2008年7月4日

地縛霊は友達?!(3)


それは、ハロウィーンも間近の10月29日のことだった。家の近所にスピリチュアル系の書店があり、そこである著者の出版記念講演会が開かれた。

今振り返ると、これも今回の地縛霊体験の「パッケージ」に含まれていたのである。

私は、それより数日前に、引き込まれるようにその書店に立ち寄り、書店のイベントのスケジュールを載せた冊子をもらった。そこでは、ワークショップや新刊本の紹介、講演会などを定期的に開いていることを知っていたが、今まで実際に参加したことはなかった。ところが、家に帰って特に目的もなく冊子のページをパラパラとめくっていると、数日後に「People Who Don't Know They're Dead (死んだことを知らない人々)」の著者によるフリートークがあるという情報が目に飛び込んできた。

これを見た瞬間、衝動的に行きたいと思った。そのときの自分にとって、とてもタイムリーなトピックだし、ましてやタダ。損をすることは何もない。その上、通常大半のフリートークは夜の時間にあり、私には仕事があったり夫が家にいたりで外出するのは難しいが、それは週末の昼間の時間だった。まるで、私のためにすべてお膳立てされているようであった。

さて、講演会場へ行ってみると集まった人は20人足らずで、会場はこじんまりとしていた。著者は劇作家のゲイリー・リオン・ヒル氏で、彼の叔父ウォリーさんが霊能力のある友人の助けで行ってきた「死んだ人のカウンセリング」のことを綴ったものであった。トークは、ウォリーさんを交えて、その著書からのエピソードを抜粋して体験を語るもの。もちろん、著書の販売促進のためであるが、死んだ人がカウンセリングを受けて成仏していくなんて話は、スリル満点だ。ましてやそれが本当の話で、中には感動するものもあり、私は話に引き込まれていった。

ウォリーさんは、年は60代後半から70代前半といったところだろうか、一見見たところ、気のいい隣のおじいちゃんを思わせるまったく普通の人であった。しかし、死んで路頭に迷っていたり、間違った場所にいる何百何千体という霊と話をして光の方向へ導くという、普通では考えられないこと(特にアメリカ社会では、こういったことは強く否定される)に40年以上も真剣に携わってきただけあり、自分の役目を心得て、迷うことなくそれを貫いてきた強さのようなものがにじみ出ていた。

また、著者のゲイリーさんは、子供の頃からこの叔父さんの活動に強い興味を寄せていたが、後に劇作家という職業柄を活かして書くことを担当したようである。この素晴らしいチームワークは、きっと世の中に大切なことを伝えるべく、目に見えない大きな力が導いたであろうと思わずにはいられなかった。

講演会の最後に質疑応答の時間が設けられたが、私は一通り質問が終わるまで待って、日本での霊体験と、シャーマンが与えた課題のことを手短に話した。ウォリーさんは40年以上もの経験があるのだから、私のような事例があったのではないかと思ったからだ。お供えの仕方とか、霊を閉じ込める方法とか、そのようなことを教えてくれるかもしれないと密かに期待していた。ところが、私の話をじっと聞いていたウォリーさんの口から出た言葉は、「もしかして、過去生で関係のあった魂かもしれないね」だけであった。

「へっ?」

それが私の反応だった。

最後に、この「People Who Don't Know They're Dead」の本を買う人は、著者のサインをもらうために列を作った。もちろん私もその中の一人であったが、聴衆の一人が帰り際に近づいてきて「微笑ましいお話、どうもありがとう。日本でうまくいくといいわね」と言って声をかけてきた。私にとっては忌まわしい体験だったのに、聞く人の耳には微笑ましい話として伝わっていたことに少し驚いた。

さて、サインをもらおうとゲイリーさんとウォリーさんの前に本を持って立ったとき、私はなぜか急に熱い思いで胸が一杯になって言葉に詰まったが、かろうじて「今日ここへ来たのは、まったくぴったりのタイミングだったように思います」と言うと、ゲイリーさんは大きくうなずき、「AT THE RIGHT TIME -(ちょうどいいときに)」と書いてサインし、「あなたには力があるよ」と言って本を手渡してくれた。私は感動して涙が出そうになった。

そして、ウォリーさんも「あなたの心がそう思えば、そのスピリットと話をして導くことができるだろう、ガイドの方達の力を借りてね」と言った。私はガイドとのつながりのことなど一言も言っていないのに・・・。もしかしたら、それはウォリーさんを通じたガイドからのメッセージだったのだろうか。ゲイリーさんもウォリーさんも大らかでさらりとしていたが、私の目には尋常でない力を持った人達として映った。

それから数日間、私はその本をむさぼるように読んだ。死んだことを知らずにある一定の時間と空間に閉じ込められている魂がいること、迎えに来ている存在がいるので、それに気づかせることで光に導けることなどを読んで学んだ後、あたかも実習が用意されているかのように、夢で既に死んだ人が具体的な形で現われた(そのときのエピソードは http://hoshinoto.blogspot.com/2007/10/1.html に)。そのときは、光に導くことはできなかったが、閉じ込められている魂がいることを直に知った。

さらに、寄生虫さながら、霊には生きた人のエネルギーを吸って「生きた心地になる」ものもいるという。実は、これこそが私が日本で体験したことだったのだ。

あのときゾクッと寒気がしてから、あれよあれよという間に力が抜けていき、高熱を出して寝込んだその日、トイレに行ったついでに鏡で自分の顔を見たときは「生きた心地がしなかった」。鏡に映った自分の顔はまったく生気がなく、昨日まではツヤツヤして張りがあった肌はガサガサになり、目は落ち込んで頬はげっそりとし、老婆のようになってしまっていたからだ。生気を抜かれるというのは、ああいうことを言うのだろう。

「それにしても、あの霊は自分が死んだことを知っているのだろうか。私は光に導くことができるのだろうか。しかし、お供えをして霊をおびき出すということは、光のもとへは行けないということなのか・・・」そんなことを考えながら、本を読み進めていった。

赤い布のことは意識の中にはあったが、日本へ行く12月中旬まではまだ時間があったので、特に自分から進んで探そうとはしなかった。そういうことは、得てしてほとんど忘れているときにやってくる。

11月も半ばになり、衣装箱を整理していたら、気に入っているが長い間着ていないセーターが出てきた。着ない間にボタンが派手すぎる年になってしまっていたが、少し地味目のものに付け替えればあと2~3年は着られる。

さっそく、近くの手芸店へボタンを買いに行った。大きい店だったので、ありとあらゆる種類のボタンがあり、選ぶのに時間がかかった。そして、やっと気に入ったものを見つけたときに、ふと布地のことが頭に浮かんだ。「ああそうだ、はぎれ・・・」

布売り場に行ってみると、はぎれの山の中にひとつだけ赤い布があった。選択の余地はない。ところが、その赤い布は、細かい模様こそ入っていないが、色といい光沢といい、あの時ふと浮かんだものとかなり近かった。それは、あまりにも簡単すぎる布探しとなったので、デブラさんに言われた後、あれほど緊張した自分を思い出すとフッと笑いがこみ上げてきた。

「これで課題ひとつクリア!」心が少し軽くなった。

家に帰ったその夜、袋から赤い布を出して、さてどうしたものかと考えた。ヤード単位でしか買えないので大きかったが、やっぱりハンカチくらいがいいだろうと思い、切って端を手で縫った。

裁縫なんて久しぶり。しかし、実は手縫いほど愛情がこもったものはないのである。気がつけば、私はその霊のことを敬う気持ちで縫っていた。

「どうせなら、綺麗に仕上げてあげよう」
そして、縫っている間、ちょっぴり弾む気持ちになった。

なぜそんな風に感じたのだろうか。相手を恐れ、この布に引き付けようと念を込めて縫う一方、敬う気持ちや弾む心があるとは。それはまったく理不尽なことであった。

布が出来上がると、後は霊が好きな場所だけである。デブラさんと話している時に瞬間的に浮かんだ実家の近所の神社については、それがあまりにもすぐに浮かんだので、あてにはならないと思った。

「こういう大切なことはじっくり瞑想でもしてわかるものだ」そう信じていたので、何度も瞑想を試みた。ところが、いつも眠くなって失敗してしまう。

そうこうしているうちに、日本へ発つ当日となってしまった。
「まあ飛行機に乗っている間に考えよう」
しかし、考えようとすると、頭がボーっとしてしまう。

結局何も浮かばなかった。そして、とうとう実家の近くの駅まで来てしまった。夜道を運転する父の隣に座り、黙ったまま正面の暗闇を見つめて私は考えた。

「あの霊は私が来たことをもう知っているのだろうか。一体どのくらいの距離で察知するのだろう。ひょっとして、もうこの車に同乗しているのだろうか」

後ろを振り返ってみたが、夜の闇は沈黙とともに私を見守るだけである。まもなく実家の玄関の明かりが近づいてきた。

<つづく>

0 件のコメント: