2007年10月28日

死んだことを知らない人々(1)

家々の戸口や窓のサンに明るいオレンジ色のパンプキンが並び、あと数日でハロウィーン。
10月31日のハロウィーンは、古代ケルト人にとって新年の冬の季節の始まりを祝うときで、この時期には、この世と霊界との間の境界が最も薄くなるときと信じられていたそうだ。

ハロウィーンにちなんで、私の霊体験を4回に分けてお話しよう。

あるとき、夢の中で急にプツっとモードが切り替わり (ちょうどテレビのチャンネルが変わるように)、薄暗い中で、隅っこの柱の前にひとりのアメリカ人の白人男性が、元気のない様子で首をうなだれて立っていた。

このとき私は夢を見ているというよりも、夢の中にいたという方が正しいだろう。というのは、起きているときと同じような感覚で自分が状況をコントロールできる立場にいたからである。ただ興味深いことに、起きているときだったら怖気づいてしまう状況でも、夢の中に入り込んでいるときには、恐怖心がなく大胆に行動をしている自分がいた。

このときもそうであった。私はこの男性にすぐに声をかけていた、それも英語で。
"Hello!"
すると、この男性は、私が彼に気づいたことに一瞬驚いたようで、その後パッと明るい表情になり、嬉しそうに近寄ってきて元気よく握手をした。背が高くてなかなかハンサムな人である。何かにとても喜んでいるようで、興奮気味であった。

さて、私は、実はあるときを境にこの手の夢を見るようになった。
それは、「People Who Don’t Know They Are Dead (死んだことを知らない人々)」という本を読み始めた頃に一致する。この本とは不思議な縁でつながっていたようで、それについては後日触れる。

この本を読んで知ったことは、死んだことを知らずにある一定の時間と空間に閉じ込められている魂がいるということだ。そういう魂はできる人が声をかけてあげて、成仏させてあげる必要があるという。そのようなことを読んだ矢先に、この男性が夢に現われたのである。

私は、あたかも実践トレーニング第一目のごとく、「習ったせりふ」で彼に元気よく声をかけていた。
”Do you know that you are dead? (あなた、死んだってこと知ってます?)”
彼は声は出さなかったが、私には彼の考えていることが伝わってきた。彼は、周りの人が素通りして彼の存在に気づかないことに落ち込んでいた。どうしても気づいてもらえないので、半ばあきらめたようにじっと暗く隅っこで立っていたのである。彼自身、どうしてよいかわからないようだった。

気の毒なことである。一瞬のうちに透明人間になってしまって、どんなに叫んでみても、前に立ちはだかっても、誰も気づいてくれない。そういう世界に滑り込んだらどんな気持ちになるだろう。きっと、私も彼のように落ち込んでしまうだろうと思う。だから、彼は話しかけられて、興奮して近寄ってきたのだろう。

"Do you know that you are dead?"
それに対して彼はYesともNoとも言わなかったが、黙ってお腹にナイフが突き刺さるジェスチャーをした。それは、私が住んでいる近所で起こったということだ。刺殺されたみたいである。

“You need to go to the light. (光の方へ行かなきゃ)” と私は言っていた。
それは読んだ本に書いてあったことだ。閉じ込められた魂が開放されるためには、光の方向へ進んで行かなければならない。

しかし、これは私にとって初めてのことだったので、やり方がまずかったのか、彼の反応はなく、それで夢が終わってしまった。

彼は一体どうなったのだろう。ハンサムでさわやかな感じの人だったので、その後どうなったのか少し気になる。私の力不足なのか・・・。しかし、私のこの体験はこれで終わりではなかった。

「習うより慣れよ」、「数打ちゃ当たる」はあちらの世界でも通用するのだろうか。死んだことを知らない二番目の人に、それから数日と経たないうちに出会うことになる。

つづく

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