2011年3月30日

「今ここ」から未来への責任

あと2週間で、また畑のシーズンが始まる。室内で少し大きくなったエンドウの苗を植える準備が整い、先日夫と畑に出かけていって土を耕した。

ふと思った。私は今年も当たり前に畑をして、当たり前に野菜を作ろうとしている。しかし、当たり前であった多くのことが、今日本では当たり前でなくなっている。そう思った瞬間、私の目には、今自分が立っているこの大地も、もう当たり前ではなくなっていた。

毎年春になると、中国からの黄砂で、私の車の窓も汚れる。日本からの放射性物質も、微量だが確実にこちらに届いている。私たちは海で繋がっている。大気で繋がっている。

もう自分だけ、自分の町だけ、自分の国だけ、という考えは通用しなくなってきている。なくなりそうだから、買い占めればよいというものではない。貯めれば安心というものでもない。

日本からの放射性物質が海を越えて、アメリカ西海岸に到達するという知らせに人々が騒ぎ、ヨードカリ錠剤を買い占める動きがあった。その晩、ニュースで専門家が「そんなのは気休めで、ほとんど意味がないと思ってよろしい」と言っていた。

これを聞いたとき、新聞で読んだある先住民の言葉を思い出した。シアトルダウンタウンの近くの湾に流れ込む川の汚染が深刻化していることを伝える新聞記事にあった言葉である。

「私達は先祖の時代から、ずっとここでサケをとり続けてきた。サケは私達の命綱。川が汚れ、健康を害するとわかっていても、私達は先祖がしてきたように、ここでとったサケを食べ続ける。それが私達の生き方だからだ。大地と共に生きるということは、そういうことなのだ」

なんてバカな考えだろうと笑う人もいるだろう。店に行けば、アラスカ産のサケがいっぱい売っているじゃないか、と言う人もいるだろう。

先住民の人たちは、常に7代先を考えたところを軸として今を生きてきた。未来に対する責任は、今ここにあることを知っているからである。大地が病む時は、私たちも病む。大地と共に生きるということは、あらゆることを共にするということでもある。

彼らの言っていることが、今、心に響く。

今日、ニュースで25年たったチェルノブイリを訪れた記者が、周辺住民の深刻な健康問題や胎児の奇形、子供の死亡、生息している鳥や虫の奇形のことを語っていた。彼らの苦しみは今も続いている。

私達が病み、選択を間違い、大地が病んでしまい、それが自分たちに返って来ている。そのことがわかっていても、行動しなければ、やはり何も変わらない。

空に向かってつばを吐き、逃げたとしても、他の生き物に降りかかる、私達の子孫に降りかかる。蒔いた種は刈り取らなければならない。海水が蒸発し て雲になり、山へ移動して雨となり、川となって戻ってくるように、私達は大いなる循環から逃れることはできないということを、忘れてはならないと思う。

便利な時代になり、物が溢れ、仮想的な社会が広がり、生きることの意味がわからなくなり、歪みに歪んだところから、亀裂が入ったようである。

自分の内面を見つめて自分を浄化し、自分を愛し、今を楽しく生きることにフォーカスを置いてきた自己探求の段階から一歩先には、これを軸として、未来に対し無限の責任を持つ意志と、そのための選択を積極的に行う姿勢が見えてくる。

私も現実を直視し、そこから未来への道へ繋げるべく、もっと意識的になることから始めようと思う。

あらゆるものとの繋がりと未来への責任に関して、日本にいる私の友人が素晴らしい日記を書いていますので、ご紹介させていただきます。


<以下転載>

私は、放射能などの科学的な専門家ではありませんが、御縁で関わって来た方々から学んだ、原発に繋がる問題を共有させていただきます。

原発に使われる核燃料のウランが採集される場所の多くが、先住民の方の聖地になっています。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、オーストラリアは、世界一のウラン輸出国であり、アボリジニの方が生活し、神聖とされている場所にウラニウムが埋蔵されています。北オーストラリアのカカドゥ国立公園 内ジャビルカ鉱山、そして南オーストラリアのロックスビーダウンウラン鉱山などから、年間輸出量1万トンのうち、3000トンは日本へ輸出され、日本の原発の燃料として使われてるそうです。

ウラン鉱山開発は、もともとそこに暮らしてるアボリジニの方たちに、様々な深刻な問題を引き起こしています。ウラン鉱山では、採集時に大量の水を使うため、あっという間に汚染されます。地下水を頼っているアボリジニの方々、そこに生息する動植物たちに、その汚染は広がって行きます。

そこに住むアボリジニの古老たちは、『ウランはそっと大地の中に、そのままにしておいて欲しい』と、おっしゃっていました。

日本で原発を通じて、私たちが得られる電気の一部は、オーストラリアのアボリジニの方たちが守り続けている大地の資源によってまかなわれているのですよね。同時に、その大地で、ウラン鉱山の汚染が原因で、心身共に苦しい生活をされている方々がいらっしゃいます。

原発ではありませんが、核燃料に関しては、長崎に投下された原爆に使われたプルトニウムの抽出作業を行った、アメリカのワシントン州南部のハン フォード核施設を訪れた事がありますが、現在でも、抽出されたプルトニウムは、ドラム缶などに入れて、埋められ、沢山放置されたままで、深刻な汚染が続き、撤去作業が行われているそうです。

その周辺に住むヤキマ族の先住民の方や、放射能汚染による被害者の方と時間を共にし、お話しを聞かせていただきました。ハンフォード近辺に流れるコロンビア川が汚染されているため、そこに帰って来る鮭も汚染され、その鮭や、その土地で育った野菜を食べて育った方たちの多くが、甲状腺の問題を抱えて います。手術をされる事も多く、首のあたりに手術の跡が残って、その特徴からその傷の事を『ハンフォードネックレス』と呼んでいるそうです。私の友人の首にも、そのハンフォードネックレスがあります。

ヤキマ族の方々も、アメリカ北西部の先住民の方々と同じように、鮭が重要な食べ物であり、鮭が彼らのアイデンティティです。その汚染された鮭が象徴のように、彼らの文化や在り方、生き方、そして、その大地も汚染されてしまっているのです。ヤキマ族を代表する、環境問題などに力を注がれている、スピ リチュアルエルダー(精神的指導者の長老)のラッセルさんに、お話しを聞きました。その土地と共に生きてきたヤキマの民にとってハンフォードの汚染が及ぼす影響は深刻でした。健康に関する問題、貧困、差別、アルコールや麻薬などの依存症等の沢山の問題が後を絶たず、また若者に伝統や言語、神聖さなどを伝え ていくことが非常に難しくなっているそうです。


広島の原爆に使われたウランが採集された場所も、アメリカ南西部アリゾナ州などの先住民の聖地であります。その周辺のウラン鉱山は、放置されたままのところや、汚染物が捨てられた場所が多く、現在でも被爆され、放射能汚染で苦しんでいる方が、沢山いらっしゃるそうです。

先住民の方たちや仲間たちと共に巡礼し、歩いた時に、それらの汚染されてしまった聖地を周り、祈りを捧げ続けました。


そして、今回の福島原発の放射能漏れで被爆され、非難されて、困難な状況にある方々。オーストラリアやアメリカで被爆された先住民を初めとする方 々、チェルノブイリや、スリーマイル、東海村や、様々な所で被爆され、その汚染に悩まされている方々がいらっしゃいます。そして、それぞれの鉱山や原発で働いている方、撤去作業をされている方。彼らの御家族。この全ての方の問題は、こうして、安心して電気を使っている私たちに繋がっており、決して切り離せない循環になっているように感じます。

過去からの、表面に公開されていない彼らの願いを共有し、意識して考えてみる事が、希望のある未来に繋がって行くきっかけになるのではと、心から感じ ています。その悲しみがあってこそ、困難をどう乗り越えて行くのか、どのように希望を持って生きていくかという事を、考えることができると思うのです。

様々な人たちの心や想いが繋がっています。原発のエネルギーをありがたく思っている方の気持ちも、原発が原因で、苦しい想いをされている方の気持ちも。色々な事が、全て繋がっています。そして、様々な方面で、その影響が繋がり、広がり続けて、終わりの無いサイクルが続いています。

放射能のように、目には見えませんが、この原発の問題は、確実に、過去から繋がり、今が未来に繋がって行きます。この繋がりをどのような循環にして行くのかは、全てに繋がり関わる私たちの志次第ではないでしょうか。


長々と書いてしまいました。
読んでくださって、ありがとうございます。

皆さんが心身共に、健やかでありますように。

未来のこどもたちが、またその先に繋がる未来を夢見る事が出来る世界を、
創って行く事ができますように


All our relations,

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