2011年4月28日

魂の母胎(1)


昨日の地元の新聞に、70年前に建てられたトーテムポールの木が腐ってきているため、安全のため取り壊すことになったという記事があり、21種類の生き物が彫りこまれているトーテムポールの写真が載っていた。この記事の中で、彫られた生き物のひとつひとつに子供たちへの教えがあると説明があり、その中でも「ヘビ」の教えが目に留まった。

「ただ単に、変形していたり弱いからといって、その生き物を傷つけてはいけない」

それは私の中で、「目に映る姿が自分とは違うから、性質が違って見えるからといって、いじめてはいけない。軽んじてはいけない」という言葉に変わっていた。

ふと、思い出したことがある。

あるとき、夫は少し暗い顔で、しかし淡々と言った。

「子供のとき、ボクの父さんの仕事の関係で、家族でニューヨークから中西部のインディアナ州に移ったことがあったんだけど、そのとき、町の子供たちが『メキシコ人は国へ帰れー!!』って言って、うちの窓ガラスめがけていくつも石を投げつけて、ガラスが全部割れたんだ」

どんな流れでこの会話になったかは覚えていないが、そのとき、私は驚いて返す言葉がなかった。

夫は続けた。「そのあと、今後窓ガラスが割れて怪我をしないようにと、父さんは黙って窓に板を貼り付けたんだ」

「父さんは黙って窓に板を貼り付けた」と聞いたとき、窓枠に金づちでトントンと釘を打っている彼の父親の姿が目に浮かんだ。その瞬間、何とも言えない悲しい気持ちが私の心に押し寄せた。

夫はメキシコ人ではない。先祖はスペインから移住し、彼の両親の親はプエルトリコに住んでいた。人種としてはヒスパニック系になる。当時、インディアナ州に住む白色人種以外の人はかなり珍しかっただろう。肌が茶色い=メキシコ人=よそ者は国へ帰れ!白人の人たちの間には、このような公式のようなものが出来上がっていたのだろうか。

結婚してから、こんな出来事もあった。夫と一緒にあるスポーツ用品店に入ったところ、入口で店員に持っているかばんを預けてくださいと言われ、夫が憤ってそのまま店を出てしまったことがあった。私はわけがわからず夫の後を追ったが、彼は店の外で興奮していた。

「マイノリティーだから疑われた!ひどい店だ!」

「ハア~」
何だか気抜けしたような感じになった。本当にそうなの?よく見てみると、店の入口に「窃盗防止のため、お客様は入口で手荷物を預けてください」という注意書きがあった。

ロサンゼルスから遊びに来た夫の父親が、悲しそうにつぶやいたことがあった。
「家の周りでジョギングをしていたら、銃を持って巡回していた警察に突然止められて、両手を挙げろと言われ、身体検査をさせられた。ジョギングしていただけなのに、何か犯罪を犯して逃げていると思ったんだろう。俺の肌が茶色からさ」

最近ではかなり変化してきているが、アメリカの人種問題は今なお根深い。白人に対するマイノリティー(少数民族)の人たちの集合意識の中に渦巻く想念、マイノリティーに対する白人の集合意識の中に渦巻く想念、それぞれが相容れず切り離されたように見えるが、実は怖れと抑圧という同じ領域でグルグル回っているように思える。

ここに宗教も絡まってくると、なお複雑になる。

法事に手を合わせる程度の無宗教の私にとって、ひとつ強烈な体験があった。

数年前に隣の家が売れて、その家をユダヤ教の若い牧師夫婦が教会の事務所兼集会所として使い始めた。彼らと挨拶することもまったくなかったが、ある嵐の日に友人を見送りに外に出たとき、道路に転げ出たうちのゴミ箱を引っ張って敷地内に戻している牧師さんの姿を見かけ、お礼を言って、まだ一度も挨拶をしたことがなかったことを思い出し、自己紹介をした。

彼もニコニコしていて、私は彼の親切心に嬉しくなって、ハートが開き、自然に手を差し伸べていた。ただ自分の中から愛が溢れて、勝手に握手をする手が伸びていたという感じである。

すると、彼は急に表情をこわばらせて後ずさりし、「私は妻以外の女性には触れることはできない」というと、きびすを返してさっと家の中に入ってしまった。

唖然とした。握手をと手を差し伸べていた私は、自分が女性であることすら考えていなかった。ただ、人として、同じ人間として絆を感じただけのことだった。その後、自分が拒絶されたような気持ちにもなった。

「厳格な掟のある宗派によっては、女性は性的誘惑の対象と考えているんだよ。別にキミという人間が拒絶されたわけではない、彼は教えに従っているだけさ」と夫が教えてくれた。

「ハア~」気が抜けた感じになった。

それ以来、牧師さんは目を合わせることもしない。隣の家のバルコニーに出て、毎日決まった時間に神に祈りを捧げている牧師さんの姿を見るたび、私は悲しいようなむなしいような気持ちになる。

世界の飢餓、難民問題に深く関わっている犬養道子さんが、数年前にNHK「ゆく年くる年」で語っていた言葉を思い出す。

「難民キャンプでは、食糧もなく極限状態になります。飢えと寒さが押し寄せる中、難民、医師、私のようなボランティア・・・人種や宗教、職業、階級が異なる人たちが、ひとつの場所に身を寄せ合います。極限状態ですから、もうその日の命をつなぐことだけに必死です。スプーンいっぱいのヨーグルトをお湯で溶いて、少しでも多くの人に行き渡るように、ヨーグルトの味もなくなるくらいたくさんお湯を入れて、それを分け合って、みんな、こう、肩を寄せ合ってすするのです。ここでは、身分も階級も宗教も何の意味も持ちません。裸の状態になるのです。ただ人間なのです。みんな同じ人間なのです」というようなことを仰っていた。

この言葉と東日本大震災の被災者の方々が重なって見える。

今回の大震災で世界中の大勢の人々が日本に向けて祈り、支援の手を差し伸べている。大きな暗闇の中から出ずる光。人種も宗教も超えて人々の心がひとつになったとき、そこにはとてつもなく大きな愛がある。私たちはもともとそういう存在なのだということを再確認した。

「ただ単に、変形していたり弱いからといって、その生き物を傷つけてはいけない」というヘビの教えは、自分と他者を切り離してはいけないということに行き着く。

アメリカ中西部や南部でも今月に入って異常なほどに大きな竜巻が多発し、大きな被害が続出している。

同じ立場になったときに初めて見えてくる、人は皆同じということを、大災害を通さなければ学べないようにはなって欲しくない。

ここまで書いて、今日から私ができることはと考えた。私のハートは言う。
「今度隣の牧師さんに会った時には、自分から挨拶してみなさい」

2011年4月24日

チーフシアトル - 大地の祈り


アースデーにふさわしい快晴の空に輝く太陽だったのか、それとも、このシアトルの大地に愛を残していった魂だったのか・・・私は呼ばれたかのようにダウンタウンへと急いだ。

ここ2~3日、チーフシアトルのことが頭から離れない。それとともに、彼の言葉が繰り返し繰り返し聞こえてくる。

The earth does not belong to man, man belongs to the earth (大地は人間が所有するものではない、人間は大地の一部なのだ)

チーフシアトルは、シアトルという町の名前の元にもなったインディアンの酋長。1855年、チーフシアトルはインディアンに所有地のほとんどを放棄させることになったポイントエリオット条約に署名したが、その結果に不満を持ったインディアンと白人との間の戦いでのさらなる流血を避けるため、アメリカ大統領の土地買い上げ要求に応じ、和平交渉に努めたと言われている。

「大地は人間が所有するものではない、人間は大地の一部なのだ」は、その時に行った有名な演説「チーフシアトルのスピーチ」での言葉である。

ダウンタウンのパイオニアスクエアにチーフシアトルの像があるということを、以前友達から聞いていたが、記憶の隅の隅にあってほとんど忘れていた。その記憶が昨日突然飛び出してきて、頭の中を覆ってしまった。

それは知らないものを見に行くというのではなく、何か懐かしいものに触れるため「会いに行く」という感覚だった。



この胸像を前になぜか涙が溢れ出る。そのときまで大地に連綿と受け継がれてきていた生き方が、今ではほとんど消えかけているその生き方が、今、さんさんと降り注ぐ太陽の光に、この空気の中に、力として蘇ってくるのを感じる。

チーフシアトルと部族の人々の想いと、私の魂の願いがここで出会う。

チーフシアトルの言葉はさらに続く。

「空を、あるいは大地のぬくもりを、どうして売ったり買ったりできるだろう。私には理解できない。風の匂いや水のきらめきを、あなた達はどうやって買おうというのだろう ―― 私達はこのことを知っている。大地は人間が所有するものではない、人間は大地の一部なのだ。あらゆるものは、一つの家族を結びつけている血と同じように、繋がり合っている ―― 私達人間は命という織物を自分で織ったわけではない。私達はそのなかで、ただ一本のより糸であるに過ぎないのだ」






ワシントン湖の湿地帯に行ってみたくなった。ここは公園になっており、水辺を散策することができる。公園の入口にはハイダ族の酋長が彫ったトーテムポールがあり、水に向かって立っている。一本のスギの木に、一族のストーリーが掘り込まれたトーテムポール。それからは力強さと優しさが感じられた。




いのち芽吹く春。空も水も美しく、青葉が萌える。



前方では鳥が小さな体を震わせ、あらん限りの声で歌っている。



なんて美しいのだろう。大地はなんて優しいのだろう、力強いのだろう。この二本の足で大地をしっかり踏みしめてみた。

文明と科学技術の発達は、本当に私たちを豊かにしたであろうか。豊かさとは、どこにあるのだろうか。便利さや快適さにあるのだろうか。人間中心で自然を征服することにより、本当の幸せを得られるのだろうか。

答えは明白である。

先祖の願いと祈りが風にそよいでいる。大地から鼓動のようにこだましている。湖面に映し出されている。それを今ここに受け取って、ここから新しい未来へと繋げていきたい。





「私達が子どもたちに伝えてきたように、あなた達の子どもたちにも伝えてほしい。大地は私達の母。大地に降りかかることは、すべてわたしたち大地の子らにも降りかかるのだと。大地を傷つければ、その創造主に対する侮辱を重ねることになる。あらゆるものが繋がっている。

私達はこのことを知っている。大地は人間が所有するものではない、人間は大地の一部なのだ。あらゆるものは、一つの家族を結びつけている血と同じように、繋がり合っている ―― 私達人間は命という織物を自分で織ったわけではない。私達はそのなかで、ただ一本のより糸であるに過ぎないのだ。

生まれたばかりの赤ん坊が母親の胸を慕うように、私達はこの大地を慕っている。もし私達がどうしてもここを立ち去らねばならないのだとしたら、私達が大切にしたようにこの土地を大切にしてほしい。

美しい大地の思い出を、受け取ったときのままの姿で心に刻み付けていてほしい。そしてあなた達の子供のそのまた子供たちのために、この大地を守り続け私達が愛したように愛してほしい。いつまでも」

(チーフシアトルの言葉より)



20114月22日、アースデーに捧げる>

2011年3月30日

「今ここ」から未来への責任

あと2週間で、また畑のシーズンが始まる。室内で少し大きくなったエンドウの苗を植える準備が整い、先日夫と畑に出かけていって土を耕した。

ふと思った。私は今年も当たり前に畑をして、当たり前に野菜を作ろうとしている。しかし、当たり前であった多くのことが、今日本では当たり前でなくなっている。そう思った瞬間、私の目には、今自分が立っているこの大地も、もう当たり前ではなくなっていた。

毎年春になると、中国からの黄砂で、私の車の窓も汚れる。日本からの放射性物質も、微量だが確実にこちらに届いている。私たちは海で繋がっている。大気で繋がっている。

もう自分だけ、自分の町だけ、自分の国だけ、という考えは通用しなくなってきている。なくなりそうだから、買い占めればよいというものではない。貯めれば安心というものでもない。

日本からの放射性物質が海を越えて、アメリカ西海岸に到達するという知らせに人々が騒ぎ、ヨードカリ錠剤を買い占める動きがあった。その晩、ニュースで専門家が「そんなのは気休めで、ほとんど意味がないと思ってよろしい」と言っていた。

これを聞いたとき、新聞で読んだある先住民の言葉を思い出した。シアトルダウンタウンの近くの湾に流れ込む川の汚染が深刻化していることを伝える新聞記事にあった言葉である。

「私達は先祖の時代から、ずっとここでサケをとり続けてきた。サケは私達の命綱。川が汚れ、健康を害するとわかっていても、私達は先祖がしてきたように、ここでとったサケを食べ続ける。それが私達の生き方だからだ。大地と共に生きるということは、そういうことなのだ」

なんてバカな考えだろうと笑う人もいるだろう。店に行けば、アラスカ産のサケがいっぱい売っているじゃないか、と言う人もいるだろう。

先住民の人たちは、常に7代先を考えたところを軸として今を生きてきた。未来に対する責任は、今ここにあることを知っているからである。大地が病む時は、私たちも病む。大地と共に生きるということは、あらゆることを共にするということでもある。

彼らの言っていることが、今、心に響く。

今日、ニュースで25年たったチェルノブイリを訪れた記者が、周辺住民の深刻な健康問題や胎児の奇形、子供の死亡、生息している鳥や虫の奇形のことを語っていた。彼らの苦しみは今も続いている。

私達が病み、選択を間違い、大地が病んでしまい、それが自分たちに返って来ている。そのことがわかっていても、行動しなければ、やはり何も変わらない。

空に向かってつばを吐き、逃げたとしても、他の生き物に降りかかる、私達の子孫に降りかかる。蒔いた種は刈り取らなければならない。海水が蒸発し て雲になり、山へ移動して雨となり、川となって戻ってくるように、私達は大いなる循環から逃れることはできないということを、忘れてはならないと思う。

便利な時代になり、物が溢れ、仮想的な社会が広がり、生きることの意味がわからなくなり、歪みに歪んだところから、亀裂が入ったようである。

自分の内面を見つめて自分を浄化し、自分を愛し、今を楽しく生きることにフォーカスを置いてきた自己探求の段階から一歩先には、これを軸として、未来に対し無限の責任を持つ意志と、そのための選択を積極的に行う姿勢が見えてくる。

私も現実を直視し、そこから未来への道へ繋げるべく、もっと意識的になることから始めようと思う。

あらゆるものとの繋がりと未来への責任に関して、日本にいる私の友人が素晴らしい日記を書いていますので、ご紹介させていただきます。


<以下転載>

私は、放射能などの科学的な専門家ではありませんが、御縁で関わって来た方々から学んだ、原発に繋がる問題を共有させていただきます。

原発に使われる核燃料のウランが採集される場所の多くが、先住民の方の聖地になっています。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、オーストラリアは、世界一のウラン輸出国であり、アボリジニの方が生活し、神聖とされている場所にウラニウムが埋蔵されています。北オーストラリアのカカドゥ国立公園 内ジャビルカ鉱山、そして南オーストラリアのロックスビーダウンウラン鉱山などから、年間輸出量1万トンのうち、3000トンは日本へ輸出され、日本の原発の燃料として使われてるそうです。

ウラン鉱山開発は、もともとそこに暮らしてるアボリジニの方たちに、様々な深刻な問題を引き起こしています。ウラン鉱山では、採集時に大量の水を使うため、あっという間に汚染されます。地下水を頼っているアボリジニの方々、そこに生息する動植物たちに、その汚染は広がって行きます。

そこに住むアボリジニの古老たちは、『ウランはそっと大地の中に、そのままにしておいて欲しい』と、おっしゃっていました。

日本で原発を通じて、私たちが得られる電気の一部は、オーストラリアのアボリジニの方たちが守り続けている大地の資源によってまかなわれているのですよね。同時に、その大地で、ウラン鉱山の汚染が原因で、心身共に苦しい生活をされている方々がいらっしゃいます。

原発ではありませんが、核燃料に関しては、長崎に投下された原爆に使われたプルトニウムの抽出作業を行った、アメリカのワシントン州南部のハン フォード核施設を訪れた事がありますが、現在でも、抽出されたプルトニウムは、ドラム缶などに入れて、埋められ、沢山放置されたままで、深刻な汚染が続き、撤去作業が行われているそうです。

その周辺に住むヤキマ族の先住民の方や、放射能汚染による被害者の方と時間を共にし、お話しを聞かせていただきました。ハンフォード近辺に流れるコロンビア川が汚染されているため、そこに帰って来る鮭も汚染され、その鮭や、その土地で育った野菜を食べて育った方たちの多くが、甲状腺の問題を抱えて います。手術をされる事も多く、首のあたりに手術の跡が残って、その特徴からその傷の事を『ハンフォードネックレス』と呼んでいるそうです。私の友人の首にも、そのハンフォードネックレスがあります。

ヤキマ族の方々も、アメリカ北西部の先住民の方々と同じように、鮭が重要な食べ物であり、鮭が彼らのアイデンティティです。その汚染された鮭が象徴のように、彼らの文化や在り方、生き方、そして、その大地も汚染されてしまっているのです。ヤキマ族を代表する、環境問題などに力を注がれている、スピ リチュアルエルダー(精神的指導者の長老)のラッセルさんに、お話しを聞きました。その土地と共に生きてきたヤキマの民にとってハンフォードの汚染が及ぼす影響は深刻でした。健康に関する問題、貧困、差別、アルコールや麻薬などの依存症等の沢山の問題が後を絶たず、また若者に伝統や言語、神聖さなどを伝え ていくことが非常に難しくなっているそうです。


広島の原爆に使われたウランが採集された場所も、アメリカ南西部アリゾナ州などの先住民の聖地であります。その周辺のウラン鉱山は、放置されたままのところや、汚染物が捨てられた場所が多く、現在でも被爆され、放射能汚染で苦しんでいる方が、沢山いらっしゃるそうです。

先住民の方たちや仲間たちと共に巡礼し、歩いた時に、それらの汚染されてしまった聖地を周り、祈りを捧げ続けました。


そして、今回の福島原発の放射能漏れで被爆され、非難されて、困難な状況にある方々。オーストラリアやアメリカで被爆された先住民を初めとする方 々、チェルノブイリや、スリーマイル、東海村や、様々な所で被爆され、その汚染に悩まされている方々がいらっしゃいます。そして、それぞれの鉱山や原発で働いている方、撤去作業をされている方。彼らの御家族。この全ての方の問題は、こうして、安心して電気を使っている私たちに繋がっており、決して切り離せない循環になっているように感じます。

過去からの、表面に公開されていない彼らの願いを共有し、意識して考えてみる事が、希望のある未来に繋がって行くきっかけになるのではと、心から感じ ています。その悲しみがあってこそ、困難をどう乗り越えて行くのか、どのように希望を持って生きていくかという事を、考えることができると思うのです。

様々な人たちの心や想いが繋がっています。原発のエネルギーをありがたく思っている方の気持ちも、原発が原因で、苦しい想いをされている方の気持ちも。色々な事が、全て繋がっています。そして、様々な方面で、その影響が繋がり、広がり続けて、終わりの無いサイクルが続いています。

放射能のように、目には見えませんが、この原発の問題は、確実に、過去から繋がり、今が未来に繋がって行きます。この繋がりをどのような循環にして行くのかは、全てに繋がり関わる私たちの志次第ではないでしょうか。


長々と書いてしまいました。
読んでくださって、ありがとうございます。

皆さんが心身共に、健やかでありますように。

未来のこどもたちが、またその先に繋がる未来を夢見る事が出来る世界を、
創って行く事ができますように


All our relations,

2011年3月27日

すべて祈り

手を合わせることも祈り

でも、それだけではない


今そばにいる人に優しい言葉をかけること

夫に「いってらっしゃい」と言って送り出すこと

道ですれ違う人に挨拶をすること

小さな子供に微笑みかけること


生きているからこそ

生きていればこそできること


「ありがとう」

「一緒に頑張ろうね」


ただ手を握る

それも祈り



こうして書くことも

歌うことも

踊ることも

絵を描くことも

すべて祈り


今生きている、そのことの中で

至るところに祈りがある


そこにいるだけで
感謝できる


そこにいるあなたという
存在そのものが祈り





喜びと可能性を歌う鳥(手法:タッチドローイング)







広がり






母と私の絆



<タッチドローイングは、紙の上で感じるままに指先を動かすことで描く手法です。描いた後でパステルで色を付けました。タッチドローイングのホームページ: http://www.touchdrawing.com/index1.html


2011年3月22日

笑いの力

一昨日、マイミクで霊気の先生でもある方のお宅に、11人ほど霊気仲間が集まった。みんなでホ・オポノポノを織り込んだチャクラ瞑想をし、霊気をした後に、仲間の一人の送別会を兼ねてカラオケになった。

歌うこと、声を出すことは、それだけで癒やしになるが、一昨日はそれをはるかに超えてしまった。山本リンダの替え歌を作ってウララ~、ウララと歌う人、桑田佳祐をまねて歌う人、それがあまりにもひょうきんでユーモアに溢れているため、みんなお腹が痛くなるほど笑った。別に人を笑わせるためにやったのではないと思うが、ただただ笑えてくるのである。

日本で苦しんでいる人がたくさんいるこんなときに、不謹慎な・・・と思うだろう。頭の中はそう思っていた。しかし、ハートは笑いを優しく見守っている。

笑いは生きている証のひとつ。

「逆も真なり」という言葉が浮かんだ。

全く正反対のことも、等しく真実である。

被災地の惨状、被災者の苦しみ、悲しみ、不安、それらすべてを共に感じることで胸が苦しくなったり胃が痛くなったりする一方、腹がよじれるほどの笑いも出てくるのである。この体から。

すべてが等しく真実。

歌う人、それを聞いて笑い転げる人、みんなとてもいとおしい。みんな今ここに生きている。様々な思いを胸にここに集い、一緒にいるからこそ、こんな風に笑うことができた。

被災地でのインタビューでマイクを向けられた男性のことが、ふと頭に浮かんだ。その男性は涙をこぼし、込み上げる思いが喉につまってしばらく言葉にならない様子だったが、やっとのことで振り絞ったように言った。

「また笑って酒でも飲めるようになりたい」

私は胸がカーッと熱くなり、涙が込み上げた。

絶望、苦しみ、哀しみ、無力感、怒り、恨み、不安、恐怖、忍耐、喜び、感謝、勇気、情熱・・そして笑い・・・どれもすべて等しくここにある。そう感じた。

人間であることがいとおしい。

生きていることは全体であること。様々な状況の中において、人や物事との関わり合いの中で体験し味わう。様々なことを分かち合ってゆく。そう感じた。


今日、友人からとても嬉しい知らせがあった。脳梗塞で緊急手術となり、術後何日もとても危険な状態をさまよった妹さんが、昨日、横で看病していたお父様のオナラに笑ったということである。

私も、13歳の時に盲腸の手術ミスで卵巣に傷をつけられ、2週間ほど入院したことがある。点滴を受ける日が続く中、体から力が抜け落ち、呼吸をすることも辛くて辛くて、ただ立っているだけの人を見ても、それができることだけでも、ものすごく羨ましかったのを覚えている。

そんな辛い日が何日か続いたある日、ずっとそばにいて看病してくれていた母が、手鏡で自分の顔を見て、

「あれっ!ホラこれ見て、何日も毛 抜いてなかったで、こんなになってしまった」

と言って、私の顔の真上までグイッと体を乗り出して見せてきた。どアップの母の鼻の下が・・・毛抜きを使っていると次から生えてくる毛は太くなるが、3ミリくらいの黒くて太いのがそこらじゅうから勢いよく出ているさまに、縫った後まだくっ付いていないお腹が裂けそうに痛いのを我慢しながら、笑った(結局、再度縫い直すことになったが)。

生きる力が大逆転して、そこから元気になった。

被災者の苦しみや哀しみはどれほど深いことだろう。どれほど多くの人が同じ気持ちでいることだろう。だからこそ、笑える人は笑ってよいと思う。

笑いの力を振りまいて、生きていることの喜びから、勇気や情熱を呼び戻すことも等しく大切ではないだろうか。

逆もまた真なり

私のハートはどうもそれを言いたがっているようである。

2011年3月18日

愛の星 地球

家の近くの自然公園に行きました

そこは、もう春の音と色でいっぱいでした


私の悲しい心に呼びかけるように

リスが微笑みかけてくれました

どこからでもまたやり直せるのだと



小さな木の芽が呼び止めました

ほら見て、こんな力があるんだよと




















スギナの芽も下から呼びかけてきました

光に向かって生きるんだと




大好きなスギの木の前に立ちました

この力強い太い幹は、様々な出来事を見守りながら
年輪に刻んできたのでしょう



地球上の生きとし生けるもの
全ては授かった命
大いなる源から授かった力

風に飛ばされ
土の上に落ちた種が芽を出し
成長するように

人間にもある
生きる力と智慧
新しい道を選ぶ意志

私達は地球の細胞のひとつ

地球に属し
大いなる循環の中で

ほかの生き物たちと共に呼吸をし
生きていくのです

人が一人では生きていけないように
地球のあらゆるものが互いに支え合っているのです



 大いなるバランスの中で





地球は愛の星

花々が微笑んでくれています





地球は私達が生きてゆく愛の星




<写真: シアトルのラベナ公園にて OSHOカードの We are the World

2011年3月14日

和(輪)の心

家族が辛い思いをしている時、それは伝わってきます
どんなに遠くにいても

愛する祖国が苦しんでいる時、それは伝わってきます
海を隔てていても

体を通して、それは信号として伝わってきます

じっとしていても胸が押しつぶされそうだと
こちら(シアトル)にいる私の友人が言いました

私はずっと胃が痛く、頭痛があり、熱っぽい感じが続きました

あらゆるものが津波にのみ込まれて行く映像を見ながら
どうすることもできない無力感を味わいました

人間なんてちっぽけな存在
文明や科学がどれだけ発達しても
人間なんて、ほんとうにちっぽけな存在

でも、確かなことがあるのです

それは、私達の愛の力です
生きる力です
絆です

日本の皆さんが心を一つにして、助け合っています
こちらでも、何かの役に立てないかと、皆が動いています
世界中の人々が心を痛め、日本を応援しています
昼も夜も、祈りは途絶えることはありません

昨日、日本を包む大きな愛が感じられました

地震が起こる前日からふとあるイメージが浮かんで、手が動いていました。そこからは、刻々と変化していますが、昨日描いたものを、恥を忍んでアップします。

私が愛する日本の底力は「和(輪)の心」であると感じています。それはとても美しい心です。

これからも長く険しい道のりが続くと思われますが、どうか皆さん、皆で力を合わせて新しい世界を築いていきましょう。


                         昨日前半に感じました 



                         昨日後半に感じました