2008年7月21日

あなたはどんな子供でしたか

小さい頃の自分を思い出してみよう

どんな子供だったか
どんな遊びが好きだったか
どんな友達がいたか
どんなことを怖いと思ったか
どんな出来事を覚えているか

このようなことを思い出した時に、どのような気持ちになるだろうか。

幼稚園から小学校低学年くらいまでの自分を思い出すと、私はいつも外を走り回っていた。姉は家で人形遊びをするのが好きだったが、私は自分に買ってもらった人形が嫌いで、髪の毛を切って坊主頭にしてしまった。

人間が作ったもので遊ぶよりも、草を編んでかごを作ってみたり、石を削った粉で粘土にしてみたりと、自然のもので何かを作るのが好きだった。虫は怖くなく、カマキリも平気で手でつかめた。小学校に入ると、友達とよく近くの山へ行って山菜をとったり、男の子と一緒に川でザリガニやドジョウを追いかけたり、放課後男子の中に私一人女の子が混じってドッジボールをしたりと男勝りで、とにかく外で遊ぶことが好きな子供であった。

小さい頃はよく母親に叱られた。母のしつけは厳しく、道徳意識をしっかりと植え付けられた。そういう中で、知らず知らずのうちに、私は「よい子」を装うようになっていったのかもしれない。先生の間でも近所の人の間でも、よい子で通っていた。しかし、幼稚園で母親たちの集まりのときに、いたずらなど何か問題を起こした子供の中に決まって私の名前が出てきて、母がびっくりしたという話を私は大人になってから聞かされた。

単独にいたずらしたこともある。小学校へ行く途中で裏がザラザラしている葉っぱを見つけた私は、下校のときに密かに集めておいて、通り過ぎていく児童一人一人にそっと近づいて、背中に貼り付けた。

それが問題となって、数日後、学級会議で担任の先生がクラス全員の前で私を立たせて、
「あんたがそんなことをするとは夢にも思わんかったな。先生はあんたがええ子と思っとったのに、期待を裏切られた思いや。えらいミソつけてくれたな~」と言って叱り、その後、一番仲がよかった友達からは「あっ服に味噌ついとるでー」とからかわれたことを覚えている。

自分としては大して悪いことをしたとは思っていなかっただけに、先生にみんなの前で叱られて、その後友達にからかわれて、屈辱的な思いをしている。まあ、あの葉っぱくっつけ事件は、自分が考えてやったことで自分が悪いのだが。

そんないたずら好きだった私も、中学・高校の頃にはすっかりおとなしくなっていたが、内心はよく男に生まれたかったと思っていた。具体的に何があったかは覚えていないが、そのときの自分は「男だったら自分の思うようにどんどん行動できるのになあ」と思っていたことを覚えている。

また、こんな不可解な瞬間もあった。小学校高学年から高校くらいまでであるが、何かをしている最中に突然ふと「今、ここで自分が死んだらどうなってしまうのだろう。息ができなくなって、体やこの感覚もすべてなくなって、それを考える自分自身がまったくなくなって・・・」と考えると気が狂いそうになり、いてもたってもいられなくなった。このような「考えの発作」は数年ほど繰り返され、そのたびに頭がおかしくなりそうになった。

私の怖いものは高い所と水。水については、小学校に入って水泳の時間があり、避けることはできない。最初の恐怖は、プールに入る前にシャワーを浴びる場所である。天井部分にシャワーが付いていて、コンクリートの階段を数段下りてまた上がるという構造になっており、階段の部分はちょっとしたプールのように水が溜まっている。小学1年でまだ背も低い私の胸ほどの高さまでくる水の中を頭からシャワーを浴びながら通るのは、たった4~5歩で終わるのだが、私にとっては拷問のようなものであった。

それを過ぎるといよいよプール。泳ぐことはできるが、顔を水につけると途端に苦しくなり、泳いでいるときは、排水溝に吸い込まれることばかりを考えてしまう。水が渦を巻いて吸い込まれていく排水溝が怖い。

子供の頃の記憶はほかにもたくさんあるが、これらのことを思い出してみるだけでも、少し自分の内面を探ることができる。大人になると建前や社会的通念などの壁があり、型にはめられた自分といることに慣れてしまうが、子供の頃の自分の様子や行動を振り返ってみると、忘れていた自分の性質を思い出すことができる。また、心理的なものに至っては、過去世にも遡ることができる。

そのカギとなるのが感情である。感情は、自分への入り口であるともいえる。

子供時代のことを感情から仕分けしていくと、客観的に自分のことを振り返ることができる。

例えば、上に挙げたことだけでも、次のような感情に分けられる。

嬉しさ、楽しさ、幸福感 = 自然の中でのびのびと遊ぶ自分、自由に行動している自分

恐怖 = 水、渦まく水

不安 = 死、死後どうなるか

恨み = 権威ある人によって、多くの人の前で叱られたこと、友達にからかわれて馬鹿にされたこと

(隠れた)怒り = 厳しいしつけ、コントロール

理由はわからないが恐れていること、繰り返し襲ってくる不安などは、過去世に原因があることが多いようだ。私の場合、チャネラーを通じてガイドと話した時に、水の恐怖については、過去世で川で溺死させられていると教えられた。今生では水に関する事故や怖い経験はしていないだけに、異常に水、しかも渦巻く水が怖いというのは、やはり過去世に関係するのだろう。

また、死ぬことに関して気が狂いそうな衝動に駆られたのは、過去世で何度も殺されていることに関係するかもしれない。突然身に迫る死というのは、相当なパニックを伴うことであろう。

今ではこの2つはかなりクリアしたと思うが、私は外を飛び回っていた活発で素朴な子供の頃の自分に惹かれる。それは喜びにつながり、自由につながる。恨みや怒りはそういう自分が大人の期待に応えるべく、威圧的に抑えられたときに起きている。また、この恨みや怒りに関して時間を遡ると、極度に禁欲・自制したり、他人に翻弄されていた数多くの過去世にたどり着く。

これからは、もっと力を抜いて自由になって、喜びの中で流れに身を任せたい。それが宇宙の流れと調和することになるのだろう。

感情は自分への入り口。子供時代を思い出し、感情を見つめ、忘れていた自分を呼び覚ますことで、新たな自分への息吹となるかもしれない。

あなたはどんな子供でしたか
どんな遊びが好きでしたか
どんな友達がいましたか
どんなことを怖いと思いましたか
どんな出来事を覚えていますか

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