に中にいるときからずっと大切にしてきて、16時間も苦しんでやっとの思いで産んだのに、それは生まれてくることに抵抗があったからなどと言われたら、腹が立たない訳がない。

それでも、へその緒の記憶は、自分自身の調和を取り戻す過程で通らねばならない道の一角に、私が完全なタイミングでやって来るまで静かに待っていたようだ。そのタイミングとは、顕在意識の自分は気づいていないが、深い部分の自分がGOサインを出したとき。

それは、2週間前にシアトルで開かれた、前世療法で世界的に有名なブライアン・ワイス博士のワークショップという形でやって来た。内容を検討することもなく、ただ直感的に行ってみたいと思って申し込んだのだが、結果的には、やはり大いなる力の導きでそうなったことを感じずにはいられなかった。

ワイス博士はこう言った。
「過去の結果が現在の自分であるならば、今自分が癒やされることで、未来の自分の道が変わる」

この言葉を聞いた瞬間、脳の片隅で超高速早送りの画面が展開した。あまりにも早くて何もはっきり見えなかったが、そこには、私という人間を中心とした網の目のような「繋がり」の地図があり、今何をするか、またはしなかったかで、その都度、繋がりが作り上げる形が事細かに変わる。

この日ワークショップに参加したか、しなかったかでも、この先の何かが変わるかもしれないと思った。

誘導瞑想を通じて子供時代に戻り、母親の子宮の中にいた頃、生まれた瞬間、そして過去生の記憶へと順に遡っていくワークは、実際、新しい視点を与えてくれた。

座り心地の悪い会議用椅子に隣の人と肘をつき合わせて座らされ、こんな状態で深い瞑想に入れるのかと疑っていたが、実際、会場に集まった600人もの人が一斉に瞑想状態に入ると、場内はたちまちものすごいエネルギーに包まれた。意識も思考も全く普通の状態なのに、別の次元のドアが開くのである。

ワイス博士はステージからマイクを通して誘導した。「さあ目を閉じて、深呼吸をします。一呼吸ごとにリラックスして、深く入っていきます・・・あなたの頭上に美しい光をイメージしてください。光の色は、あなたが選びます」

私は、ローズクオーツのような優しいピンク色を想像した。間もなく、頭のてっぺんが痛いほどツンツンしてきた。すると、いきなり頭上のピンク色がもぎ取られ、勝手に濃い紫色にすり替わった。「あららら・・・」

それは私の意思とはまったく異なるもので、その紫の光のかたまりは独自の意思を持っているかのように、頭上で渦を巻いて待機していた。そして、ワイス博士が「光が、頭のてっぺんから体の中へと流れ込んできます」といった瞬間、待ってましたとばかりに、その光はグワ~ンと勢いよく入ってきて、たちまち頭全体から首まで広がった。

自分が制御しているのではなく、何か強い力が勝手に働いている感触は、少し不気味だった。気づいたら、そんなことを考えていた。
「あれっ、こんなこと考えていて、深く入っていけるのかな・・・」

ワイス博士が逆に数字を数え始め、誘導が進む。「3・・2・・1。さあ、子供時代の楽しい思い出を思い出しましょう」

「数えるのが早くて、これじゃあついていけないじゃない」私の頭の中は、相変わらずごちゃごちゃと思考がうるさい。それでも、閉じた目の前に突然情景が広がった。

白いかっぽう着を来た母と、黒い厚手の綿シャツを着た父が私の前に立っていた。父も母も30代で、初々しい夫婦といった感じだ。私は3才くらいだろうか。スカートの下からオムツがはみ出ている(そういえば、私はオムツが取れるのは遅かった)。私たちは、当時住んでいた社宅の玄関の前に立っていた。よく晴れた日で、母は私にニッコリ微笑んでいた。父の綿シャツは、父が山登りが好きだったことを物語っている。

「貧しかったけれど、温かい家庭。私は大切にされ、愛されていた」
それが、このシーンからのメッセージだった。

感情が入らず、とても客観的に見ているのに、ワイス博士の誘導でこのシーンを離れる前に、ツーっと一筋涙が頬をつたった。「あれっ?なんで涙が出るんだろう」

このような涙は、深い部分の自分が反応しているときに流れる涙だということを、昨年沖縄で受けたワークショップのときに教えてもらったことを思い出した。

次は、母親の子宮の中にいるときの記憶。暗い感じで動きがなく、特に何も感じなかった。なんだろうと思っているうちに、ワイス博士は生まれた瞬間へと誘導していた。私は、自分が窒息状態で生まれたと聞いていたので、首を絞められる苦しさが蘇るのかと思って、怖くなった。

「はい、生まれました!さあ、どんな感じですか?」

ちょっと早すぎてついていけない。躊躇している私を置いて、誘導はどんどん進んで行く。生まれたって言われても、何のインパクトもないし・・・。と思っていたら、急に首の周りがチリチリし始めて、そこに半透明の柔らかいチューブのようなものが三重くらい巻きついているのをはっきりと感じた。どうやら、私はまだ子宮の中にいたようだ。

それは、私が想像していたようなものとは全く違った。半透明のチューブは温かく、私の首を柔らかく包んでいた。そこから白い光がキラキラしていて、細かい電流が流れるように首をチリチリと刺激していた。心地よかった。

確かに産道を通り抜ける時には、首を締め付けられただろうが、子宮の中にいるときは、私はへその緒のマフラーに優しく巻かれて穏やかに眠っていた。それは、私の首を絞めた凶器ではなく、愛そのものだった。

私はたくさんの愛に包まれていた。母と私をつなぐ愛。地球へと生まれ出る私を、周りで見守る複数の守護霊や指導霊の存在も、はっきりと感じた。

両親や見えない存在達の愛に包まれ、護られている。その感触を、私は今この場所で椅子に座って味わっている。地球に生まれて来ることに恐怖を感じていたかどうかということよりも、私はどんな時でもこの愛に包まれている、私は一人ではないという深い安心感を実感することの方がはるかに大切だった。

私が心を閉ざしていても、絶対的な愛は変わらず注がれ続けていた。生まれる前からも、生まれた後も、そして現在も、私を支え見守り続け、注がれ続けている愛。そのことに気づいたとき、深い感謝の気持ちが沸き起こった。

と同時に、へその緒に優しく巻かれて眠っていた胎児の私という小さな命の尊さと、高次の愛に支えられながら、この世に生まれてくることの意味の大きさまでもが、首の周りの感触と共に伝わってきた。

「過去の結果が現在の自分であるならば、今自分が癒やされることで、未来の自分の道が変わる」

へその緒は愛のマフラーだった。そのことに気づいたとき、それは首の周りからそっと消えた。私の中で癒しが起こり、またひとつ何かが開放された。

私は角を曲がり、ここからまた新しい道を歩き始める。

2009年4月1日

豊かな島プエルトリコ - 第6日目(最終日)

「ああ~、何もかも捨てて修道院に入りたい!修道院で、神様にすべてを捧げて静かに暮らす方がずっとラク!」

親に何か言われた後とか、学校で同じ男の子を好きになって、相手の女の子から嫌がらせにあった日の後とか、自分の部屋にいるときに、急に発作のようにそんな思いが胸の中から突き上げてきて、居ても立ってもいられなくなったことが何度あっただろうか。人との関わりで起こってくる日常のごちゃごちゃが煩わしい、俗世から離れたい。

そう思うことがあったのは、小学校の高学年から高校にかけて。こんなことを思うなんて、なんて変な子供だったのだろう。

キリスト教に興味があったわけでもなく、特別に信仰心が強かったわけでもない。むしろ無関心だった。けれど、禁欲的で質素で神に仕える清らかな生活に安心感を覚える部分が、小さい頃から自分の中にずっとあったように思う。

大人になってからも、賛美歌を聴くと訳もなく涙が流れる。それは、懐かしい記憶を辿るような感覚で、さめざめと涙が流れる。魂が思い出すときには、必ずと言ってよいほど、そのようなさめざめとした涙になる。

修道院を改造して今はホテルとなったエル・コンベント。昨夜はホールでピアノの演奏があり、一曲ごとに、男女の恋にまつわる様々な心模様を詠った詩の朗読があった。

喜び、怒り、悲しみ、恍惚感、嫉妬、絶望感。「愛」をテーマにした曲は様々な感情を乗せて、聴く人の心に響き渡る。アンティークの重厚なソファに体を沈めて聴き惚れている人々を見ていると、突然違和感が襲ってきた。それを振るい落とそうと視線をそらして辺りを見回すと、この空間に閉じ込められてきた感情のようなものが浮かび上がってきた。

修道院は今から360年ほど前に建てられ、250年に渡る長きの間、ここで修道女たちが生活をしていた。外部から遮断された環境にこもって質素で禁欲的な日々を送り、祈りと共に神にすべてを捧げていた時代だった。



しかし、ここは今では高級ホテルとなり、くつろぎや贅沢、行き届いたサービスの快適さと快楽を求めて、常にさまざまな人が行き交う解放された場所となった。皮肉にも(?)、修道院ではおそらく禁じられてきたことすべてが提供されている場所に。



壁や柱や天井から、塗られたペンキや貼られたタイルの下から、そして空間からさえ、当時の「思い」が伝わってくるようである。それは、私の中にあって忘れられていた遠い記憶にある感情と重なって、ここにいる今の自分に跳ね返ってきた。



神への献身と引き換えに、抑圧され閉じ込められてきた感情、置き去りにされ抹殺されてしまった感情が、そこにあった。本当は表現したかった感情があったはず。外界へ出て、自分の足で歩き回って、やりたいこともたくさんあったはず。

コーヒー中毒にチョコレート中毒、アルコール中毒・・・。私は目的を達成するための仕事中毒以外は、「・・中毒」になったことがない。堪能したことがなく、思い切り羽目をはずしたり、感情に溺れたこともない。いつもどこかで自分をコントロールしているため、大失敗をして後悔したこともないが、心から楽しんだこともあまりない。自分の感情に鈍感で、痛みも我慢も平気だった。自分に厳しくすることは得意でも、自分にご褒美をあげることは大の苦手。

「もういい・・・」
「もう終わったのだ」
長い回廊にこだまするように、その言葉が心に響き渡った。

私は、「もういい」と思うまで、ずっと同じことを繰り返してきたのかもしれない。

「もっと楽しみなさい、感情を味わいなさい。開放しなさい」
そんな自分にもう一人の自分はこう言っている。

どこかにこもって世俗と離れた生活をすることで、神との関係を築く時代は、私の中ではもう終わった。今の私はそんなことは望んでいない。肉体と豊かな感情を持った人間として、それを味わうことが、より自分らしく生きること、それが私が経験してみたいこと。

私の中で、神は懺悔して赦しを請う対象ではない。これからは、神と共同で創造してゆく。それは人と深い信頼関係を築くようなもの。自分や周りのすべての人の中に神性を見出したら、なぜ外界と遮断してこもってなどいられるだろう。なぜ感情を抑えてなどいられるだろう。

喜びの中に生き、それを人と分かち合い、様々な出来事に出会って、共に泣いて笑って、助け合って喜び合って、時にはぶつかり合ったりして、それが生きていることだと実感することこそが、今の私が神に仕える新しいやり方。それが自分に最も納得できる生き方。



飛行機の出発までの少しの間、オールドサンファンの街を歩いてみた。

入港する巨大なクルーズ船。まるで大きな建物が動いているようだ。

最後に、世界遺産のエルモロ要塞へ行ってみた。重苦しくて中には入らなかった。

海賊や他国からの襲撃から守るため、サンファンはぐるっと要塞の壁によって囲まれている。


プエルトリコは自然あふれる豊かな国。その豊かさの裏には、植民地時代に代表されるように、そこに繰り広げられてきた人間の悲しい歴史もある。それは、アメリカの属領と軍事基地という形によって、今なお続いている。

しかし、土を押し上げて芽が出るように、この地にも新しい時代はすでに始まっている。最初からあったその「豊かさ」を取り戻すために、大きく動き始めた地球の一地点として。


私自身にも、並行してそれが起こっている。段階を経て心の窓を少しずつ開いていくと、そのたびに、新たなる光が差し込んできて、古いものが開放されてゆく。すると、自分をより深く知るための道が、突如として目の前に現れる。

私の中にも溢れるほどの豊かさがあり、そこから泉のように湧き上がる想いや感情が表現されたがっている。その豊かな泉はずっと以前からそこにあり、私が気づいてくれるまでじっと待っていた。プエルトリコという場所で、私はそのことを頭でなく心で知った。

修道院にさようなら。私は自分を知るために、何度でも新しくなってゆく。

エルユンケで出会った大木のように光を浴びて成長していくことを、私の魂は望んでいるのだから。


<おわり>