2008年10月6日

生きる力のプレゼント





昨日、私は天から降ってきたような思わぬプレゼントをいただいた。

私の友人は、シアトルに住む日系人の高齢者のために、食事会や小旅行などの楽しい行事を計画して実行する仕事をしている。その友人から一昨日電話があり、参加者が一人急に欠席することになったので、その代わりに私に来ないかということであった。クルーズ船の中でジャズを聴きながらブランチをするという行事で、支払済みのチケットが1枚あるという。

エリオット湾上をクルージングしながらブランチとジャズを楽しめる、それもタダで、ということで、私は二つ返事で招待を受けた。

前日シアトルは嵐で、停電になるほどの猛烈な風雨に見舞われたが、昨日は風はすっかりおさまり、時折うっすらと青空さえ見えた。

参加者は全部で16人。ほとんどの方が80歳以上で、一番高齢の方は91歳の男性だった。といっても、皆さんとても元気。少々足が悪くても、杖を突きながら積極的に様々な行事に参加されている。昨日も、皆さんとても80代とは思えないほど、イキイキハツラツとしていた。

この方たちはアメリカで生まれ育った日系二世。親はアメリカに移民としてやって来た。ほとんどの方は英語を話すが、日本語も大体わかるようである。

高齢者の方たちと一緒にいると、とても穏やかなエネルギーに包まれて心がホンワカする。私の両親よりかなり年上であるが、気分が若いので、ほとんど自分の親と話している感覚だった。埠頭までのバスの中で、私の隣に座ったキヨコおばあちゃんは、おもむろにバッグから梅干あめを出して、私にくれた。昔の日本のおばあちゃんみたいである。皆さん、日本には特別な思いがあるようで、私の出身地や家族のことなど、色々と尋ねてきた。

船に乗り、ジャズの演奏が始まると、ダンス好きの私の友人はリズムに乗って体を揺すり始めた。すると、その隣に座っていた91歳のジェームズおじいちゃんも、足でリズムを取り、恥ずかしげに音楽に合わせて手を動かし始めた。それを見て、みんながニコニコしてジェームズおじいちゃんを写真に撮ったり、一緒に体を揺すったりと、とても和やかな雰囲気になった。

このおじいちゃん、おばあちゃん、本当に楽しそうだなあ。でも、その裏に、皆さん計り知れない苦労や苦しみ、悲しみがあるのである。アメリカの日系人は第二次世界大戦中、ライフル銃を持った兵士が監視する強制収容所での辛い生活を強いられた。

ミヨコさんは、小学6年生のとき、たまたま祖父母を訪ねて日本に遊びに来ていた最中に戦争が勃発し、両親は強制収容所に入れられ、自分は終戦まで徳島の祖父母の所に残る破目になった。外見は普通の日本人と何も違わないが、字は平仮名しか読めなかった。地元の小学校に通うことになり、読み書きができないため1年生のクラスを勧められたが、本人はそれは絶対に嫌だったため、無理押しして6年のクラスに入った。

元々色白のミヨコさん、日本人の顔をしていても中身はアメリカ人。日本語もおぼつかない。クラスの男の子たちに、「メリケン子(粉)」と言ってからかわれた。悔しくて悔しくて、家へ帰って毎日泣いたそうだ。そんな彼女に祖父は人の10倍頑張れと言って励まし、彼女は本当に人の10倍頑張って、後にはクラスでトップの成績を取れたという。これは並大抵の苦労ではない。

楽しそうにリズムに乗っているジェームズおじいちゃんも、そのような時代に日系人の男性としてアメリカで生きていくには、大変なご苦労があっただろう。誰もわざわざそのときのことに触れて胸中を語るようなことはしないが、私には想像もできない辛い思いがさぞたくさんあったのだろうと思うと、何とも言えない気持ちになった。

戦争に翻弄され、差別と屈辱の時代を生き抜いて来られたこの方々。皆さんそれぞれに、家族を思い、子供の未来を思い、アメリカ国民としてアメリカのために人の10倍頑張って生きて来られたのだろう。

今ここで明るくニコニコ笑っている。自分から積極的に外へ出て行って、元気に今を楽しく生きている。その姿に胸がジーンとした。

この日、私はクルージングとジャズとブランチだけでなく、おじいちゃん、おばあちゃんから、生きる力というプレゼントを逆にいただいて帰って来た。


写真1: エリオット湾から見えるシアトルのダウンタウン
写真2: 船内のブランチ

0 件のコメント: