「果たして人が集まるだろうかと考えるのではなく、まずは自分が『やる』と決めること、ハラをくくること。やる日にちを決めて場所を決める。すると、物事は動き出すんだよ。自分がそれを起こすんだよ」
これまで大規模な会議をいくつもマネージしてきた夫が私に言った言葉であった。
結果的に本当にそうなった。
人を通してあらゆる助けがやってきて、思考を遥かに超えた次元で物事が動いた。理想の会場がそれも不思議な形であっと言う間に見つかり、人が集まらないどころか、定員に達したと椋梨晶子さんから報告があったときは、目に見えない力のサポートを感じずにはいられなかった。
会場からの風景 ー 由布岳 |
会場の湯布院フローラハウスにあるハーブ園と源泉掛け流しの温泉 |
自分のビジョンに従って、勇気を持って一歩踏み出すとき、ご褒美が10倍になって返ってくる。まるで神様が上で見てくれていて、「よし、じゃあここからはちょっと手伝ってあげるよ」と言ってくれたかのように。
タッチドローイングのスピリットには、意志と計画があると私は感じている。創始者のデボラはタッチドローイングを見出したとき、「これは人類の意識の進化に貢献するものだから、自分だけのものにしておいてはいけない」と強く感じたそうだ。
私にとって魂の道を歩くことは、このスピリットに敬意を表し、神の意志に自分の意志を合わせることである。果たして、スピリットは意思表示をしてくれた。
同じ志を持った魂の仲間たちがそこにいることを教えてくれた。それは日輪となって現れ、アメリカと仙台と大分を繋いでくれた。
昨年、晶子さんとコラボを終えた後で行った山の中で道に迷ったとき、目の前を鹿が横切るというハプニングがあったが、今年はなんと、私たちを待っていたかのように、角を付けた鹿の頭が会場に置かれてあった。
2日目の朝の散歩のときには、それぞれ白とこげ茶の二頭の馬が並んで立っている姿が、強烈に目に飛び込んで来た。
木々の至る所には、大きな美しいまゆの中で変態のときを待つ幼虫がいた。
夜半には、由布岳からの風が眠れないほど激しく窓を揺らし、最終日の3日目には、心に深く染み入るような細かい滋養の雨が降った。
まるで私たちの心に呼びかけるかのように、自然や生き物がさまざまな表情を見せてくれる。そのとき、共時性を通して呼び覚まされる魂のストーリーを垣間見る一瞬が訪れる。
そんな自然のように、関わる人々もまた気づきを呼び起こしてくれる。
「自分では気づくことのできない自分の良さを、人が教えてくれることを知った」と、ペアになってドローイングをしたときに参加者の一人が言った言葉が、心に強く響いた。
自分に一番厳しいのは、自分なのだろう。だからこそ、ペアで相手が自分を感じて描く絵は、驚きと喜びを運んで来てくれ、こんなにも力をくれるのだろう。
自分に一番厳しいのは、自分なのだろう。だからこそ、ペアで相手が自分を感じて描く絵は、驚きと喜びを運んで来てくれ、こんなにも力をくれるのだろう。
タッチドローイングという磁石に引き寄せられて集まった仲間が、表現を通して共に自分というものを思い出していく。心の優しさやもろさ、痛み、豊かさや美しさ、人間であることの苦しみや愉快さを、肉体を通して共に味わう。
タッチドローイングは魂が表現する絵。それは自分で描いて自分で理解し、その理解がさらに深みと広がりをもって進んで行くという創造の道でもある。
参加者がそれぞれ色付けをした絵を持って輪になったとき、私はそこに日輪を見た。
一人一人が自分を表現し、いのちが繫がり合うとき、そこに虹の輪ができる。
参加者の皆さん、椋梨晶子さん、フローラハウスのしみずみちこさん、どうもありがとうございました。
タッチドローイングのスピリットに感謝を捧げます。
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