2015年2月23日

5日間のアーティストチャレンジ(2日目)

【Artist Challenge】(2日目)

5日間毎日3つずつ画像をアップし、毎日一人ずつ次の人を指名するアーティストのリレー。

心という深い海を潜って行くとき、様々な感情とともに心の風景がごく自然に立ち現れてきます。そして、指の動きとともにそれらの感情をくぐって行くと、その奥に扉が現れます。

それを開けると、その向こうに静寂の世界があります。扉は本当は開けるのではなく、一瞬で開きます。私が気づくだけのことなのです。

ときにはガラスが吹っ飛ぶ勢いで、ときにはすうっと浮かび上がるように現れる静寂。ずっと変わらずそこにあって、あり続ける世界。

愛おしさと懐かしさが込み上げます。どんな風に現れようと、それは一瞬にして世界が180度変わってしまうほど、優しく太く力強い存在です。それは「わたし」なのです。

紙の上で指が導いていく途上で、何度でも新しい扉に出会って行きます。何度でも、新しいけれどずっとそこにあった自分に出会って行きます。



 「Wings of Clarity(明晰の翼)」



 「Emergence (出現)」




「I am the Tree(私は樹)」





2015年2月16日

5日間のアーティスト・チャレンジ(1日目)

 久しぶりにブログを更新します。


【Artist Challenge】(1日目)

5日間毎日3つずつ画像をアップし、毎日一人ずつ次の人を指名するアーティストのリレー。Facebook でタッチドローイング創始者のデボラ・コフチェイピンから指名をいただき、有り難く受け取りました。このブログには、作品と文章を掲載します。


私は、今から6年前の2009年にタッチドローイングに出会いました。これは初体験のときの絵(後で色付けしました)です。それぞれの絵に説明を付けました。

絵を描くのは高校以来で、それも思考を使わず感じるままに指を動かすという全く初めてのやり方に戸惑うのではないかと思いきや、手は勝手にどんどん動き、内側からごく自然に感覚や言葉が溢れ出る深い体験でした。

それらのイメージが一体どこからやってくるのだろうかと不思議に思いました。そのときは、それが私の魂の表現の始まりだとは、まだ気づいていなかったのです。


「Energy Flow from the Source (源からの流れ)」



 「Trust (信頼)」
Trustという言葉の語源は「木の根」から来ていると

知人から聞いたことを思い出したとき、このイメージが出現した。




「Dreamtime (ドリームタイム)」
紙にできたシワを見ていたら、クリスタルの世界に滑り込んだ夢を
見たことを思い出し、それを描いた。ほとんど変性意識状態に近い。


<2日めと続く >




2014年8月30日

ゼロの感覚

今年に入って認知症かと思うほど、加速度的に物忘れが激しくなっている(笑)。が、きっとそれは必要ないから忘れるのでしょう、と思うと気持ちも軽くなる。

かつて、マッサージ師の人が私の頭を触って「うわあ〜パンパン!」と叫んだことがあったが、それほど私のマインドは忙しかったのだった。

この物忘れは、常にゼロに近づかされている感覚であり、ゼロ感覚でいると余計な心配も不安もなく、穏やかに中心にいられて今に集中できる。何かをするというのではなく、そこに在る、その「場と一体になっている」という感覚だろうか。

そうしていると、風に乗って運ばれてくるようなかすかな気配を感じたり、突然特定のイメージが浮かんだりする。自分が受信機になったような感覚だ。

先週私のタッチドローイング個人セッションを受けた名古屋の友人が、一連の絵を通して、上昇気流や嵐や目の前に立ちはだかる壁を通り抜け、キラキラの光の中で守られている感覚を味わったあと、最後に辿り着いたのが「ゼロ」だった。紙の上にわずかな線を描いただけで、ほとんど何も描かず、それに「空(くう)」というタイトルをつけた。

その友人が、セッションが終わってから一週間の間に、「内側が拡大すると言うか、宇宙的な感覚が鼻先をふっと通り過ぎるように感じる事が多かった。それはぶわーんって宇宙空間と共に広がる感じで、ハートと言う限定ではなくて、体ではない、この世で言うところの私と言う宇宙空間が広がる感じ」と教えてくれた。

それで思い出したことがある。タッチドローイング創始者のデボラが、タッチドローイングを見出した後に、出かけた先の海辺で見た木のことを語ってくれたことがある。

その木には柳のような細くしなやかな枝が幾本もあり、垂れ下がって地面に触れていた。その枝がそよ風に揺れて動くと、砂の上には美しい模様が出来ていたという。

それを目にした瞬間、彼女は心の中で叫んだという。「これが自然が描くタッチドローイングだ!タッチドローイングの真髄はここにある!」と。

私たちという木の指という枝が風に揺れるのは、マインドを介さず、無心に動く姿なのではないか。

感情の層を抜け、空っぽの状態になり、ゼロの場からそこに描かれるものは、その空間から純粋に受け取ったものなのではないだろうか。それを見た人の目には何が映し出されるだろう?

指で直接描くという最も原始的な方法。私が出会ったタッチドローイングという道は、常に何かを気づかせてくれ、変化し続けて行く。この先もずっと続いていくその道を一歩一歩歩いて行くことは喜びであり、その喜びをこれからも多くの仲間と分かち合っていきたい。

2014年8月27日

タッチドローイング個人セッションの感想

関東からタッチドローイングの個人セッションにいらっしゃった方が、ドローイングの体験から感じたことを文章にまとめてくださいました。シェアの許可をいただいたので、ここに転載させていただきます。Mさん、遠方から猛暑の中をお越し下さりありがとうございました。ご一緒できた時間は、私にとって宝物のようです。

以下、体験談です。


*****

タッチドローイングの個人セッションを受けることができた。

セッションの最初に引いたソウルカードで印象を尋ねられ、出てきたのは、「無理矢理空気をかき分けて前に進む、暑苦しくしんどい人生」・・・どういう言葉 にしたか忘れたが、そういう印象だった。それはまさしく、今までの自分の生き方。力づく、というか、必死、というか。漕いでも漕いでも前に進まない・・・ そんな感覚を呼び起こされるカードだった。



そしていよいよ、順子さんの叩く太鼓の音と共に、タッチドローイングのセッションが始まる。画板にインクをローラーで伸ばし、薄紙を乗せる。そして、薄紙 の上に指を置く・・・。最初は試すつもりで、指の腹や爪、手のひらなど、いろいろな場所を使って、「直接手で描く感覚」を味わおうとする。

選んだインクはマゼンタ。他に紫や緑もあった。普段なら一番好きな色は紫だが・・・その時の私はマゼンタ、だった。

何枚か描いてみる。しかし、胸が詰まっているのか、頭が邪魔しているのか、「自分の中から湧いてくる」感覚になかなかなれない。なんらかの「抵抗」。チューニングの悪いラジオのような感じ。本当の声が聞きたいのに、聞き取れないもどかしさ。

しかし、何枚も描いていくうち、あるポイントでふっと、もう「割りたい」「出したい」という感覚がやってきて、球がわれて何かが飛び出す絵を描いた。

その後起こったことが面白かった。何かが降りてくるように、ふわっとエネルギーが満ちて描ける絵と、「いやいや無理だ無理なんだ」とばかり、閉じこもり無力な感覚をぼやくような絵が、交互に出てくるのだ。これはまさに今の自分の状態なんだろうな、とあとで思った。

時間いっぱいに描いた絵は二十枚以上、かなり多かったが、自分はそんなに無理をした感じはなかった。それらに一枚ずつ名前をつける。不思議なことに「○○と××」のように、二つの何かがペアになった絵がやけに多かった。

その中で、最初に何かがつながった「割りたい」という絵にフォーカスして、「動詞にするとしたらどんな言葉になる?」と聞かれた。出てきたのは、「割く」 だったので、それを動きにしてみた。



順子さんの太鼓と歌が、一連の動きの間中鳴っている。両手でハートのあたりを引っ張り、「割いた」。すると、びっくりするほどリアルに、まるでカーテンを両手で開けたときのように、ハートに風が入り、心臓が冷たく感じたのだ。

そこに、彼女の歌が流れ込んでくる。すると今度は、背中にも胸と相似形の小さな風穴があき、まさに、ハートチャクラの部分が「開いた」のを感じた。

涙は勝手に流れた。そして、私の口から歌が流れ出した。細く高い女歌で、古い記憶の中でいつも歌っていたであろう歌だ。歌う私の周囲には、ネイティブの女 性達のスピリットが集まっていましたよ、と順子さんがあとで教えてくれた。それは体感とも合致していて、私は歌う女達の一人として、ただ一心に息吹に響き を乗せていたのだ。

昔私はずっとこうしていた。とても大切なことだった。そうして歌っているときの私には、焦りも悲しみも怒りもなく、大切で楽しいそのつとめを、無心に行っているだけだったのだ。

セッションを終えてもう一度、最初に引いたカードを見たとき、暑苦しくしんどそうに思えたそのカードの人物が、水の中でさえも炎のようなエネルギーを持っ て進んでいける、力強く頼もしい人に見えるようになっていた。全くカードは変わっていない。変わったのは私の意識だけだ。

そして、セッションを終えたあと、順子さんと二人、広瀬川の河原へ行って太鼓をたたき、歌を歌った。川の神様に捧げたかった。空の高いところに鳥が飛んで いた。周りは普通に夏の夕方を楽しむ人たちの世界だ。その中で、ただ、湧いてくる歌を歌った。高く、低く、何の思惑もなく、流れ出す声と旋律を、ただ捧げ た。

起こったことはこうしたことだった。その体験を経て、今私の中でどんなプロセスが進行しているかは、今の私には見えない部分もあるが、やがて、姿を現すであろう、と確かに思う。

はっきりわかったことは、ただ、起こることを信頼して身を任せるとき、「繊細でありながら、大らかに、クリアに、リラックスする」という状態を体験できる のだ、ということだ。気づかぬうちに思考を離れ、子供の頃のように、無心にただ在る。自分と世界の間にずれがない。その、愛に満ちた世界。

私は、自分自身とつながる時間の大切さと、それを実現する「失われた記憶」を思い出したい。大切な大切な、何かを、ゆっくりと思い出していきたい。今はその道の上にいる、と思う。

ガイドしてくれた順子さんに、心から愛と感謝をこめて。

2014年8月4日

タッチドローイングの真髄とビジョン


アメリカから戻ってから、私の中で「自分探しはもういい」という言葉が響いている。



私の場合、この「自分探し」というのは、自分が歪んでいたり何か不完全であって、それを直そう、正そうという考えがベースになっているという意味での自分探しで、「探す」というのは「今ここにはない」と思っているからすることであり、もはやそれは今の自分にとって矛盾しているから、そういうことはもういいということなのだろう。



私が広めたいと思っているタッチドローイングの真髄は、定義することが難しいほど広大なものである。



私が5年間の自分の体験を通してはっきりとわかっていることは、タッチドローイングは、自分の中に本来ある創造のエネルギーが、自分の指を通してほとばしり、表現され、そこからさらなる創造が展開するプロセスそのものであり、終わりのないいのちの躍動であり、人間の意識の変容と進化に貢献するものであるということである。



タッチドローイングは、契約書の言葉を借りると「○○を含むがそれらに限定されない」広大な意識そのものである。



タッチドローイングをするとき、人は感じるままに動かす指を通して自分の体の声を聴いたり、感情に気づいたり、先祖と繋がったり、癒されていない子供に出逢ったり、自分の魂の痕跡を垣間見たり、自然や宇宙と一体になる感覚を思い出したりと、頭ではなく体験を通して、ごく自然な形で納得しながら自分の中心へと向かって行き、調和と本来持っている力を取り戻して行く。



指は創造のエネルギーを通す導管のようなもので、不要な感情で詰まっていた管が綺麗になってくると、今度は未来のビジョンを描き始める。癒される受け身の自分ではなく、自分の個性を認識してそれを尊重し、積極的に創造する自分へと変容するのである。



私が広めたいタッチドローイングは、太古の叡智を携えながらも時代の先端に位置するものである。



タッチドローイングはセラピーや表現アートセラピーに取り入れられることが多いが、私が広めたいタッチドローイングは、さらにその先をも含めたもので、すでにその流れが始まっている。



そのため、私が今後ファシリテートする場は、セラピー的な要素も含むがそれよりもさらに先へと向かう、ビジョンに基づく創造力を養い、自分の足で立ち、未来を積極的に創造する場としての色が濃くなるだろう。



人間の意識の進化とともに可能性を開いて行く純粋な創造の場であるということ以外の定義や枠や制限を一切もたない、タッチドローイングのスピリットそのものを忠実に伝えて行きたいと考えている。



次回のタッチドローイングワークショップは9月14日に北海道で行われます。会場のKocomatsuさんは、魂の原点に帰るような場所です。詳細はこちらをご覧ください。



Tree Planet


2014年 Touch Drawing Gathering
森の中でのドローイングより
 



2014年7月4日

バッハのクラブカノン

「頭で考えられることなんて本当に狭い枠の中だけのこと」
「不可知の領域がある」
「感覚や閃きでとらえる多次元の世界」
「逆もまた真なり」

これらは今日私の中で響いている言葉。

今朝友人が紹介したこのバッハのメロディーの仕組みは、まさにこれらの言葉とシンクロしていたので、ここにシェアします。

まるで緻密に計算されたかのような数学的な美しさは高次の意識そのもののようで、そのメロディーと音から、何故か私は広大な宇宙に輝く星々を感じるのです。

是非聴いてみてください!!



https://www.youtube.com/watch?v=xUHQ2ybTejU

2014年7月3日

鹿人間(Elk Men)に出会う

東北大のキャンパスに空洞のある木がある。それを見ながらドローイングをしていたときに、空洞の中から現れたイメージは、鳥肌が立つようなメッセージを後に運んで来た。

人間と樹と鹿を足して3で割ったようなイメージ。頭から伸びた枝は鹿の角のようでもあり、アンテナのようでもある。これはこれから私が創造したい世界だということを知ったのは、それから5日後に北海道へ行ったときのことだった。



9月に開くワークショップの会場「Kocomatsu」の下見で、5月にオーガナイザーの藤田さん と一緒に、会場のオーナー小野昭一さんにお会いした。当日、ワークショップの話はそっちのけで、小野さんの体験談を交えたワタリガラスとフルート、アイヌ、ネイティブアメリカン、神社、地球や魂の話で盛り上がり、さらには、小野さんが作ったフルートを吹かせてもらったり、ドラムに合わせて声を出してみたりと、時を忘れて楽しんだ。

八角形の建物の中に一歩入るとそこは異空間だった。壁に埋め込まれたステンドグラスから差し込む光の移ろいと、外の自然の音が時計に代わって時を刻んでいた。話始めると、建物の内と外とで起こることが異なる次元で平行していた。

外は最初は晴れていたのに、話が深まると急に風が吹き始め、そこから激しい雷雨になり、さらに地まで揺れ、Kocomatsuを出るときには、澄み切った 空に月がこうこうと照っていた。少しだけお邪魔するつもりが、気づいたら6時間もの時間が経過していて、まるで浦島太郎になった気分だった。壮大で神秘的 なときを体験したのだった。

小野さんご自身が様々な体験と導きを経てたどり着いたのが、ラブフルートというネイティブアメリカンフルートを作り演奏することであった。私はラブフルー トの写真を事前に小野さんのホームページで見ていたが、実際近くで見てみると、一本一本はそれぞれユニークな個性と魂を持ついきものだった。

ネイティブアメリカンのラブフルートは求愛の笛のことで、伝統的に男性が吹くものである。私はラブフルートに強く惹き付けられ、結局ご縁のある一本が私のもとへ来ることになり、現在仕上げ作業が終わるのを待っているところである。

ラブフルートの音は優しく深い森の音である。木々をはじめ、森の中のさまざまな生き物の息づかいが聴こえて来る。小野さんは、ラブフルートはもともとエルクマン(鹿人間)によってもたらされたものであるとお話してくださった(ラブフルートには、ネイティブの神話がある)。

天と地を繋いで生きとし生けるものを育み、大きく包み込むようにすべてを見守る存在である木をくり抜いて小さな穴をいくつかあけ、そこに人間の息を吹き込 むことが、ラブフルートを吹くということ。そこから発せられる音は、自然との大調和であり、愛そのものであると私は思う。

私という最も純粋なエッセンスである息を祈りを込めて吹き込み、自然と溶け合うことを想像したとき、身震いするほどの感動とともに、私の中で歓喜の声がこだました。
「森のこえとひとつになり、大調和の音を奏でる。ああこれこそが、私がこれから創りたい世界!」

北海道へ行く前に描いた絵を後日見たときに、思わずアッと声が出そうになった。木と鹿と人間を足して3で割ったような絵は、私が北海道で出会うことになるラブフルートの世界を既に示していたのであった。


Kocomatsu

ラブフルートのストーリーで、鹿人間が青年の前に現れるシーン

木の空洞から現れた絵は私バージョンの鹿人間だった