2008年6月26日

地縛霊は友達?!(2)

それから4ヵ月後、シャーマンのデブラさんの家を訪れた。その頃私は、いっこうに改善しない極度の冷え性をはじめ、今後の自分の活動や夫との関係に関するガイダンスを求めていた。

デブラさんについては、信頼できるシャーマンであることをその2年ほど前からサークルの仲間を通じて聞いており、連絡情報をもらっていたが、そのときはまだ必要性を感じず、ずっと机の片隅にしまってあった。しかし、いよいよそのときが来たと思い、連絡を取った。

デブラさんはシベリアのシャーマンの弟子になって修行をした後、自宅でオーラリーディング、シャーマニックヒーリング、ドラムのワークショップなどをしていた。私はオーラリーディングに興味があったので、それを依頼した。

あらかじめ質問したいことを準備していたが、それはすべて自分の健康問題や人生に関するものであった。デブラさんは、まずエネルギーに繋がってから質問を受けて、その時空にアクセスするようである。通常、ガイダンスはイメージや色などのメッセージ性を持った抽象的な形で現われると説明してくれた。彼女を通して伝えられるメッセージはどれも深く、私にとってはすべて強く心に残るものばかりであった。

さて、自分が用意した質問が一通り終わった時、ふと、先回帰郷した際に病気になったことが思い出された。すると、そのことはここで話題にするべきものであるかどうかを判断
する間もなく、質問が勝手に口から出ていた。

私 「あの~、今年の5月に実家に帰ったときに2回病気になったんですが、あれは何だったんでしょうか」

デブラ 「ちょっと待ってね、見てみるわね」(目を閉じる)

私 「・・・・・」

デブラ (ニッコリして)「実家の付近にスピリットがいるわね、地縛霊よ。それがいるから体の調子が変になるみたいね」

私 「それって憑依されたってことですか。それは悪霊だったんですか」

デブラ (目を閉じてさらに詳しく見ている。しばらくして、首を振って)
「いや、そんなんじゃないわね・・・・(ニヤッとして)そのスピリットはあなたのことが好きみたいよ」

私 「えっ好きって?!」

デブラ 「うふふ(目を閉じて、まるで楽しいものを見ているように笑う)・・・ほら、例えば、小学校のクラスで、自分は全然気がないのに向こうが好きで、ちょっかいを出してくる子っているじゃない、そういう感じ。あなたのことを可愛いと思っているのよ」

私 「か、かわいい?!(そんな、霊に可愛いと思われても嬉しくない!)」

私 「それで、12月にまた帰るんですが、もう大丈夫でしょうか」

デブラ 「いや、また来るわね」

私 「ということは、また病気になるってことですか」

デブラ (淡々と)「まあそうね」

私 (「まあそうね」って人ごとだと思って・・・あのときのことを思い出すと、気が重くなった)「それじゃあ、どうすればいいでしょうか(弱気になる)」

デブラ 「そのスピリットが好む場所におびき寄せて、そこに相手が好きな物をお供えするのよ。まず、そのスピリットが何が欲しいか聞いて、それを探すの」

私 「どういう物ですか」

デブラ 「例えば、果物とか花とか、木とか石とか、色かもしれないし。いずれにしても、そのスピリットが好きな物で、それはあなたが探すのよ」

私 「はあ・・・(混乱する)」

デブラ 「そして、そのスピリットが好きな場所があるから、それも探すの。家から大体半マイルくらい離れた所ね」

その瞬間、ある神社が頭に浮かんだ。でも、それはあまりにも瞬間的だったので、そこが正しいのかどうかわからなかった。まあいいや、時間があるから後で考えよう。半マイルの範囲で絞ることもできるし・・・。

デブラ 「だから、そのスピリットが好きな場所と物を選んで、おびき寄せて交渉するのよ」


私 「交渉?」

デブラ 「そう、そのスピリットを呼び寄せて、『あなたが来ると私は病気になるから、来てもらうと困る。でも、あなたの好きな物を持ってきたから、それと交換に、ここにいて私には近寄らないで』って話しかけるのよ」

私は自分のするべきことを頭の中で整理しようとしていた。そんなことは一度もやったことがないし、それをすること自体思いも寄らなかった。場所に関しては、なぜかそれほど心配にはならなかったが、好きな物についてはまったく見当もつかない。

私 (心もとない声で)「あの~、さっき好きな物は果物とか花とかっておっしゃいましたけど、そんなこと、私わかるのでしょうか」

デブラ 「あなたのガイドに聞いてみれば、きっとわかるわよ」

私 「・・・」

すっかり弱気になっている私をチラリと見て

デブラ 「例えば赤い布だったり」

その言葉を聞くやいなや、私の眉間の前に、シルク地のような光沢のある赤い布がヒラリと揺れた。そのイメージは背景も含め全体が光っており、かなり詳細であった。ハンカチほどの大きさで、細かい模様が入った品のよい赤。着物の生地を思わせる。同時に、音にならない鈴のような音(波動音と言った方が正しいかもしれない)が聞こえたように感じた。

直感的に、これだ!と思った。デブラさんは、その私の反応を読み取っていたようであった。

そして、別れる前にデブラさんはこう言った「結局のところ、プロテクション(霊から身を守る)というのはテクニックじゃなくて、霊的に賢くなること。それは、強い心と魂を持つってことよ」

家に帰ってこれからやらなければならないことは、あの赤い布を探すことである。そして、その霊が好きな場所を見つけること。今度日本へ行くまでに、まだ3ヶ月の余裕があった。

私は、この難題を無事にクリアすることができるだろうか。

しかし、他にも知っておくべき情報があったようで、それは、ごく自然な形で与えられた。1ヵ月半後、私はある書店の講演会場に座っていた。

<つづく>

2008年6月24日

太陽に対する意識

太陽をどう捉えていますか?

今朝、朝食を取っているときに、そのことに意識が及んだ。

私自身、肌が強い方ではなく、すぐ赤くなってしまうので、強い日差しを敬遠しがちになり、外に出たときは、つい影を探して歩くようになっていた。しかし、ある時に、それまで曇っていても、外に出るとほとんど必ずと言ってよいほど晴れてくることから、自分は太陽に対する考えを改める必要があることに気づいた。

「太陽は忌み嫌うものではない」

紫外線対策、美白、シミ・ソバカス、お肌の大敵、皮膚がん。このような言葉は、特に日本にいると、毎日のように耳にしたり目にしたりする。太陽に対するマイナスのイメージが、いつしか私たちの意識の中に浸透してしまった。

確かに、太陽から放射され人体に有害な影響を与える物質の量が増えているので、それに対する対策は必要であるが、太陽がもたらす恩恵と私たち生き物との関係に、もっと積極的に意識を向けて欲しいと太陽が言っているようで仕方がない。

少し前に、ある方のお宅にヒーラーの方をお招きして、10人ほどで誘導瞑想を体験した。その瞑想で自分と地球・太陽・月・海に意識を向けたが、太陽をイメージしたときに、ほとんどの人が温かさや明るさなど、ポジティブな感覚を味わった。それが、太陽本来の意味だと思う。

そして、その瞑想が終わった後、ほんの数分の間であったが、それまでずっと覆っていた厚い雲にぽっかり穴が開いたように青空が見え、太陽の光が降りてきた。そして、その後、また雲の扉が閉まってしまった。まるで、私たちが太陽に意識を繋げたことに対して、太陽が応えてくれたかのようで、その奇跡的な瞬間に、そこにいた全員が感動した。

私たちは気づいていないかもしれないが、私たちと太陽は、もっと直接的で大きな繋がりがあるのではないだろうか。そう思ったとき、ふと、人間の集合意識は、天候にも影響を与えるのではないだろうかと思った。

ひところ前にガングロが流行り、その後美白。4月に日本に帰ったとき、健康的な肌とは思えない、異常に白い肌の人をたくさん見た。ガングロも美白ブームもどちらも自然とはかけ離れ、バランスがとれていないように思う。

顔は白塗りで黒い傘をさし、黒い服に黒い手袋をまとう人々を見て思った。病気ならともかく、それは太陽に対する、あなたの意識が表面化したものではないでしょうか、と。極度に走る私たちに、自然が警鐘を鳴らす。太陽は忌み嫌うものではない。

2008年6月23日

地縛霊は友達?!(1)

先日の日記で、以前私は地縛霊に憑依されたことがあると書いたが、最近サークル仲間で憑依のことが飛び交っているので、ここでちょっと微笑ましい(?)体験談をひとつ。

私は年に1~2回夫と一緒に帰郷するが、2005年の春はいつもと少し違った。夫の甥が急遽便乗して日本へ来ることになり、2週間私たちと一緒に、私の実家に滞在することになったのである。15歳になるこの甥のJ君にとっては、日本は始めての外国であった。

私が先に実家に戻って、一週間後に夫とJ君を迎えた。前回J君に会ったときはイガグリ坊主のかわいい小学生だったが、今では180センチを超えるほどの長身になり、15歳とは思えないほど大人っぽく、なかなかハンサムな青年(?)になっていた。

その彼は、慣れ親しんだ環境とは全く違う日本に来ても、そのまま溶け込んでしまい、違和感を感じなかったようだ。誰でも異国で一番抵抗を感じるのは食べ物であるが、彼は全く大丈夫だった。例えば煮魚、味噌汁、豆腐料理、かぼちゃの煮つけなど、いわゆるおふくろの味的なものがテーブルに並ぶと目を輝かせ、嬉しそうに食べる。もちろん、それらは彼にとっては初めて口にするものばかりである。

アイスクリームを選ばせたら、あずききなこのフレーバーが一番好きだという。大福もちはもちろんのこと、その他の和菓子も全部好きだし、日本のお風呂はリラックスできるといって大満足。とても15歳のアメリカ人とは思えない(感覚がちょっと年寄りっぽい?)。前世は日本人だった?と冗談ぽく言ってみたら、本人は否定しなかった。

そうやって、実家で何日か過ごしているうちに、気づくと私は彼を今のJ君として見なくなっていた。彼の目を見ると、いきなり時空を超えてしまって、昔々私は彼に好意を持っていたことに気づいた。私としては、時空を超えて過去の関係を感じることはJ君が初めてではなかったが、特に自分が好きだった相手の場合は、いつも相手の目に引き込まれてしまう。目は、過去生の記憶への入り口なのだろうか。

そのような感情を持つとそれが相手にも伝わるのか、彼と向かい合って座っていると、お互いに微笑み合って不思議な空間に滑り込んでしまい、心地よい波動に揺られている気分になる。現実には25歳も年下なのに、その空間では彼の方が年上になってしまう。

それは心地よい感覚であったが、私の心の状態は時空を飛び越えた領域に入ってしまうため、自分の軸が不安定になっていた。そして、そこに「すき」ができてしまったことに全く気づかなかった。

そのようなすきは、別のものにとっては絶好の入り口であるということを、そのときは知らずにいた。

それは、夫とJ君と私の3人で名古屋見物をした後、喫茶店で一休みをしているときに起こった。喫茶店の中はタバコ臭くて不快なので、外のテーブルで3人でおしゃべりをしながらコーヒーを飲んでいた。と、そのとき、道路のホコリを巻き上げ一筋の風がヒュッと吹いてきて、私は背中にゾクッと寒気を感じた。今でもはっきり覚えている。それは、肩甲骨の下の部分から少し下がったところで、思わず首をすくめるようなシャープな寒気だった。しかし、その時は寒いっと思っただけで、気にもとめなかった。

ところが、その後、実家に戻って夕食を食べているときに悪寒が走り、体は重くて座っているのが辛くなり、のどと関節が痛くなって熱が出だした。おかしいなと思ったときから1時間後には寝込んでいた。それほど急速に悪化したのだ。風邪の症状なのだが、それまで元気だったし、風邪を引く原因は何一つ思いつかないので変だなと思った。それに、状態の悪化の仕方があまりにも速かった。

それから3日間、38度5分近くの熱が続いた。関節が痛んでのどはヒリヒリするし、せきが出る。その2日後には、夫とJ君と一緒に仙台にいる友人を訪ねることになっていたので、どうしてもそれまでに回復したかった。熱でフーフー言いながらも「明日は絶対元気になってやる」と強く心に決めると、幸い翌朝熱が下がっていた。そして、無事に仙台に行くことができた。

不思議なことに、仙台にいる間は、それまで高熱を出していたのがうそのように元気だった。ところが、実家に戻るとまたすぐに同じ症状が現われて、どんどん力が抜けていき、熱を出して、再び数日寝込むことになった。今度はもうアメリカに戻る日が近づいていたので、このまま寝込んでいるわけにはいかない。結局帰るぎりぎりまで体調が悪かったが、空港へ向かうときには元気になっていた。

私はそれまで帰郷中に2回も熱を出すことなどなかったので、なぜそんなことになったのか、その後もずっと気になっていた。それに、実家を離れると元気になっていたというのも変な話である。そして4ヵ月後、気になっていたことの答えを、あるシャーマンから聞くことになる。

<つづく>

2008年6月21日

いのちの賛歌



太陽がまばゆい初夏のある午後、数年前から始めたオーガニック畑で草抜きをしていた。

しゃがんで無心に草をむしっていたところ、突然「手のひらを太陽に」の歌が勢いよく流れて来るのに気づき、ハッとして手を止めた。子供の頃に学校で習った懐かしい歌だ。

どこから聞こえて来るのだろうか・・・ここはアメリカで、誰かが音楽をかけているのではない。そう、それは直接私の頭の中に入り込み、そこから外に向かって響いていたのだ。気づくと、私はこの歌を無意識に口ずさんでいた。

♪ぼ~くらはみんな~生~きている~ 生き~ているから歌うんだ~
ぼ~くらはみんな~生~きている~・・・♪

弾むリズムに、なんだか胸がワクワクしてきた。

♪手~のひらを太陽に~すかしてみ~れ~ば~ ま~っ赤に流~れる~
ぼくのち~し~お~♪

このとき、歌に合わせて太陽に向かって手をかざしていた。目の前にある自分の手の中を、急流のごとく流れる血液が透き通って見えるようだ。そう思ったとき、この勢いよく流れる血液のように、急に体の奥からエネルギーが沸き起こり、体中がカァッと熱くなった。

♪みみずだぁ~って おけらだぁ~って~ あめんぼだぁ~って~♪

このとき、またハッとした。この歌を歌っているのは私だけでないと感じたからだ。しゃがんだまま思わず振り返ると、すぐ後ろで、腰くらいの高さまで伸びたエンドウ豆たちが楽しそうに「歌っていた」。下を見ると草が、土の中のミミズが、ブラックビートルが、そして肉眼では見えない微生物までもが歌っているのだ。

カメラで早いスピードでズームアップしていくように、目に入る部分がどんどん拡大されて、意識を集中すると、中まで透き通って見えてしまうような感覚に襲われた。すべての生き物が楽しそうだった。空中を飛ぶ蝶やハチや頭上をそよぐ風さえも、すべてのものがあらん限りの声で歌っているのを、私は体全体で感じ取った。

そのとき時間が止まり、私は異空間へ滑り込んでいた。

この生き物たちの大合唱に包まれ、私は地面にヘタヘタと座り込んでしまった。私を取り巻くすべてのものの生命エネルギー、この息苦しいほどの強烈なエネルギーが渦巻き迫り寄り、圧倒されそうになったのだ。耳をつんざくほどの大合唱。

この世界では、いのちに強いものも弱いものもなく、大きいものも小さいものもなく、優れたものも劣ったものもなく、すべてが等しかった。すべてが喜びに満ち、その精一杯の力で等しく光り輝いていた。そう私の心は感じた。

次の瞬間、私は見た。自分の胸のあたりから、きらめく太陽に向かって半透明の白いらせん状の渦が広がり出るのを。それと同時に、私は自分がいるこの空間に溶けて広がって行き、すべてのものと一体になった。

いのちの賛歌にすべてのものが光り輝き、喜びに満ちている。その中に自分が溶けて行き一体となったとき、大いなる源に抱かれた。それはとても懐かしくて温かく、父親のように力強く、母親のように優しかった。

そして、私はその一瞬、今まで経験したこともないような強烈な至福感を味わい、涙があふれ出た。

このとき、自分は生かされていること、虫たちや植物、風と同じように、自分も宇宙の一部であることを「はっきりと知った」。

時空を越えた大きな癒しの瞬間であった。

生きとし生けるもの、すべてが理由あってここに存在している。無駄なものは何一つない。そのことに気づき、自分が宇宙の一部であることを認識したとき、人間のおごりは消え、生きていることの素晴らしさ、生かされていることへの感謝の気持ちがおのずと沸き起こるだろう。

<2008年6月21日夏至の日に捧げる>

2008年6月18日

キリークの音?

「平津(実家がある地域の名前)の二階に悪霊がいる」
夢の中で声がそう言った。

ひえ~聞きたくなかった!もうすぐ実家に帰るというのに。これは、今から3ヶ月前の3月に、帰郷する準備をしていたときのことだ。帰るのを楽しみにして、それまでワクワクしていたが、この夢を見てから急に気分が重くなった。

「またか・・・もうクリアしたと思っていたが・・・」

実は、以前帰郷した折に地縛霊に憑依されたことがあり、その霊がまたやってくるのかと思った。しかし、それは悪霊ではなかったので、今回わざわざ「悪霊」と言われたのが気になった。「あのときのようにまた熱を出して寝込むのかなあ」とそのときのことを考えて弱気になる自分がいたが、「手ごわいヤツなのか・・・嫌だなあ、何か対策を立てないと。それにしても、予告があったから不意打ちを食らうよりはいいか。どうも、これもある種のチャレンジのようなものなのだろうか。それに、低いエネルギーから守るようオーラを強めるノコギリソウのエッセンスをとっていたから、以前よりは外界からの影響を受けにくくなっているかもしれない」などと、冷静に考えるもう一人の自分もいた。

さて、何をどうすればよいのだろうかと考えたところ、まず頭に浮かんだのが、10年ほど前、私の厄年のときに母が日本から送ってくれた木の札だった。このお札には凡字のキリーク(ここに表記できない)が書いてあるが、これについては不思議なエピソードがある。

32歳の3月のある朝方、突然こんな夢を見た。母と私がお寺のような所でお参りをしているのだが、母が私の左手をとって、手のひらにシュルシュルと早いスピードで何かわけのわからない記号のようなものを書き始めた。そして、その記号の最後に「、、」と2つ上下にテンを書いた。シュルシュルの部分は複雑な動きだったのでよく覚えていないが「、」はわかりやすい。

その最後の「、」を書き終わった瞬間に、「ハッ」という男とも女とも区別のつかない、人間かどうかもわからないが、こだまするような声が寝ている私の耳元から発せられ、耳から離れていった。というよりも、私の耳の中から出てきて、吹き飛ばされるというか、はじき出されると表現した方が正しいかもしれない。その瞬間、私は「とれた!」と言って目覚めた。

それは夢だったが、目覚めた後も、夢ではないような奇妙な感覚が残った。「ハッ」という声がした直後に目覚め、その声の余韻が寝室に残っていたからだ。

それから数日して母からお札が入った封筒が届いた。私は、開けて思わずアッと言いそうになった。そのお札には「、、」で終わる記号があったからだ。その頃、私は凡字のぼの字も知らなかったが、お札の凡字の右側にある上下に並んだ「、、」の位置が、夢の中で母がシュルシュルと手のひらに書いたものと同じだったので、おそらく同じ字だったのだろう。

お札が届いたお礼を言うために母に電話をして、その夢の話をしたところ、どうもちょうど夢を見た日くらいに、父と母が厄除観音の霊場である岡寺山継松寺というお寺の初午大祭に行って、33歳を迎える私のために祈祷をしてもらい、お札をもらってきてくれたことがわかった。

その「ハッ」という声は私に憑いていた邪悪な物だったかもしれない。もちろん勝手な憶測に過ぎないが。

ということで、今回日本へ行くときまでにキリークの凡字を覚えて宙に書けるようにしたいと思った。行者が呪文を唱え、宙に何かを書いている姿がイメージとして浮かび上がったからだ。

特に、正しい書き順で書くことが重要なように思われた。しかし、凡字のぼの字も知らなかった私が、キリークを正しく書けるはずがない。そんなことを知っている人などあまりいないだろう。と思いきや、ある方の顔が浮かんだ。

マイミクで直伝霊氣の師範格の方がいらっしゃる。ちょうどそれから数日後にお会いする機会があったので聞いてみると、なんと彼女は写経のように凡字を書き写すことをしているというではないか。彼女は親切にも、書き順付きのキリークの字が大きく印刷されたページをコピーして私に手渡してくださった。ありがたいことである。これで少しほっとした。

その字を持って日本に着いた。3月27日のことである。今回は、実家でいつも私に用意してもらうその寝室こそが悪霊がいる部屋かもしれないと思ったので、違う部屋で寝ることにした。といっても、その違う部屋も同じ二階にあるので油断できない。到着したときは既に夜だったので、とりあえず、換気をしてかしわ手を打って自分が寝る四方にキリークの字を書き、枕の下に字を置いて寝た。それが功を奏してかどうかはわからないが、その晩は何も起こらずぐっすり眠れた。

翌日、その波動が悪そうな部屋に入った瞬間、そこは二階部屋で全部で4箇所に窓や戸があり、南側に大きな窓があるので明るいにもかかわらず、「うっ」と来るような何かを感じた。空気がよどんでいる。西側の窓の外はすぐ隣の家の壁なので、いつもトタンの雨戸が閉まったままになっているし、大きな窓から直射日光が入って畳が焼けるのを防ぐために透かしカーテンが引いてある。廊下に通じる戸は、廊下にあるものが邪魔をしていて少ししか開けられないため閉めてある。ふすま戸は左側に寄せてあるが、右側が塞がれていて通気がよくない。そしてホコリっぽい。そういう状態だった。

トタンの雨戸をはじめ、すべての窓や戸を開けてふすま戸も中央に来るようにして両側から通気すると共に、部屋全体にまんべんなく光が通るようにし、パンパンとかしわ手を打ち、力を込めてキリークの字を書いた。これだけでかなり波動が変わったように感じた。以前熱を出して寝込んだのはこの部屋で、また、別の時には寝ている時に重いものがのしかかってきて悲鳴を上げたのもこの部屋である。

その晩も自分の寝る部屋に凡字を書いて寝た。そして明け方、こんな夢を見た。知らない人のグループの集会に参加し、リーダーの人と出席者がお経のようなものを唱えているのを聞いていると、「ウニウニウニウニウニウニウニウニ」ととても速くて高い宇宙的な音が聞こえて、あの、のどのイガイガ君のような丸くて周りにイガイガのある形をした、好意的な感じの物体が空中に浮かんでおり、その音はそこから発せられていた。そして、それが私の方へ近づいて来ると、第2チャクラ(丹田)がビリビリと振動し始めた。怖くはなかったが、かなり強い振動だった。その後、私はなぜか仰向けになった一人の女性の肩に手を当ててマッサージし、その後、塩で自分の肩と背中を清めた。

そこで目が覚めた。しかし、丹田の辺りはまだビリビリしていた。不思議な夢だった。あのイガイガ君はエネルギー体であったが意思を持っていたように思う。夢の内容が除霊っぽいので、ひょっとしたらイガイガ君はキリークと関係しているのかもしれない。「ウニウニウニウニウニウニウニウニ」というのは、キリークの周波音なのだろうか。

翌日、友人にエッセンスを調合してもらうため、横浜に向かった。選ばれるエッセンスの背後には多面的に起こる出来事があり、それはひとつひとつが独立した出来事ではなく、どれも互いに関係し合い、過去・現在・未来が繋がっている。そして、大きな流れに向かって私たちの気づきと成長を促してくれる。夢という形であったにしろ、丹田に来た振動はリアルだった。あの「ウニウニウニウニウニウニウニウニ」という宇宙音は、これから調合してもらうエッセンスや起こる出来事・気づきと何か繋がりがあるのだろうか。いつか、それがわかるときが来るかもしれない。

2008年6月16日

石がやってきた

先週の金曜日に、友人のRさんと彼女のボーイフレンドを家に招いて一緒に夕食をとることになっていた。Rさんは以前から私の畑に行きたいと言っていたので、私は、彼女に午後少し早めに来てもらって、畑に連れて行ってニラを取ったり野菜の苗を植えたりして、一緒に作業をしてから食事にしようと考えていた。ここのところずっと悪天候で畑に行けなかったので、久しぶりに畑仕事ができるのを楽しみにしていた。

ところが、前日になってRさんは、石を見たいので石屋に行きたいと言ってきた。「よかったらジュンコさんも来る~?」

「う~ん・・・」私も自分なりに心積もりがあったので、正直なところ、急なスケジュールの変更に混乱していた。少し疲れていたので、金曜日の午後に渋滞の中をわざわざ出かけることを考えるとおっくうに思ったが、気づいたら「じゃあ行くよ」と口から勝手に言葉が出ていた。

というわけで、Rさんと彼女のボーイフレンドと私の3人で、カークランドのEarthlightという石屋に行くことになった。なぜ彼女が急に石を買いたくなったのかというと、つい先日、彼女が新しい職場となるオフィスを訪れた際、首の後ろが異様に重くなって気分が悪くなり、どうもそうじゃないかと感じたので、ボーイフレンドに見てもらったそうだ。

このボーイフレンドは普段は閉じているのだが、開くと見れる人で、彼女の思ったとおり霊が憑いていたということだ。それも四体。しかし、彼女に別に危害を加えるタイプの霊ではなく、彼女にくっ付いて家まで一緒に来てしまったという軽いものであった。ただ、そのうちの一体はすぐには去らなかったらしいが、彼女がその後、外で思いっきり卓球をして発散させるとどこかへ消えてしまったという。とにかく、彼女はこれからその職場で毎日働くことになるため、オフィスの波動を上げる石を机に置きたいということだった。

さて、私が急遽便乗して訪れることになったこの石屋は、もともと私の霊気の先生が教えてくれた所で、8年前に指輪をリフォームするときにお世話になり、その後は1~2回ほどしか行っていない。実は、この店は私のガイドスピリットが霊気の先生を通して紹介してくれたもので、客はそのように何かのきっかけで訪れる人が多いようだ。先回行った時は、店長が「ここに来る人は、来るべくして来るみたいだね。以前、タイのお坊さんのグループがやってきて、夢でこの店の看板を見たのですよ、と言って入って来たんだよね。不思議なこともあるもんだねー」と話してくれた。「へえー」と言いながら、そういう不思議な話が大好きな私は、店を埋め尽くしている石を見回した。

そして、今回もやっぱり不思議なことが起こった。私はRさんのお供だったので、ただ店の中でフラ~っとしていたのだが、ふと「ここに来た理由があるのだろうか・・・何か欲しい石はあるのかな」と思って自分の心に聞いてみると、昨年私の甥のために買った石が頭に浮かんだ。「あ~あの石、何て名前だったっけー」度忘れして名前がなかなか出てこない。

すると、そのとき一人の白人女性が店に入ってきた。彼女は明らかに目的を持って訪れたようで、店員はすかさず「何かお探しですか」と聞いた。「ラブラドライトを探しているんですけど・・・」と彼女が答えた瞬間、私はハッとした。

それそれ、それなんですよ、名前が出てこなかった石は。すごいタイミング!これほどはっきりしたメッセージはないではないか。その石を買えということなのだ。

幸いにも、その店にはラブラドライトはたくさん置いていなかったので、あまり迷うことはなかった。置いておくタイプのものではなく、身につけるタイプのものがよいという感じがしていた。そして、すぐに気に入ったのは、全体が青や水色、黄色、金色など様々な色に発光するものだった。左手に持ってみると、ビリビリと強いエネルギーが伝わってきた。

一方、Rさんも魔除け用に大きなクリスタルを2つと、他にも気に入った石をいくつか見つけた。きっとこれで、首が重くなって気分が悪くなることもなくなるだろう。

さて、レジでお金を払おうとしたときに、私はアッと声を上げそうになった。レジの後ろの壁に、大きな龍の絵が貼ってあったのだ。実は、その前の週にあるヒーラーの方にお会いし、その方とのご縁で龍神様のご加護をいただくことになった。ラブラドライトは、龍神様ご指定の石だったようだ。それにしても、わかりやすい方法で教えてくれるものだなあ。

家に帰って太陽光とクリスタルで浄化した後、家にあるものを使ってシンプルなペンダントにした。

ラブラドライトには、インスピレーション、根気強さ、実行力、信念を貫けるよう導く力があり、ハートチャクラに働きかけ、その放つ光は、銀河系の他の惑星から発せられた高次元の情報であるという。見るからに神秘的だが、そのパワーもまた神秘的である。

石は、気の遠くなるような長い時間と太陽光、風、土、熱などの様々な自然の力によって形成される。過去の記憶と関係し、深く眠っていた魂レベルでの意識や記憶力を目覚めさせ、新しい世界を発見したり、理解を迎え入れる上でサポートしてくれる。そして、その新しい知識は地球と関係しており、その地球の記憶・記録が石を持つ人の人生観を変えることになる。

ご縁のある石は、向こうから呼びかけてくる。なんとなく気になるものや、一目で気に入ったものなどはたいてい相性がよく、直感的に選んだものはほとんど間違いない。やはりそのときに自分が必要としている石は、自分にとって個人的な意味があるのだろう。

ペンダントを作ったその夜、石を電気にかざして色や光を楽しんでから、私の所に来てくれたことに対してお礼を言って、これからよろしくと挨拶をして、枕元において布団に入った。寝る前に呼吸法を使ってリラックスするようにしているのだが、その夜、布団の中で深呼吸をしていたら、ハートチャクラの背中側が熱くなった。こんな感触は初めてである。

そして朝方、夢で全く新しい情報が入ってきた。それは、ひょっとすると、私のこれからの活動に関係するのかもしれない。それについては、今後具体的な展開があったらお話しようと思う。

これを書いている今、急に思い出した。Rさんの家系は龍神と関係があったのだ。

ラブラドライトを持たせることで、龍神様は私に一体何を仕掛けようとしているのだろう。

2008年6月10日

エッセンスのパワー(3)


1本のドーセージボトル(調合したエッセンスが入るボトルのこと)にブランデーを少量混ぜた水(カビや腐敗を防ぐため)を入れ、エッセンスをスポイトに取ってそこに一滴ずつ入れていく。市販の薬の服用量は年齢を基準とするが、エッセンスの処方箋はどうやって決まるのだろう。私は黙って、彼女の手元を見つめていた。

彼女は、まず手に持ったスポイトの頭の部分のゴムを押して、ローズクォーツのエッセンスを吸い取った。そして、ドーセージボトルの上2~3センチ離れたところから、中に一滴ずつ落としていく。エッセンスは音もなく次々と入っていった。

10滴くらい入ったころだろうか、落ちていく滴を見ながら彼女が叫んだ。「これ、まだ入る!」私は意味がわからずじっと見つめていると、スポイトの中のエッセンスは半分以上なくなっていた。「信じられない、こんなの始めて。これ、まだ入るよ!こんなに入ったら、他のが入らなくなるー」彼女はひどく興奮していた。さらに一滴一滴と、滴はボトルの中に落ちていく。彼女は心配し始めた。まだ他に3つのエッセンスが残っているのだ。「どうしよう、まだ入る・・・」

「入るよって言うけど、入れているからじゃない」と私は思った。彼女一人が興奮したり心配したりしていてもその意味がわからず、私はポケッとしていた。とうとうスポイトの中の最後の一滴も入った。「もうこれで終わりじゃないと溢れてしまう・・・」彼女は少しためらった様子であったが、すぐに意を決したかのように再びスポイトに新しいエッセンスを取って、ボトルの上に構えた。緊張した面持ちであった。私は、何が起こっているのか全くわからなかった。

すると、2回目に取った分の最初の一滴がボトルの中に入るやいなや、「ピシャッ」と勢いよく跳ね返るような音がして、私はドキッとした。直径2ミリにも満たない穴から5センチほど落下した滴がボトルの中の波動水に当たった瞬間の音は、彼女から80センチくらい離れて座っている私にもはっきり聞こえるほど大きく響き渡った。

「ああよかったー、これで入った(終わった)」彼女は興奮と緊張で少しほてった顔を上げ、ほっとしたように言った。「ねっ、音がしたでしょ、その音でわかるの。それにしても異常なほど入ったねえ」

驚いた。最初の20滴近くは全く何の音も立てなかったのに。どうしてあの一滴であんな大きな跳ね返るような音が出たのだろう。

そんなことを考えているうちに、彼女は早くも2つめのエッセンスを入れようとしていた。一滴、二滴、そして三滴目で今度は「ポン!」と弾けるような音がした。さっきのエッセンスと同じくらい大きな音であったが、音自体は全く違っていた。どちらも、あの小さな穴から出る滴が、その小さなボトルに入る音とは思えないような音であった。

彼女は、通常このように音で判断するということである。これを彼女は「エッセンスが教えてくれる」と表現していた。

そして、3つ目のエッセンスも同じように音で合図してくれ、いよいよ最後のエッセンスとなった。今度も最初のエッセンスのように音もなくどんどん入っていく。が、しばらくすると彼女がうなった。「う~、ああダメ!これ以上入らない」何をうなっているのだろうと見ると、彼女はスポイトをボトルの上に持ち上げたままじっとしている、というか力んでいた。「これ見て!こんなに押しても入らない」

私は前のめりになってよく見てみると、スポイトの中にはエッセンスがまだ半分ほど残っている。ところが、頭の部分のゴムはぺしゃんこになるほど強く押されているのにも関わらず、エッセンスがまるで蓋をされてしまったかのように全く出てこない。そんな馬鹿な・・・これじゃあ、マジックの世界じゃないの。

「このエッセンスはこれ以上入りたがっていないから、これで終わりってことだね」と彼女は言い、スポイトに残っている分をマザーエッセンスのボトルに戻した。そして、最後に再び私の手を取って、調合したエッセンスのボトルの上でペンデユラム(振り子)を使って、口に含む回数と滴数を確認した。

それぞれ独特の弾けるような音を出したり、押しても入ることを拒むエッセンス。ここで私が聞いたり見たりしたことは、普通の感覚ではわからないことであった。しかも、彼女はエッセンスを意思がある人間のように扱っていた。エッセンスには意思があって、適量を教えてくれるというところだろうか。

その「意思」とはどこから来るのかと思いを巡らせると、「宇宙の仕組み」のようなものに行き当たる。それは、多次元の目に見えぬ波動の世界。私たち人間の頭では理解できない、いわゆる神秘の部分と言える。

「それにしても、ローズクォーツすごかったねー。異常なくらい入ったねえ。こんなの初めて」そのとき、その「異常なくらい」という言葉が心の片隅で少し特別な響きを持って残ったが、私は新しい調合エッセンスが出来上がったことが嬉しくて、それ以上考えることはなかった。

その晩、私は彼女の家に泊まり、翌日新しいエッセンスを持ってワクワクしながら帰途に着いた。シアトルから日本に戻って4日目のことであった。途中で1週間沖縄に行くことを除き、これからほぼ1ヶ月間、実家で家族と一緒に過ごすことになる。

「明日は4月1日。新しいエッセンスを始めるには、パーフェクトな日だなあ」そのときは、ローズクォーツが「異常なくらい」入る必要があった理由などつゆとも知らず、新幹線の中で一人ほくそ笑んでいた。

今でこそはっきり言える、「すべてのことには偶然はなく、完全なタイミングでやって来る」と。

<つづく>

輪の心

皆それぞれ違う

皆それぞれに役割がある

皆それぞれに得意なことがある

皆それぞれに好きなことがある

皆それぞれ、皆それぞれ

それぞれが持ち寄り、助け合い、補い合って

輪の心 和の心



エッセンスのパワー (2)

日本へ帰って3日後、私は彼女と向き合って座っていた。自然の成り行きでアメリカに渡ってシアトルに10年間住み、また自然の成り行きで横浜という全く新しい場所に拠点を置くことになった彼女。その彼女のいる空間は、不思議なエネルギーに包まれていた。床の間がある客間なのに、なぜか山小屋にいる雰囲気がする。部屋全体が荒削りの板張りだからだろうか。

3月30日、もうすぐ4月というのに、その日は真冬に逆戻りした日であった。彼女の家に着いてから雨が降り始め、ストーブを焚いていても寒い。ヒーリングに関することに触れるときには、必ずといってよいほど雨が降り寒くなる。彼女の周りにはネイティブアメリカンとアラスカのエネルギーが取り巻いており、日本にいながらここだけ異空間になっていた。

先回彼女に会ったのは昨年の11月。そのとき、シアトルの私の家で初めてエッセンスを調合してもらった。あのときも、このように向かい合って座った。あれから、エッセンスを通して私にも様々な気づきと出来事があった。

すべてのことに偶然はなく、完全なタイミングでやって来る。数ある中で、アラスカンエッセンスというひとつの手段に出会った。人生のこの時期に、それも、双子の魂とも言える彼女を通して。それは、どのような意味があるのか。きっと、いつかはっきりとわかる日が来るだろう。

人間は宇宙の一部であり、自然という大いなる力に包まれて生かされている。見える世界と見えない世界、その両方の世界をつなげて調和の中に生きることこそが、自然と共に生きる姿であり、太古の人達はそうやって生きてきた。残念なことに、この地球上から自然が急速に消えようとしている。その消えようとする自然と並行して、私たち人間も大きくバランスを失いかけている。

彼女によると、アラスカという所は、他の場所と比べて人口密度が極めて低いので、植物や環境が、人間のエネルギーに汚染されていない比較的純粋な姿のままで太古の昔から保たれているところが多く、白夜の夏や極寒の冬などのような激しい気候の変化の中で育つアラスカの植物は、素晴らしい「適応能力」を持っている。その適応能力を私たち人間の人生に取り入れることで、目まぐるしく変動する日々を心地よく生きることができるようにサポートすることが、エッセンスの役割なのだそうである。そう、常に変化する自然の中で生きる力とは、環境適応能力なのである。

「実際、アラスカの土地に住んで体感して、そのエネルギーと同調できるから、エッセンスそのもののパワーを素直に伝える媒体になれると思う」と彼女は言った。日本ではお金を払って何日間か講習を受けただけで資格がとれるそうであるが、確かにそれとは全く訳が違う。彼女は日の沈まない世界も氷に閉ざされる世界も知っている。その大地に立ち、自然を自分の肌で感じ、目で見、手で触れている。

彼女がセージの葉を焚いて、スマッジングをして部屋とペンデュラム(振り子)を浄化した後、私は目を閉じて深呼吸をした。次のサイクルの目標を明確にするときである。自分はどのようになりたいのか。肉体レベル、精神レベル、魂のレベル、それぞれに意識を向けていく。すると、心の中でイメージが浮かんでくる。それを読み取るように、彼女が手を差し出して私の手を取り、エッセンスのボトルの上でダウジングを始めた。

彼女は強調する、「自分はヒーラーではなく導き手であり、エッセンスを選ぶのはそれを取る本人のエネルギーである」と。「本来持っている自己治癒力を最大限に発揮できるようにサポートをしてくれるのがエッセンスであり、意識の奥底に閉じ込められている過去生や魂のレベルでの凝り固まったパターンをも表面化させて、ポジティブな方向へと転換する助けとなる。自己治癒の過程は、エッセンスと共にその浄化過程を乗り切ることである」と。

自然の生命の営みを観察するとわかるように、自然は絶え間ない変化の中で常にバランスを取ろうとしている。その柔軟さと力強さこそが自然治癒力であり、私たちひとりひとりの中にある大いなる力である。

彼女は、並んだボトルの上で左から順にぺンデュラムをかざしていくと、ぺンデュラムは特定のボトルの上で大きく動きを変えた。そして、4つのエッセンスが選ばれた。それは、2種類のフラワー(ブラダーワートとスターフラワー)と2種類の石(ファイヤーオパールとローズクォーツ)だった。このうちのブラダーワートとファイヤーオパールは、これまで毎回選ばれてきたエッセンスであった。黄色い花をつける食虫植物であるブラダーワートの特性は、「物事の本質を見抜き、その中核にある真実はシンプル」であることに気づかせる。そして、古代の火山の地層から採掘される石であるファイヤーオパールは、「女性性を象徴し、絶えることのない火山帯のエネルギー」を示し、“I have energy (エネルギーを持っている= 一時的で消耗される)”から“I am energy(自分がエネルギーそのものである=永続的)”に移行できるようサポートしてくれる。

彼女が持っているこのファイヤーオパールのエッセンスは、アラスカで受けたクラスで作ったものだそうで、世界にひとつのオリジナルということであった。そして、そのエッセンスには興味深いエピソードがあった。

このエッセンスをクラスの皆で一緒に作っているときに、大風が吹いてきて、その土地の先住民にとって世界創造の神であるワタリガラスとハクトウワシが同時に飛んできたそうだ。そのクラスの受講者の一人に、薬草に精通し、鍼師をしている先住民のお年寄りの方がいたが、その方は、これはすごいことだと、その場で踊りを捧げ始めたという。この話を聞いて私は、エッセンスという見えない世界の「仕組み」の一部に触れたようで、その神秘的でスケールの大きい世界がこの小さなボトルに入ること自体が、とても不思議に思えた。

さらに、この2つのエッセンスに加え、今回新しく選ばれたスターフラワーとローズクォーツもパワフルな特性を持っている。スターフラワーは天と地を結び、人ごみの中でも影響を受けずに自分自身でいられるように助けてくれ、常に自分の心と繋がってその心で話すことができる一方、他人の意見にも耳を傾けることができる能力を強化してくれる。ローズクォーツは心を開かせ穏やかにし、inner child(内なる子供)に繋がることができ、自分だけでなく他人とも密接でいられる手助けをしてくれる。

さて、エッセンスが選ばれると、次に1本のボトルにブランデーを少量混ぜた水(カビや腐敗を防ぐため)を入れ、エッセンスをスポイトに取って一滴ずつ入れていく作業がある。「入れる量はどうやってわかるの」と私が聞くと、「エッセンスが教えてくれるよ」と彼女は言った。

エッセンスが教えてくれる?

全くその通りであった。それもあっと驚くような形で教えてくれるのだ。

<つづく>

2008年6月9日

エッセンスのパワー (1)

以前にも日記で言及したが、私の双子の魂とも言える友人が、昨年アラスカでアラスカンエッセンスを学び、もうすぐ、公認エッセンスセラピストの資格がとれるところまで来ている。

資格の取得条件として、何人かにエッセンスを調合して結果を報告するプロジェクトを完了する必要があり、私もその中の一人として参加させてもらった。私自身ちょうど体調が優れず、人生の大きな転換期に来ていることを自覚していたので、これは格好のチャンスであった。

そもそもエッセンスとは何か。私の理解では、それは自然の中に存在する「エネルギーの特性」であり、それが形として表れたものが植物であったり動物であったり、月であったりする。逆に言えば、例えば、森林火災の跡地に一番早く姿を見せるファイヤーウィードと呼ばれる植物は、そのこと自体がエネルギーの特性であり、動物では、例えば、川のある場所に住んで木や泥を使ってダムや複雑な構造の巣を作り、かじり続けていないと伸びすぎてしまう歯を持つビーバーは、そのことすべてがエネルギーの特性である。

アラスカンエッセンスでは、花、鉱物、そして環境の3つを扱う。いずれもそのエッセンス(エネルギーの特性)を水に転写して波動水を作るが、この波動水は、人間の感情や精神における不調和な部分に作用し、バランスを回復させる上で役立つ。花は意識の内的変化を促す触媒となり、鉱物はそれを安定させ、環境は活性させるという働きがある。花や石といえばすぐに想像がつくが、「環境」とは、例えば満月であったり夏至であったり日食であったり、オーロラであったりする。その状態(環境)においてエネルギーと繋がることで、水への転写を行う。

冬は氷と長い夜に覆われ、夏はほとんど日が沈まない日が続くという非常に厳しい自然環境にあるアラスカ大陸。そこに存在する植物や鉱物、そして雄大で神秘に満ちた環境。アラスカンエッセンスをとるということは、それらのパワフルなエネルギーを体に取り入れることである。具体的には、エネルギーを転写した水を一定の滴数だけ口の中に入れる。

調合にあたって、まず必要な情報として、肉体、精神、魂の3つのレベルで自分の現在の状態を把握し、短期と長期の目標を立てる。それに合わせてエッセンスが選ばれる。そして、その後1サイクルの終了毎に振り返って気づいた変化や出来事を評価して、次回の目標を設定するというもの。私は昨年の11月から約半年の間、4回のサイクルにわたってエッセンスをとり続け、つい昨日プロジェクトを終えた。

このエッセンスのプロジェクトの総合的なことについては、後ほど書こうと思うが、第1回目は彼女がシアトルにいたので私の家で作ってもらい、2回目と3回目は彼女が横浜に拠点を置くことになったのでそこから遠隔で作ってもらい、4回目である最終回は私が横浜に赴いて作ってもらった。

実際に目の前で調合してもらうのを見るのは、横浜に行った時が2回目に当たるが、最初に私の家で調合してもらった時は、私はエッセンスのことをほとんど全く知らなかったので、何が起こっているのかわからなかった。しかし、最終回のときには、かなり落ち着いて全体を見ることができた。

実際、いくつも並ぶエッセンスのボトルのうちから適切なものを探して適量を入れるという作業は、驚くような形で行われた。そして後に、そのとき選ばれたエッセンスの正確さと意味の深さに、もっと驚くことになる。目に見えない波動の世界の奥深さを垣間見た思いであった。

<つづく>