2012年3月12日

米領ヴァージン諸島の旅(5) - 水からの癒し1



海辺のトレイルを歩いて汗だくになった夫と私は、セントジョン島のソルトポンドビーチと呼ばれる浜辺へやって来た。

遠浅で波がほとんどなく、砂浜は白い。水は淡水と錯覚してしまいそうなほど透き通っている。



私はズボンを膝までまくりあげ、浅瀬の岩場に行って、生き物を眺めることにした。ここはシュノーケリングで人気のある場所のひとつで、こんな浅瀬でも、あちこちにある岩に着床したサンゴや藻を見ることができる。



じっとしていると、どこからか紫と黄色のカラフルな熱帯魚が一匹やって来て、すうっと目の前を通り過ぎていった。足元の岩で、マツタケのような形で繊細な模様をしたイソギンチャクがゆらゆら揺れている。そこから少し離れた岩の陰には、鋭いトゲのウニが潜んでいる。私は、透明な水を上から眺めながら、徐々に視線を広げていった。

とそのとき、目の端で急に何かの動きを捕らえたので、視線を足元に戻してみると、2センチほどの半透明のシラスのような魚の群れが、あたり一面に広がっていた。

いつの間にやってきたのか。そのおびただしい数に息を呑んだ。私はちっちゃな魚にぐるりととり囲まれてしまったのだ!

私を中心として半径2メートルほどの海面が魚で埋まるというのは、生まれて初めて体験する光景だった。

動かずにいると、魚は私の足の周りを10センチくらいの距離を保って、水の中でゆらゆらとしている。物差しで測ったのかと思うほどきれいに足の周りに一定距離ができているのをみると、きっと私から出ている波動をキャッチしているのだろう。

突然、私の中から好奇心旺盛な子供心が飛び出してきて、魚と遊びたくなった。少し動くと魚はサッと一斉に散るが、ジッとしているとまた押し寄せてくる。その動きが面白くて仕方なく、動く、ジッとするを繰り返した。そのたびに魚も四方八方に散っては、また集まってくる。これは魚と私のシーソーゲームのようでもあり、開く、閉じるという呼吸のリズムのようでもある。

2センチという驚くほどのミニサイズでも群れとなると、そこから圧倒されるほどの生命力が伝わってくる。命に満ちた水を肌で直に感じるという体験を、私は今までしたことがあっただろうか。

実は、私は子供の頃から水が苦手だった。特に冷たい水や、深い水には抵抗がある。小学校のとき、プールに入る前の準備として、上からシャワーが落ちてくる、腰近くまで水が溜まった場所を通らなければならなかったが、それは私にとっては拷問だった。プールに入ると、胸まで来る深さはもちろんのこと、底や壁にある排水溝が恐ろしかった。

水は波があるとなおさら怖い。渦は、もうどうしようもなく恐ろしい。泡風呂に入っていて、水の動きを見ていたとき、突然息が苦しくなって慌てたのは、ほんの数年前のこと。

別に子供のときに溺れそうになったこともなく、今でもどうしてそんなに怖いのかはわからないが、水を見ると昔から、飲み込まれたり、吸い込まれていきそうな感覚になりパニックに陥るという、異常な反応をすることだけはわかっている。

このように、私にとっては死に近い恐怖を覚える水が、小魚で埋め尽くされ、その小さな命が巨大な固まりとなって私のいるところへ押し寄せて来てぐるりと取り巻き、水の動きとともにゆらゆら揺れているのを見ていたら、それはもう息も詰まるほどの圧倒的な命、命、命なのであった。

そのとき、私の奥深くで何かが躍動し始め、それは踊るようにハートから飛び出して、水の中へと溶けて広がっていった。


 写真: いずれもセントジョン島ソルトポンドビーチ

<続く>

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