2007年12月18日

色のふしぎ

先月夫の叔母から、クリスマスのプレゼントにマフラーと帽子を編むので好きな色を教えてくれと聞かれ、たくさんある好きな色をすべて教えた。そして、叔母さんから昨日パッケージが届いて開けてみたら、なんと好きな色には入れていなかった大胆な真っ赤なマフラーと帽子が目に飛び込んできた。「やられた・・・」と思った。

叔母さんは霊感が人一倍強い人で、私が好きな色ではなく「必要な色」を送ってきたのである。本人に聞いてみたら、私の好きな色ではないとわかってはいたが、私へのギフトと考えたときに、赤が「編んでね」とささやいたのだという。

私の持ち物の中で、赤のものはほとんどない。衣類においてはゼロに近い。嫌いというわけではないが、自分から選ぶことはない色である。考えてみれば、子供の頃から赤には縁がない。

小学校で必要な持ち物のひとつに水筒があり、入学したばかりのときに、母と一緒にデパートに行って水筒選びをしたことを今でも覚えている。色々な絵が描かれた水筒がずらりと並んでいたが、色に関しては、ほとんどのものが上と下の部分が白で真ん中の絵の部分が赤(ピンク)か青であった。私は一目見ただけで、ひとつだけあった白地に緑の水筒に強く引かれた。母は女の子だから赤がよいのではと言ったが、私は緑がいいと言い張った。ドナルドダックのような絵が描いてあっただろうか。これからこの若草色の水筒と一緒だと考えただけで、胸がワクワクした。その特別な気持ちを今でもはっきり覚えている。

次の日、ランドセルに水筒をぶら下げて弾む気持ちで学校に行ったら、緑の水筒を持つ子はクラスで私だけだった。男の子は全員が青で、女の子は全員が赤かピンクだった。なぜ男と女で色が分かれるのか納得いかなかった。私は自分の水筒が大好きだったけれども、私一人だけ違っていて、男の子たちに冷やかされたのだろうか、その部分は覚えていないが、母いわく、その日私はショックを受けて学校から帰って来たという。

体育帽も男の子が青で、女の子は赤。ランドセルは男の子が黒で、女の子はやはり赤。なぜ女の子は赤なのか、私は赤は好きではないのに・・・そう思っていた。

そして、今でも緑や青、紫系の服が多く、特に青緑やロイヤルブルーの色は大好きだ。最近ではラベンダー色や優しいピンクも好きだが、概して身に付けて落ち着ける色が好きである。

赤はそれとは正反対。緑や青が夜の月に対して、赤は昼の太陽。交感神経を刺激して、活性化させ元気にさせる色。そして、人体の基本となる生命力やエネルギー、活力、生殖器に関わる第1チャクラの色である。

なぜ私は赤に惹かれないのか、その理由がここ5年くらいの間にわかってきた。5年ほど前にあるチャネラーにチャネリングをしてもらったときに、自分の誕生の時の悲劇について質問してみた。母から聞いた話だが、私は生まれるときに胎盤が首にグルグル巻きになっていて、ほとんど死んだ状態で出てきたという。チャネラーを通したガイドに、私はこの世に生を受けて生まれてくることに強い恐怖感を感じていたため、出たくなくて最後まであがいていたと言われた。

そのときは、へえーっとしか思わなかったが、その2年後くらいに、あるシャーマンにリーディングをしてもらったときに、血行不良から来る体調不良に関して尋ねたところ、私は上半身はしっかりと宇宙とつながっているが、地球に対する悲しみと戸惑いがあって尾てい骨から地球に向かって伸びるコードがとてもデリケートで細くて、地上を歩くことに躊躇している部分があると指摘された。頭で考えたら非現実的なことのように聞こえるが、実際はこの表現に妙に納得してしまった。これは顕在意識にはない領域のことなので、日常の生活の中では気づかないことである。

夏でも冷たい足をしている私の極端な冷え性は、下半身のエネルギーが停滞していることに深く関係している。運動しても、しばらくするとサーっと冷たくなる。シャーマンはにっこりして、こう言った。「自分の足でしっかり歩き、おとなしくしていないで、揺さぶってかき回してごらん」

さて、以前に私は過去生の夢を見ると書いたが、第1チャクラにトラウマを持つ人生をいくつか見た。このような情報を合わせてみると、無意識に自分の中で赤=生命を打ち消してきたのではないかと思う。最近早くも更年期(?)障害のような症状があり、今、第1チャクラに意識するときがきているように思う。

興味深いことに、ここ半年くらい、赤やオレンジに惹かれる。例えば、何気なく外の風景を見ていても、赤い色のものに目が引き付けられる。以前はそのようなことはなかった。とすると、やはり深い部分で赤を欲しているのだろう。しかし、そうわかってはいるものの、習慣に流されて、なかなか自分に赤を与えることができずにいた。

今回、叔母が編んでくれた真っ赤な帽子とマフラーは、私にとって特別なプレゼントとなった。すごく派手だが、不思議と抵抗なく身につけることができる。昨日も今日も身に付けて外を歩いた。なぜか気分がよく、自分の血が中でかき回されて喜んでいるのを感じる。そう、この色と一緒に自分の足で歩くと、血が動き回る感じである。どうも、私の中のもう一人の私は赤が好きなようだ。かすかだが、どこか深い部分が満足しているように感じる。

自分が好きな色、興味がない色、嫌いな色などを深く掘り下げていくと、気づかなかったことが浮かび上がるかもしれない。色はヒーリングをもたらす。顕在意識にない意識に焦点を当てることによって、自分の中で解決されていない部分に光が届き、やがて具体的に体の変化として現われてくるかもしれない。私にとっては、遠く古い記憶に遡って癒すときが来たのだと感じる。

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