夜あれだけうるさかったポンセの街は、翌日ひっそりとしていた。日曜日だったこともあり、教会やその周りだけには人がいるが、それ以外は閑散としている。
プラザ前の博物館、以前は消防署だった。それにしてもすごい色。
ポンセは地形上、ハリケーンの影響を受けることはあまりないそう。
店はほとんど閉まっているため、私たちは近くにある先住民資料館に行ってみた。最初に見たのはカーニバルにまつわるアート作品。ポンセのカーニバルでは、人々は派手な衣装と仮面を付けて街を練り歩くそうである。アフリカ、スペイン、カリブの文化が融合したプエルトリコならではの特徴的なデザインがアート作品となった。
「カーニバルの目」と題する作品
コウモリと魚と鳥が合わさったようにも見える
次に先住民のコーナーへ行った。コロンブスがやってくる前まで、この国にはタイノ族が住んでいたが、スペインからの入植者によって征服され、疫病などでタイノ族の社会はほとんど絶滅したという。
ショッキングなものが目に飛び込んできた。タイノ族の頭蓋変形の写真である。4つの写真の上は普通の頭で、下は変形させたもの。
乳児の額を板で押さえている。説明によると、これは審美的な目的でなされたということであるが、この習慣はユーラシア大陸やアメリカ大陸の各地で見られるそうである。部族によっては、階級や集団を示すため、または宗教上の目的で行ったと推測されている。
「うあわ、この時代に生まれてなくてよかったなあ!」夫がおもいきり顔をゆがめて言った。「それにしても、先住民というと自然との調和ってイメージが強いけれど、「美」のためにわざと変形させるのって、今と全然変わらないじゃない」
美が目的だったかどうか本当のところはわからないと思うが、「型にはめて」ありのままの姿を意図的に変えたことだけは確かである。中国の纏(てん)足を思い出した。
審美観も社会的地位という階級も、宗教や儀式も、人間が集団で生活することから必然的に生まれたことなのだろう。だとすると、人間が歴史の中で長く引きずっている「歪み」のようなものも見えてくるような気がする。
この資料館の外には、タイノ族に先行する部族が行った儀式跡と植物園がある。2,000年も前に遡るこの儀式跡は、1975年のハリケーンによる洪水で偶然発見された。
出土した石を元に再現された幾何学模様の石。その並びは太陽の動きと関係があるらしい。
この石を前にして前方との石の並びを見ていたとき、なぜか子宮にピリピリとエネルギーを感じた。ここでは、亡くなった酋長を生きている妻と共に埋葬したという。
仮設的な小屋
植物園のあちらこちらに生っている実。この実を乾燥させて楽器のマラカスを作る。
この日の半分をポンセと資料館で過ごしたため、その後は本日の宿泊地ファハルドまでの移動となった。
ポンセは黄色いピンの所。ポンセを出て、緑色のピンのある場所ファハルドへ向かう。
カリフォルニアに似た景色
途中で立ち寄ったスーパー。ココナツと多種多様なイモ類。
夕方、目的地のファハルドに到着した。ここで夜の海にボートで繰り出して、発光するプランクトンで青白く輝く海を見る予定だったが、日曜日はツアーは休みだった。どうも縁がなかったようだ。
ホテルの窓の外で「コキ!コキ!」とコキガエルがさかんに鳴いている。空を見上げると、自然のプラネタリウム。静寂の中でまたたく星を見上げていると、体中が穏やかになって意識が溶けていきそうだ。風が運んでくる島の生き物たちの声、植物や土の匂い。なんて豊かな島なのだろう。
明日は、米国最大規模の熱帯雨林であるエルユンケ国立公園でハイキングする予定。
エルユンケ上空だけを覆う厚い雲
<つづく>
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