2011年5月8日

魂の母胎(3)


「どうしたら憎む相手を理解し受け入れられるのだろう?心の最も深い中心にある愛の泉にはどうしたら辿り着けるの? あの憎しみと苦しみと悲しみと絶望の時に・・・」とある友人が尋ねた。

憎しみと苦しみと悲しみと絶望・・・その全部が一度に押し寄せる感覚。おそらく、同時多発テロの遺族の方々は、そのような感覚だったのだろうと思う。

私はこれまでそのような体験はしていない、少なくとも顕在意識の範囲では。

しかし、別の意識の領域で記憶が感覚としてありありと蘇ったことがある。そのときの体験と学んだこと、さらには個人レベルを超えて並行して起こった出来事についてシェアしようと思う。

昨年日本でカウンセラー・セラピスト養成講座の受講を終えてシアトルに戻ってから、カラスに導かれ始め、夏が近づく頃、古い時代から私を呼ぶ影がジワジワと現われ始めた。

夏になると心がザワザワし始め、落ち着けなくなった。あることに対してイライラしている自分がいる。自分なのに自分でないような不思議な感覚。

洗面所の鏡の前に立つと、そこに写った私の上半身は半透明になったかのように、もう一人の人物が重なるようにそこにいた。今の自分のシルエットと一致する、いかり肩で頭に羽飾りを付けたインディアンの男性の姿。見た瞬間、それは過去世の自分であるとわかった。

私の中から出てきた彼が私に何かを伝えたがっているのを感じたため、私は昨年学んだセラピーの一手法を使って、一人でセッションをすることにした。

座布団を二枚用意し、片方はインディアンの自分、もう一方はイライラの相手として、二枚を向かい合わせにして配置した。

まずインディアン側に座ってみた。すると、たちまち感覚が蘇ってくる。黒い羽根をつけ、やや痩せた筋肉質。30代前半か? 動物の毛で編んだような灰色のブランケットをまとっている。喉が詰まるような感じがし、胸は暗く悲しみでいっぱいになった。それに合わせるかのように、腰の下の方がズキズキ痛み出した。

その男性である私は、乾いたやや小高い丘のようなところで、縄で縛られ地面に座らされていた。騎兵隊のような集団が攻撃してきた。私は男として女や子供達、みんなを守る義務がある。しかし、捕らわれて縛られているため動くことができず、逃げ惑う女・子供が追われ(さらに残酷なことが起こる感じ)、集落が焼かれ、全てが壊されていく惨状を眼下に、どうすることもできない。奪われ、破壊されていく。無力感と激しい憎悪に襲われた。それは変にリアルな感覚であった。

その後、キリスト教に改宗させられることへの抵抗と憤りと共に、生き方も尊厳も剥奪され、大切にしてきたありとあらゆるものが否定され、奪われ破壊されることに対する理不尽さと無力感は激しい絶望感へと変わり、感覚が麻痺してもう何も感じられなくなり、目はうつろになり、魂の抜け殻と化してしまった。

次に、相手側の席に座って、その相手のエネルギーを感じてみた。この人は指揮官のような立場にあり、誇りとプライドが感じられる。インディアンは自分たちとはあまりにも違いすぎる。存在そのものが野蛮で得体が知れない。特に黒い羽根が怪しく魔法のようで悪魔を思わせ、気味が悪い。この得体の知れない者をやっつけたい、やらなければ自分たちがやられてしまう。

この指揮官は、相手に対して全く興味を持っていなかった。「相手のことを知りたいとも思わない」という考えに、心は固く閉ざされていた。

この考えは、今の私にとって衝撃的だった。理性は感じられたが、無関心が生み出した無慈悲と残酷さは、行動に現われていた。

魂の抜け殻のような絶望しきった側と、誇るべき文明と宗教を持ち、相手を知りたいとも思わない側。

その両方を感じ取った後、賢者・シャーマンの席と呼ばれる第三の席に座った。

その途端「主よ・・・、癒やしをもたらしたまえ」というキリスト教的な言葉が自然に出てきた。シャーマンの席から右側は指揮官、左側はインディアンの男。それはいつしか、個人を超えたインディアン対白人という集団の意識に変化していた。

シャーマンが右手と左手を差し出し、天秤のように比べ始めた。左右のエネルギーに格段の差があるのがはっきりとわかる。ネイティブの人たちが負った傷はあまりにも深く、彼らの方から動くことは難しい。右手(白人側)にたくさんエネルギーが入ってきて、そこに白いスペース(余裕)があることがわかる。

シャーマンは右側にいる白人に言った。「あなた方から歩み寄りなさい、謝りなさい」

その瞬間、白人側からネイティブの人たちへたくさんのエネルギーが向かうのを感じ取った。「ネイティブの人たちはそれを受け取りなさい」

シャーマンは続けてこう言った。
「相手を思いやるときに、心が開かれる。思いやりの心は開いた心である。形や言葉で示すこと(例えば、新たな(土地返還など)契約を結ぶ又は古い契約を解除すること)は、今、白人とネイティブの人たちの間で具体的な手段として意識化することになり、それは意味があって必要なことで、これからの人々にとっても大切なことだが、意識の奥に埋もれている部分(例えば、今は白人でもネイティブでもないが過去にネイティブとしての人生を生きた人たちが記憶として持つ感情、ひいては歴史が作り出した人類の苦しみの集合意識)の癒やしへの道は、「今ここ」で相手を受け入れ、尊重して思いやることから始まる。それは、目に見えないレベルの愛と癒やしをもたらし、魂レベルの理解をもたらしている。過去を終えて、ここから新しい出発にしなさい」

最後に、生きる力をなくしてうつむいていたインディアンの私に向かって、シャーマンは諭すようにこう言った。
「相手がどれほど深く傷つけても、どれほど奪い取っても、魂まで奪うことは決してできない。それをよく覚えておきなさい。おまえはまだ若く、学ぶことがたくさんある。サケの教えを思い出しなさい」

「魂を奪うことは決してできない」という言葉に、内側から光が見え、枯れ果てた心が少しずつ光で潤ってきた感覚になった。この苦しみや悲しみはおそらく消えることはないだろうが、過去は智慧と力になることを知っている。

シャーマンに「サケの教え」と言われたので、本でその教えを調べてみた。

産卵のために遡上するサケは、原点に戻ることを教えている。激流という外的な力に屈することなく、腹の感覚(直感)と内なる智慧により判断し、それを尊重することで、道を外れることはない。サケの銀色の皮は、多くの学びを映し出している。内なる智慧は、人生におけるすべての体験を苦難としてではなく、成長のための学びとして受け入れ、自分の偽りのない気持ちに従ったときに、初めて正しく使えるのである。サケは川の曲がり角を、成長のための教訓を伴った新しい冒険と捉えることを教えてくれる。

私の中から出てきたこのインディアンの男性は、自分でも気づいていなかったがずっと私の中にあった憎しみや悲しみ、苦しみに気づかせ、そこから前に進むことを教えようとしていたと感じる。

魂が奪われることはないという言葉に彼の中に力が蘇ってきた時、同時に私の中にも力が湧いてきた。その時、彼は私の中で力に変化して、私の一部となった。

このセッションでもうひとつ私にとって驚きだったのは、指揮官が「相手のことを知りたくもない」という考えだった。これは、大きな分離と歪みを生み出す原因になり得ると思う。それは謙虚さ、相手に対する尊重と寛容の心をなくし、一歩間違えば自己中心で傲慢になり、力による征服という方向に走りかねないのではないだろうかと感じた。今でこそ思うことだが、この指揮官も、私の中にあるのではないだろうか。

過去や過去世の体験からより深い理解がもたらされ、それが智慧という力になることで、今をよりよく生き、未来へと繋いで行けるならば、どんな過去であっても、それは愛と感謝と敬意に包まれるのではないかと私は思う。

このセッションは私個人の感情のためのものであったが、翌日地元の新聞を見て仰天した。

第一面に大きな見出しで「条約締結者の子孫が155年後に謝罪と和解のために集う」とあった。155年前の1855年、ポイントエリオット条約により、地域のインディアンは所有地のほとんどを放棄し白人に譲った。

その白人締結当事者の四代目子孫が、契約に署名した酋長チーフシアトルの四代目子孫に締結場所で謝罪し、「今日この日が癒やしの日となることを望みます。私たちが差し出せるのは今日しかありません。今日が新しい始まりの日です」と言って和解を求めたという歴史的な出来事であった。

謝罪と共に「私たちは共にアメリカ人なのですから、友情の絆によって癒やす必要があります。同じアメリカ国民として協力し合うことが大切なのです」との言葉をネイティブ側は受け取り、両者は共に祈り、友情の植樹をしたということであった。

まさにセッションでシャーマンが言ったことが、その当日に起こっていたとは、私はただただ驚くばかりであった。

過去があるから、よりよい未来を築くための今がある。個人を超えて、国を超えて、地球全体に同じ人間としての理解と愛の輪が広まることは、過去世のインディアンの男性が体験した苦しみと悲しみから受け継いだ今の私の祈りである。


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