タイトルは「ココナツ事件」。主演は夫で助演は私。でも、結局は私のドラマだった?
夫は「デザート食べる?」と私に言って、先週自分が作った残り物のタイのスティッキーライスとココナツミルクを冷蔵庫から出して温め、トッピングにするためのココナツシュレッドをトレイに広げてオーブンで炒っていた。
二人が台所に立つと、通常、夫は私がいると邪魔だと言ってイライラし始める。私はこのときもなんとなく嫌な予感があり退散することもできたのだが、もう一人の自分はそれを引きとめたので、私はそこにいることにした。私は、オーブンの前に立ちはだかる夫の横にある冷蔵庫から大きな生鮭を取り出して、流し台で切り身を小袋に取り分ける作業にかかろうとしていた。
鮭を袋から出そうとしたとき、後ろで夫が何かを叫び始めた。振り向くと、開いたオーブンの中がオレンジ色になっている。慌てて取り出したココナツから15センチほどの高さの炎が上がり、こんがりどころかボーボー燃えているトレイを持った夫は、ものすごい形相でパニックになり、流し台に立つ私に向かって叫び立てている。
「鮭をどけろ!!」
怒鳴られているが、その声が入ってこない。昔は相手に大声をあげられるとビクビクして萎縮したものだが、最近はどうもふてぶてしくなったのか、パニックに便乗しなくなった。というよりも、観察する側の自分の方に便乗していたのかもしれない。
調理しているシェフがよくフライパンにワインをさっとかけて、バッと炎が上がるのを、見事な手さばきで処理している・・・それと同じくらいの大きさの炎だなあ・・・さて、この人はこの後どうするんだろうう・・・などとのんきなものである。火事の危険性があるなんて、微塵も思っていない。
私の動きは著しくスローになっていた。鮭の長さは35センチくらい、重さは3キロくらいあり、それが12切れほどの切り身になっていたため、カウンターの上に乗せようとしても、手からボロボロとこぼれ落ちてしまった。なぜか私は急に動きが止まり、切り身を流し台の中に残したまま後ろに引いてしまった。鮭をどけず、私がどいていたのだった。
燃え上がるトレイを持ったまま、夫は流しに投げ込むこともできず、ほとんど発狂状態になって、流しとオーブンの間を右往左往している。オーブンの上にも物が置いてあるので、トレイを置くスペースがない。
「鮭をどけろー!!!」
四角い鬼瓦のような顔になった夫は、炎のトレイを持ったまま私に迫ってくる。トレイの炎が彼自身にも飛び移ったように、愚鈍な私に対する怒りの炎が体中からメラメラしているのがわかる。
「さあ、このドラマもいよいよクライマックスに差し掛かってきたぞ」
私の少し上で、不思議なほど冷静で全く動じていないどころか、このドラマを楽しみ、その結末を待っている自分がいる。まだ、私は全てを静観している自分の方に留まっていた。
そのことに気づくと、今度は肉体に急にパチンとスイッチが入り、私は急いで鮭をどけた。夫は、燃え盛るココナツを乗せたトレイをひっくり返しそうになりながら、ガシャン!と流し台の中に放り込んで水をかけた。
ジュー!!っという音と共に煙がもうもうと立ち上がり、次の瞬間には、隣の部屋の天井の火災報知機が耳をつんざくほどの音で鳴り出した。その音にさらに怒り狂った夫は、火災報知機を止めようと、手足をバタバタさせながら走り回っている。私は急いで換気扇をつけ、窓やドアを開けた。
火災報知機のバッテリーをはずして台所に戻ってきた夫は私の前に立ちはだかり、その顔は鬼瓦からさらに別のものに豹変していた。
「DO EXACTLY WHAT I TELL YOU!!!(俺の言うとおりに行動しろ!!!)」
「!・・・・」
究極の命令の言葉。
30センチほど向かうから発せられたこの言葉が、正面から私にぶつかってきた。
彼にすれば当然のことを言っていたのだろうが、このとき私の頭は勝手にこの状況を飛び出して、私は自分の古くから持ち続けてきた感情に突き刺す言葉として受け取り、怒りとなって反応した。
「おお~来た来た」このときも不思議な感覚になった。客観的に観察しているもう一人の自分が、感情という池の中から魚を釣り上げるのを待っていたかのようだった。上から極めて冷静に見ている目。
夫は仁王立ちになり、にらんだ目は一点に固定されていた。私はそのエネルギーを感じ取ると、すぐにあるイメージが浮かび上がった。すると続いて、威圧的なエネルギーから逃げる自分のエネルギーも感じ取れた。意外にも、それは鬼ごっこのような感じだった。
相手は自分という映写機が映し出している投影だと、バイロン・ケイティは言う。彼女は苦しみを引き起こしている考えを突き止め、問いを投げかける方法である「バイロンケイティ・ワーク」の創始者である。
夫は怒鳴ってから部屋で黙々と仕事を始めた。その後ろで私は黙々とバイロンケイティのワークを始めた。「苦しい考えが浮かんだら、ワーク」最近の私のモットー。これは絶好のチャンスなのである。
ワークのステップの途中に「その考えがなかったら、あなたはどうなりますか?」というのがあるが、夫に対して持っていた考えを横にどけると、そこからは、愛すべきほど単純でバカで、おっちょこちょいの夫の姿がひょっこりと現れる。
ココナツを燃やして慌てふためいている彼の姿を思い出す。全部自分がしでかしておいて、鬼瓦になっている・・・。仕事をしている彼の後ろで、私はクックックッと笑いをこらえた。自分が苦しめていた考えがなければ、見る世界は全く変わる。
「ああこの人はホントに愛すべきおっちょこちょいで、それが可愛いと思えるほど!」
さらにワークのステップに従っていくと、相手に対して思っていたことは自分に対するものであったことへと行き着く。結局、私は自分のちょっとしたことに過度に反応して自分自身を破壊的に扱い、自分自身に対して命令的・威圧的な態度をとることから自由になりたかった、自分に対して優しくおだやかでありたかったのである。私はそれに気づくために、夫にココナツを燃やしてもらったのだろうか?
ワークを進めていくと、どんどん気分がスッキリしてきて、まるでさっきまでの出来事がなかったかのように、私の中から苛立ちも怒りも消え去っていた。
そうすると、今度は「俺の言うとおりに行動しろ!!!」のエネルギーの絵が気になったので、それに成り代わって動いてみた。
腕をイガイガの部分にして、グルグルと旋回してみた。すると、赤い炎のようなエネルギーになり、それは柔らかく傷つきやすい私を一生懸命守ろうと、そうやって私を守ろうとしていることを私に気づいて欲しいと、手をバタバタさせていた。この存在は一般に「エゴ」と呼ばれているが、その存在に気づいた瞬間、エゴの私に対する愛を強く感じて涙がこみ上げ、必死に私を守ろうとしてきたエゴに対する感謝の気持ちで胸が熱くなった。
このワークを終えた後、夕食の支度をして夫を食卓に呼んだ。夫は少し罰の悪そうな様子で部屋から出てきてが、目が合った瞬間、私たちは互いにワッハッハと笑っていた。
「ココナツを燃やしてアホみたい~」っと言って笑いながら、夫はしきりに涙をぬぐっていた。
その涙は何なのだろう。彼の深いところからこみ上げたもののようだった。でも、その本当の意味は彼だけしかわからないだろう。
と、ここまで書いて思い出した。最近友人が、私と夫が漫才をしている夢を見たと話してくれたことを。確かに第三者が見たら、これは漫才だなあ。
夫も私もおっちょこちょい。それでいい。私はこれからも、このような漫才ドラマが展開するのを楽しみにしている。なぜならそのたびに、自分が取り組む問題に気づかせてもらえるし、後で二人でワッハッハというのは、何とも楽しいものだから。
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