アメリカから戻ってから、私の中で「自分探しはもういい」という言葉が響いている。
私の場合、この「自分探し」というのは、自分が歪んでいたり何か不完全であって、それを直そう、正そうという考えがベースになっているという意味での自分探しで、「探す」というのは「今ここにはない」と思っているからすることであり、もはやそれは今の自分にとって矛盾しているから、そういうことはもういいということなのだろう。
私が広めたいと思っているタッチドローイングの真髄は、定義することが難しいほど広大なものである。
私が5年間の自分の体験を通してはっきりとわかっていることは、タッチドローイングは、自分の中に本来ある創造のエネルギーが、自分の指を通してほとばしり、表現され、そこからさらなる創造が展開するプロセスそのものであり、終わりのないいのちの躍動であり、人間の意識の変容と進化に貢献するものであるということである。
タッチドローイングは、契約書の言葉を借りると「○○を含むがそれらに限定されない」広大な意識そのものである。
タッチドローイングをするとき、人は感じるままに動かす指を通して自分の体の声を聴いたり、感情に気づいたり、先祖と繋がったり、癒されていない子供に出逢ったり、自分の魂の痕跡を垣間見たり、自然や宇宙と一体になる感覚を思い出したりと、頭ではなく体験を通して、ごく自然な形で納得しながら自分の中心へと向かって行き、調和と本来持っている力を取り戻して行く。
指は創造のエネルギーを通す導管のようなもので、不要な感情で詰まっていた管が綺麗になってくると、今度は未来のビジョンを描き始める。癒される受け身の自分ではなく、自分の個性を認識してそれを尊重し、積極的に創造する自分へと変容するのである。
私が広めたいタッチドローイングは、太古の叡智を携えながらも時代の先端に位置するものである。
タッチドローイングはセラピーや表現アートセラピーに取り入れられることが多いが、私が広めたいタッチドローイングは、さらにその先をも含めたもので、すでにその流れが始まっている。
そのため、私が今後ファシリテートする場は、セラピー的な要素も含むがそれよりもさらに先へと向かう、ビジョンに基づく創造力を養い、自分の足で立ち、未来を積極的に創造する場としての色が濃くなるだろう。
人間の意識の進化とともに可能性を開いて行く純粋な創造の場であるということ以外の定義や枠や制限を一切もたない、タッチドローイングのスピリットそのものを忠実に伝えて行きたいと考えている。
次回のタッチドローイングワークショップは9月14日に北海道で行われます。会場のKocomatsuさんは、魂の原点に帰るような場所です。詳細はこちらをご覧ください。
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Tree Planet |
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2014年 Touch Drawing Gathering
森の中でのドローイングより