2014年2月15日

大雪、水星の逆行、満月の日のタッチドローイング



各地に影響を与えた(ている)記録的な大雪、水星の逆行、満月。
昨日から今日にかけて、何か不思議な気配が漂っているのを感じるため、こんなときにタッチドローイングをやるとどんな絵が出てくるのか興味があり、やってみると、8枚の連続する絵ができた。

降る雪の空に感じる存在
ひびが入り穴が開いたところに通るエネルギー
宇宙の存在の出現

雪のスピリット(シャーマンの仮面)


身体感覚とエネルギーの流れ

バランスを保ちながら歩く
ハートの感覚
出現する手

 
4枚目「シャーマンの仮面」の目が、私の中の真実を見透かしているように感じる。6枚目の「バランスを保ちながら歩く」は、頭はバランスを保つことをよしとしているのであるが、絵を見ると頭が固定されているようで、何とも固くて窮屈に見え、表情も憂鬱そうに見えて仕方ない。

描きながらそう感じたため、7枚目のときにハートから感じるメロディーを口ずさみながら描いてみた。指が流れるように動き、気持ちがよい。そして、こちらの方がすでに自然にバランスがとれている。

私にとっての真実として出てきた言葉は、調和やバランスというのは、「こうするべき、これがよい」と頭で考えるものではなく、すでにそこにあるものである。最後の絵が示すように、手が動くことで(智慧を)教えてくれるということである。

この手は他にどんなことを知っているだろう? 何を描くだろう? 私はそこに神秘を感じる。

雪や風をもたらす気流、月の満ち欠け、水星の軌道を司る大いなる存在の計らいは、不可知の領域。その不可知の領域に敬意を表すると同時に、私の中にはそれに触れてみたいと感じる心の手がある。


2014年2月1日

虹色の河



押すより引くこと

力を入れることより抜くこと

吸うより吐くこと

リラックス

すると感じるだろう

心の奥の静寂の中に

とうとうと流れる大河を

よどみを押し流す
宇宙のながれを

天空を駆け抜けるオーロラになる
昇龍になる
翼を広げ飛翔する鷹になる

流れとひとつになるとき

すでに新しい意識のなか

思考を止めて
こころを開く



虹色の河

2014年1月31日

かお、顔、カオ、Face・・・

タッチドローイングのセッションで、毎回参加者に顔を描いてみることをお勧めする。それはいつも鏡で見ている自分の顔ではなく、心で感じる顔である。魂の顔と言ってもよいかもしれない。

描き方は自由である。鼻からでも左目からでも、どこから描き始めてもよい。目を閉じて、自分の顔の部分をひとつずつ感じながら描いていってもよい。

今この瞬間の自分の眉はどんな感じか、口はどんな表情? そんなことをひとつひとつ感じ取りながら描いていくと、興味深いものができる。




普段知っている自分よりも、ずっと自分らしいと感じるかもしれない。自分なのに自分だと思えないかもしれない。その顔のどこに何を見出すのか? 顔は何を語ろうとしているのか。





どうしても顔が描けないかもしれない。それはなぜだろう?

指は正直である。描いたとしても、マインドが入って操作したものなら、何か違うと感じることだろう。


たかが絵、たかが顔。それでも、ひとつひとつの顔には、何らかの物語がある。




この顔とじっくり語り合ってみたいと思うものもある。痛みや哀しみを告白してくる顔もある。見ているだけで深い部分が癒されたり、力が沸き起こる顔もある。自分よりはるかに多くのことを知っていて、大切なことを教えてくれそうな、そんな顔もある。





常に変化しているその他のすべてのものと同じように、描くたびに違う表情を見せる顔。

かお、顔、カオ、Face・・・。









(写真:参加者の絵、最初の1枚は私が過去に描いた絵)



 

2014年1月23日

ワケあり万歳!

帰省した際に入手したバターナット・スクウォッシュを使って、夕食にモロッコ風シチューを作るため、生協で買った「理由(わけ)あり」人参を切っていたときに、ふと思ったこと。

私はこの「理由あり」が好きである。どんなワケかというと、大きさにバラつきがあるから規格外になったものだということ。4本入って99円。お値打ちというだけでなく、頼もしさを感じるから好きである。

しかし、よく考えると失礼な話だ。こちらの方が本来の姿なのに、誰かが決めた規格から外れると価値が下がるというのは変だ。横暴な仕組みである。

誰かが作った規格に当てはまろうと一生懸命努力したり、当てはまらない自分の価値を否定することは、この社会にあまりにも定着している。

スーパーに行くと、見栄えの良い野菜が並ぶ。魚もほとんど同じ大きさ。消費者が好むから?いや、その心理を助長したのは誰?それに操られているのは誰?

ニュースでは、髪を黒く染めて、同じ色のスーツを身に着けた就職活動に臨む若者のことや、SNSの浸透により目立つことを恐れ、周りに合わせて控えめな生き方を選ぶ人たちのことが取り上げられている。

ふと、自分が2年前に描いた絵が浮かんだ。それは、思うようにならず、もやもやしていたときに描いたものだった。

その感覚を感じていると、お腹から憤った子供の叫び声が聞こえてきた。「ここにいるのが聞こえないの?いつまで無視する気?」

それは、自由奔放な姿をしたもうひとりの自分だった。その憤りの顔を描いたとき、私は興奮したのを覚えている。核心に迫る「なま」の顔だからである。

私の中の頼もしい「理由あり」チャイルド。この子供が持つエネルギーは生きる力そのものであり、内から揺さぶり、古い枠を壊し、新しい仕組みを生み出す力になると私は思う。

この子供が、一体どれだけの人の中にいることだろう。

4月の大分リトリートは、日常から離れた自然の中で、様々な角度から思い切り自分を感じ取り表現してみようと、相棒の椋梨晶子さんと私の二人の中にある冒険心に満ちた子供が決めた。有り難いことに、参加者は既に定員の半数に至っている。

私の中にいるこの子供は言う。「つないでいる手を離しても大丈夫、既につながっているから。横並びからはみ出して多いに結構。自分の歩は、自分だけのものだから」



タッチドローイング:「おーい、ここにいるのが聞こえないか!」
2012年4月 



2014年1月5日

新年のご挨拶とタッチドローイング



明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


2014年、いよいよ始動ですね。

「一年の計は元旦にあり」という言葉がありますが、元旦に頭を真っ白にして実家でタッチドローイングの描き初めをしました。すると紙の上にユニコーン(一角獣)とシャチが出現し、どうやら無意識は、今年の私をサポートしてくれるパワーアニマルを送り込んでくれたようです。

私にとって本気の年に入りました。こちらの生活も落ち着いてきたので、今年は自分本位になり(わがままという意味ではなく)自分の魂・内なる声に真剣に応えていく所存です。

絵のクジラは水面に飛び出しました。変人でよし(笑)。躊躇や遠慮はせず、積極的に表現し創造していく覚悟です。

タッチドローイングはまだ日本では馴染みがないため、知ってもらうことにそれなりの努力が必要ですが、オーガナイズやサポートをしてくださる方々のお陰でワークショップを開催することができ、少しずつ進化もしていっています。

今年は日本でのタッチドローイング第一人者としての自覚をしっかりと持ち、引き続きごく自然な私の姿と立ち位置で、愛ある存在として安全で安心できる場を提供していきます。皆さんの魂へと届き、もともと持っている知恵と力を引き出すサポートをさせていただき、皆さんと共に創造の輪を広げていきたいです。

私が得意なことは、直感やインスピレーションから無意識や自然、スピリットと繋がり、そこからのメッセージを絵や音や文字で表すことです。また、それができる場と環境を創り出すことです。

それらと繋がったときに沸き起こるイマジネーション(想像)は形ないものから形あるものへの橋渡しとなります。それは現実味のない空想ではなく、深奥から揺さぶり、自分に力を与え、新しい角度から物事を見ることを教えてくれ、突破口を開き、人生や日々を豊かにしてくれる現実を創造する原動力となります。イマジネーションは創造の始まりで、これこそが創造主から私たちに与えられたギフトだと思います。

「魂が表現する絵」タッチドローイングには、一人一人の未来への地図と共に、人類のDNAに刻み込まれた記憶と知恵が潜んでおり、無限の可能性が眠っています。これを皆さんと一緒に体験し掘り起こしていくことが、私の大きな喜びでもあります。


<現時点で確定している今年前半のスケジュール>


116() : 第三回「コミュニケーションを考えるサロン」佐藤京子さん主催 仙台初のワークショップ (まだ残席があります) https://www.facebook.com/events/400660920036390/?ref_dashboard_filter=upcoming


222(): クリスタルボウル奏者 遠藤園子さんとの仙台コラボレーション・ワークショップ(近日ご案内開始)


426日~28日:大分の表現セラピスト椋梨晶子さんとのコラボで、初の宿泊型タッチドローイング・リトリート(近日ご案内開始)。

その他、関東や他地域からもお問い合わせがありますが、開催が決まり次第随時ご案内いたします。

さて、2014年どんな年になるでしょうか。それは私たちの手の中にありますね。
さあ始動しました!


 
 


2013年12月30日

賛美と祈り

シアトル近郊の島で行われた夏のリトリートのときに森の中で描いた絵の一枚がこれなのですが、それに色づけをして、アップしようと思っていたちょうどその時に、リトリートの敷地にあった樹齢100年近くの大木が、理由あって昨日切り倒されたことを知りました。

タイトルは「賛美と祈り」という言葉が来ていたのですが、この出来事にピッタリでした。

からだを失った木のスピリットに感謝を捧げます。

Blessings and Prayers

2013年12月16日

宇宙人になった心地


フロリダ半島というと、ほとんどの人はオーランドのディズニーランドやマイアミあたりが頭に浮かぶだろうか。私の義母は、マイアミから車で時間ほどの小さな街に住んでいる。

そこは、一時期ニューヨークからの移住者のための住宅ラッシュもあったが、今なおオレンジやグレープフルーツ農園が点在し、季節になると、道ばたのフルーツスタンドは黄色とオレンジ色に染まる。

初めてその街を訪れたのは、ちょうど今頃の季節であった。日中は冷房するほど暑くなるのに、街はサンタクロースやクリスマスの飾りで彩られ、場違いに感じられた。

シトラスの収穫がピークを迎えており、私はフルーツスタンドのひとつに立ち寄った。フルーツスタンドと言っても、八百屋の倍くらいの大きさがあり、店の中には果物以外にジャムやお土産物も並んでいた。日差しが強いので、私は薄手の長袖を着て帽子をかぶっていた。

店で品物を見ていると、何か違った空気を感じる。冬とは思えない南国の日差しのせいだろうと思い、私は見たこともない種類のオレンジや、珍しいフレーバーのジャムに夢中になっていた。

品物の入ったかごを持ってレジに向かおうとしたとき、異様な空気がピタリと肌にくっついた感覚になり、何だろうと周りを見回した。

店の人も客も地元の人なのだろう。私以外の人はみな同じように見える。同じようにというのは、人種、肌の焼け具合、服装、話し方などである。

光線を当てられたような感覚は、こちらに向けられた複数の視線からのものだった。横からチラチラというのは別に珍しいことではないが、そういうのではなかった。大きく見開かれた目がまともに私の顔から足下へ、そしてまた足下から顔へと移動するのである。

レジの人は、一体この人はどこから降ってわいたのかと言わんばかりに、私を食い入るように見つめてくる。いや、人というよりも宇宙人でも見ているような表情だった。

私は、文字通りエイリアン (Alien) なのだ(Alienとは外国人、よそ者、異星人という複数の意味がある)。そのエイリアンが、耳にしたことのないアクセントのある英語を話すとなると、一層珍しいのだろう。勘定をするときも、品物を袋に入れるときも、相手は口を閉ざし、目だけが全開していた。

私は一瞬で裸になった感覚になり、戸惑ってしまった。夫にこのショッキングな事件のことを話すと、おそらくその人たちはアジア系の人に会ったことはないのだろうと言った。私の服装も違うし、日に焼けていない肌も際立っていたのだろう、と。

確かに、滞在中アジア系の人は一人も見なかった。どうやら、その街にはレストランを経営している中国人が一家族いるのみとのこと。
「まあフロリダは田舎だよ」と夫が言った。

人種のるつぼと言われるアメリカで、まさかこんな体験をするとは夢にも思わなかった。

しかし、そんな体験をしたのは私だけではなかった。アメリカ人と結婚した私の友人は、式を挙げる前に中西部の小さな街にある彼の実家を訪れ、そのときに親戚一同が集まったそうだが、彼女一人が浮き上がってしまったという。

そこにいた小さな男の子が、まるで得体の知れないものに出会ったかのように恐る恐る彼女のそばにやって来て、穴が開くほど見つめた末に、彼女の黒い髪をためらいながらも触ったり引っ張ったりしてきたという。

「まったくもう、私宇宙人になったような気がしたわ。めちゃくちゃ居心地悪かったー。」
彼女も同じことを言った。

日本にいたらおそらく絶対に体験できないこと。いや、シアトルでも体験できなかった。

今度そんな風に見つめられたら、「ミーミーミーミー」と高音を発して驚かしてやろうかと密かに思うのだが、それは冗談として、異なる環境に出てみることはショックも伴うが、新しい体験や気づきをもたらす。あのときほど、自分という存在を強く意識させられたことはなかった。

クリスマス前、大勢の買い物客で賑わう仙台のアーケードを歩く。行き交う人の服装も色も髪型も表情も、なぜか同じに見えてしまう。そして若い女子店員の、「いらっしゃいませ~、どうぞ ・・・・・ ませ~」という顔の上半分から抜けるようなあの奇妙な鼻声と抑揚は、まるでコピーをして貼り付けたかのように、どこへ行っても全く同じに聞こえる。

フロリダで体験したのは、集団の意識が作り出す場だった。日本のような単一民族の集団の力は、さらに強烈である。それに吸収されていくとき、一種の安心感も感じられる。

しかし、A定食、×○セット、「らくらく○×、「まかせて安心パッケージ」などが溢れる社会に慣れてしまうと、麻痺して自分で考える力がなくなってくる。

そこに安住したくない自分がいる。冬服のように暖かく心地よい一方、重みと粘着性もあるからだ。

左翼的で急進的なシアトルから保守的と言われる仙台に移って2年目に入るが、冬のこの時期にあのフロリダのことを思い出したのは、自分の中のエイリアンのような異質な部分を尊重したいという内からのメッセージなのだろう。



タッチドローイング・リトリートで描いた一枚
 タイトル:New Vision