2012年3月1日

米領ヴァージン諸島の旅(3)- 振動する水

コンドのドアの鍵を開け、中に入ると、そこはとても快適な空間であった。気温は25度くらいあるが、各部屋の天井に取り付けられた木製のファンが回っているだけで、結構涼しく感じる。もちろん窓は24時間開けっ放し。崖に面して建っているため、風通しが抜群によい。



部屋の色合い、石床、天井の模様、調度品など、シアトルでは味わえない雰囲気にやや興奮しながら、各部屋を回ってみた。キッチンも設備が整っており、ここでこれから5日間、食事を作るのが楽しみである。島は物価が高く、宿泊費だけでもかなりの出費になるため、食事はできるだけ自分たちで作ることにした。


天井の模様


私は寝室をチェックし、最後にバスルームのドアを開けて入るなり、驚いた。
「えっ?これだけ?」



立ってシャワーを浴びるだけのスペース。

しかも、壁にこんな注意書きがある。


「給水は雨水のみですので、どうか、どうか節水にご協力をお願いいたします」


ふと、義母の顔が浮かんだ。義母は、おそらく今まで浴槽に湯を溜めて風呂に入ったことは、ほとんどないだろうと思われる。シャワーを浴びるのも、髪を洗うのを入れてもせいぜい5分くらいで、私はいつもその速さに驚くのであった。また、野菜の皮などをむく前もむいた後も、水でさっと洗うことはしない。シャワーの使い方も台所の水の使い方も、この環境から来ていることを、私はここに来て深く納得できた。

この注意書きの“Please, Please”というところから、オーナーの気持ちが伝わってくる。雨水・・・雨水・・・私は自分の中に染み込ませるように、心の中でつぶやいた。今までこんなに水に意識を向けたことはあっただろうか。

手を洗うため、注意深くゆっくりと蛇口を開いた。そして、蛇口から出た水に触れた瞬間、アッと声を上げそうになった。

まるで生き物のようだった。手に触れた水は細かく振動して、バスルームいっぱいに広がっていった。

それは水ではなかった。いや、私はきっと水というものを今まで知らなかったのかもしれない。それは水道の蛇口から出てくる単に透明の液体ではなく、生命力に満ちており、意志を持つ生き物だった。そのように感じた。

この振動を私は知っている。そう、以前、石垣島からボートで竹富島という小さい島に渡り、その島に降り立った瞬間、この振動に包まれたことがあった。そのとき時間が止まり、体がその振動に溶け込むような感覚になって、深い安堵感と懐かしさと共に、心が震え、涙がこみ上げたのを覚えている。

まさかセントトーマスでこの振動に出会うとは!さらさらとした感触で、石鹸の落ちが驚くほどよい。口にそっと含んでみる。薬品の匂いも味もまったくなく、とても純粋でクリアーな感じがする。

この島には川がないため、島人の大部分は、空から落ちてくる水を溜めてろ過して使っている。「どうか、どうか節水にご協力を」という言葉に、夫も私も通常のやり方でシャワーを浴びることはせず、タオルを少し濡らして石鹸をつけて体をこすり、最後にシャワーを細く出して石鹸を落とす分だけ流した。

気温が高いので寒い思いをすることもなく、それどころか、体がとても気持ちよくなる。バケツ一杯にも満たない量で、こんなにもスッキリした気分になるのも不思議である。

このとき、祖父のことを思い出した。私の祖父は海軍にいたが、子供の頃、祖父母を訪ねるたびに祖父は私にこう話してくれた。

「じゅんちゃんや~、おじいちゃんが海軍にいた頃はねえ、毎日大きな船に乗ってたんだ。朝ラッパの音で起きると、一人これくらいの大きさの洗面器一杯分だけ水を入れてもらえるんだ。その一杯の水で歯を磨いて、ひげをそって、最後に頭や顔を洗ったんだよ。水はとっても大事なんだよ。絶対に無駄使いしちゃあいけない」

私は、台所で食器を洗うときも、髪を洗うときも、トイレの水を流すときも、常にどうやって最小限に使うかを意識した。乾季であるためそれほど雨は降らないこともあり、雨雲がやってきてパラパラと雨が降ってきたときには、心躍った。しかしこの土地の雨は、急に雲とともにやって来て急に去っていくので、短いときは1分も続かない。

屋根に当たる雨が、音とともに命の営みという容器の中に入ってくる。与えられている、だからこそ生きていけるという強烈な感覚。受け取ると、自ずと感謝の気持ちがこみ上げる。

ポツポツという雨音に心の耳を澄ませると、そこには、欠乏や危機感という否定的なものはなく、天(そら)との信頼関係のような、希望のようなものが感じられる。実際、欠乏と紙一重の約束された豊かさという、逆説的なものを感じ取った。その豊かさは自然の大きな循環の中にあり、それに歩調を合わせた島の生活は、受容の上に成り立っていると肌で感じた。

水の波動は優しさに満ちていて、同時に力強い。バスルーム一杯に広がった振動は、生きた水の歓びのダンスのようでもあった。


コンドからの朝の景色


<続く>

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