2008年3月11日

常識がない方がよい

最近心に響いた言葉は、「常識がない方がよい」と「知り過ぎない方がよい」。

常識がないということが、プラスをもたらす場合があるということ。

国語大辞典によると、常識の定義は「普通の社会人として当然持っている、持っているべきだとされる知識や判断力」。

常識とは、私たちが日々の生活の中で正しく機能するために必要なものであり、人間関係を円滑にしたり、物事をスムーズに進める上で大切なもので、普通誰でも身につけているものであると私自身も理解している。特に日本という社会では、常に一般常識の上に行動があるように思う。

しかし、よく考えてみると、それは社会という枠組みの中で過去の経験に基づいて出来上がったものであり、すべての人に共通するものでも、永遠に有効であるものでもない。実際、アメリカに住むと、日本人の常識は通用しないことをひしひしと感じる。それもそのはず、枠組みが全く違うからである。

風の強かった今日、風に流されて刻々と変わっていく雲の様子をボーッと見ていた。宇宙は常に変化している。自分自身を見てみても、今この瞬間にも、ひとつひとつの細胞が一秒前のものとは異なっている。

全てのものが変化する中にあり、人間だけがそれに抵抗しているのだろうか。地球は大きな変化のときにあり、変化のスピードは加速しているように感じられる。その特別なときにあり、新しい時代へと切り開いて行くパイオニア的役割のある人々は、常識をはずした方が前へ進みやすい。常識にとらわれると「枠組み」の中で考え方が固まってしまう。それなら、最初からそのような枠組みがない方が自由な発想ができる。

もうひとつの言葉である「知り過ぎない方がよい」。これもプラスになることがある。昨今、情報が溢れ、また情報にすぐさまアクセスできるようになり、簡単に知ることができるようになった。本もたくさん出ている。知ろうと思えばいくらでも知ることができる。

しかし、情報ばかり先走り頭でっかちになったり、知り過ぎて恐怖感が生まれて身動きできなくなったり、新鮮さがなくなったら、創造や経験を心から楽しむことができなくなるだろう。

不明な部分、神秘の中に身を投じて得る発見の驚きや喜び、それ自体が大きな創造の力を持っており、次の可能性へと繋がっているのである。

私たちは限りない創造力を持っている。枠組みは過去から作られたもの。特にパイオニア的役割のある人々にとって、常識がなく、知り過ぎないことが、現在から未来へと進んでいく上で役立つとき、そういう時期であるように思う。

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Junko Kurata さんのコメント...
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