2012年7月29日

タッチドローイング・リトリートの体験 - 絵が語る



2日目の朝食前に、舞踏家の人がリードするムーブメントのセッションに参加した。朝起きて一日の活動を始める前のムーブメントということで、まずは自分の全身の肌から始まり、次に内臓、骨、筋肉と順に感じながら体を動かしてみるというのをやった。内臓に意識を向けたとき、特に腸の部分が気になったため、午前中のドローイングでこれを思い出して、腸の感覚を描いてみた。

両手の指をぐにゅぐにゅさせながら腸を描いていると、この感じは脳に似ているなあと思えてきたので、紙の上の方に同じような指の動きで脳を描いてみた。そして、この2つの臓器を背骨でつないで血管のようなものを描いてみると、いきなり腸が語りだした。

「食べ物を詰め過ぎると私(腸は)嬉しくない。軽いほうが動きが良い。うまく機能できるのだ。腹八分目という言葉があるように、詰め込み過ぎはよくない。むしろ空っぽくらいのほうが力がみなぎって、吸収力が抜群に働くのだ」

ははあ、と思って見ていると、今度は脳も語りだした。

「私(脳)も腸と同じ。マインドが忙しいと、ろくな働きができない。頭に考えがいっぱい詰まっているとうまく機能できない。むしろ空っぽの方が直感や閃きが入って来やすく、入ってきたときにすぐ気づける。人生を推し進めるのは、直感や閃きのほうなのだ。受け取って、それに基づいて動く。生き方がシンプルになりエネルギーを効率的に使え、充実する」

私は楽しくなってきたと同時に驚いた。なにげなく描いた絵が人格を与えられたかのように語り始めるとき、絵は異なる次元を帯びてくる。

この腸は男性的なエネルギーを発し、語る言葉も力強い。体の中でも古い臓器のようで、妙に存在感がある。私が入れる食べ物をいつも黙々と処理して陰で働いてきた腸に、こんなふうに諭されるとは。

脳も腸の言葉を支持し、私に訴えかけてくる。なるほどと思いながら絵を見ていると、この2つの臓器は違う場所にあるが、同じなのだということが伝わってくる。そして、単に機能的なこと以外に、特別重要な役割を果たしていると言いたがっているようでもある。

The Intestine and the Brain (腸と脳)



デボラさんがタッチドローイングのデモで顔を描いたが、今回は通常の描き方に加え、自分の顔の部分をひとつずつ感じながら目を閉じたまま描いてみる方法を教えてくれたので、それを試してみた。

まずは目。大きく見開いた感じなのでそれを描き、鼻もしっかりとした感じ、口は「オーム」という音を発している感じがしたため、それを描いた。そして目を開けてみると、目も鼻も口もそれぞれが存在を主張していて、自分が思っていたよりもずっと大きく描かれていた。

最後に額の部分にグルグルと渦巻く円と顔の輪郭を描くと、それは、あるミュージアムに展示してあった先住民のシャーマンが着ける仮面を思い起こさせた。目と口は異次元への出入口のようであり、そこから吸い込まれていくような感覚になった。

この目はしっかりとすべてを見ている。闇の中も見通せ、真実を見抜ける目。額から情報をキャッチし、口から息が吸い込まれると、そこから調和の音が発せられる。その波動は闇の中に響き渡り、漆黒の闇から光と共に変容がもたらされる。

心の目で感じた自分の顔は、物理的な自分の顔とはあまりにもかけ離れていて、ある意味「常識から外れた」顔である。しかし、常識ゆえに気づいていない自分、遠い記憶のような質を持った自分が深遠な場所から出現した感覚を味わうと、その瞬間、自分の中で何かが弾けた。

色を塗り、「シャーマンの仮面」というタイトルを付けた。これは私にとってインパクトのある意外な絵となり、お気に入りの絵のひとつとなった。

Shaman's Mask (シャーマンの仮面)

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