2011年8月26日

宇宙の中の私


星降る夜、カナダの森の中で夢を見た

宇宙の中の私


インスピレーションを受け取って、創造する

私の額のあたりに向かってくるエネルギーを第三の目で受け取る

そこのチャクラは、キャッチする宇宙電波観測所の大きなお皿アンテナのよう

そこから受け取ったものが、体の中を通り

創造するとき、それは分かち合うために放出され、上昇していく

そして、溶けてより大きな循環の一部となっていく

へんてこな夢だけれど、深遠な何かが伝わってくる


私は宇宙の中でプカプカ浮いてくるんくるんと回っている

勾玉のようでもあり

鳥のようでもあり

魚のようでもあり

胎児のようでもある

私は自分が思っている私ではなく、ただ創造する存在

としたら、こんな風に宇宙の大きな大きなサイクルの中で

一緒にくるんくるん、プカプカしながら

常に何かを受け取って創り出そうしている

そういう存在なのだろうか

夢の絵 - 宇宙の中の私

2011年8月14日

ココナツ事件



今日、台所で思わぬドラマが展開した。
タイトルは「ココナツ事件」。主演は夫で助演は私。でも、結局は私のドラマだった?


夫は「デザート食べる?」と私に言って、先週自分が作った残り物のタイのスティッキーライスとココナツミルクを冷蔵庫から出して温め、トッピングにするためのココナツシュレッドをトレイに広げてオーブンで炒っていた。

二人が台所に立つと、通常、夫は私がいると邪魔だと言ってイライラし始める。私はこのときもなんとなく嫌な予感があり退散することもできたのだが、もう一人の自分はそれを引きとめたので、私はそこにいることにした。私は、オーブンの前に立ちはだかる夫の横にある冷蔵庫から大きな生鮭を取り出して、流し台で切り身を小袋に取り分ける作業にかかろうとしていた。

鮭を袋から出そうとしたとき、後ろで夫が何かを叫び始めた。振り向くと、開いたオーブンの中がオレンジ色になっている。慌てて取り出したココナツから15センチほどの高さの炎が上がり、こんがりどころかボーボー燃えているトレイを持った夫は、ものすごい形相でパニックになり、流し台に立つ私に向かって叫び立てている。

「鮭をどけろ!!」

怒鳴られているが、その声が入ってこない。昔は相手に大声をあげられるとビクビクして萎縮したものだが、最近はどうもふてぶてしくなったのか、パニックに便乗しなくなった。というよりも、観察する側の自分の方に便乗していたのかもしれない。

調理しているシェフがよくフライパンにワインをさっとかけて、バッと炎が上がるのを、見事な手さばきで処理している・・・それと同じくらいの大きさの炎だなあ・・・さて、この人はこの後どうするんだろうう・・・などとのんきなものである。火事の危険性があるなんて、微塵も思っていない。

私の動きは著しくスローになっていた。鮭の長さは35センチくらい、重さは3キロくらいあり、それが12切れほどの切り身になっていたため、カウンターの上に乗せようとしても、手からボロボロとこぼれ落ちてしまった。なぜか私は急に動きが止まり、切り身を流し台の中に残したまま後ろに引いてしまった。鮭をどけず、私がどいていたのだった。

燃え上がるトレイを持ったまま、夫は流しに投げ込むこともできず、ほとんど発狂状態になって、流しとオーブンの間を右往左往している。オーブンの上にも物が置いてあるので、トレイを置くスペースがない。

「鮭をどけろー!!!」

四角い鬼瓦のような顔になった夫は、炎のトレイを持ったまま私に迫ってくる。トレイの炎が彼自身にも飛び移ったように、愚鈍な私に対する怒りの炎が体中からメラメラしているのがわかる。

「さあ、このドラマもいよいよクライマックスに差し掛かってきたぞ」

私の少し上で、不思議なほど冷静で全く動じていないどころか、このドラマを楽しみ、その結末を待っている自分がいる。まだ、私は全てを静観している自分の方に留まっていた。

そのことに気づくと、今度は肉体に急にパチンとスイッチが入り、私は急いで鮭をどけた。夫は、燃え盛るココナツを乗せたトレイをひっくり返しそうになりながら、ガシャン!と流し台の中に放り込んで水をかけた。

ジュー!!っという音と共に煙がもうもうと立ち上がり、次の瞬間には、隣の部屋の天井の火災報知機が耳をつんざくほどの音で鳴り出した。その音にさらに怒り狂った夫は、火災報知機を止めようと、手足をバタバタさせながら走り回っている。私は急いで換気扇をつけ、窓やドアを開けた。

火災報知機のバッテリーをはずして台所に戻ってきた夫は私の前に立ちはだかり、その顔は鬼瓦からさらに別のものに豹変していた。

DO EXACTLY WHAT I TELL YOU!!!(俺の言うとおりに行動しろ!!!)」

「!・・・・」

究極の命令の言葉。

30センチほど向かうから発せられたこの言葉が、正面から私にぶつかってきた。

彼にすれば当然のことを言っていたのだろうが、このとき私の頭は勝手にこの状況を飛び出して、私は自分の古くから持ち続けてきた感情に突き刺す言葉として受け取り、怒りとなって反応した。

「おお~来た来た」このときも不思議な感覚になった。客観的に観察しているもう一人の自分が、感情という池の中から魚を釣り上げるのを待っていたかのようだった。上から極めて冷静に見ている目。

夫は仁王立ちになり、にらんだ目は一点に固定されていた。私はそのエネルギーを感じ取ると、すぐにあるイメージが浮かび上がった。すると続いて、威圧的なエネルギーから逃げる自分のエネルギーも感じ取れた。意外にも、それは鬼ごっこのような感じだった。

相手は自分という映写機が映し出している投影だと、バイロン・ケイティは言う。彼女は苦しみを引き起こしている考えを突き止め、問いを投げかける方法である「バイロンケイティ・ワーク」の創始者である。

夫は怒鳴ってから部屋で黙々と仕事を始めた。その後ろで私は黙々とバイロンケイティのワークを始めた。「苦しい考えが浮かんだら、ワーク」最近の私のモットー。これは絶好のチャンスなのである。

ワークのステップの途中に「その考えがなかったら、あなたはどうなりますか?」というのがあるが、夫に対して持っていた考えを横にどけると、そこからは、愛すべきほど単純でバカで、おっちょこちょいの夫の姿がひょっこりと現れる。

ココナツを燃やして慌てふためいている彼の姿を思い出す。全部自分がしでかしておいて、鬼瓦になっている・・・。仕事をしている彼の後ろで、私はクックックッと笑いをこらえた。自分が苦しめていた考えがなければ、見る世界は全く変わる。

「ああこの人はホントに愛すべきおっちょこちょいで、それが可愛いと思えるほど!」

さらにワークのステップに従っていくと、相手に対して思っていたことは自分に対するものであったことへと行き着く。結局、私は自分のちょっとしたことに過度に反応して自分自身を破壊的に扱い、自分自身に対して命令的・威圧的な態度をとることから自由になりたかった、自分に対して優しくおだやかでありたかったのである。私はそれに気づくために、夫にココナツを燃やしてもらったのだろうか?

ワークを進めていくと、どんどん気分がスッキリしてきて、まるでさっきまでの出来事がなかったかのように、私の中から苛立ちも怒りも消え去っていた。

そうすると、今度は「俺の言うとおりに行動しろ!!!」のエネルギーの絵が気になったので、それに成り代わって動いてみた。

腕をイガイガの部分にして、グルグルと旋回してみた。すると、赤い炎のようなエネルギーになり、それは柔らかく傷つきやすい私を一生懸命守ろうと、そうやって私を守ろうとしていることを私に気づいて欲しいと、手をバタバタさせていた。この存在は一般に「エゴ」と呼ばれているが、その存在に気づいた瞬間、エゴの私に対する愛を強く感じて涙がこみ上げ、必死に私を守ろうとしてきたエゴに対する感謝の気持ちで胸が熱くなった。

このワークを終えた後、夕食の支度をして夫を食卓に呼んだ。夫は少し罰の悪そうな様子で部屋から出てきてが、目が合った瞬間、私たちは互いにワッハッハと笑っていた。

「ココナツを燃やしてアホみたい~」っと言って笑いながら、夫はしきりに涙をぬぐっていた。

その涙は何なのだろう。彼の深いところからこみ上げたもののようだった。でも、その本当の意味は彼だけしかわからないだろう。

と、ここまで書いて思い出した。最近友人が、私と夫が漫才をしている夢を見たと話してくれたことを。確かに第三者が見たら、これは漫才だなあ。

夫も私もおっちょこちょい。それでいい。私はこれからも、このような漫才ドラマが展開するのを楽しみにしている。なぜならそのたびに、自分が取り組む問題に気づかせてもらえるし、後で二人でワッハッハというのは、何とも楽しいものだから。



 



2011年8月7日

ご無沙汰しております


無沙汰しております。日本は厳しい暑さが続いているようですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

こちらシアトルは、おかげさまで他の地域のような熱波に見舞われることもなく、さわやかな夏を迎えております。

夫と共に、家から車で20分ほどの所にある、ディスカバリーパークに歩きに行きました。ここは大木が生い茂る広大な公園で、街中にあるとは思えないほど自然豊かです。といっても、それは逆で、この地域はもともとこのような自然だったのです。そこに、人間が街を創ったのですね。

シアトルの夏をお届けします。

家のバルコニーからの風景 - 朝焼けと日の出

ディスカバリーパークの森。公園に入るとすぐ、大木が茂る異空間に。

公園から望むマウントレニア (標高4392m)

こんなにきれいに見えるのは、比較的晴れの日が多い夏だからこそ。まるで空中に浮かんでいるよう。

公園の丘から見える景色 ー ピュージェット湾の向こうには、オリンピック山脈が連なる。
この丘は、大きな翼を広げて飛んでいるイーグルやタカに出会う場所でもある。目を閉じると、先住民のドラムの音が聞こえてきそう。


家のバルコニーからの風景 - 夕焼けのグラデーションは限りなく優しい。


2011年6月16日

アホらしくなったとき、自由になる

夫は血糖値をコントロールする必要があり、ここ1年ほど体重を減らすため運動と食事制限で並々ならぬ努力をしている。ご飯の量は半カップと決まっており、おかずの量も以前より減らし、間食は極力避け、食べてもフルーツやドライナッツ程度で、食事は少なめの量を1日に4~5回ほどに分けて摂っている。おかげで体重はどんどん減り、血糖値も安定し、メキメキと効果は上がっている。

が、生活を共にする私にとっては、ちょっと苦しい。実は、私の方まで不必要に痩せてしまったのである。クッキーやチョコレートやお菓子を食べたいと思って買ってきても、夫に苦い表情を向けられたり、買ってきたクッキーが目に入らないように彼が覆いをかぶせて隅っこに移動させたことに気づくと、かわいそうなことをしたと思ってしまう。彼はお菓子も甘いものも大好きで、食べると止まらないタイプなので、彼にとっては見ないのが一番よいのだろう。

運動と食事制限に加え、肥満の根本的な原因を探ろうと、肥満の人のサポートグループにも参加している彼の真剣さが伝わってくる。私が彼の心に寄り添うことは拒否するが(笑)、何か気づきを得ようと、自らそのようなグループに参加することは素晴らしいことだと思う。

ただ、集いから帰ってくると、「デザートや甘いものは罪」という言葉が出てくるので、それはグループ全体がそのような見方をしているかもしれない。私がクッキーを食べている横で、「罪」という言葉が発せられる。

そうなると、堪能して食べることができなくなってしまう。

では、夫がいない間に食べればよいではないかということになるが、夫は家で仕事をしているため、それも難しい。

また、美味しいねと言って何でも一緒に食べることができない、美味しさを分かち合うことができないというのも、なんとも寂しいものである。そんなこともあり、私はいつの間にか、欲しくてもあきらめたり、我慢するようになっていった。

実は以前にもこのような食事制限はあり、カロリー計算のソフトを使ってデータを入力し記録したいから、料理する材料や調味料も全部量って欲しいとリクエストされたことがある。「量らないものは食べない」とまで言われ、そのとき正直、私は気が狂いそうになった。

子供のときに飼っていたネコのプッチーにおしゃれな革の首輪を付けたら、なんとしてでも首輪をはずそうと、気が狂ったようにのたうち回っていたが、心の中はあのときのプッチーのようだった。

夫の身になれば、それは仕方のないことなのかもしれないが、私は窮屈で仕方がない!締め付けられたり、コントロールされたり、監視されるのは大嫌い。体制も枠組みも嫌いである。

幸い、それは一旦数字として入力された後は繰り返す必要がなかったし、夫も面倒くさくなり、少し経てばその作業はなくなった。

昔食べていたケーキも食べなくなり、アイスクリームも食べなくなり、ポテトチップスも食べなくなり、私も間食はほとんどしなくなった。食べるとしたらドライフルーツやナッツが主体になり、お陰で健康ではある。

でも、知らず知らずのうちに心が何かどこかでギスギス、キチキチして潤いがなく、硬くなってしまっていた。というか、そのような状態であることすら気づいていなかった。

あるときまで・・・。

それは、先週、ある人の講演会に行ったときのことだった。会場で、夫が活動している会の会員にばったり出会い、挨拶をした。すると、その人が言った。

「そういえば、ついこの間、ご主人とアイスクリーム屋でお会いしましたよ」

「へっ?!」

「ウォリングフォード(町の名前)のなんとかって言うアイスクリーム屋で、アイスクリーム買って食べてましたよ」

「・・・・」

以前、他人が夫と間違えられたことが数回あったため、私は今度もそれかと思い、尋ねた。

「それって、本当に私の夫でしたか?」

「はい、間違いなくご主人でしたよ。私、ご主人とそこで話をしましたから」

「ええっ?そんなこと私、聞いていない!」心の中で叫んでいた。

とっさに、アイスクリームを手に持ってこちらを向いてあっかんべーしている夫の顔が浮かんだ。

「私に内緒でアイスクリームを食べていた?・・・そこは美味しいことで有名なアイスクリーム屋で、私はまだ一度も連れて行ってもらっていないのに!一人で食べていた?」一瞬、ムカッときた。

ニヤニヤしながら、アイスクリームを舌でベロンベロンとすくって食べている夫の顔が浮かぶ。それは夫の中の子供がまるで「こんな美味しいもの、なんで食べないの~?」と言っているようである。

突然、アホらしくなった。

私は相手が気の毒だと思って、協力して努力して我慢してきたのに。それは何だったのか!

「アホらし、や~めた!もう、自分の好きなもの、好きなだけ食べてやるぞー!」

その瞬間、筋肉が緩み、心にポカンと穴のようなスペースができた。これを「余裕」というのだろう。すると、この余裕のスペースから、子供の遊び心、いたずら心、自由、楽しさが一緒に飛び出してきた。アイスクリームをほおばる夫も、このスペースにいた。

すると、心の中から「好きなことやっていいんだよ」という言葉が出てきた。「我慢しなくていいんだよ」

知らず知らずに制限してギスギスしていた心に、潤いと豊かさが戻ってきた。

たかがお菓子、されどお菓子。好きな物を食べる自由はあるのに、自分で勝手に制限していた。そういえば、お菓子だけではない。おしゃれをすることも、美容院へ行くことさえも制限していた。いつの間にか、様々なことを制限していたことに気づいた。そうなると、入ってくるものも制限されて入ってこなくなる。

制限されることが一番嫌いな本人が、自分で自分を制限しているという矛盾に気づくと、もっとアホらしくなってきた。

このアイスクリーム事件のことを耳にしたとき、夫はフロリダにいる母親の所に行っていたため、私はメールを送った。

「昨日××さんに会ったんだけど、アイスクリーム屋でアイスクリーム食べてたって聞いたよ」

「ああ、食べたよ。座禅会の帰りに寄ったんだ」と、しゃあしゃあとのたもうた。

それがあまりにもストレートだったので、何だか安心した。そして苦笑した。

「座禅をした後に、ちょっとした悟りでもあったのかな?」

今夜、夫はフロリダから夜中近くに帰って来る。長時間の飛行と乗換えで、きっとヘトヘトになって家に入ってくるだろう。

さあ、具だくさんの味噌汁でも作って、迎えることにするか。