2009年1月28日

過去生は語る(1)

ふとんの中で、夫の肩に額を当ててボーっとそのまま眠りにつく体勢になっていたとき、ぼわ~んとおでこの真ん中がスクリーンになったかのように、ある映像が見えてきた。

軍服を着て馬に乗った男性。ヨーロッパのどこか。中世とかではなく、そんなに遠い昔ではない感じ。恰幅がよく、軍服にはバッジが付いている。それだけのシーンなのであるが、情報が流れてくる。

General (大将) のような高い地位にあり、人々から尊敬されている彼の肩には、率いる軍隊の運命、さらには国の運命もが重くのしかかっている。限りなく優しい心の持ち主で思慮深い彼は、一人でも多くの人を救い、国民全体の幸福を実現するという崇高な理想を胸に、これまでも数々の苦渋の選択をしてきた。軍事と政治に深く関わり、策略と戦いに翻弄された時代。

その彼の胸のうちが、手に取るようにわかる。強い社会正義と責任感で人々から尊敬されている彼は、その崇高な精神がために、自分を完全に犠牲にしていた。個人の欲求、夢、希望、自由、そういったものを完全にあきらめ、人々のためにすべてを捧げている。それが自分の道だと自らに言い聞かせ、心を固く閉じることで、公での彼という存在が成り立っていた。

さらに、情報は深いレベルの意識にまで至る。彼の心は深い深い悲しみに包まれていた。心は張り裂けんばかりに悲鳴を上げていた。もうたくさん!これ以上、自分を押し殺すことはできない!家族はどうしているだろう、愛する人に会いたい。

それは誰もが持っており、人間としての当然の欲求。ところが、彼には許されない。上からの指令でコントロールされる一方、常に責任を持って全体をコントロールしていなければならない。個人の自由は完全に剥奪され、神経をすり減らす毎日。数々の陰謀や策略をすり抜け、極度の緊張の連続の中で日々が過ぎていく。人々のためにとは言え、自分のささいな欲求さえも満たすことができないことほど、苦しいことはない。

彼の孤独感と深い深い悲しみが、私の額との接点から伝わってきた。

夫は、常に自分がコントロールしていないと気が済まないところがある。また、常に膨大な量の情報に囲まれていないと落ち着かない。彼がまだ読み終わっていない新聞を私が誤ってリサイクル箱に入れようものなら、目を吊り上げて怒る。そのたびに「箱から戻せばそれで終わることなのに、なんでこんなことで怒られなきゃなんないの!」と私は逆切れしそうになる。

彼はまた、短気な上に、人にコントロールされることをひどく嫌がる。私が思わず「こうした方がいいんじゃない」と言うと、それがささいなことであっても、「俺に指図するな!」と言って顔を真っ赤にして怒る。指図なんてしていないのに・・・。

結婚後かなり長い間、こちらが何か言うと「Are you blaming me?(俺を責めているのか)」とか「So, it’s all my fault. (だから俺のせいって言うんだな)」いう返事が口癖のように返ってきた。私の中には、blame (とがめる) とかfault (落ち度) なんて考えはこれっぽっちもなかったのに、相手がそんな風にとることにショックだった。

すぐ「俺のせいか」と考える癖は、子供の時に経験した両親の離婚が大きく影響しているのだろうか。子供は、みんな自分のせいで親が離婚したと考えるとどこかで読んだことがある。

親の離婚は、子供にはどうしてもコントロールできない出来事。彼もそれを経験している。そのことはあまりにも悲しかったから、距離を置くことで心の痛みを感じないようにしたと、彼は私に話してくれたことがある。しかし、最近になって親と接する機会が多くなり、今までぎこちなかった関係が、かなり溶けてきているように感じる。

そんな矢先に見た軍人の姿。その軍人の姿と、強い社会正義感ゆえに大学では法律を勉強し、犯罪や戦争ドキュメンタリーに釘付けになり、オバマ氏が大統領に就任したときには涙していた夫が重なった。時代は違っても、あの時とあまりにも似ている。軍人であったあの時に固く閉じた心の奥にあった悲しみは、今でも癒えずにあるのだろうか。

人生を重ねる毎に、辛い体験からの思いがまたひとつ、その上に重なって行く。しこりとなって残って行く。私たちは、もしかしたら幾重にも折り重なった複雑な感情をどこかに抱えて、今に至っているのかもしれない。

夫は、とても優しくて、すぐに傷ついてしまうほど繊細な心の持ち主ゆえに、ちょっとでも触られると悲鳴をあげるほど、そのしこりを痛く感じるのかもしれない。

そう思ったとき、涙が出てきた。ちょっとした言動の裏には、深い理由があるのかもしれない。私が見た軍人のイメージは全く根拠もなく、ナンセンスなことなのかもしれないが、それでも、それを見た後の私の夫に対する態度は変わった。深い部分で理解できたような、自分の中でしっくりする何かを感じた。

これからは、夫がやりたいことをもっと自由にさせてあげよう、大らかな気持ちで見守って、優しくしてあげようと思った。

誰でもそのように複雑に折り重なった傷を背負って、今ここにいるのだろうか。ひょっとしたら、人間関係は、自分や相手のそうした傷のひとつにでも気づくことで、大きく変わるものなのかもしれない。

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